おやすみ繝医Λ繧、繝悶リ繧、繝ウ 後編 ――ネオチヨダ とある路地裏。
空に浮かんだ太陽が、茜色に染まり始める頃。
僕は、アメリカンショートヘアの頭を撫でていた。六歳前後のオスだろうか。落ち着いていて、人懐っこくはないが、かといって警戒心が高いわけでもない。もしかすると、誰かに飼われている猫なのかもしれない。今日が初対面だが、すぐに頭を撫でさせてくれた。
「よしよし、いい子だ」
猫の頭を撫でていると、心が休まる。猫はエサをぺろぺろと舐めながら、満足げな表情をしている。
今は、この事だけを考えていたい。そうでないと、すぐに――先ほどの出来事を思い出してしまいそうになるから。
****
「カズキ、妙なことを聞くかもしれないが…。」
「私の身に、なにか変化があったのか?」
「…!!」
「みんなやカズキの反応を見て、感じ取った。それが何かはわからないのだが…。」
「………………」
「だが、私のなにが変わろうとも これからもトラッシュの一員として、力を尽くす。」
「だから、心配はいらない」
「っ…!! ぐっ。」
「…ああ。わかったよ、…Q。」
****
ゼロが、王次郎の記憶を奪った。
いや――ゼロの言い分では、「生き返らせてあげただけ」だと言うが、結果としては変わらない。
王次郎は、僕と幼馴染として、家族として過ごした記憶を――何一つ覚えてないんだ。
茜色だった空が、少しずつ紺色に染まっていく。
気づけば、周りに食べ終わったちゅるちゅるのチューブが転がっていた。猫の姿は、もうどこにもない。僕が考え事をしている間に、どこかへ行ってしまったのだろう。
「――帰らないと、王次郎のところに」
誰に向けたわけでもない言葉が、喉からふとこぼれ落ちた。
身体は自然と動き出していた。
****
――シナガワシティ、シナガワプリンスホテル XXXX号室。
「ごめん、遅くなった……Q」
王次郎、と言いかけた言葉を飲み込んで謝罪を告げる。外はすっかり暗くなっていた。普段なら、王次郎と一緒に雑談をしながら夕食の準備をしている時間だ。
もっと早く帰って来るべきだったのは分かっていた。けれど、今日に限ってこのXXXX号室のドアがいつもより重く感じられた。
僕の不安をよそに、眼の前のぼさぼさ頭は朗らかに話し始める。
「おかえり、カズキ。外のサボテンを見たか? つぼみをつけ始めた」
「へぇ、栽培がうまく行っているみたいだね。おうじ…Qが選んだサボテンだから、きっとうまく育つと思っていたよ」
「ありがとう、カズキ……ふぁ」
随分と眠そうなあくびだった。
王次郎のそんな姿を見るのは、もしかすると子供の時以来かもしれない。
「おや、おねむなのかい?」
「ああ……そのようだ。自分でも不思議なことだが、この数年間、一度も眠らなかったような気がする。だが今日は、久しぶりに眠りにつけそうだ」
「……え?」
それは、奇妙な感覚だった。まるで、利き手じゃない方の腕で箸を持とうとした時の違和感。いや、それを何十倍にも増やしたような、居心地の悪い響きだった。
僕は王次郎の手を握り、そばに寄り添っているうちに、気がつけば朝が来ていた。そんな夜を、何度も繰り返してきた。それは、王次郎の手を握っていれば、王次郎はきっと安心だと――王次郎もきっと眠れていると、そう思っていた。だけど――。
「すまない、カズキ。今日は一足先に横になる」
「…あ、ああ」
王次郎は……この二年間、一度たりとも、眠れていなかったんだ。
王次郎はずっと自らの罪と向き合い続けてきた。
僕はそれを傍で支えてきた――支えられているものだと思っていた。
けれど、それは――
"Q"が、ベッドに横たわる。寝息さえ聞こえない、泥のような眠りだ。
「おやすみ、Q」
僕が"王次郎"と共に過ごしていた夜に、果たして意味はあったのだろうか。
"王次郎"は一度も、こんな顔で眠ったことはない。
"Q"の安らかな――幸せそうな寝顔を前に、僕の頭の中ではゼロの声がゆっくりとこだましていた。
「君が気づいてないだけで、こんな些末なことは何度も、何度でも起きているんだよ」
確かに、僕たちは24トライブと死闘を演じてきたし、重傷を負った事もある。だがその度に、クリニックできちんと治療を受けてきた。
いつも、完全に治療がうまく行っていたと思っていた。
だけど、本当にどこにも『エラー』が無かったのか?
「元をたどれば、死地に赴くQくんを 君がなんとかすればよかっただけの話なんじゃない?」
ゼロの声がまた響く。僕と王次郎の間のキャッチボールは――どこかで、グローブからボールが零れ落ちていた。
僕の中で何かが崩れていく音が聞こえた。
いや、これはきっと――『なにか』が"死ぬ"音だ。
もしかすると、ずっと前から死んでいたのかも、最初からいなかったのかも、忘れてしまったのかも、もはやわからない。
「――おやすみ、王次郎」
ここはきっと、僕の帰るところではないのだろう。
部屋を出て、扉を閉じる。
ガチャリという音だけが部屋の中に響き渡った。