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    モブ視点の語りによる文食満、卒業後、女装ケマ
    大怪我、欠損(左腕)描写ありのため、ご注意ください。

    あと傷口焼くのは不正解らしいですね。感染リスク高まる。
    戦国時代は灰なり止血剤塗って布で傷口縛るとか、縫ったとか。
    海外だと卵の黄身だか白身だかと油。16世紀までは焼灼止血法使われてたとか。
    知識が足りていない。

    追記:びっくりして本当に人間が飛ぶの? →飛びます。ソースは自分(ガチ)

    #文食満
    manjoman

    死者の妄言、生者の真言(前) おや、旅の方。あそこの屋敷を気になさる。
     屋敷、というのもおかしいですな。あれはただの焼け跡。長く風雨にさらされて、崩れた塀の向こうでは黒々とした柱が数本立つばかり。昔は立派な竹林に囲まれてもいたのですがね、須らく燃え失せましたさ。
     さて、最後の住民はいつだったか。もう何十年も前の話ですよ。

     村の人間でも、あの家の主が何者であったかわからず仕舞い。いつだって気が付いたら使用人含めて出入りの人間が変わっている。なんなら誰も住んでいないときの方が多かった。 
     私のばば様、かか様、みな屋敷の詳しいところは知らぬと言う。また村では、屋敷には触れるなという不文律のようなものがありましたからナァ。

     ――ほ、ほ、ほ。
     村からも使用人として、人が雇われることがあっただろうと? 他ならぬ私がそうではないのか、と?
     先ほど言いましたよ、『触れるなという不文律』。

     まったく、しつこいですナァ。
     お礼はする? おやおや、まあまあ。ひぃ、ふぅ、みぃ。――まあ、いいデショ。どうせ何十年も前の話、当人たちとて生きているやら、死んでいるやら。

     ――私があの家に雇われたのは、こんな中年女になるずっと前。まだうら若き乙女の頃でありました。ええ、わたしゃ女ですよ。女なんてものもね、歳食えば男も女もわからんもんです。都会じゃ知りゃしませんが、田舎村の萎びた女など、そんなもんです。
     私のことはどうでもいいデショ。

     今残る塀の大きさを見ての通り、在ったころはなかなか大きく立派なお屋敷でありました。旅の方、あんたの言う通り、過去には村から人が雇われることもあったようです。滅多なことではなかったようですが。なんのかんのと、村から隔離された屋敷でしたよ。
     子供たちの間じゃ、屋敷を気味悪がりつつも面白がって、――雇われたもんは生きては帰れぬ、なんて噂がありました。実際のところは知りゃしません。
     前に村から人が雇われたのは、うちのかか様が子供のころという話で。その人がどうなったか、というのは教えてもらえませんでした。まあ、これも不文律の内ですよ。

     私が雇われた理由?
     ちょうどそのころ、屋敷に人が運び込まれて――しかもけっこう慌ただしかったんですな。だからまた誰かが住み始めたようだ、というのはすぐ広まりました。
     そこにきて、うちは典型的な貧乏の子沢山。食うに困ったとと様が、自ら末娘を売りにいったんです。ああいうものは早い者勝ち。私はあっという間に屋敷に入れられました。

     「お前は今日からこの屋敷のもんだ。誠心誠意、一生をかけてお仕えしろ」

     重たい袋をホクホク抱えたとと様に、絶対に帰ってくるな言い含められました。支払われた金を返せなどと言われてはたまりませんからねぇ。

     そんなわけで私は屋敷に雇われました。私の仕事は、とある重傷人の世話です。
     その重傷人が、今の屋敷の主であったらしい。御屋形様、と呼ばれていましたが、あれは即席の呼ばれ名でしょうな。重傷人本人が呼ばれても時折反応が鈍かった。ま、正体が知れなければ、なんでもよかったんでしょう。壁に耳あり障子に目あり。屋敷内であっても、常に人目を気にするような空気がありました。
     さて、御屋形様について語りましょうか。

     「なんで部外者がここにいるっ! こんな娘がっ」

     それが、私を見た御屋形様の第一声です。喉を焼かれていらっしゃったのに、なかなか迫力のあるお声でしたよ。ええ、火傷です。

     ――体の左半分、焼けただれておりました。
     ぐるぐるに巻かれた包帯を解いてみれば、そりゃあ酷い様。
     半分の顔で判別できる年齢は、うちのとと様と同じぐらいでしょうかね。もっとも、とと様より男前でしたが。
     ただ目の下の黒々とした隈に、しかめ面。とっつきやすい感じではなかった。口を開けば威圧的に感じましたが、ありゃあ、威厳があるというのが正しいんでしょうナァ。

     ――酷い臭いでしたよ。ものが腐る臭いです。
     焼けただれた半身の酷さを表現するには、私の学のない言葉では足りぬでしょう。ですが、特に腕が駄目でしたね。包帯の下で蛆が蠢くんですよ、うぞうぞ、うぞうぞ。それを取り除き、体を洗い、薬を塗る。それが私のお役目でした。

     ――おぞましかったですよ。
     日中はそうでもないんですが、夜中にね、うめき声を発するんです。そして怒鳴り声。屋敷に響き渡るほどの。そういうときは、私は近づかせてもらえません。近づきたくもありませんでしたがね。なにを怒っているのか、まあ端々を聞きとるに、やはり腕のこと。斬り落とすな、いっそ捨て置け。そんな感じですね。
     でも屋敷の使用人たちは誰も、あの重傷人を見捨てなかった。
     私ですか? さっさとお役御免になれば、それはそれで困りますナァ。なにせ売られた身ですから。
     あんな嫌な仕事から、屋敷から、逃げ出さなかったのはそんな理由です。まあ、屋敷の外に出る自由もありませんでしたがね。
     とはいえ、今じゃこうして屋敷の外を堂々と生きていますヨ。

     屋敷の使用人たちがどこから来たのか知りませんが、常に入れ替わり、戻ったり、去ったり。どうにもみな、忙しいようでした。一応、十人ほどの人間は常に詰めていましたよ。主一人に対して、なかなか大人数だと思いましたね。
     一人だけ。三角眉の気の強そうな、それでいて賢そうな男がいましてね。屋敷の中でとくに発言権がありました。この男だけは、必ず屋敷にいて、怒った時の御屋形様の相手もしていたようです。

     「よく働き、尽くせ。きっと、御屋形様もお前を悪いようにはしないから…」

     私を雇うと決めたのも、この男だったようです。だからというわけではないでしょうが、屋敷の中で、私の境遇に同情的なのもこの男ぐらいなものでしたよ。他はみな、距離を取る。とはいえ、あの言葉はどこか己を慰めているようにも聞こえました。
     そもそも私を雇った理由。屋敷の者が御屋形様に飯を食わせようとすると、吐き出す。時には抵抗すら示すんだそうで。
     なら、うら若き娘相手ならば大人しくするだろう。そんな思惑があったそうです。いい迷惑ですネェ。

     御屋形様はね、基本臥所に寝たきりでした。支えてなんとか体が起こせる。
     私が包帯を変え、蛆を取り除き、体を洗い、薬を塗り、飯を食わせる。その間、三角眉の男が見張りにつきました。御屋形様は無言で私を睨み、見張りの三角眉の男を睨み。しかしその頃、口を利いたのは最初の怒鳴り声だけ。

     ――嫌でしたよ。
     でもね、何度でも言いますが私は売られた身です。そうなった以上、私など死に体と変わりない。選択権はない。どうしようもない。――当時の私はそう思っていましたよ。
     言っちまいますとね、この屋敷で雇われた人間が帰ってこなかったってあの話。あれ、本当のことじゃないかと思うんですよ。
     確信のある説明は難しいですがネェ。
     ――最初は怒鳴りつけたのに、以降は大人しかった御屋形様。
     ――やけに同情的な三角眉の男。
     ――他の使用人たちの態度。
     ――なによりも、とと様の別れ際の言葉…。
     察せられるものはいくらでも。――ほ、ほ、ほ。
     きっと御屋形様が死ねば、お役御免の私の命もそこまで。死にたくはない。けれどもこの仕事は嫌だ。鼻が曲がるようだ。おぞましい。
     毎日毎日、相反する心に生きたまま身が裂かれるようでした。
     実際ねぇ、御屋形様は日に日に弱っていくのがわかりましたよ。熱が出る日も次第に増えましたしね。
     怖かったですよ。解放と死が近づいてくるのを、どうすることもできない日々でした。
     



     さて、当時の屋敷に関するお話は、こんなもんですかね。長い話で申し訳ありませんネェ。私もいい歳なもんで、話をするのもなかなか億劫。
     おや、構わぬと。あら、追加料金まで。ほ、ほ、ほ。これは舌もツルツル滑るというもの。では、きっちりついてきてください。ここからが話の本番。
     いつ終わるかもわからぬ屋敷の日々。そこにやってきた大きな変化。
     ――ある女がね、屋敷を訪ねて来たんです。

     「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし。私は遠く隣々国からやってまいりました。今この屋敷に逗留されている、さるお方とはご縁があります。今は大怪我を負っているとの由、どうか私にお世話をさせていただけませんか?
     ごめんくださいまし、ごめんくださいまし」

     少し恥じるような、細々とした小声でした。けれども言葉一つ一つは丁寧に、不思議と聞き取りやすい。
     そんな声音に反して、目は吊り上がって勝気。青みがかった黒髪は癖が強かったですが、その目にとても似合っていた。顔の輪郭は緩やかな曲線、唇は嫌味でないほど薄付きの紅。背はしゃんと伸びて、その全身から存在感があった。
     とても美しいひとでした。
     騒然とする屋敷の者たちに囲まれて、なお凛然と立つ姿。そうして伸びた背を折り曲げ、膝を、指を地につけて、髪までも土をつけて首を垂れる様。その背の綾線の優美さまで。

     「お願いいたします。私にお世話役をご任じください」

     すべてに並々ならぬ覚悟を感じました。

     「あなたでしたか。そんな恰好をしているから気がつかなかった」

     三角眉の男でした。彼は女を取り囲む屋敷の者たちから数歩前に出て、女の垂れた頭を見下ろしました。私はそのとき、屋敷の前庭から騒動を見ていたのですが。あの場の緊張感は今思い出しても震えますよ。

     「お久しゅうございます。このような姿で申し訳ございません」
     「貴女がどこでこの屋敷のことを知ったのかは、聞きません。主のこともです。
    これは古馴染みというのもおこがましいですが…、僕からの忠告です。どうかこのまま、何も見なかった、知らなかったことにして元の場所にお戻りいただきたい」
     「今は、貴方様がこの屋敷の責任者でいらっしゃいますか?」

     三角眉の男は、「なにを馬鹿なことを」と少し困ったように言いました。

     「あの方がいて、僕がいて。僕が上役などになれましょうか。いつだって、僕の上はあの人です」
     「では、なにも問題はありません。この屋敷の決定権はすべからくあのお方のもの。
     ――今すぐアイツの元に案内しろ、任暁左吉」
     
     垂れていた頭が持ち上がり、鋭く女は言いました。先ほどまでの恥じるような声音が嘘のような、有無を言わさぬ声です。
     女を包囲していた屋敷の者たち、その幾人かが懐に手を差し込みました。懐が鈍く光ったのが見えましたよ。
     今更屋敷の者たちの正体など、知ろうとも思いませんでしたが…。それにしたって、想像以上の危険さを理解するには十分でしょう。

     「あのような小さき娘まで雇いまして…。もう少し早く来ればよかった」 
     
     女が見たのは私です。見据えるように、けれども優しく。声音はまた恥じ入るようなそれに戻っておりました。
     
     「失礼ですが…、名前を呼ばないでください。どこでなに者が聞いているか。現に、あなたに情報が洩れていた。
     そして、あなたの望みは承服しかねます。どうぞお帰りください。
     このままでは、貴方を帰せなくなる。僕一人では役不足かもしれませんが、ここには十の人間が詰めています。すべからく、あのお方に忠誠を誓う者たちです。命をかけて、貴方を弑するでしょう」
     
     少し困ったように、女は笑いました。

     「この屋敷の責任者は、あのお方とのこと。そして私のみならず、貴方様もあのお方との縁は浅からぬもの。あるいは、私以上のものもありましょう」
     「?」
     「ならば、わかりましょう? あの方が私を拒むとお思いですか」

     三角眉の男。そろそろ面倒くさいですね。せっかく名前が出てきたので、左吉さんとお呼びしましょう。もちろん当時、屋敷内で呼べたことはありませんでしたが。
     その左吉さん。彼は空を仰いで、なにかを噛みしめるようで…、けれどもゆっくりと女の方を見下ろして。

     「きっと、会いたくはないと思いますよ」
     「会いたくない、と会わない、は別でございます。アレは、私が来たと聞いて会えば拒否を示すでしょう。同時に、去ったならば愚痴と八つ当たりは止まらないでしょう」
     「生憎と、人に八つ当たりするようなお人ではありません」
     「あら、羨ましい。私はしょっちゅう」
     「……」
     「では、吐き出す先を失ったそれらこれらを、アレはどこへ持っていくのでしょうね。きっと身の内に一人抱え込んで、ずっと吐き出せぬまま」

     左吉さんが、長い長いため息を吐き出しました。そのため息の中には、ただこの場で指摘されたことだけではない、数多の重苦しいなにかが込められているようでした。当然ですね。怒る御屋形様の相手をしていたのは、左吉さんだったのですから。そして、御屋形様を誰よりも心配されていたのも。

     「案内します、ついてきてください」

     周りを囲む屋敷の者たちの中には、眉をひそめた者、光物から手を離さぬ者もいました。けれども、屋敷の決定権は左吉さんにあった。だからだれも文句は言わなかった。女は屋敷内に入る際、私を手招きしました。私の顔を見て、少し辛そうになにかを頷くと「ついておいで」と私の手を引いたのです。

     今更語るまでもありませんが、女が屋敷を訪れた目的は御屋形様です。
     女を見た御屋形様の反応は劇的でしたよ。
     女自身、御屋形様に拒否されること自体は否定していませんでしたが…。こう、体が飛びあがったんですよ。兎みたいに、あるいは猫ですかねぇ。
     一人では起き上がれなかったはずなのに。最近はさらに体が弱っていたはずなのに。
     女の姿を見たとたん――ぴょ~んっ。

     ふふっ、あははははっ。
     いえねぇ。飛び上がりさまに布団を跳ねのけて、敷布団から完全に体が浮いていました。“びっくりして飛びあがる”なんていいますが、本当にやった人間は私も初めて見ましたよ。
     いい飛びっぷりでした。あははっ。ああ、おかしい。
     失礼。
     とにかく。飛び上がった御屋形様は、やはり無理な動きだったんでしょうね、着地した床の上でごろん、と体制を崩してしまって。

     「―――なにやってんだ、お前」

     なんとも不遜なことを、女は言いました。
     屋敷の者たちは、さすがに行動が遅れたようでして。それでも女の声と痛みに呻く御屋形様のそれで正気付いたのか、左吉さんを先頭に数人が御屋形様の体を支えられました。

     「な、な、な、なんで、お前が、ここにいる」

     御屋形様の、あんなに焦った声も初めて聴きましたね。はい。

     「流石にお前は、俺がすぐにわかるか。
     大変失礼いたしました。私、本日より貴方様のお世話役を任じられました者にございます」
     「帰れっ!」
     「あぁ、酷い。こちらのお方の許可もいただいておりますのに。貴方様に見捨てられれば行く当てもなく」

     こちらのお方、と示された左吉さんはびしっと背筋を伸ばします。そこに、御屋形様の怒声が刺さりました。

     「左吉ぃ!」
     「はいっ、本日屋敷の前にお見えになられまして。あ、いえ、そんなことよりも、名前は屋敷の中であっても、ですね」
     「あら、まあまあ…。――面倒くさいな」

     女がおもむろに御屋形様に歩み寄ります。そうして御屋形様の前に足をつきますと、まずは剥き出しの無事な方の顔、そうして覆われた包帯の上をするすると撫でて。輪郭を大事そうになぞっていって。なかなか官能的でした。
     屋敷の人間も顔を赤らめて、気を利かせるように支えていた体を離します。その体を、代わりに女が支えるわけですね。結構大きな体でしたが、片手で支えていましたよ。
     それで気が付いたら、するりと包帯が解けておりました。あの女の人は奇術師だったんですかね。いえ、違うらしいのは後々わかってくるのですが。
     
     包帯の下から、ぼとぼとと蛆が堕ちて床の上でのたうちます。いくつかは女の袖やひざにかかったのに、女は気にもいたしません。ただ、大やけどを負った半身を上から下までながめて、とくに左腕を凝視して。

     「よくもまぁ、こんなになるまで放置していたな。お前も、お前らもだ」

     お前が御屋形様で、お前らが屋敷の者たちですね。ええ、女の声音はまたはっきりとしたちょっとドスの利いたものになっていましたよ。

     「腕が腐り落ちる云々もだが。こっから入った悪いもんが、体をめぐって心ノ臓や脳に到達したら助からん。わからないお前らでもないだろう。
     お前ら、大恩ある主の許可なくその体に傷をつけるのが恐ろしかったか? 命令がなければ動けないか?
     お前、腕を失うのを惜しんだか? 戦えなくなるのを厭うたか? 自分の槍と心中でもする気かよ」
     「……放っておけ」
     「この腕を落とさないと、本当に死ぬぞ?」
     「……」
     「悪いもんが心ノ臓に到達すれば、どれほど痛み、苦しむか。脳に届けば、どれほど惨く、醜いか。お前はそれでいいのか」

     御屋形様はそっぽを向かれます。左吉さん含め、屋敷の者たちがこぞって頭を下げる御屋形様が、子供みたいな仕草でした。
     
     「この屋敷の中に入った時、酷い臭いだと思った。さもありなん。こりゃあただの腐敗臭じゃねえな。お前も、お前と命を共にしようというお前の部下たちも一緒に死に体だ。ここには死体しかねぇ」

     それを聞いて、怖気が走りましたよ。先にも申しましたね? ここで雇われた者は帰って来ぬという噂。あれは本当だったのではないか、と。
     屋敷の者たちがこぞって御屋形様と死を共にしようというのに、こんなちっぽけな雇われ娘が無事で帰れるはずがないじゃないですか。

     「俺は命じてねぇ」
     「そうだな、お前はそうだろう。だが左吉、お前はどうだ?」
     「無論、黄泉路までも」
     「左吉っ!」
     「これは譲れません、“先輩”」
     「俺が、勝手に選んだことだ。…伝七のやつに、なんて遺すつもりだ。てめぇは」
     「ご安心ください。あなたの死に水を取るまでは、僕も死ねません」

     思い出すのは、いくどか聞いた腕を切り落とすや否やのやりとり。切り落とさぬと御屋形様が決めた時点で、左吉さんたちも覚悟を決めていたのでしょう。

     屋敷の人々、左吉さん含むみんなが、御屋形様に向けて膝をつき頭をたれました。御屋形様がなにがしかの偉いひとなのは間違いない。
    なんともまぁ、美しい主従愛の光景でしたナァ。――ほ、ほ、ほっ、ひひひっ。
     死にたがりの光景ですよ。
     
     「くだらねぇ」

     ただ一人。あの女だけが否定してくれました。

     「ならば上等。死人でいろ。――ねえ、そこの貴女」

     女が私を呼びます。また恥じるような小声。美しいかんばせが、意思の強い目が、私を捉えます。

     「今すぐ私の言うものを用意してください。私の矢立を貸してあげますから、腕にでも記して、全て」

     矢立、というのは携帯用の筆記具のことですね。先端に墨壺、長柄に筆が収まっています。
     私の村では村長様、屋敷内でも御屋形様か左吉さんが使っているのしか見たことがありません。

     「清潔な布を大量に、水は水桶にたっぷりと。熱した灰…、いえこの屋敷なら焼き鏝ぐらいありそうですね。それからのこぎり、あるいは大きな鉈。縄もいります。
     水桶の水とは別に、お湯も湧かしてもらいましょうか。
     熱さましの薬は私が持っています。――まったく、うちの元同室に来てもらうのが手っ取り早いんだが」

     当時の私は文字など書けません、絵で描きました。必死でしたねぇ。

     「いえ、私も手伝います。納屋はどこにありますか? 指示をください」

     驚きました。指示をください、なんて。村にいたころですら聞いたことのない言葉でしたよ。女は御屋形様に言い放ちました。

     「逃げ場がないことは承知で言うが…、“逃げるなよ”」
     「ふん」
     
     やはり、御屋形様は拗ねたような態度。私は納屋の場所を女に伝えて、自分は井戸へと走りました。とはいえ、流石に焼き鏝なるものはどこにあるかわかりません。それを持ってきてくれたのは左吉さんでした。他にも、屋敷の者たち全員ではありませんでしたが、清潔な布を大量に、あるいは縄を一抱えほども持ってくる者もいました。

     集まった物やそれを手伝った者たちを背後に、女は腕組をして胸を反らせます。

     「当てが外れたなぁ。えぇっと、御屋形様?」

     その呼び名は私が教えました。
    当の御屋形様は、脇息に身をもたれさせて女を睨んでいました。

     「正直、俺と娘さん一人、あとは縄でお前を抑えきれる自信はなかったよ」
     「てめぇ…、てめぇら」
     「申し訳ございません、御屋形様」
     
     左吉さんが謝ります。そうして女の合図と共に、御屋形様の体を数人がかりで抑えこみにかかったのです。
     ええ、御屋形様の一番の悪いところ。その左腕を切り落とすために。ただ、御屋形様の抵抗も激しかった。どこにそんな力が残っていたのか。
     まず投げつけられた脇息に打ち付けられた一人が仰向けに倒れ、体がを捻れば一人がはじけ飛び、右足を振り払えば二人が吹っ飛び。さらには「止めろっ‼」と、屋敷を揺るがすほどの大喝です。
     それだけで、殆どの者がすくみあがりましたよ。

     それほどまで腕を失うことを厭う理由は、私にはわかりません。私には、まったくわからない。

     「――――――っ!」

     私は必死に、その右腕にしがみつきました。口で咥えた縄をその腕に絡め、弾き飛ばされればそのたびに掴みかかりました。
     脚に跳ね飛ばされそうになれば、女が体を引いてくれました。多分ですが。それを理解するより早く、目の前の御屋形様に掴みかかります。
     偶然その首に縄がかかれば、やったと思えたのに全身弾き飛ばされる。

     負けてなるものか。負けて、なるものかっ!
     だって私は、死にたくないっ‼

     御屋形様の首の残された縄を、私がかけたそれを、女が素早く引いて、おもいっきり締めあげました。

     「ぐぅ…っ。こ、の!」
     「黙れ、死人」

     これまで聞いた中で、一番恐ろしい声で女は言います。
     
     「黙れ、死人。お前は死に体だ。そのまま死を選択した者だ。ならば死人は口を利くな、抵抗するな。生きる者だけが、全てを決定し行動する権利がある」

     私はすかさず御屋形様の脚にしがみつきます。首を絞められ、脚を封じられ、御屋形様の体が床の上に伏せられます。
     女はなおも言いつのりました。

     「生きたい者だけが生き、生きている者だけが決め、生かしたい者だけが行動する。
    なあ左吉、そしてお前ら。
     お前たちはどちらだ。なぜこの屋敷で、ずっとこいつに付き合ってきた。――ただ一緒に死にたいだけじゃ、ないんだろう?」

     屋敷の人たちが、――今度は全員です。
     数人がかりで御屋形様の体を床に押し付けます。焼き鏝を構える者、布を御屋形様に噛ませる者、包帯を広げる者、のこぎりを熱した湯に漬ける者。自然とその役割ができていました。
     のこぎりは左吉さんの手から女に手渡されました。

     「刀では、いけませんか?」
     「こいつの鍛え抜かれた骨が、んな簡単に斬れるかよ。太いし、硬いぞ?
    俺はそんな剛剣使いじゃねえし、お前も違うだろうが。下手なモン使うと、逆に苦しめる」

     血止めのためでしょう。腐り形を崩し始めていた腕、それより上の部分を縄できつく縛ります。女が囁くように御屋形様に声をかけました。

     「耐えろよ、文次郎」

     私は。
     もう、私の力など必要なかったでしょうに。ただ、御屋形様の脚にしがみついておりました。
     とても長い時間に感じました。けれどもあるいは、とても短い時間であったやもしれません。
     血と、熱と、酷い臭気と。そして私を呼ぶ声…、左吉さんでした。
     腕の中にはまだ御屋形様の脚があって、ひどくぬるぬるしていました。汗です。なんなら私の体も汗でびっしょりで、左吉さんも同じような有様で。左吉さんは持ってきた布の中から適当な一枚を私の体にかけてくださいました。

     みんな、みんな。
     呆けたように身を投げ出していたり、御屋形様にしがみついたままだったり。汗だくになって、荒い息をついて。――みんな。

     「よく頑張ってくれた、ありがとう」

     左吉さんが、今はまだみんな動けそうにないから今のうちに体を拭いておいで、と送り出してくださいました。
     なんなら風呂を使ってくれてもいいから、と。流石にそれは気が引けましたね。沸す元気も残っていませんでした。
     御屋形様の部屋を出るときも、ほとんど這うような様でした。
     部屋を辞す前に一度、部屋の中を振り返りました。

     床の上にこんもりと盛り上がった布の塊がありましたが、おそらくあの中に切り落とされた腕があったのでしょう。
     傍には御屋形様と女の姿。
     女は御屋形様の頭を膝の上に載せて、その髪を指で梳いていました。そうして時折水差しを口に含んでは、御屋形様の唇へ。垂れた水が緑色だったので、あれは薬湯でしょう。
     熱さましの薬を持っている、と言っていましたから。

     私は襖を、音もなく閉めました。
     外に出ると、いつの間にやら夜です。その風を胸いっぱいに吸い込みました。
     ああ、私は生きている。

     『生きたい者だけが生き、生きている者だけが決め、生かしたい者だけが行動する』

     生きて。
     ――ええ、今は。
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    koto

    DOODLEモブ視点の語りによる文食満、卒業後、女装ケマ
    大怪我、欠損(左腕)描写ありのため、ご注意ください。

    あと傷口焼くのは不正解らしいですね。感染リスク高まる。
    戦国時代は灰なり止血剤塗って布で傷口縛るとか、縫ったとか。
    海外だと卵の黄身だか白身だかと油。16世紀までは焼灼止血法使われてたとか。
    知識が足りていない。

    追記:びっくりして本当に人間が飛ぶの? →飛びます。ソースは自分(ガチ)
    死者の妄言、生者の真言(前) おや、旅の方。あそこの屋敷を気になさる。
     屋敷、というのもおかしいですな。あれはただの焼け跡。長く風雨にさらされて、崩れた塀の向こうでは黒々とした柱が数本立つばかり。昔は立派な竹林に囲まれてもいたのですがね、須らく燃え失せましたさ。
     さて、最後の住民はいつだったか。もう何十年も前の話ですよ。

     村の人間でも、あの家の主が何者であったかわからず仕舞い。いつだって気が付いたら使用人含めて出入りの人間が変わっている。なんなら誰も住んでいないときの方が多かった。 
     私のばば様、かか様、みな屋敷の詳しいところは知らぬと言う。また村では、屋敷には触れるなという不文律のようなものがありましたからナァ。

     ――ほ、ほ、ほ。
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    あと傷口焼くのは不正解らしいですね。感染リスク高まる。
    戦国時代は灰なり止血剤塗って布で傷口縛るとか、縫ったとか。
    海外だと卵の黄身だか白身だかと油。16世紀までは焼灼止血法使われてたとか。
    知識が足りていない。

    追記:びっくりして本当に人間が飛ぶの? →飛びます。ソースは自分(ガチ)
    死者の妄言、生者の真言(前) おや、旅の方。あそこの屋敷を気になさる。
     屋敷、というのもおかしいですな。あれはただの焼け跡。長く風雨にさらされて、崩れた塀の向こうでは黒々とした柱が数本立つばかり。昔は立派な竹林に囲まれてもいたのですがね、須らく燃え失せましたさ。
     さて、最後の住民はいつだったか。もう何十年も前の話ですよ。

     村の人間でも、あの家の主が何者であったかわからず仕舞い。いつだって気が付いたら使用人含めて出入りの人間が変わっている。なんなら誰も住んでいないときの方が多かった。 
     私のばば様、かか様、みな屋敷の詳しいところは知らぬと言う。また村では、屋敷には触れるなという不文律のようなものがありましたからナァ。

     ――ほ、ほ、ほ。
    10418

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