浴衣と待ち合わせの話 お祭りのせいだろうか、街を行き交う人々の間には、浮ついた空気が流れている。
例に漏れず自分もその1人で、なんとなく足元に目を落としてみる。視界に映り込むのは下駄と浴衣の裾。それにキラキラと光るフットネイルは、自分の浮かれ具合を表しているみたいだった。
そう、私は今浴衣を着ている。しかも手塚には予告も匂わせもしていない。
中学最後の夏、私も手塚も部活と勉強に追われる慌ただしい日々を送っている。今日もお祭りデートといいながら、2人とも直前まで部活があった。だから"手塚も私が浴衣を着るとは予測できないのでは?"という算段があるのだ。
練習が終わると駄べりながら楽器を片付けるいつもと違って、今日はテキパキと仕事を追えた。いつも一緒に帰るメンバーにも「今日はごめん!」と半ば置き去りにしてしまったけど、なんとか着付けを間に合わせることが出来た。
────絶対に手塚を驚かせたい。
彼の突飛...というかストレートな物言いと行動にいつも翻弄されているから、今日くらいは私が手塚を驚かせてみたい。いつもと違う私を見て、手塚はどんな顔をするんだろう。
約束の時間よりも二十分ほど早く駅前に着いてしまった。まだ夕暮れの光が残るロータリーで、私は何度も前髪を気にして直してしまう。
手塚を驚かせてみたい、なんて好奇心から始まったけど、いざ約束の時間が近づくにつれて、変な緊張が走る。緊張で汗ばむ手をぎゅっと握り、またそっと開く。それを何度も繰り返し、なんとか自分をリラックスさせる。でもどうやっても胸の奥の鼓動はうるさいままだった。
身だしなみもきっと大丈夫...そう思って集合場所に足を進めた。人混みの中でもひときわ目を引く、上から糸を垂らしてピンと貼ったようなまっすぐな佇まい――手塚だ。
いつもと同じ落ち着いた表情で、腕時計を確認している。かっこよすぎる。
「てづか 」
緊張で少し喉が震える。彼の眼鏡のレンズ越しに、目線がバッチリ合った。ほんのわずかだが彼の瞳がいつもより大きく開かれた気がする。
「…浴衣か」
「うん!どうかな...?」
緊張を逃がすように、浴衣の袖をきゅっと握りしめて手塚を見上げる。相変わらず心臓がうるさい。
手塚はいつもと変わらない様子だった。なのに言葉を探しているように、じっと私を見つめてくる。時間が止まっているみたいだ。
「……よく似合っている」
少しぎこちなく告られた言葉でも、みるみる顔が赤くなるのが分かる。
「ほ、ほんと?」
「ああ。」
その短い肯定でさえも、心臓が跳ね上がる私は
もうダメなのかもしれない。
「髪型も、いつもより可愛らしいんだな。」
手塚は私の両サイドのお団子を不思議そうに覗いている。
「手塚もその服かわいいね、はじめてみた!」
お互いはにかみながら、ぽつぽつと会話を続ける。なんだこれ、バカップルじゃないか。
手塚が眼鏡のブリッチに手を伸ばして、そっと押し上げる。それはいつも彼が何かを仕切り直すときの仕草。
「……油断せずに行こう。」
誤魔化しなのかな?やり方がおもしろすぎる。
さっきまでじっと私を見つめていた目線が、照れ隠しみたいに泳いだのがかわいくて、私は思わず吹き出してしまった。
「ふふふっはーい!」
「……人混みは危険だからな。」
そう言って、手塚の手が私の手に触れる。
驚いて見上げると、彼はいつもと変わらず涼しい顔をしていて――でもぎゅっと握られた手から伝わる熱に、私は侵されてしまうのだ。