砂を踏む 足の指の間から砂が、波に攫われてさらさらと流れていく。濡れた砂が素肌に張りついた、じゃりじゃりとした感触を僅かな間だけ味わう。波はまたすぐに寄ってきて、つま先からくるぶしまでを飲み込む。
波がさる度、紅明の足が砂に埋まっていく。あるいは、海に引き摺り込まれていく。
「そのまま、海に沈んでいきそうだな」
背後から聞こえた声に振り向く。
木製の義手と義足にまだ慣れぬ体で、ぎこちなく佇む兄がいた。
「兄上の方こそ、風に攫われそうですよ」
どちらともなくニヤリと笑った。
沙門島の海は穏やかで、風は柔らかい。
生活物資の輸送船が来る日以外は、とても静かな島だ。
「時々、お前が死ぬのではないかと怖くなる時がある」
自分の弱さを鼻で笑うようにさらりと漏らされた本音に、紅明は驚き目を丸くさせた。
「それは、あまりにあなたらしくもない……」
「お前は見たことがないだろう。今にも息絶えてしまいそうな兄弟の姿を」
蒼白い顔、弱々しい呼吸、血の止まらぬ腹。この世で最もそばにいて、同じ時間を過ごしてきた人間の生命が尽きようとしている。それは、自分の命が尽きるのと何が違うのだろう。
伏した目にはあの時の情景が浮かんでいるのか、暗く沈んだ面持ちに胸が痛んだ。
紅明は砂を蹴り、紅炎のもとへと駆け寄った。しかし、元々機敏さにかける体は、砂に足を取られうまく進まない。たった十歩の距離が遠い。
もがき、何度も躓きながらようやく辿り着く。息が苦しい。
「本当に、そのまま息絶えてしまいそうだな。少しは鍛えろ」
「は、はい……あっ」
無意識に紅炎に寄りかかろうとして、手のひらで触れた肩の薄さに思わず身を引いた。皮の下にはすぐ骨があり、記憶の中のものよりずっとずっと細い。
「すみません」
今は、自分が兄を支えなくてはいけないのに。紅炎に対する甘えが心から染みついている己に肝が冷えた。
人には得手不得手があり、それぞれの役割を担い全うするのがもっとも効率的で正しいのだと思っていた。だが、役割は状況によって変わり、不得手なこともこなさなければならない。
この島では、全てが今までと違う。
「そんな顔をするな。俺はまだ死なん」
どんな顔をしているのか自分では分からないが、きっと目の前の男と同じような顔をしているのだろう。
悲しそうな顔だ。
「紅明、お前もまだ生きている」
節くれだった手が紅明の襟を割り腹を撫でた。指の腹が傷をなぞる。
「しっかりと塞がっている。立派な傷痕だ」
「はい」
擽ったさに自然と頬が緩んだ。
「俺もお前もまだ生きている」
「まぁ、あの男に生かされているという方が正しいですが」
キザな笑みで弟と妹を囲った男の顔が浮かぶ。
気に食わないならさっさと殺してしまえば良いものを。どんなことを企んでいるのか。
「あの子達はこれから……」
「命を奪われることはないだろう」
自分達と同じように。どんな目に遭わされようと死を選ぶことを許されない。
「紅玉……」
不安で泣きたいのを必死に我慢し、震える手で剣を握り、気丈に馬に跨り戦地へと駆けて行った妹。
こんなことになるならもっと早くどこかに嫁がせるべきだった。そう思っても遅いことも、彼女がそれを望んでいないことも知っている。しかし、そう思わずにはいられない。
「大丈夫だ。お前が残してきたものがある」
紅炎は体を支えていた杖で、紅明が必死に走った砂浜をさした。
不恰好な足跡が波打ち際から続いていた。歪だが深く、しっかりと砂に跡を残している。
紅明はここからずっと北に位置する帝都洛昌の方角を見つめた。
残してきた。あそこに。長い年月をかけて築いたものを。
「俺たちもまだ生きている」
紅炎の声に、紅明は深く頷き返した。