藍に愛みて相見える 風上に立つ小松田くんが無邪気に吹いた蒲公英の綿毛は、ほとんどが風下に立つ私のところまで飛んできて、髪にまとわりついた。
そのことに気づかない小松田くんは、新たに摘んだ綿毛に息を吹きかけようとしている。またこちらに向かって飛ばされたらかなわない、といくらか場所を移動してみたが、なんの嫌がらせかそれに合わせて風向きも変わり、第二陣が襲い掛かってくる。もがくように手を動かして抵抗を試みたが、戯れるかのようにふわりふわりと舞う綿毛たちは文字通り掴みどころがなく、私の髪や小袖に着地していった。
「あぁ、もう」
イライラしながら綿毛を払っていれば、ようやく私の様子に気がついたらしい小松田くんが、綿毛を吹くのをやめてこちらに駆け寄ってくる。
澄んだ瞳が綿毛まみれの私をじっと見た。
「こんなになるまで夢中で遊んでたんですかぁ? 案外子どもっぽいところもあるんですね、利吉さんって」
「誰のせいだと思っているんだ、誰の!」
やれやれ顔で的外れなことを言ってくる小松田くんに、大きな声を出さずにはいられない。
「ほへ? 誰のせいなんですか?」
「君だ、君! 綿毛を飛ばしてたのは君だけだろ!」
「そうだったんですかぁ、すみません」
分かっているのか分かっていないのか判断のつかない声で謝罪しながら、小松田くんも一緒に綿毛を取ってくれる。前髪についていた綿毛がまぶたに落ちて反射的に目を瞑れば、小松田くんは薄い皮膚を指先で撫でたあと、優しくふっと息を吹いてその綿毛を飛ばしてくれた。
「あっ、利吉さん見てください! あれ!」
「なに、なに」
目を開けて、言われるがまま小松田くんが指差す方角を見る。青空にまんまるの雲が三つ、浮かんでいた。
「この前、利吉さんと食べた月見だんごにそっくり! おいしかったですね」
雲を眺めながら、この前——満月の夜の出来事を思い出す。
父上に頼まれていた書状を届けに忍術学園の門を叩くと、近くにいなかったのか小松田くんがやってくるまで少しばかり間があった。
ようやく潜り戸から出てきた小松田くんに「夜分に悪いね」と言いながら入門票を受け取ろうとすると、彼は口元を隠してごくんとなにかを飲み込んだあと、筆と一緒にバインダーを差し出した。
「すみません、お待たせしました。サインをお願いします」
「ご飯食べてたの?」
「いえ。学園長先生のご提案でお月見をすることになったので、みんなでお団子を食べていましたぁ」
「へぇ、そうなんだ」
結構なことじゃないか。みんなで平和にお月見、羨ましい限りだ。忍者の敵といえる明るく忌々しい満月を、最後に愉しんで眺めたのはいつだったか、そのときの私はもう思い出せなかった。
「父上にお会いしたらすぐに発つから、先に出門票にもサインしておきたいんだけど。いいかな?」
「はぁい、分かりました」
二枚の紙に名前を記入し終えると、父上の部屋に行き書状を渡す。必要な話を済ませて目的を果たすと、足早に踵を返した。
既に出門票にはサインをしてあるので、門から出なくとも構わないだろう。そう思い塀を乗り越えて帰ろうとしたとき「利吉さーん!」と私の名を呼ぶ声と共に、ぱたぱたと足音が近づいてきた。小松田くんだ。なにかを包んだ布を手に乗せている。
「どうしたの? サインはしたはずだよ」
咎められる謂れはないと、息を切らして立ち止まる小松田くんへ先にそう伝えると、彼は首を横に振った。
「はぁ、はぁっ……あの、利吉さん。少しだけ……ほんの少しだけ、お時間ありませんか?」
「?」
「お団子、持ってきたんです。利吉さんと食べたくて」
そう言って小松田くんが手の包みを解くと、白くてまるい月見だんごがいくつか入っていた。
「食堂のおばちゃんが作ってくださって、とってもおいしくて、それで……」
まだ息が整いきっていない状態で、小松田くんが懸命に理由を述べて引き留めようとしてくる。
せっかくみんなで楽しんでいたのなら、わざわざ輪を抜けて、一緒に過ごせる時間があるかどうかも分からない私のところへ来る必要なんてないのに。
素直さを欠いた脳裏の言葉とは裏腹に、小松田くんの行動に甘く締め付けられた胸の痛みが、沸き起こった愛おしさを訴えてくる。それに耐えようとして、私の表情はいささか険しいものになった。
「……分かった。ゆっくりはできないけど、それを食べ終わるまでならいいよ」
押し負けたふりをして頷けば、小松田くんは月明かりよりもまぶしく感じる笑顔を浮かべて喜んだ。そんな小松田くんの姿を見るのが、私は好きだった。
さすがに腰を落ち着けて過ごすだけの余裕はなかったので、ふたりで学園の塀に背中を預け、月を仰ぎ見ながら団子を食べた。
「きれいな月ですねー」
「そうだね」
「おいしいですねぇ、お団子」
「うん。……そうだね」
忍者の敵といえる明るく忌々しい満月を、最後に愉しんで眺めたのは、今この時になった。次に満月を見たときに思い出すのもまた、然り。
視線を感じて隣を見れば、小松田くんと目が合った。団子みたいな頬をやわく摘まんでやれば、その拍子に肩が触れ合う。
小松田くんは手に持っていた最後の一つの団子を包みに戻すと「……食べ終わるまではいてくださるんですよね?」と内緒話をするように囁いた。
「よく覚えていたね。えらい」
―—さんざん口を吸ったあと、いつまでも帰れなくなりそうで、最後の団子を無理やり小松田くんの口に突っ込んでまたねを告げた。それが、あの夜の終わりだった。
「確かに、君と食べた月見だんごにそっくりだ」
まるい雲がゆるやかに形を崩しながら流れていく。
それにしても。あの夜、一緒に月見をしていた時間は学園のみんなの方が長いだろうに、小松田くんが団子を『利吉さんと食べた』と表現したことに、面映い気持ちになった。
「ぼく、いろいろなものを見ては利吉さんのことを思い出すんです。今みたいに!」
遠く離れていく雲を視線で追いかけながら、小松田くんが嬉しそうに言った。
「そう。私と同じだね」
「利吉さんも?」
私は足元に生えていた綿毛を摘むと、小松田くんに向かって吹きかけた。
「わあっ、なにするんですか!」
「ははっ」
蒲公英も、綿毛も、満月も、団子も、雲も。それだけではない、小松田くんと過ごしたときに在る全てが紐づいていて、記憶を呼び覚ましては私にささやかな幸せをもたらすのだ。