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    shiiiin_wr

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    shiiiin_wr

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    セクピスパロのお試し版です
    最終的に10~15万字くらいになりそう。書き上げたら支部に上げます。
    続き以降は何でも許せる人向けな展開になります

    セクピスパロ 先祖返り×翼主「お前、先祖返りだろう?」
     学校からの帰り道、おれの前に現れた金髪長躯の男が脈絡もなく言い放った台詞。
    (先祖返り?)
     意味が分からない。聞き覚えのない単語に顔を顰める。突然現れて不躾に、一体何なんだ。そもそもお前は何者だと問う前に、続けざまに勝手な台詞が放たれる。
    「困っているんだろう? なら、おれのところに来ればいい。悪いようにはしねェよ」
    「はァ? あんたが何者かは知らねェけど、胡散臭い奴についていくほど、おれは間抜けじゃ……」
    「強がるなよ。今のお前は周りの人間が “猿”に見えて、自分の頭がおかしくなったんじゃねェかって、抱え込んでいる癖に」
    「!」
     どうしてそれを、という言葉は掠れてまともに音として紡げなかった。ぼやけたおれの台詞を長身の男は正確に聞き取ったようで「フッフ」と特徴的な笑い声を零した。
     細い月のように口元に弧を描いて、サングラス越しの瞳がおれを見下ろす。整った顔立ちに冷めた眼差しのまま、先ほどの台詞を男は繰り返した。
    「おれのところに来い、ロー。さっきも言った通り、悪いようにはしない」
    「……何で、おれの名前を」 
     言いながら、己の中でじわじわと方針が固まっていくのを感じた。名乗ってもいないのにこちらの素性を知っている男の姿に、やはり得体のしれなさはぬぐえない。多分、おれにとっての大きな賭けを迫られている。
     だが。賭けに勝てれば何かが変わるかもしれない。この素性の分からぬ男が、今のおれの苦境を救ってくれるんじゃないかという淡い期待も芽吹き始めていた。
    「あんたの名前は……」
     おれの名前を知られているのはフェアじゃない。せめて名前を聞かせろと言うと「このおれに向かって、ずいぶん生意気な口をききやがる」と、言葉とは裏腹に楽しそうな声で口角を釣り上げた。
    「おれの名はドンキホーテ・ドフラミンゴ。800年以上続く、ドンキホーテ家の現当主」
     そこで芝居がかった仕草で言葉を切って胸に手を置き、笑みを含んだ声を言う。
    「歓迎しよう、ロー。斑類の世界へ。貴重な先祖返りを、おれは歓迎する」
    「っ」
     告げる声に、なぜだか身が竦む。敵意や悪意どころか、綺麗に感情を隠した声がやけにざらりとした感情が耳に残った。
    「ロー?」
     名乗りの後に、「ほら」と言いながら、誘うように男がおれに右手を差し出す。その瞬間、あり得ない幻覚が視界の端をチラついた気がした。
    (翼……? 浅紅色の……何だろう? まるで、鳥の羽みたいなのが……)
     目の前の男の背後に、大きな翼が見えた気がする。ばさりと、空気を切るような大きな音と共に、朱色にも近い色濃さを宿した浅紅色の羽根が目の前でちらほらと舞っていた。
     ちょっと目から猿やら動物の影やら、色んな影を見るようになっていたけど、これは極めつけだ。人間に羽が生えているなんて、鳥の翼を持てることなんてあるはずがないのに。
     けれど、どこか血の赤を彷彿させるような色合いの羽が舞う光景は、強烈な畏敬と羨望をおれに抱かせた。


    「おい! おい、コラソン!!」
     呼びかけを綺麗に無視する男に走って追いついて、「無視するな!」と正面に立ちふさがれば、面倒くさそうなため息が聞こえて来た。おれよりも遥か頭上にある顔を睨みつけて、「ブラインド、掛けてくれなんておれは頼んでねェ!」と抗議する。
     怒鳴るおれを、コラソンは何の感情も乗せない眼差しで見下ろす。いつもの如く、輪郭が曖昧な自我に欠けたコラソンの振る舞いに腹が立って、自然と語気も荒くなった。
    「おれに勝手にブラインドかけるなって言ったろ!? さっさととけよ……!」
    「……」
    「おれのこと、無視するな!」
     頭上からちらりと赤い瞳がおれを見て、そのままふっと視線がそらされ踵を返す。おれのことを、まともに見ようともしない男に腹が立って、ガキ臭いと自覚しながらもその場で地団駄を踏んでしまう。
    (何なんだよ! いつもいつも、バカにしやがって……!)
     ギリギリと奥歯を噛み締めていたら「ロー?」と幼い声がする。リボンで髪を結った少女からぴょんと物陰から飛び出して、「またコラさんとケンカしたの? 仲良くしなきゃだめよ!」なんて言ってくるから苛立ち紛れにベビー5をにらみつける。
    「っ」
    「すぐに泣くくらいなら、おれに話しかけてくるんじゃねェよ」
    「だって」
     べそべそという声が鬱陶しくて、大きく舌打ちしていた。おれよりも前にドフラミンゴに拾われたというベビー5は猫又の中間種だ。屋敷に同年代の子どもが増えたことが嬉しいようでよく話しかけてくるが、打たれ弱いところが面倒だった。ちょっと強い物言いをしただけで泣きべそをかくから、扱いが難しい。
     今も勝手に首を突っ込んで少し冷たくされただけで泣いて、ご機嫌取りをするのも面倒で口を噤んでいたら「お前たち、そこで何をしている?」と男の声が向こうから聞こえてくる。
    「若様!」
    「ドフラミンゴ」
     視線の先では屋敷の主であるドフラミンゴがこちらに歩み寄ってくるところだった。背後にはいつものようにヴェルゴが控えていたが、何事か耳打ちしてドフラミンゴの秘書は姿を消す。
    「若様! ローがひどいの」
     言いながら、長い脚にしがみ付く様にしてベビー5がおれへの文句をドフラミンゴへと告げる。
    「ロー、またコラさんとケンカしてたの! だから、仲よくしなくちゃいけないのよって言ったら、私にも怒るし……!」
    「あいつがおれに黙ってブラインドを掛けるのが悪いんだろ!」
     そもそもあれは、ケンカじゃねェ。おれからしたら正当な抗議だし、おれの話をコラソンは徹頭徹尾無視しやがった。
    (あー、クソ!)
     思い出したら怒りがぶり返す。コラソンが目の前に立つ男の実弟だろうが、この男が弟を溺愛していようが関係ない。苛立ちのままに「なァ、ドフラミンゴ」とおれを拾った男の名を呼ぶ。
    「おれ、やっぱり魂現のコントロールはお前に習いたい」
     視線を合わせずに告げた台詞に、ドフラミンゴは「フッフッフ」と笑いを返した。
    「ロー、言っただろう? おれは急ぎの仕事を抱えていて、お前のためだけに時間は取れねェ。魂現のコントロールを覚えるのは、ロシーに習え」
    「そのコラソンが全然やる気がないんだから、お前に頼んでるんじゃねェか!」
     正直おれだって、この男に頼むのは気が進まない。色々とおれの為に手を回してくれるのは分かるのだが、いかんせんうさん臭さが抜けなかった。けれど、斑類の世界に一歩だけ足を踏み入れて、ドフラミンゴが強力な庇護者であるのも伝わってきている。
     だから今はこの男の指示に大人しく従おうと思うのだが、おれが良くてもこいつが宛がった指導役がてんでダメだ。
    「コラソンのせいで、魂現ってやつのコントロールをいつまでたっても習得できる気がしないんだって!」
     コラソンの力不足をフォローするなら、それは兄であるお前の責任のはずだ。けれど、おれの至極当然の訴えを、ドフラミンゴはいつもの含み笑いで受け流すばかりだった。
     現在のおれの最重要課題である魂現のコントロール。 
     それは、斑類として生きるなら必須のスキルだ。最近になって初めて世界には2種類の存在に分けられることを知ったおれにとっても、最優先で習得する必要がある。
    (ドフラミンゴも他の幹部たちも歓迎しているみてェだけど……でも、先祖返りなんて、面倒なだけだ)
     青天の霹靂で降りかかった我が身の不幸に重い溜め息をつきながら、ドフラミンゴとの出会いの記憶が脳裏によみがえっていた。


     【斑類】と【猿人】
     この世界には2つの種族が存在する。そして、斑類は猿人のことを知覚できるが、猿人からは斑類の世界をうかがい知ることはできなかった。
     猿人からは、存在を斑類に関する情報、存在、知識を猿人は認識することはない。これは絶対に破ることが出来ない世界のルールなのだという。
     事実、本来は【猿人】と言う枠組みに入っていたおれは、つい最近まで【斑類】という存在や彼らの世界を微塵も感じ取らずに生きていた。
     このままおれは、もう一つの世界のことなんて何一つ知らずに一生を終えるはずだったのだ。それが狂ったのは、【先祖返り】という極めて珍しい事象を経験したからだ。あの日の高熱のせいでおれは、斑類の世界に足を踏み入れることになってしまった。
     1ヶ月前のことだ。何日も続く高熱を出した後、目に映る世界が一変していた。
    (あつ、い……)
     高温のせいで意識が朦朧とし、熱が出ている間の記憶は朧げだ。風邪が流行るような季節でもなかったのに、何日もベッドから出られない日が続いた。
     今でもあの日の高熱の原因は分からない。急に40度近くの高温が出て、数日たっても熱は下がらずとうとう意識も朦朧としてしまい、父様と母様が付きっ切りで看病してくれなかったら危なかったと思う。医師である両親の手厚い看護のおかげで何とか熱が下がってベッドから起き上がられるようになった時、知らない世界が広がっていた。
     大好きな両親も、大事な妹のことも、何だかとてつもない違和感を覚える。理由は分からないが、自分とは異なる存在に感じてしまうのだ。
    「ロー?」
    「お兄様」
    「……っ!」
     病み上がりのおれを気遣ってくれる両親や妹の声に、心がざわつく。理由の分からぬ異質さが、おれを落ち着かない気分にさせた。熱が出る前も後も、彼らは何一つ変わっていないのに、おれだけが意識を塗り替えられてしまった。
     ただ、それでも彼らは家族だ。おれを害することはないと知っているし、おれのことを心から愛してくれていると分かっている。
     家はまだ、おれの居場所だった。そして、家から一歩足を踏み出せば、地獄が広がっていた。
    (何、で……なんだこれ)
     道行く人が、普通の人間には見えなかった。本能で感じる大勢の猿の群れ。その中にちらほらと猫や犬……時折熊や大型の肉食獣の姿も垣間見えて、自分の頭がおかしくなったのかと思った。
    (どうしてこんな光景を見ちまうんだ?)
     吐きそうになるのを抑え込んで、必死に頭を巡らせる。確かに一時は意識を失いかけるほどの高熱だったけれど、脳に障害を与えるほどのものじゃなかったはずだ。父様たちも「もう大丈夫。熱に負けずに、よく頑張ったな」って、しっかり診断を下してくれていたのに。
     何よりも恐怖を覚えたのが、猿や動物たちの中にちらほらとおれに対してネットリとした視線を向けてくる奴がいたことだ。あまり良い視線ではない。むしろ、おれに害を及ぼすような類のものだと本能的に理解する。
     理由が分からないまま、自分の立場が危ういものであることはどうにか気付けた。けれど、対処法が分からない。
     逃げ出してしまいたかったけど、逃げ場なんかないことも理解していた。両親の庇護から飛び出したって、子どものおれじゃすぐに立ち行かなくなってしまう。
    (おれはどうしたら)
     父様や母様には相談できない。多分きっと、彼らに理解してもらうことは出来ない話だ。それだけは無意識に理解していた。でも、頼る先が見つからない心細さを抑えることも出来なかった。
     そうして世界が変わってしまった恐怖に覚えていた時、ドンキホーテ・ドフラミンゴという男がおれの前に現れた。そいつに連れていかれた先で、おれは世界が【猿人】と【斑類】に分けられることを知ったんだ。
     あの日、ドフラミンゴの後を着いていくと、テレビでしか見ないような黒塗りの車が止まっていた。流石に無警戒で乗り込むことが憚られて躊躇うと「お前に危害は加えない」と言い切られる。「おれの屋敷に移動するだけだ、夜には帰してやる」と補足されれば。拒否の言葉が見つからず、渋々ながらもドフラミンゴの後ろから車に乗った。
     今思えば軽はずみにも程がある行動だった。だが、恐らくあの時は、ドフラミンゴがおれの魂現を上手くコントロールしたんだろう。あの頃のおれの魂現は無防備に曝け出されていたし、知らない間に何か術を掛けられていた可能性は高い。
     ともかく、おれを「迎えに来た」と告げたドフラミンゴが、一つ一つおれに知識を手ほどきしてくれる。
    「まずはお前に、世界の仕組みから教えてやらねェとなァ」
     言いながら、身体が沈みこんでいきそうな柔らかなシートに背を預け、悠然と長い足を組む。そのまま運転席へと「ヴェルゴ、出せ」と短い指示をして、音もなく車が走り出す。
    (おれ、こいつを信じても大丈夫、だよな……)
     疑問を口にする前に、ドフラミンゴが口を開き、斑類に関する世界や知識のレクチャーが始まった。
    「まずは、今のお前は猿人から斑類へと生まれ変わった存在なんだと自覚しろ」
    「まだらるい?」
    「あァ」
     頷いて、笑みの形に細められた二つの瞳がおれを見る。おれの混乱を面白がっているような悪趣味さを感じて、口が歪む。そんなおれの反応込みで、ドフラミンゴは愉快そうに目元と唇に弧を描いた。
    「基本的に、斑類と猿人のどちらの世界に属するかは生まれた瞬間に決まっている。これは変えられねェ、この世の絶対のルールだ」
     猿人の親からは猿人しか生まれない。そして、猿人である以上、死ぬまで斑類の世界に足を踏み入れることはない。
    「だが何事も、例外ってもんがある」
     それがお前だ、とドフラミンゴの瞳がおれを見た。
    「おれ……?」
    「あァ。ごく稀に、猿人の中でも斑類に鞍替えするやつらがいる。そういうのは大体、先祖に斑類が混じっているんだ。世代を越えて、斑類の血を取りもどすことから」
    「“先祖返り”……」
    「そうだ。お前の古い血が、本来の在り方を取り戻したんだ。滅多にないことだが、そういうやつらはごく稀に現れる」
     “先祖返り”とは、猿人と比べてそもそも数が少ない斑類の中でもレア中のレアらしい。
    「大体、死にかけるような事故やトラブルに見舞われると血が覚醒することが多いな」
     言って、ドフラミンゴはどこまで事情知っているのか「心当たりがあるだろう?」とおれを見て口の端を上げる。ドフラミンゴがひと月前の高熱騒ぎのことを示しているのは明白だった。
    (どうしてこいつは……)
     おれのことを知っているんだ。名前のことも、おれが先祖返りを発現させたきっかけのことも。
    「お前、何者だよ」
     今すぐに危害を加えられることはないかもしれないが、警戒するに越したことはない。唇を引き結んでドフラミンゴと相対すると「さっきも言っただろう? おれは【翼主】の名門、ドンキホーテ家の現当主だ」と愉快そうに唇を歪める。
    「翼主?」
    「あァ、翼をもつもの。空を統べる主。先祖返り以上の希少な血だ」
     何せ、この世に翼主はおれ以外には一人しか存在していない。告げられた台詞に、ぞくりと背中が逆立った。
    (世界にたった、ふたりだけ……)
     ドフラミンゴの表情から伺い知ることは出来ないが、何だか腹底に冷たい感覚が伝わる。こんなにも広い世界で、二人きりで構成冴れる存在あるって、信じられない。
    (でも多分、こいつが言うのは嘘じゃない)
     ずっと、初めて相対した斑類だからこの男に異質さを感じているのだと思っていた。けれどそもそも、その根本の認識が誤っていたのだと感じる。
    (こいつ自身が、特異なんだ)
     知らずに身体を強張らせると「だから、お前のことを喰ったりしねェよ」と笑われる。
    「まァ、警戒心が強いのは良いことだがな。何しろ、 “先祖返り”っつうのは狙われやすい」
    「狙われる?」
    「あァ。同族といえ、他の斑類には気を許すな。お前が信じていいのは、おれか、おれのファミリーだけにしておけ」
    「?」
     どういうことだ? と首をかしげると、ドフラミンゴが説明を補足する。
    「おれ達斑類は猿人に比べて繁殖力が低い……まァ、子供が生まれにくいんだ。おかげでどの家も、強い跡継ぎを産むために躍起になっている」
    「ふーん?」
     そのこととおれの何の関係が? 尋ねようとしたところで、ふと思いつく。
    「斑類と比べた時、猿人の方が繁殖力は弱くない? そんで、先祖返りっていうのなら、おれにはまだ、猿人の特性も備わっている……?」
     呟いた台詞に、心底機嫌が良さそうな「フッフッフ」という笑い声が重なった。
    「察しの良い奴はキライじゃねェ。ロー、お前は見所がある」
     おれの疑念を肯定するドフラミンゴに「でも」と反駁する。
    「おれはまだ13だぞ。子どもが欲しいって言われても、どうしようもねェ」
     おれにとっては、真っ当な指摘だった。子どもに一体何を期待しているんだ。両親が医者だから、ガキなりにおれは医学のことを学んでいる。子どもと大人の身体の仕組みの違いを思えば、ドフラミンゴの話はピンとこなかった。
     だが、目の前の男は含み笑いを続けながらおれの指摘を否定する。
    「次代を望む斑類にとっちゃ、そんなもんは関係ねェよ。男だって子供を孕めるような手段を確立させしちまうほどなんだから」
    「はぁっ!?」
     男が? 子どもを産める?のか。まさか。この男は何を言って……?
     理解が追いつかないおれに、「ま、そのあたりの話はお前がもう少しこちらの世界に馴染んだ来た時に改めて教えてやる」と話を打ち切ってしまう。
    「今日はとりあえず、おれのファミリーを紹介してやる。これからは奴らを頼れ。あと、お前の教育方針も」
     ドフラミンゴが告げた瞬間、デカい屋敷に辿り着く。
    (家の近くに、こんな敷地があったなんて)
     知らなかった。確かにこの辺りは高級住宅街で、今まで縁がなかったエリアだ。よく知っていたはずの世界の変化を噛み締めている間に、滑るように車が停止して、ドアが開けられる。
    「悪いな、ヴェルゴ」
    「いいや、構わないさ、ドフィ。ファミリーはみな、広間に集まっている」
    「そうか。何から何まですまねェな。おい、ロー。こっちにこい」
    「あ、あァ」
     足の長さのせいで、一歩が大きいドフラミンゴの後ろを慌てて追いかける。どこもかしこも磨き上げられた屋敷を進み、高い天井の大広間のような場所に辿り着く。
     そこには大人たちと、子供も数人揃っているようだった。皆、人の姿の後ろで、動物の影のようなものが見える。
     多分これが、“魂現”ってやつなのだろう。
    (猫や犬みたいな姿のやつが多いけど……大人の中には大型動物っぽいのもいるな)
     ドフラミンゴの説明のおかげで、斑類がどういうものかは何となく分かった。動物の影が見えるのは、決しておれの頭が惜しくなってしまったからではないらしい。おれの目に映すようになった世界に対し、必要以上の恐怖を覚えなくてすむ。
     おれが辺りを見渡せば、向こうもこちらの本質を覗いていたようだった。遠回しの会話が、ちらほらとおれの耳にまで届いた。
    「猫……いや、あれはヒョウの子どもかァ……? 随分とちっこいのが奥で震えているな」
    「白い毛皮、であれば魂現はユキヒョウだ……先祖返りで重種っていうのは随分引きが良い」
    「……ドフィの助けになりさえすればおれは、どうでも」
     広間の向こう側にいる男たちの潜めた声が耳に届く。茶の髪をなびかせた長身の男がニヤニヤと笑いながらおれを見て、隣りのガタイの良い大男がひどく甲高い声で返事をする。おれに一番興味がなさそうな台詞を吐いたのはヴェルゴという名の人物だろう。車から降りた時に、ドフラミンゴがそんな風に呼んでいた。
    (……どっちにしろ、なんか気に喰わねェ)
     おれが受けた印象のとおり、あの頃のおれは魂現のコントロールなんかできていなかったから、最高幹部たちに好き勝手魂現を覗かれて品評されていたのだ。今だったら好き放題言わせるつもりはない。けれど、何も知らなかったおれはただイヤな感じだけを抱いていた。
     幹部たちの私語は咎めずに、室内を見回したドフラミンゴが「おい?」と首を傾げる。
    「コラソンはどうした」
     あいつにも召集を掛けておいたはずだろうという当主の台詞に、「べへへ、グラディウスとセニョールの二人が今呼びに行ってる! んねー!」とローブの男が言う。足が悪いのか、杖を突き床に引き摺るようなローブを纏った男は、この中で一番の年長者のようだった。
     多分、当主だというドフラミンゴよりも年嵩で、気安い関係なのが透けて見せる。
    「コラソンの気紛れにも、困ったもんだねー!」
    「構わん。あいつにはおれがしばらくは家の役目から自由にしていいと言ったんだ」
    「ん~、でもォ、ドフィ……!」
    「おれが良いと言ったんだ、トレーボル」
     少しだけ苛立ったようなドフラミンゴの声がローブの男の名前を口にして、同じタイミングで遠くの方から何やら騒々しい声が聞こえて来た。
    (なんだ?)
     騒いでいるのは若い男の声だ。「コラソン、お前はいい加減若様の手を煩わせるのは!」「だから、その態度はいくら若様の弟はいえ……!」などとガミガミ叱る声に「まァまァグラディウス、そうカッカするな」と落ち着いた声が被さる。
    (だれだ?)
     広間に通じる扉へ視線を向けると、乱暴に開いたドアから3人の男たちが入ってくる。ドフラミンゴ並みに背の高い金髪の男。猫背がちな姿勢でも、長い足や引き締まった体躯……スタイルの良さは伝わってきた。
    「やっと来たか、コラソン」
    「……」
    ドフラミンゴが楽しそうに表情を緩め、新たに現れた男たちに近付いていく。呼びかけられたのは後ろにスーツ姿の二人を従えている、一番背の高い男だ。ドフラミンゴの声には無反応の儘まま、赤い瞳がおれを見る。
    (あ……)
     紅玉めいた双眸に息を呑む。金の髪と特徴的な瞳の色、他にも身体のパーツがドフラミンゴと似通っている。血縁関係にあるのは間違いないだろう。けれど、ドフラミンゴと違って生気や活力を一切感じなかった。無表情・無感動な瞳が見下ろしてくるのが、どこか癇に障る。 
     好きじゃない。気に喰わない。
     理由なんかないけど、初対面の印象は最悪だ。あまり関わりたくないと思ったのに、ドフラミンゴは“コラソン”という人物を連れておれの方へと近寄ってくる。
    「ロー。紹介しよう。おれの弟だ。名はロシナンテ。この世で唯一おれと血の繋がった家族であり、おれの“コラソン”だ。お前もロシーには敬意を払え。いくらお前でもおれの弟への無礼は許さねェ」 
    「ロシナンテ? コラソン……?」
     名前が二つあるみたいで、最初は混乱する。よくよく話を聞くと、コラソンという呼び名は本名ではなく愛称らしかった。「ロシー。こいつがローだ」とドフラミンゴがおれのことを告げるのに対し、ドフラミンゴの弟だという男は返事も反応も返さなかった。それが何だか己の存在を軽んじられているみたいで、腹が立つ。
     唇を引き結んで長身の男を見上げると、フッフッフと傍らから兄の笑い声がする。
    「コラソン、前にも言った通りローへの魂現のコントロールに着いて、指導はお前に任せるぞ」
    「えっ!?」
     ドフラミンゴに台詞にコラソンは面倒くさそうに表情を歪め、おれも予想外の台詞に声を上げてしまう。だって、ドフラミンゴの台詞は受け入れがたいものだった。
    (おれがこいつに教わるのか……?)
     こんな男に教わることなんかないと、一瞬で反抗心が湧いた。容姿に血の繋がりは感じるが、中身は兄と正反対らしい弟は、おれが好むような人種じゃなかった。おれは、ドフラミンゴが持っている者を信じてついてきたのに、話が違う。
    「おい、ドフラミンゴ……!」
     どうしておれを弟に押し付けるんだ。怒りと共に言い返しても、ドフラミンゴはニヤ付いた笑みを浮かべるのを辞めなかった。
    「おれもローの世話をしてやりたい気持ちがあるんだが、現実的に考えて、おれは仕事で忙しい。偶にだったら様子を見てやれるが、まとまった時間を取るのは不可能だ」
     その点、ロシナンテは今フリーだから、とドフラミンゴが言う。
    「弟は基本的に屋敷に居る。だから、しばらくは学校が終わったらここに通え。まずはその無防備な魂現の隠し方を教わると良い」
    「はァ!? おい、待てよ、勝手に決めるな……!」
    「なんだ、ロシーじゃ不満か? 大丈夫だ。力の強さはさておき、魂現のコントロールに限って言えば弟はおれと同じくらいの器用さがある。お前の良い教師役になるだろうさ」
    「っ」
     ドフラミンゴの中じゃ決定事項らしいが、おれにとってはあっさり受け入れられることじゃない。考えを覆らせたくて口を開きかけると、「……ドフィ」と頭上から倦んだ声が聞こえた。
    「!?」
    「ドフィ、おれもそのガキと同意見だ。おれがこいつに魂現のことや斑類の世界を教えるって……」
     自分でも向いてると思えない、と曇り空みたいな陰気な声がする。
    「兄上からの頼みごととはいえ、やっぱりやめておいた方が良いと思うけど……」と弟が消極的な姿勢を見せるのに対し、「ロシィ?」と、甘く纏わりつくような声音を兄が向ける。
    「ローの扱いをどうするか、二人で話しただろう? 覚醒したばかりの先祖返りは立場が危うい。どこかの機関か力のある家が後ろ盾に着いてやらなきゃ、弄ばれるだけだ」
    「え」
    「……」
     ドフラミンゴの台詞に、呆然と目を見開く。先祖返りについて話す声の調子は全て本音らしいのに、内容はどこか現実味が薄かった。
    (危うい、ってどういうことだよ……)
     問い詰める前に、無言の弟の身体を抱き寄せながら、ドフラミンゴが耳元で何かを囁く。
     ――……と言っただろう? 代わりにお前が……。
     最近どこか鋭くなった聴覚でも、何を話しているのかよく聞き取れなかった。けれど、兄の抱擁が外れた時、コラソンは反抗を諦めたらしい。
     ため息を付きながらおれを一瞥し、そのまま広間を去っていく。碌に口をきいてくれない態度がおれの気持ちを逆撫でて、ますますあいつへの印象が下がった。
     おれとコラソンの相対を遠巻きに眺めていた連中も、やれやれと言った雰囲気を醸し出す。
    「いくら弟とはいえ、若はコラソンのことを野放しにし過ぎでは?」
    「だが、魂現のコントロールに関してコラソンがドフィの次点であることは間違いないだろう?」
    「まァ、おれ達最高幹部を含めても器用さはコラソンには敵わねェよなァ。今だってあいつ、本人の承諾もなしに勝手にブラインドをかけていっちまった」
    「あんなにあっさりかけられなんて、コラさんってやっぱりすごいのね! 流石、若様の弟ね!」
     背後で自由に交わされる言葉の意味は分からなかったけれど、あまり楽しい類の台詞じゃないことだけは分かる。
    (嫌いだ、おれ。あいつの事なんて……!)
     もう今更、先祖返りになる前の自分には戻れないのだろう。分かっているからこそ、斑類という世界への嫌悪と忌避と、何よりドンキホーテ・ロシナンテという男の生理的な拒絶が胸奥を焼いていた。


     
    「ロー、ロシナンテと上手くやれてねェのか?」
     ベビー5のことは他の幹部たちに任せ、ドフラミンゴと二人であいつの私室で二人きりで話しをする。ドフラミンゴと言葉を交わすどころか、この男が屋敷に居るのを見かけるのも久しぶりで、多忙だというのは嘘じゃないらしい。
     だから現状、ドフラミンゴではなくコラソンに師事しなければいけないのは分かっているのだ。分かっているし、気に喰わないとはいえ、あいつの指示に耳を傾ける心づもりもある。おれからすると、上手くいってないのは全部コラソンが原因だ。
     けれど、この場に居ない相手に責任の全てを被せるのも子供っぽくて、現状の不満をそのまま言葉にするのも気が進まなかった。
     質問になんて答えようかと迷いながら、考えつつ口を開く。
    「上手くやれてないっていうか……あいつ、何考えてるのか分かんねェよ」
     そもそも口数が少ない。表情も変わらないから、何を考えているのかも読めない。その癖、勝手にブラインドとかいう術を掛けてくる。
    (……何で本人のおれに相談もしなけりゃ断りもいれないんだ!)
     ないがしろにされているみたいで、気分が悪い。
     まァ、コラソンにどんな説明を受けたところで、受け入れたりもしないけど。
    【ブラインド】
     文字通り、対象者の魂現を隠すために用いる術だ。重種以上でなければ扱えないらしく、ファミリーの中で習得しているのはドフラミンゴかコラソンだけ。そして、おれがこの技を厭うのは、基本的には“雄”が自分の“雌” が目移りしないようにするための術だからだ。要は雌が他者にちょっかいをかけたりかけられたりしないよう「こいつはおれのもの!」とアピールするためにある。
     いくらか曲解が混じっている気もするが、ディアマンテやトレーボル達からそう教わった。
    『しょっぱなからお前にブラインドなんて、コラソンもやるなァ』
    『べへへ、手が早いところは、ドフィに似てるのかもしれないんねー!』
    『?』
     屋敷に通うようになって数日たった頃、廊下の途中で偶然顔を合わせた最高幹部の二人の呆れ混じりにからかわれて、始めは意味が分からなかった。けれど、大の大人二人が子供みたいに意地悪く笑う姿に、何となく嫌な予感を感じ取る。
    おれに対してもコラソンに対しても、感じが悪い。
    だから『ブラインドってどういうことだよ!?』と問い詰めたら『お前はコラソンの“雌”ってことだよ』と衝撃的な言葉が返されたのだ。あの時の驚きとやり切れなさは、ちょっとのことじゃ忘れられそうにない。
     ブラインドの意味を知って以来、ずっと拒否している。同意もなしにコラソンに庇護されるのは納得がいかない。本人にも何度も抗議しているにも係わらず、コラソンはちっともおれの言い分を認めようとはしない。
    (おれはあいつに守られたいわけじゃねェ……!)
     むかむかする思いを抱えながら、おれの教育係であるコラソンの兄にクレームを入れる。
    「ドフラミンゴからもコラソンに言ってくれよ。おれに許可なくブラインドはやめろって」
    「フッフ、ロシーが強引だったのは認めるが、ブラインドは必要な措置だろう?」
    「はァ……?」
    「お前の魂現、おれからすればまだまだ丸見えだぞ?」
    「っ!」
     口角を吊り上げながらこちらを見るドフラミンゴからの視線を逃れたくて、顔を逸らす。自分が目指すべきゴールは教わったのだが、碌な指導を受けられていないから殆ど成長できていなかった。
    (……くそっ)
     コラソンめ、と胸中で舌打ちする。魂現……なんて代物を突然突き付けられたって、覚醒してから日が浅いおれじゃ、あまり感覚がつかめていない。おれのどこが悪いのか、何を意識すれば良いのか教えてほしいのに、コラソンは殆どおれと会話してくれなかった。
     ドフラミンゴが引き取って、今は屋敷の居候扱いだというベビー5やバッファローの方が有益な情報をくれたくらいだ。
     二人は同年代の子どもが増えたのが嬉しいのか、屋敷で行き会うとよく話しかけてきた。
     ベビー5は軽種の猫又で、魂現のマナーを知らなかった時におれが彼女の魂現をのぞき見しまっても、あっさりと許してくれたお人好しだ。
    「ローも私と一緒の猫又なの? 仲間が増えて嬉しい」
     無邪気に喜んだベビー5はちょっと冷たくされただけでべそをかく泣き虫な癖して、おれに何くれと話しかけてくるのをやめようとはしない。猫又らしく耳がよく気配に聡い、と言っていたのはセニョール・ピンクだ。
    (ついでにおれは、「ローもあの子と同じ特性で、ベビー5と違うのは目の良さだな。見えないものもよく見えているようだ」と自分ではあまり実感がない評価を受けた)
     セニョールからの言葉通りベビー5はおれのことを見つけるのが上手く、会話をするのは多い方だった。
    「ロー! 魂現のコントロール、出来るようになった? あ、でも私からもまだローのユキヒョウが見えちゃってる……」
     悲し気に言うベビー5に気紛れが湧いて「……魂現のコントロールってどうすれば良いのか教えろよ」と言えば「えっ、もしかして私、頼られてる!? 任せて! 教えてあげるから」と嬉しそうな表情を見せた。
    「自分の中にある、魂を感じるの! それで、えっとね。もっと深いところに、こう……ぎゅーって感じて押し込めて」
    「はァ?」
    「だから、自分の魂現をね……!」
     一生懸命に何かを伝えようとしてくれているのは分かる。だが、言葉が感覚的過ぎて分からない。実際、こういうのは頭で理解するよりも身体で覚えた方が良いのだろう。でも、とっかかりすら掴めないものにどうやって挑戦すれば良いのか。
    「……わかんねェ」
     擬音が多用された説明はほとんど意味が分からなかったけど、親身になろうとしてくれる気持ちは伝わった。おれのこと、ほったらかしにするコラソンより数百倍マシだ。
    「ま、不出来な弟のフォローをするのも兄の役目だな。ロー、お前の現状を見せてみろ」
    「あァ」
     おれの前から姿を晦ませてしまったコラソンに変わり、今日は時間の余裕があるらしいドフラミンゴに簡単に魂現のコントロールをチェックしてもらう。
    「まだまだ甘いな」
     とは言われたものの「とっかかりは掴めてるみてェだから、もう少し自分の中身を知れ」というアドバイスを受けた。どうも具体的な指示ではないのが不満だが、ドフラミンゴは敢えて曖昧な言葉選びをしているらしい。
    「お前の魂現に関するセンスを知りてェんだ」
     ローの実力を見極めたい。
    そんなことを口元を歪めるような笑みで言われると、懇切丁寧に教えてほしいと食い下がるのも癪だった。
    ドフラミンゴの指導が一段落したタイミングで、少し前から抱えていた疑問をぶつける。
    「なァ、コラソンって、どうしておれのことを嫌ってるんだ」
    「ん?」
     おれの問いにドフラミンゴは珍しく呆けたような顔をしたが、おれからすると当然の疑問だった。
     コラソンから最低限の斑類の世界や仕組みを聞かされたが、その話の最中も合わない視線にイライラした。終始義務的な態度で接する男をおれは好ましいとは思えないし、おれ自身がキライだから、あいつのおれに対する態度も素っ気ないのだろう。
    (そもそも、斑類って種族自体も窮屈で面倒だよな)
     合わない視線のまま一方的にコラソンに説明された内容を思い返す。
     曰く、
    「おれたち斑類は普段、自分の魂現を隠している」
     というのが大前提らしかった。
    「力の強いものであればあるほど魂現をコントロールする。周囲から気取られないように隠すもんだし、そもそも他人の魂現を盗み見ることもタブーだ」
    「今のお前は魂現が曝け出されている無防備な状態で、先祖返りっていう素地も考えると、危険な立場にある」
     だから、魂現のコントロールを覚えろ。最終的には最高幹部たちのプレッシャーの前でも魂現を出さないようにしろ。
     一方的に言い捨てて、その癖目標達成のための力は貸してくれない。学ぶことは決して嫌いじゃないはずなのに、相手の態度のせいで進捗が悪いのはこんなにもストレスになるのだと初めて知った。
    「おれだって、あいつのこと好きじゃねェし」
     子どもっぽい愚痴が溢れてしまったところで「ロー」と、存外穏やかな声でドフラミンゴに呼ばれる。
    「ロシーはお前のことを嫌っていない。おれの弟は、お前みたいな境遇のやつを疎んだりはしねェ」
    「嘘だろ、それ」
     冷たい……とも違う。いっそ、分かりやすく敵意を向けられた方が良かった。その方が、コラソンという男の人間性を理解しやすかったから。
     まともに向き合ってもらえない、無関心という感情の痛みをおれが知ったのは、コラソンのせいだ。
     ドフラミンゴの台詞を「信じられない」と首を横にふれば、フッフッフと低い声で笑われた。
    「お前は頭が良いからなァ。その分、理性的に物事を判断しがちだ」
    「それの何が悪いんだよ」
    「悪くはないさ。ただ、頭でっかちの思考じゃ見えない面もあるってことだ」
    「……?」
     分からない。結局、おれの視野が狭いって言うんだろうか。
     何だかあまり納得がいかない会話だったけれど、もう少しおれは、コラソンについて知った方が良いらしい、ということだけ伝わった。


    「ロー」
    「何だよ、コラソン」
     何か用かよ? と、この指導役を相手にするとどうしても声が尖ってしまう。好悪を明け透けに表すのは子供っぽいこと言動であることは自覚している。だが、コラソンへの好感度が上がるわけもなく、むしろ日が経つにつれ険悪化していく。
    (最も、こいつはおれからどう思われようが気にしてねェんだろうけど……)
    おれの態度をコラソンが気にした風もなく「こっちに」と呼ばれる。
    「セニョール・ピンクがベビーとバッファローに斑類の生殖の話をするっていうから、お前も聞いておけ」
    「……分かった」
     人任せにするんだな、というわずかな反発が湧いたが、おれだってコラソンと二人きりでそんな際どい題材の話を聞きたいわけじゃない。コラソンが口にしたセニョール・ピンクに関しては、洒落たスーツを着こなす落ち着いた物腰の大人だと分かっている。
     コラソンに案内されて踏み入れた部屋には、既に3人が揃っていた。コラソンからセニョール・ピンクへ事前に話が通っていたらしく、目線で着席を促される。コラソンの方は部屋の後方に陣取って、一応はおれ達と一緒にセニョール・ピンクの講義を見届けるようだった。
    「ローも来たところで、始めるか」
    「はーい」
     セニョールの声にベビー5だけが元気よく返事をする。そして、自分以外の生徒の声が無かったことに気が付いて、おれ達の顔を見渡してから「もー!」と怒ったような声を出した。
    「ローもバッファローも、せっかく教えてくれるセニョールに失礼よ!」
     無反応だったおれ達を咎めるが、セニョール・ピンク自身は特に反応は求めていなかったようで、「ベビー、気にしなくて良い」とだけ告げて、本題に入る。
    「ローのおさらいも兼ねて、斑類の世界の話を振り返っておくか。ロー、おれ達斑類の基本は、階級社会であることは教わったか?」
    「……一応」
     斑類の中でも、魂現の強さでピラミッド型の身分さがあることは聞いた。頂点に立つのは重種で、その後に中間種や軽種と続くらしい。
    「おれは重種、あとドフラミンゴとコラソンも重種なんだろう……?」
     ファミリーで重種に属するのはこの3人だけだ。あと、トレーボルは“半”重種というやつで、この国だと重種とは明確に扱いが分けられているらしい。
     おれの返事に、セニョールが満足に頷く。
    「そうだ。重種の中でも若様やコラソンの種族である翼主はかなり特別な種族だし、先祖返りも希少性が高い」
     告げるセニョールの台詞が、どこか誇らしげに聞こえる。いつもニヒルな表情を浮かべている奴だけど、自分が属している組織への愛着みたいなものはあるらしい。
    (ドフラミンゴとコラソンは翼主……)
     ちら、と部屋の後方に陣取る男を盗み見る。足を組んで椅子に腰かけるコラソンからは覇気のようなものを感じないで、本当に強い魂現の持ち主なのか疑いたくなる。ただ、屋敷に来てから一度も、コラソンの魂現を見たことがないのも事実だった。
     他のやつらが言うには、おれは先祖返りと重種の合わせ技のおかげで、魂現を感じ取る能力に長けているらしい。実際、魂現のコントロールによって隠されているはずの姿を垣間見たことは何度かあった。
     だが、そんなおれでもドフラミンゴとコラソンの兄弟の魂現だけは、暴くことが出来ない。
    (コラソンは偶に影みたいなのが見えることもあるけど……)
     だけど、おれの目に映る影は犬や猫……蛇の姿をしていたりして、日によってばらばらだった。
    (魂現が翼主って聞いてたけど、嘘じゃねェか)
    初めてコラソンの魂を盗み見た時、あまりにも鳥とかけ離れた姿だったので、てっきり翼主というのはコラソンの虚言かと思った。
    「あいつの魂現、おかしくねェか?」
    それをファミリーの幹部達に告げたら、あれは【変え魂】と言う術で、他の種族になりきっていることを教えられた。
    「つーか、おい、ロー。あんまり勝手に他人の魂現をのぞき見するなって教えたろ?」
    「ローに盗み見られる隙があるロシナンテが悪いだろう」
    「で、ヴェルゴは相変わらずコラソンに当たりが強ェよ」
    ディアマンテはおれの行いを軽く咎め、ヴェルゴはこの場に居ない男のことを鼻で笑ってみせた。初めて会った時は何を考えているか分かりにくい印象を受けたヴェルゴは、どうやらドフラミンゴ第一主義で、その弟とは折り合いが悪いらしい。
    そんな辛辣な同僚に対して、ディアマンテは若干呆れたような顔をする。
    「コラソンはドフィの弟だろうが。あんまり小うるさいことを言ってやるなよ」
    「あいつがさっさと翼主を宿さないのが悪い。あれだけドフィに心配をかけて、不甲斐ないと思わないのか」
    「ガキのことは授かりもんだろー?」
    頭上で繰り広げられる会話を見上げていると、「しかしコラソンは、相変わらず屋敷の中でも変え魂を徹底しているんだな」と少し面白くなさそうな口調で感想を零す。
    「おれらの前ではちょっと気ィ抜いてもいいんじゃねェの?」
    「ロシナンテに魂現を隠せと指示したのはドフィだ。むしろ当然だと思うが?」
    「そりゃそうだが……にしても、ローの眼でもコラソンの本来の魂現は映らなかったか。重種の目も欺けるほどの変え魂は結構難しいんだけどな。まっ、あいつも腐ってもドフィの弟だな」
    「ドフィの弟なら、その程度は出来てくれないと困る」
     おれに変え魂のことを教えてくれたディアマンテもヴェルゴも、コラソンへの軽さが感じられた。ドフラミンゴのことは心酔しているようだが、弟に対しては忠誠心が幾分か下がるらしかった。
    「ほんとコラソンのやつ……、魂現の扱いはドフィ並みに器用でもブリーリングの結果だけがなァ」
    「……?」
     知らない単語が聞こえてきたが、そちらは説明してもらえなかった。同じ世界に住んでいるはずなのに、斑類の世界と言うのはどうにも分からない。正直、生まれ持った魂で序列が付けられるというのも、あまり好ましい話ではなかった。
     ぐ、とやり切れない感情を呑み込みながら、セニョール・ピンクの話に意識を戻す。
     この先も、馴染めるとは思えない世界だ。だけど、抜け出す方法もないのなら、知識は備えておくべきだろう。
    「斑類は魂現の強さに左右される。斑類の中で翼主以上の希少種は人魚だが……彼、もしくは彼女が表舞台に姿を現したことはないな。七武海にある席も、ずっと代理人を立てている」
    「じゃ、若様ってとっても偉い人なのね」
     純粋な声でベビー5が声を弾ませ、セニョール・ピンクも頷く。
    「そもそも、ドンキホーテ家が斑類の中でも古くから存在する名家だ。800年以上続く、翼主の名門。現在の当主は若が務めているが、彼ら兄弟の両親も翼主だった」
    (親がいるのか)
     当然と言えば当然だ。けれど、おれが招かれた時からずっと、この家にドンキホーテ姓を持つ人間は二人だけだった。多分、ドフラミンゴとコラソンの両親はすでに亡くなっている気がする。だが、ドフラミンゴたちの年齢から考えると、彼らの両親は存命していてもおかしくない歳のはずだ。だというのにすでにドフラミンゴが家を継いでいるということは、何か不幸な出来事があったのかもしれない。
     何となくきな臭さを感じつつ、セニョール・ピンクは『ドンキホーテ家』について、詳しい話をするつもりはないようだった。
    「斑類の中で、強い魂を持つものほど尊重される。だが、強ければ強いほど、生殖力が落ちるという問題も抱えている」
    「猿人より斑類の方が数が少ないのも、子供が生まれにくいからか?」
    「そうだ」
     重種が多く所属すればするだけ、地位が上がる。けれど、その分跡継ぎ問題に困らせられるのが、斑類達の尽きない悩みらしい。
     そう説明した後、
    「今日の講義の本題はここからだな……ロー」
    「なんだよ」
    「お前も今後、当事者になる可能性が高い。よく聞いておいてくれ」
     少しだけ、セニョール・ピンクの声に憐憫が混じる。おれに向けられるその声の調子がどことなく耳にざらついて、僅かに顔を顰めていた。
     おれの態度には特に触れず、セニョール・ピンクの話が続けられる。
    「さっきも言った通り、斑類は生殖能力が低い。その結果、猿人にはない色々な技術や仕組みを生み出した」
     そう言って「まず一つがブリーリングだ」と、前におれも聞きかじった単語を口にした。
    「ブリーリング」
     おうむ返しに繰り返した言葉に、淡々とした声で説明を加える。
    「斑類のビジネスだ。金を払って優れた雄、もしくは雌……要は重種や上位層の種をもらう。基本的には子どもが生まれるまでが、契約に含まれている。そして、相手が強い種であればあるほど、金額は跳ね上がる」
    「……はっ?」
     教えられた内容に、反射で吐き気がした。だってそれ、言葉を選ばなければ「種付け」だろう? 人なのに、本当に子どもを産むためだけに、そんな行為に手を染めるのか。
     金で繋がって、魂現だけで価値を判断するって、まるで血統書付きのペットを求めるようなインスタントさにドン引きする。
     衝撃に目を見開いたおれとは裏腹に、ベビー5もバッファローもケロッとした顔をしていた。
    「重種の人たちは大変よねぇ」
    「おれ、ただの中間種で良かっただすやん」
     口々に言い合う二人の声に愕然とする。雰囲気に呑まれて何も言えずにいると、気の毒そうな顔をしたセニョール・ピンクから「ローもおれ達の世界に慣れろ」と言われる。
    「斑類において、何より重要なのは子供を産むことだ。格式と歴史を備えた家柄であればある程、強い跡継ぎが望まれる」
     言って、おれの意識を揺さぶるような台詞を静かな声音で吐いていく。
    「性に関して、ほとんどタブーはないと言ってもいい。男ですら妊娠を可能とした世界だ。同性カップル、腹違い、重婚……今は遺伝的なデメリットが大きいことから流石にタブーになったが、近親婚だって平気で推奨されていた時代もある」
     それ位、重種の有力者たちは喉から手が出るほど次代の存在を望むらしい。
     斑類とは“そういう”ものだ。
     取り繕いもせずに吐き出された言葉はある意味、おれに対する誠意だったのかもしれない。だが、おれには嫌悪と忌避しか抱けなかった。
    (反吐が出る……!)
     思いながら、膝の上で握りこぶしを握る。視線も自然と下がり、歯を食いしばっていた。
     少し前からコラソンや、他のファミリーの幹部たちからも、漏れ聞いてはいた。今までのおれにとっての当たり前や常識が、斑類じゃ通用しない。
     仮に新しい世界を好ましいものと思えなくても、
    「お前はもう、先祖返りであり重種の猫又だ。何も知らなかった頃には戻れねェ。お前の家族は猿人だろうが、ローは斑類として生きていかなきゃならねェんだ」
     と、あっさり言い放たれた。
     分かっている。おれはもう、戻れない。何も知らずに生きていた自分には帰れないのだ。だからせめて、ラミだけは。おれの妹にはこんな狂った世界に足を踏み入れないでほしいと思う。
    (父様……母様……ラミ)
     縋るように心の中で家族の名を呼ぶ。彼らにはドフラミンゴが上手く説明したらしく、学校帰りにドフラミンゴの屋敷に通うことを咎められたことはない。両親はおれが勉学に関する援助を受けていると思っている。実際、間違いではない。
    (あァ、本当に、いやだ。こんなの)
     嫌悪で身体が折れ曲がりそうになる。おれの姿にセニョール・ピンクは「ロー?」と呼びかけてきたのを、首を横に振って答えた。
    「……続けてくれ」
     本音を言えば聞きたくない。けれど逃げたところでいつかは聞かなくちゃいけない話だ。だったらおれは、逃げたりしたい。
    「さっきから何度か言っているとおり、男でも妊娠は出来る。そして、男女に限らず上位種であればあるほど繁殖力が低くなる」
    「ローと比べたら、私やバッファローの方が子供はできやすいってこと?」
    「重種のローは、大変だすやん」
     ベビー5の無邪気な質問に、「いや」とセニョール・ピンクが首を振る。背後ではコラソンも僅かに緊張して見せた気がしたけれど、気のせいだろう。あの男がおれのことを気に掛けるわけがない。
    「斑類は子供が生まれにくい。この理屈から外れた存在が“先祖返り”と呼ばれる者たちだ」
    「えっ、どうして」
     驚くベビー5に「先祖返りは猿人としての性質も引き継いでるからだよ」と投げやりに返答する。この辺りは、ドフラミンゴと出会った日に遠回しに説明を受けていた。
    そして、おれの台詞にセニョール・ピンクが真剣な瞳をする。
    「さっきも言った通り、子づくりに関して斑類にはタブーも良識も存在しないと思え。この先、お前と子を成そうとする奴らも、お前を孕ませようとする存在も絶対に現れる」
    「斑類なら、男のおれでも妊娠できるからか? ただの斑類よりも、先祖返りの方が繁殖能力が高いって、そういう理由で狙わなくちゃならねェのか?」
    「そうだ」 
     肯定された内容に吐き気がする。どんだけおぞましいんだって、本気で思った。思わずおれが身体を強張らせたのはセニョール・ピンクなら気が付いたはず。もしかしたら、コラソンだって。だけど二人は特にフォローするつもりはないらしく、そのまま説明は続いていく。
    「斑類の男が妊娠する方法は大きく分けて2つ」
     おれ達を見渡しながら、サングラスの伊達男は言う。
    「一つは“懐蟲”という虫を体内に入れて、仮腹を作る方法。この手段だと1回につき1度の妊娠しか出来ない」
     そしてもう一つの方法が、
    「アンドロジーナスと呼ばれる存在は、後天的に男の体内に子宮を生成している者たちだ。長期の投薬によって、身体を根本から作り替えるんだ」
    「……!」
    「この方法であれば、後天的に子を宿す形質を獲得できる。“懐蟲”のように1回きりの使い捨てじゃなくて、継続的に妊娠が可能だ」
    「なんだよ、それ……」
     セニョール・ピンクからの説明に反射で嫌悪が宿った。
    (気持ち悪い)
     そんな途方もない手段を考える方もおかしいし、受け入れる側もどうかしてる。自分の身体がおかしくなることを、何で疑問に思わないんだろう?
     おれは嫌だ。そんなのが当たり前だって言われても、すぐに納得なんかできるわけがない。
     おれには懐蟲もアンドロジーナスも受け入れがたかった。それらの手段や存在を看過するやつも認めたくない。
    「…ち、わる……」
    「ロー?」
     おれの小さな声を拾ったベビー5が顔を覗き込んでくる。その表情はどこか気遣わし気で、余計に鬱陶しかった。
    (ベビー5もバッファローも、どうせ他人事なんだ)
     自分たちは中間種以下だから、関係ないと言っていた。話す声の調子はあまりにも軽くて、どうせこいつらにだって突然世界が変わったおれの悩みは分からない。
     男も妊娠できるって言われて、そういうやつらからおれが狙われる危険性もあるなんて、そんな話を簡単に呑み込めるはずないだろう。
     生まれて初めて感じる強い嫌悪と不快感が体の中を渦巻く。
    【斑類】なんて話を聞かされてから、気が狂うような話ばかりを聞かされている。
    頑張って受け止めようと思っていたけど、限界だ。 
    感情の堰が切れたように、本心を言葉にしていた。
    「アンドロジーナスなんて、気持ち悪いって言ったんだよ……!」
     聞かされた話の全てが醜いと思った。そういうやつらと同じ世界に身を置かなければならないことにも嫌気がする。そういう感情のまま吐き捨てた言葉に、背後から乱暴な音がした。
    「!?」
    「あっ、コラさん……!」
     突然大きな音を立てた男が、おれを一瞥して部屋を出て行く。何故かおれを見る瞳に混じりけない怒りが宿っていて、つい怯んだ。
    (なんで……)
     紅い瞳が、火を宿すみたいに強い光を帯びていた。いつもは無感情におれを見下ろすコラソンの視線に、あれほどの感情の色が乗っているのは初めてだ。
    (でも、意味が分かんねェよ……!)
    余程お怒りだったみたいだが、あいつにあんな眼差しを向けられる筋合いはない。言い訳のように唇を噛み締めると、「ロー」とそっと隣の少女の声がした。
    「何だよ」
    「あのね」
     大きな瞳を曇らせながら、ベビー5がおれに言う。
    「コラさんが、そうなの」
    「は? そうって?」
    「だから……」
     もどかしそうにした後、おれに耳打ちする。囁かれた台詞に、胃が無造作に鷲掴みにされた感触がする。
     ――コラさんはアンドロジーナスなの。もうずっと前から、色んな人とブリーリングしてる
    「……えっ」
     告げられた台詞に目を見開く。ついで、身体をドッと重くする罪悪感が心を覆った。
    (そんなの、だって、おれ、知らなかったし……!)
     知らなかった。
     コラソンことはずっと、ドフラミンゴの実弟で陰気な男だと思っていた。ぜんぜん視線が合わないし、おれとまともに会話してくれないし。纏う雰囲気も、兄とは似ても似つかない。その癖、当主の弟だからって特別扱いされているところが面白くなかった。
     コラソンに対して、おれはいつも反発していた。
     ……でも、だからと言ってあいつに何を言っても許されるなんて、そんなことを思っちゃいない。いないのに、さっきのおれは。
    『アンドロジーナスなんて、気持ち悪い』
     一度吐き出した言葉はどうしたって、取り戻すことが出来ない。
     あんな風に安易な言葉で人を傷付けてしまったのは初めてで、コラソンが去っていった部屋に取り残されて途方にくれた。
     あァ、だからおれは、こんな世界の人間になんかなりたくなかった。
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