蒼春1入学して一週間。慣れない環境に少し疲れていた帰り道、校舎を出たところで声をかけられた。
「朝倉くん、ちょっといい?」
振り返ると、そこにはある先輩が立っていた。片桐蒼真、2年生。
目立つ人だ。よく上級生たちと談笑している姿を見かけたし、クラスの女子たちが彼のことを話しているのも耳にしたことがある。
「……何ですか?」
少し警戒しながら答えると、片桐先輩はふっと笑って、一歩こちらに近づいてきた。
「いや、そんな怖がらないで。俺、前から朝倉くんに話しかけたかったんだよね」
「はぁ……?」
何を言い出すんだこの人は。疑問を飲み込めないまま先輩の目を見た。
じっと見つめ返される。その視線がどこか真剣で、冗談の気配がないことが余計に怖い。
「朝倉くんさ、顔めっちゃ可愛いよな」
唐突すぎるその言葉に、頭が真っ白になった。
「……は?」
「いやほんとに。気付いてないだろうけど結構目立ってるよ。俺さ、朝倉くんのこと最初に見たときからずっと気になってたんだよね 」
片桐先輩は笑いながら続ける。軽い調子なのに、その目だけは冗談を言っているようには見えなかった。
「だからさ、一回俺と付き合ってみない?」
その一言に、全身が固まった。まるで時が止まったみたいに。
中学時代の元彼の顔が頭をよぎる。行為を拒絶した時の空気も、その後広まった根も歯もない噂も、吐き気を感じた制服の感触も、全てが今起こったことかのように頭の中を駆け巡る。
「……無理です」
絞り出した声が、自分でも驚くほど冷たく響いた。心臓はドッドッドッと激しく動き続け、片桐先輩の次の言葉を聞くのが怖くなる。
「え、即答?」
先輩は目を丸くして驚き、それから苦笑いを浮かべた。こちらとしてもその反応は予想外で出方を伺ってしまう。
「そっか、まぁ仕方ないよな。けど気が変わったら教えてくれよ 」
そう言ってあっさりと立ち去ろうとする片桐先輩。その背中を見送りながら、込み上げてくる吐き気を必死で堪え、中庭まで向かって大きな木の根元に吐き戻した。ぜいぜいと肩で息をして、酸っぱくなった口の中を昼に購入したお茶で誤魔化す。
『また、あのときみたいになるのは嫌だ』
呟いたわけでもないのに、自分の中でその言葉だけが何度も響いていた。