「父様と母様に紹介したい人が居るんだ!」
先日、13歳を迎えたばかりの息子がそんなことを言い出して、久しぶりに家族3人で揃って公園に出かけたのが30分前のこと。
道中、“紹介したい人”というのがどんなに魅力的な人なのか、息子が一生懸命に力説するのに耳を傾けながら、3人で手を繋いで公園へ向かう。
ロー曰く、しばらく前から公園でよく顔を合わせるようになって、一緒に遊んでいるらしい。
「ものすごいドジなんだ。しょっちゅう転んだり、物を落としたり……だからおれがちゃんと見てやらないとダメだし、目が離せなくてさ。でも、ドジった後に照れくそさそうに笑うのが可愛くて、そんでめちゃくちゃ優しいところもあって……!」
「そうか。ローはその子のそういうドジなところもひっくるめて、好きだと思ったんだね」
尋ねると、一瞬だけこちらの手を離して帽子を目深にかぶり直した息子がこくんと頷く。上から息子を見下ろせば、耳の端が赤くなっているのが垣間見える。淡い恋心を恥ずかしがっている様子に、自然とほほえましい気持ちが胸に湧いた。
息子はまだ13歳。恋なんて、ましてや『紹介したい人が居る』なんて言い出すのはまだまだ早いのでは? と思ったりもしたが、しっかり成長している姿には誇らしさすらあった。
(あのローがなぁ)
この子がもっと幼い頃は大病を患って、病院から一歩も外に出られない時期があった。本人も自分の身体に思うことがあったようで、ローには何度か子供らしからぬ思いつめた表情をさせてしまった。暗い表情ばかり浮かべる我が子の姿に、親としては責任に駆られたものだ。
そのローが、自分の世界を広げて関係を築き、他のだれかを想う気持ちを芽吹かせているというのなら、こんなに嬉しいことはない。ローの反対側で歩く妻も嬉しそうに目元を緩ませていて、きっと私と同じ感慨を抱いているのだろう。
「ラミがこちらに戻ってきたら、あの子にもちゃんと紹介してあげるんだぞ」
「うん」
今は療養のために妻の実家で暮らしている妹のことを話題に出すと、息子が大きく頷いて見せた。病気を治してからは率先して妹の面倒も見てくれる優しい子で、着実に世話焼きの気質に育っていた。
家族であれこれと話をしている内に、公園が近づいてくる。前方に公園の入り口のアーチが見え始めると、横の息子はあからさまにソワソワと浮足立った。
「ロー?」
そんなに慌てると転んでしまうわよ、と笑みを含んだ声で妻がローの勇み足を嗜める。
「あなたが転んでしまったら、好きな子を心配させちゃうでしょう?」
「っ! ……うん」
頷いて、心持ち足取りがゆっくりなものに変わる。けれど、周りへあちこちと視線を巡らせて目的の子を探している姿からは、やっぱり落ち着きが欠けていた。
(本当に、ローはその子のことが大好きなんだな)
どちらかというと、冷静さを重んじるローにしては珍しい。こんなに好きなものに興奮するところを曝け出すのは、お気に入りのヒーロー番組の話をするとき以外にあまりない。
息子の素直な恋心に思わず感心し、この子が好きになった相手というのは一体どんな子なのだろうと興味が湧いたところで、「あ!」とローが大きな声を出す。
「コラさーん!!」
「ん、コラさん?」
不思議な印象を与える名前だ。恐らく、本名ではなくニックネームなのだろう。あと、さん付けということはローよりも年上なのだろうか?
思いながらローが呼んだ先に立っている人物を見て、微笑ましく思っていた気持ちも興味も全てが吹っ飛んだ。
(大きいな……?! 一体、何センチあるんだ……というか、えっ、大人……?)
人並み外れた長身に、金色の髪と赤い瞳を持つ大男が“コラさん”だった。人の好さそうな笑顔を浮かべる姿は、何だか人懐っこい大型犬を想像させるが、それにしても予想外だ。傍らの妻も、あんぐりと口を開けてコラさんを見つめている。
「あ、突然すみません。ローのご両親ですか? おれ、ロシナンテと言ってローとは……」
名乗り出す大男の台詞を、息子のとんでもない一言が両断する。
「父様、母様。紹介します。この人がおれの未来の結婚相手です!」
「え……?」
時間が止まったのかと錯覚する様な沈黙。無言でお互いの顔を見つめ合い、相手の真意を探り合う。困惑する大人たちとは裏腹に、ローだけは自信満々に胸を張る異様な空間が、長閑な公園の片隅に発生した。そして、充分な時間をかけた後にようやく理解が追いついて、脳内は危険信号を鳴り響かせた。
「ロー! その人に近付いちゃダメ!」
「何なんだ、君は! 息子に近寄らないでくれ……!!」
「え?! あっ、待ってください! おい、ロー?! お前何を言い出して……いてっ!」
息子の爆弾発言に妻は悲鳴のように息を呑み、私は慌てて息子を抱き上げて距離を取る。慌てたせいか息子に付きまとう不審人物は、盛大にその場で転んでいた。
「おい、父様! 何するんだよ!」
離してくれ、と抱えあげられた息子が腕を叩いたり抗議の声を上げたりするが、抱きしめる腕の力が勝手に強まっただけだ。
(こんな怪しい奴に、ローを近づけさせるわけにはいかないだろう……!)
油断していた。ローは年の割にしっかりした子だから大丈夫だろうと思って、目が行き届いていなかった。いくら大人びていてもローはまだ子供だ。判断力はまだまだ未成熟なのだから、目を離してはいけなかったのだ。
後悔と反省が次々に湧きだしながら、警戒も露わに目の前の男を睨みつける。妻も毅然とした面持ちを浮かべ、ようやくひっくり返った体勢から上体を起こした大男は、アワアワと言い訳を紡ぎ始める。
「待ってください! 誤解! 誤解なんです……! おれ別に、ショタコンとかじゃなくて!」
「じゃぁ、息子が言う結婚相手というのは一体どういうことなんだ!?」
あとから冷静になってみると、結婚云々というのは息子が勝手に自分のおませなお願いを独り合点しただけなのだろうと分かるのだが、この時は全員が全員、動揺から立ち直れていなかった。
私も妻も、我が子に伸ばされる魔の手から息子を守ろうと必死だったし、ロシナンテ君もめちゃくちゃに慌てていた。ローだけが悠々と、
「おれ、この前コラさんにプロポーズしたじゃねェか! そんでコラさんも『お前が大人になったらいいぞ』って了承してくれた!」
なんて発言を繰り出し、更に恋の相手を追い詰めていた。
「いや、それはな! ロー、あれは……! つーか、そういうのはほどほどにしとけよ?! お前のその言動、将来の黒歴史になっちまうぞ……?」
「何でだよ! あっ、それともコラさんって子どもが好きなのか?! だから、今のおれのことは好きだけど、大人になっちまったらおれには興味が無くなるってことか?!」
「ちげェよ!! おまえ、ご両親の前で何てことを言ってくれてんだ?! あっ、ホント、おれは別にガキに欲情したりするようなヤバい人種じゃないんで、そんなごみを見るような目を向けるのはやめてください……」
そう言って、長い手を振り回しながら弁明し「そもそもおれ、彼女いますから!」と叫んだ瞬間に、この場で唯一の勝者だったローの気配が変わる。
「えっ……コラさん、それほんとか?」
「ほんとって何が? ショタコン疑惑に関しては……」
「ちがう。彼女がいるって……」
「あぁ、そっち? 居るよ、彼女。おれにはもったいないくらい可愛くていい子なんだぜ」
そろそろ付き合って3年が経つんだよなぁ、とデリカシーのない余計な情報を言い足したところで、腕の中の息子の気配が固まる。
ひゅ、と息を呑むか細い音が、こちらにも聞こえてきた気がした。
(ロー?)
気が付いた異変に呼びかける前に、酷く冷え込み張り詰めた重い声が、息子の口から発せられた。
「うそつき」
不実を詰る声。たった一言を零した後、ローがボロボロと泣きだす。音もなく、ローの子どもらしい丸い瞳から大粒の雫が零れ落ちていく。静かに涙が流れ落ち、少しも止まる気配がない姿に、全員の空気が固まった。
「えっ、ちょ! ロー?!」
「ロー!」
私とロシナンテ君が泣き止まないローに呼びかけて慌てるばかりの中、妻が先に冷静さを取り戻す。あぁ、と沈痛な面持ちを浮かべながら「とりあえず、良かったら家へ来てくれませんか?」と切り出した。
「こんな場所で話せることでもないですし……色々とややこしいことになっているみたいだから、一度全員でしっかりと話し合いをしましょ」
「……はい」
ローと妻が手を繋いで先に行き、私とローの恋のお相手である彼と並んで歩く。
道すがら、ロシナンテ君は自身の素性をぽつぽつと明かしてくれた。
本名はドンキホーテ・ロシナンテ。
元々、『コラソン』という愛称で呼ばれることもあったのを、ローが自分専用のニックネームとして『コラさん』と名付けたらしい。
「職業は駆け出しの放送作家で……仕事に煮詰まった時とか、ネタ出ししたいときに家の近くのあの公園で気分転換することが多くて……そん時にローと仲良くなったんです」
「なるほど、そういうことか」
彼の嗜好が何であれ、普通の勤め人ならローとは中々接点を持てないだろうに、どうやって二人で知り合ったのか不思議だったのだ。公園に入り浸るプータローな成人男性なんて、本人がショタコンでなくともあまり息子を近づけさせたくない。
「きちんと働いているのなら、そこは安心だ」
「いや~、おれなんか、ぎりぎり自分一人が食っていけるかどうか、の稼ぎしかないですから……すみません、こんなのが大事な息子と遊んでたりしたら、いやですよね」
そう言って、大きな体を縮めるようにして肩を落とす。初対面の印象でも感じたのだが、ロシナンテ君は本当に何だか、レトリーバーとか、そういう犬種を思わせる風貌をしている。落ち込む姿はまさに叱られたばかりの大型犬みたいで、誤解が解けた後はあまり強いことを言いたくなかった。
「いや、私たちは仕事が忙しくてあまりローに構ってやれなくて……あの子の相手をしてくれてありがとう」
話せば話すほど、ロシナンテ君の感性は真っ当だった。ローが言っていたように優しくて、言動の端々から誠実さを感じる。
出会いの当初は驚いたし警戒もしたけれど、確かにこの性格で人の良さだったらローも懐くだろう。あの子は存外気難しくて、他人に対してすぐには心を開かない頑なところもある。だから、ローが本気で好きになった彼の為人は信用できる。
(ローの人を見る目は、確かだったみたいだな)
そんなことを思うのは、親バカだろうか。
「まぁ、子どもの戯言とはいえ、君があの子のプロポーズを安易に受けてしまったのはよくなかったと思うけど」
「そうですよね、すみません。いやぁ、ちっさいからって勝手に見くびって、ローの真剣さを侮ってました」
こんな大ごとにまで発展して、ごめんなさい。反省してます、という彼に「いや、良いんだ」と取り成す。
「とはいえ、このことはあの子にとってもいい勉強になる。好きだからと言って相手の立場も考えずに振り回すのは良くないし、どんなに自分が好きだとしても、恋愛とは相手あってのことなんだから」
ロシナンテ君には悪いけれど、ローが恋の難しさや厳しさを知るには良い機会だ。
もちろん、恋をするのはとても素晴らしいことだ。そこは否定しない。子どもでも大人でも、誰かを想う気持ちは尊いものだろう。
だけど、だからと言って恋を免罪符にしてはいけない。恋心が理由で相手を傷付けてしまうこともあるのだと、だから慎重に、そして大切に扱わなければいけない感情だということをローも知っておいて良いだろう。
「失恋の痛みを知るのに、早すぎるということはないからね」
「えぇ、ローのお父さんって結構スパルタですね?」
そう言って零れたロシナンテ君の笑顔は、太陽みたいな朗らかさを纏っていた。これが、ローが好きだと言った笑顔かと、瞬時に理解できてしまうくらいには。
一通りロシナンテ君との会話を終えたところで、自宅に到着する。彼は信用できると確信が得られた一方で、息子の機嫌は最悪だった。
とりあえず、と妻が出した淹れたてのコーヒーの熱さにロシナンテ君が飲み物を噴き出して、「コラさん、またかよ」なんて言いながら、ローが慣れた手つきで片付ける。
今度はわざと温くした飲み物を出して少しだけ空気が落ち着いた途端、第2の修羅場のような絵図が始まった。
「コラさんは、おれの純情を弄んだんだな」
「えぇっ! 待てよ、ロー!」
それはちげェよ、とロシナンテ君は泣きつくが、息子の表情は益々歪むばかりだ。
「じゃ、彼女ってなんだよ。しかも付き合って3年って! おれが居るのに、他に女がいるなんておかしいだろ」
「いやだって! そもそもローはおれにとっちゃそういう対象じゃねぇし!」
「じゃ、なんでおれのプロポーズを受けたりしたんだ! あんなにおれのことを好きだって言ってくれてたのに……!」
ローの発言に、びくりと肩を揺らしたロシナンテ君が恐る恐る私たち両親の顔色を窺う。妻はまだ疑り深い表情を向けていたけれど、こちらは心配せずとも分かっている。公園からここまでの道のりでロシナンテ君と二人きりで会話したこともあって、彼の言うローへの「好き」がどこに出しても恥ずかしくない、100%の親愛でしかないことはよく理解できた。
むしろ、
(……いやぁ、それにしても、ロシナンテ君のこの状況ってまるっきり、浮気が恋人にバレた彼氏の様子だな)
という感想を抱けるくらいには余裕もあった。テレビや映画でしか見ることのないシチュエーションだ。妻一筋の私としても、心変わりを疑われて詰問されるなんていう状況には縁がない。息子に詰めよられる浮気カレシ(誤解)が必死に弁解する様はいっそ面白かった。
それからも、
「コラさんはおれのことを嫌いになったのか。それともあれだけ口にしていた『好き』や『愛してる』は口から出まかせだったのか」
というローの非難や、
「コラさんが分かってなくても、おれにとっては本気のプロポーズだった!! だから、父様と母様に紹介しようと思ったんだ!」
などという熱烈な愛の告白が繰り広げられ、ロシナンテ君は最後に真剣に頭を下げた。
「ごめん、ロー」
おれが間違っていたと、息子の想い人は謝罪してローに告げる。
「おれ、おまえの気持ちを真剣に受け取ってなかった。ローはちゃんとおれに恋してくれてたのに。そういう意味じゃ、ローを弄んだって蔑まれても仕方ねェ」
言って、真摯な眼差しをローに向け、言葉を続ける。
「だから、ごめんなロー。おれは、おまえのことを恋愛対象にはしない」
「……それはおれが男だから?」
「そうだな、それも理由の一つだ。おれは今まで女の子としか付き合ったことがねぇから……もちろん、同性を好きになることは悪いことじゃねェよ。だれかを好きだと思うのに、性別は関係ない」
ただ自分が、今まで異性との恋愛しか経験したことがないから、とロシナンテ君は断りを入れる。そして、また一呼吸置いた後、
「おれは、同性を好きになったことはない。そんで、それ以上におれはローを子どもだとしか思えねぇ。ローのことは好きだと思ってるけど、それは恋愛感情じゃない。お前のことはめちゃくちゃかわいいし、おれにとっちゃ目に入れても痛くない大事なクソガキだ」
そう告げて、少しだけ笑みを浮かべてみせた後、真剣な面持ちに切り替えたロシナンテ君は、誠実にローの告白を断った。
「ローを大事に思う気持ちに嘘はねェ。だけど、おれはガキとは恋愛しない。愛とか恋とかは、同じ立場の人間同士がやるもんだと思ってる」
だからまだまだ未熟な子どもであるお前の気持ちは受け入れられないと、告げられた瞬間に息子は弾かれたように席を立った。向かった先は自室だろう。ローのフォローのために妻が席を立ち、目線で「そっちはあなたがよろしくね」とロシナンテ君の相手を頼まれる。
小さく頷いて見せてから、息子の大事な人に話しかける。
「ありがとう……うちの子と、あの子との恋に真剣に向き合ってくれて」
「いやァ、そもそもおれが安請け合いしたのが悪かったんですし……ごめんなさい、大事な息子さんのことを傷付けて」
「いやいや、ロシナンテ君に謝ってもらうようなことじゃない。君にきちんと言葉にしてもらえて、あの子にとっても大事な経験が積めたと思うよ」
「……へんなトラウマにならなきゃいいんですけど」
「それこそ杞憂だ。うちの子は、そんなに軟じゃないから」
返した台詞に、ロシナンテ君はへにゃりと眉を下げ、力なく笑ってみせた。「なら良いんですけどね」と力なく添えられた台詞にはローへの心配が混ざっていて、形は違えどローへの好意に嘘はない。
「君さえ良かったら、またローの相手をしてやってもらえるかい?」
「……良いんですか? これからもおれがローと会ったりするのはあいつにとっては酷なんじゃ……」
「良いんだ。そろそろ自分の気持ちに折り合いをつける手段を学ぶべき時期に差し掛かっているし、恋愛を差し引いても、君を慕う気持ちをあの子は消せないと思うから」
だから、ローの望みが常識の範囲から逸脱しない限り、そしてロシナンテ君の迷惑にならなければ、また会ってやってほしい。
私の頼みを、戸惑いながらもロシナンテを一応は引き受けてくれた。
「おれなんかでよければ」
そう言った言葉のとおりに、騒動後もロシナンテ君はローの面倒を見続けてくれた。やはり私の予想通りにローはロシナンテ君になついていて、例え振られたとしても関係を断つことは考えられないようだった。
高校生になる頃にはローの行動範囲は更にぐんと広がった。そして、相変わらず交友関係の最上位にロシナンテ君を置いていた。遊びに行くのも食事に行くのも、そのほとんどがロシナンテ君と二人、もしくはロシナンテ君を交えて複数人で、という有様だから、流石に今も息子の良き友人で居てくれる彼に対して申し訳なく思ったものだ。
「すまないね、まさかローの執着がここまで続くとは思わなくて」
「いや、別にいいですよ。おれもローと話すのは好きですし、こっちも普通に楽しんでますから」
我が家の夕食にロシナンテ君を呼んだ時、息子が居ない時間を見計らって謝る。大らかな人柄の彼には療養から戻ってきたローの妹―ラミーもすぐに懐き、兄妹ともども彼には世話になりっぱなしだった。
(ロシナンテ君だって、偶にはうちの子達のお守りから解放されたいだろうに)
私たち親の謝罪を、ロシナンテ君はいつでも鷹揚に「おれだってローやラミちゃんと過ごすのは好きですから」と、受け流してくれた。
ローは本当にずっと、ロシナンテ君にべったりだった。彼のことばかり優先し、時間を独占しようとする。どれだけ年を重ねても、ローはロシナンテ君から離れようとしはしなかった。
それこそ、他に恋人を作る暇がなんかない位、口癖のように「コラさんと会ってくる」だの「コラさんと遊びに行って、そのままあの人に家に泊めてもらうから」だの言っていた。
そしていつの間にか、初めてローからロシナンテ君を紹介されてから、13年の月日が流れた。
「父様、母様。今度の日曜日に、紹介したい人を連れてきていいか?」
13年振りに聞いた台詞に、目を瞬かせる。懐かしさを交えつつ、妻と共に「もちろん」と答える。
「お相手の方は、どんな人かしら?」
「ローが選んだ人だ。間違いはないさ」
妻はローが見初めた相手へ興味を示し、私がローの判断力の確かさに太鼓判を押してみせれば、息子は曖昧に笑ってみせた。
「会えば分かる」
そう言ってはぐらかす息子は、事前の予告通りに日曜日に“紹介したい人”を連れて来た。
相手は、13年前と変わらない。
初めて会った時よりも13年分の年を取った息子の想い人。ローがずっと恋と愛を捧げて来た好きな人。
玄関先でローのお相手と対面し、すぐさま色んな感情が胸中を埋め尽くしていってから、気持ちはすぐに落ち着いた。二人が並んで私と妻と向き合う姿が、静かに心の深いところに落ちていく。
「父様、母様。紹介します。……この人がおれの結婚相手だ」
言いながら、息子が隣の人を指し示す。
見上げるほどの恵まれた体躯を持つ長身に、金色の髪に赤い瞳。ルビーのような紅玉と目が合った瞬間、ロシナンテ君の顔がぐしゃりと歪んだ。
ごめんなさい、と無音の声に、唇が動く。
身体を強張らせるロシナンテ君とは裏腹に、息子の様子はいつもと変わらなかった。だけど、変わらないように見せているだけで指先は微かに震えている。表情もいつもより強張っていて、彼らの緊張が伝わってくる。
「ロシナンテ君」
呼びかけた瞬間。この13年間ずっと、一日も欠かすことなくローを大事にしてくれていた彼は、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。
「すみません、おれっ……トラファルガーさん達が、おれのこと信頼してくれてるって知ってて、なのに……!」
連なる台詞を、そっと制する。彼から聞きたいのは謝罪の言葉なんかじゃない。
「君は、謝らなくちゃいけないような付き合いをローとしているのか?」
「……! ちがいます。そんなことしてません、それは、絶対に!おれなりに、ローのことをちゃんと好きだと思ってだから……! っ、でも……」
否定して、そのすぐ後に狼狽える。彼の困惑と狼狽が気の毒で、自分を責めるのを止めてやりたくて、気づけば彼のことを抱き寄せていた。
私よりも遥かに大きい体格を持つ、息子の想い人の震える身体を抱きしめてやりながら、小さく語りかける。
「謝らなくちゃいけないのはむしろ、私たちの方だろう?」
知っていた。
本当は、知っていたんだ。
とっくの昔に、ローとロシナンテ君の関係の移り変わりを。
ロシナンテ君ばかりに時間を割くローが、わざわざ“紹介したい人がいる”、なんて言うからには彼以外にはあり得ないことを。
もうずっと前から、息子と彼は両想いだった。しかし、色んなものに縛られ雁字搦めになっているせいで、私たちの元を訪れることができずにいたことを知っていて、私たちは何もしてやれなかった。
(あぁ……本来なら、もっと早くに君たちを祝福したかったんだ)
今はもう、笑い話となっているローの初めてのプロポーズ騒動だけれど、あれらが小さな傷になってしまったことを、私と妻にとっての長年の後悔の種だった。
ローにとっては確かに真剣な恋だったのに。自身の恋心について、発露のタイミングを誤ると問答無用で勝手に取り上げられて手折られてしまうのだと、苦い経験となってしまった。
だから、基本的には親に隠しごとをしない息子だが、あれからずっと、恋い慕う相手のことだけは隠し通した。今も変わらず”コラさん”と呼ぶロシナンテ君のことを、あの子はただただずっと、愛している。頑固で一途なところは私似だ。不器用なほど、ローは彼のことだけしか見えていない。
そして、ロシナンテ君もずっと苦しんできていた。私たちの信頼と、対等な相手じゃなければ恋をしないという自身の台詞に板挟みになって、もうずっと前からちゃんと、ローの気持ちを受け取っていたのに、応えることができずに。
これらのことを、あの日、唯一あの場に居なかったローの妹であるラミだけが知っていて、二人の良き理解者で居てくれた。二人が挫けないように、ちゃんと幸せになって良いのだと言い続け、支えてくれていた。
そんな妹にだけは、ローも稀に本音や悩み……弱音を吐露していたようで、兄のことを彼女はずっと応援してくれていたのだ。
「万が一、お父様とお母様がお兄様とコラさんの関係について反対しても、私は絶対に、ぜーったいに! 二人のことを応援するから!」
いつだったか、私たちにラミは堂々と宣言して、「だから反対してもむだよ」なんて言い切っていた。
(反対なんて……)
するわけがない。
親は子の幸せを願う生き物で、私たちだってその例外ではないのだから。
「ローのことを、よろしく頼む」
一度決めたことに関しては、愚直なまでにやり抜く子だ。それは、ロシナンテ君のことを最後まで愛し抜くという思いの表れでもあるだろうけれど、強くて深すぎる情に、手を焼くこともあるだろう。
けど、君だったら全て取りこぼすことなく、受け止めてくれると信じているから。
だから、
「ローと二人で、幸せになってほしい」
息子を愛してくれてありがとう。
どうか、ローとロシナンテ君の行く道の先には、幸いだけがあることを願っているよ。