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    minominone11

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    minominone11

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    村上、一条、カイジの因縁話。一条地下脱出後の続き。

    #fkmt
    #村一
    villageI
    #開店
    opening

    あの激闘の夜を村上保は思い出していた。
    一条聖也が伊藤開司に失脚させられ、1050年地下行きとなった恐ろしい夜。

    村上は一条失脚と同時に主任の座から去った。そうせざるを得なかった。自分の居場所は一条の隣にいることだったから。
    「自分も…!自分も店長と一緒に地下に行きます!!」
    黒服に連行されていく背に向かって思わず村上の口から飛び出た言葉。一条は背を向けたまま、ふっと笑った。
    「馬鹿か…。お前は俺が地下から出た後のために、地上にいろ。……整えるんだ。また俺たちの人生を…。」
    “俺たち”。
    運命共同体のような響きに、村上は涙を流した。
    「…はいっ!てん……っ、一条さん…!!!」
    (必ず!必ず戻ってくると信じて待ちます!何年でも…!!)
    遠ざかっていく一条の背中を見ながら、村上は胸に熱く想いを焼き付けた。

    帝愛を出た村上の足は、既に行先をわかっているかのようにあのアパートへ向かっていた。
    さくらハウス。
    かつて上京してきた一条、村上がフリーター時代を過ごした思い出の場所。言わば、二人のスタート地点。
    まるですごろくで“振り出しに戻る”ように、村上はアパートの部屋を再契約した。
    静かな部屋だった。がらんとしていて、当時の青い思い出が染み付いていて。
    (…一条さん、綺麗好きだったな。)
    村上は家具ひとつない畳の上にごろんと寝転んだ。
    見飽きていた天井。布団に入ったものの、なかなか寝静まらない夜はしばらくこの天井を見つめていた。
    この天井は、夢見る若者だった一条と村上の未来、希望、または不安を映し出すスクリーンのようなものだった。
    俺もいつか…。ここを出て別の場所に…。
    当時の自分たちの心の声が聞こえてくるような気がする。
    (今は何も…映らない。)
    目を擦っても、今の村上には、そこはただの天井に見えた。
    ひぐらしの鳴く声が聞こえる。じんわりとした蒸し暑さに汗が滲む。
    (クーラー…つけなきゃ。)
    整えるんだ。環境を。…あの人が帰ってくる前に。
    「よし!!」
    村上は静寂を打ち消すように腹から声を出し、立ち上がった。
    きっと一条さんはここに帰ってくるのだから、と自らを奮い立たせながら。



    それから約半年が過ぎた頃。
    桜吹雪に包み込まれたさくらハウスの一室で、村上は微睡んでいた。
    村上…!村上…!
    (…一条さんが呼んでる。行かなきゃ…。)
    こんな夢を半年の間、見続けていた。一条の声に導かれ、必死に追いかけるがどこにも見つからない。
    (俺…、いつでも待ってますから…。)
    伸ばしかけた手を、腹の上にぽんと置く。
    一条が地下労働をしているとならば___日々の生計のためにも、自ら工事現場での作業等、肉体労働の仕事を選んだ村上。仕事の疲れが休日に一気に襲いかかる。
    辛くても、一条の方が辛いだろうと思うと、何を自分は弱音を吐いているのだと、頑張る気力が湧くのである。
    家具も、エアコンも、二人で愛用してたこたつも、埃を被っていたスイッチも、全て取り揃えた。
    村上はこの半年で、一条がいつでもこの部屋に帰って来られる状態に仕上げていた。

    カン…カン…カン…。

    さくらハウスの、階段を上る音が聞こえる。
    無論、他の住民の可能性の方が高い。だが村上はいつも一条の足音だと期待して耳を済ませるようになっていた。
    条件反射のように耳を済ませる村上。
    他の部屋に入っていく音で、いつも落胆するのはわかりきったことなのだが。
    (あれ…?)
    この日は違った。
    足音がこの部屋に近付いてくる。村上の胸がざわついた。
    鍵は開けてある。いつか一条がきっと村上がいると信じて、開けるだろうから。
    カン、カン…。ピタッと足音が止んだ。
    村上は体を起こし、息を飲んでドアを見つめる。

    ガチャリ。


    差込む春の日差しと、人影。

    「一条…さん…?」


    一呼吸置いて、相手は答えた。
    「ただいま。……村上。」



    ***


    「一条さぁぁぁああん。」
    「うわっ、おい!やめろ暑苦しい!」
    村上にぎゅうぎゅうと抱きつかれ、一条は顔を歪める。そんな一条よりも顔を歪めて涙をぼろぼろ流す村上。
    一生会えない可能性だって、考えなかった訳じゃない。戻ってこない可能性…即ち、再起不能の可能性だって嫌でも脳裏にチラついた。
    思い出のスタート地点で、自分だけ思い出を抱えたまま沈みゆく未来だって。
    でも一条が帰ってきてくれた。その事実が村上の全てを救ったのだ。
    「大変だったでしょう…!大変だったでしょう…!一条さん…!」
    抱きしめる腕に力が入る。
    勢いに呆気にとられた一条は、ぼろぼろ泣く村上をただ見上げた。
    前より日に焼けて、何故か前より体つきが逞しくなっている懐かしい後輩。
    「村上。」
    「信じてました…!ずっと…!戻ってくるって…!」
    ぽたりと頬に村上の涙が落ちる。
    「…村上…。」
    いつだってそうだった。この村上という男はいとも簡単に、まっすぐに想いを伝える。それは一条自身が苦手なことだった。
    (変わってないな…村上。少しも。)
    一条は、村上の服をぎゅっと握った。
    「俺もだ…俺も…信じていた…村上…。」
    蚊の鳴くような声で呟く。しかし、村上の耳には届いていた。
    「一条さん…!」
    まるで家族か、恋人同士のように身を寄せ合い、再会を噛み締める二人。やっと二人揃ってスタート地点に立った。
    ここからが本当の始まりなのだと、言葉にせずとも二人は時を同じくして感じていた。


    「…で?お前何でそんなにごつくなってるんだ。」
    懐かしの六畳一間に腰を下ろし、お茶を飲んで一息ついた一条は呟いた。
    「そこからっすか…!いや、別にいいんすけど…。」
    村上は戸惑いつつ、内心何と返そうかと思った。地下労働をする一条の姿を思いながら働くことを目的に、同じ肉体労働をしていたから、とはなかなか気恥ずかしくて口にしにくい。
    「いやぁー、あの、今工事現場で働いてて…。」
    「工事現場?」
    一条は片眉を上げた。どきりと村上の胸が鳴る。
    感の鋭い一条だから、少ない情報だけで自分の意図など容易く見抜くかもしれない。
    「ほら、俺、運動しなきゃなと思ったんすよ…!金を稼ぐだけじゃなくて、もっとこう、フィジカル的に強くなりたくて…!」
    わたわたと慌てるような身振り手振りで村上は付け加える。
    「ふうん…そうか。」
    興味があるのか無いのか、一条はそう言って茶を啜った。コト、と湯呑みを置き、そしてふふんと笑った。
    「もうパン屋って柄でもないしな…お前。顔つきが完全に“帝愛の顔”だ。」
    長い睫毛の下で、一条の三白眼が野良猫の瞳のように光る。
    「う、…そうすか。自分ではあまりわからなくて…。もうパン屋難しいっすかね…。はは…。」
    ホッとしたように村上は茶を飲んだ。良かった、恥ずかしい動機はばれてなさそうだ、と。
    「い、一条さんは…どう過ごされていたんですか?というか、どうやって地上に出てこられたんですか?」
    村上の質問に一条はふうっ…、とため息をついた。
    「あっ、す、すみません。辛いことを話させてしまって。」
    一条は慌て始めた村上を手で制した。
    「いや、いい。村上…問題ない。」
    そう言うと、一条は低い声でぽつりぽつりと語り始めた。
    「…確かに屈辱的で、虫けらのような人間達に囲まれて、ゴミみたいな環境で労働生活をするのは辛かった。立ち込める粉塵、貧しい食事、当然のように無いプライバシー…。もう二度とあそこには戻りたくない。」
    固く握り込まれた震える拳が、その壮絶さを物語る。
    「あいつらはクズだ…。しかも脳内が退屈しきったゴミクズ…!失脚させられた俺は丁度いいイロモノ扱いだ。噂、噂、噂…。どこに行ってもヒソヒソヒソヒソと俺の境遇を噂してやがった…。」
    腹の底から込み上げるような怒りが語気を荒立たせる。ダンッと一条は拳を机に叩きつけた。
    「……中には、俺に同情するお人好しもいたが、それが余計に惨めだった…!!するな…!同情など!何も積み上げてこなかった人間にそんな権利は無い…!……だが、だが俺はそんな人間と同じ地位にいた。…そんな自分が一番許せなかった。ハッ、後悔したさ…。あの男…、伊藤開司!あいつに乗せられて喧嘩を買ったことを…!!」
    一条の見開かれた目には血管が目立ち、下唇は切れてしまうのではないかという程噛み締められていた。
    「一条さん…。」
    メラメラと炎が立ち上りそうな一条。村上はぐっと拳を握った。
    「カイジ…。あいつを元の地位である下賎に落とし込むまで俺は日の目を見られない…。今頃あの7億で悠々と暮らしているのだろう…クソッ!!クズのくせに…!!クズのくせにクズのくせにッ!!」
    うわーーっと頭を抱えて一条は机に突っ伏した。
    付き合いの長い村上はわかった。半年間、ずっとこんな風に発作を起こしていたのだろうと。
    致命的に焼き付いてしまったのだ。一条の頭の中に伊藤開司という男が。
    (あの野郎………。)
    怒りが伝播する。自分達を栄光の道から転がり落としたあの男。そして一条をこんな風にした男。そう思うと、ぐつぐつと煮え滾るものがあった。
    「許せません…!俺も…!!」
    思わず村上は一条の手を取った。
    「手伝います…。支えます。あなたのことを、もう一度…!支えさせてください!!」
    一条は怒りの涙に濡れた顔で、村上を見上げた。
    「村、上…。」
    「そして、あの野郎をもう一度地獄に落としましょう!然るべき場所へ!!」
    厚く、熱のある両手が一条の手を包み込む。
    その瞬間、一条は自分がどれだけこの手に飢えていたか知った。
    傍にいるのが当たり前だったこの村上。帝愛に入るときも、自分はこの男の支えを必要として「ついてきてくれ」と言ったのだ。
    一条はぐっと村上の手を握った。
    「ああ…。もう一度だ…。全てやり直すぞ村上…!!」


    熱く誓いを分かち合った後、夕飯の材料が無いという現実的な問題に引き戻され、二人はとりあえずスーパーに出掛けた。
    「えぇ!?黒崎様が…!」
    帰り道、パンパンのビニール袋を持ちながら村上は驚いた。
    「そう…端的に言えば、俺は黒崎様に救われた。地下から出してくださったんだ…。」
    黒崎義裕。兵頭会長に次ぐ地位のこの男、地下に落ちた一条を見捨ててはいなかった。

    “半年はお前へ灸を据える意味でも、敢えて放置した。私が重視したのは、お前が地下に落ちる覚悟があったかどうか。お前はまだ若い。少しの慢心が足を救うことをこれでよくわかったろう。
    会長の興味は長くは続かない。特に地下に落ちた者の行く末など、興味は無い。故に今、お前を解放しても問題は無い筈だ。残りの借金に関しては私が特別にどうにかしてやる。これはお前への投資だ。
    外の世界に出て、勉強し直してこい。”

    わざわざ黒崎は、地下に直接足を運び、一条へそう言い渡したのだった。
    「俺は…、必ず、兵頭会長の失脚後、黒崎様の元へ戻ってみせると誓った。恩を…返したい。」
    一条にとって正に蜘蛛の糸となった黒崎。いくら頭を下げても足りなかった。
    「地下から出たのは…俺の実力じゃない。今度帝愛に戻る時は、誰かの力ではなく、自分の力で戻りたい…。」
    一条は手のひらを見つめながら言った。今度こそ本当の栄光を掴むための手。もう二度と失敗はしない…!
    「一条さんは…、いや、店長は凄いですよ。あんな難攻不落な沼を考案するなんて、他の者にはできませんでした。黒崎様から特別に寵愛を受けたのは、実力があったからこそ…!だからこそ、今こうやって地上に出られたんじゃないですか?」
    村上は微笑みながら言った。純度満点の尊敬の眼差しが一条に注がれる。対して一条は「あぁ〜?」と顔を歪ませた。
    「相変わらずおめでたい奴だな…。難攻不落だぁ…?完全に攻略されただろうが…!バカ…!」
    「いやいやいや、あれだけイカサマを凝らさないと攻略できないなんて奇想天外…!唯一無二の最強の台だったんですよ!」
    「なぁにが最強だ…、奇想天外なのはお前のめでたい頭の方だアホタレ…!」
    がやがやと二人は言い合いをしながらも、通い慣れたアパートへの道を歩いた。胸のどこかに郷愁に浸るような感覚があった。
    「今日はカレーですよ。」などという村上の平和な言葉も。
    「もも太の墓、いつか見に行きます?」などという切ない誘いも。
    「ジョイクルーにも行こう。」「ああ、俺行ったッすけど知ってる人誰もいませんでした。」という時の流れを実感するやり取りも。

    「どれもこれも全部、夢から醒めたみたいだ。」

    「夢?」
    一条のぼやきに村上は首を傾げる。
    「ああ。とびっきりの悪夢から醒めた…みたいな。いや、何でもない。」
    一条はアパートの鍵を村上から受け取り、鍵穴に挿した。そして村上に聞こえないぐらいの音量で呟く。
    「まぁ…かといって、安心できないところが現実だよな。」
    ガチャリとドアを開け、二人揃えて口を開いた。
    「ただいま。」


    「クソッ…!この俺を落とすなんて見る目のない店長が…!俺はあのオッサンよりも死ぬほど若いのに店長の座についた男だぞ?」
    一条は「不採用」の文字を見ながら憤っていた。
    兎にも角にもまずは生活費を稼がねばならない。一条は複数のバイトに応募し、履歴書を書きまくり、面接に行き、という生活をひたすら送っていた。村上は「地下で大変だったんだからしばらく休んでいいのに」と言ったが、村上の脛を齧る生活は一条のプライドが許さなかった。
    帝愛でカジノの店長をしていたという異色の経歴は、プラスと捉えられるよりも警戒、敬遠される傾向にあった。
    「え?君、え?何?カジノ?裏社会系の人??」
    「ちょっと見たことない職歴だねー。うん。すごいねー。ほっほー。」
    「帝愛ってぶっちゃけどうなの?危険なとこって聞くけど。」


    「くそっうるせぇえ!!どいつもこいつも色眼鏡で見やがって…!!」
    「一条さん、飲み過ぎっす…。」
    発泡酒を浴びるように飲む一条を村上が心配そうに見守る。
    「どうせ俺より実力のある奴なんてあの中にはいねぇんだ…。っふふ、あいつらに裏カジノなんて経営させたら、一発で経営破綻…!地下行きだろうが…っ。」
    ククク…カカカ…と笑い始めた一条。村上はこっそりと残りの酒を回収することにした。
    店長時代もこうやって荒れることはあった。特に会長の虐めに耐えた後は。
    あまり酒に強くないのに、大皿に入ったワインを一気飲みさせられた夜。開放された一条を保護し、トイレで吐きまくる彼の背中をさすったことを村上は思い出した。
    危なっかしいのだ。ストレスと酒に蹂躙されている一条は。
    「水、飲んでください。」
    ミネラルウォーターを差し出すと、一条はギロッと村上を睨んだ。
    「要らん。それより酒はどこにいった。」
    「もうありません。これ以上は飲まないでください。」
    いつしか一条に命じられた諫議大夫になったつもりで、村上はぴしゃりと言った。
    (これしきのことで荒れてどうするんっすか。あなたは帝愛の理不尽さも、地下も乗越えてきた人じゃないですか。)
    言葉にはしないが、熱い思いが村上にはあった。
    その思いが表情に現れていたのか、一条は何かを感じとったように眉を上げた。
    じーっと村上の顔を見つめた後に「…ちっ。」と舌打ちをし、差し出されたミネラルウォーターを奪い取った。

    村上は唯一、そんな一条のことで気に入らない点があった。
    それは夜中。入眠して数時間が経ち、夢を見始めるであろう時間。
    うーん、とうなされている一条の声で村上は目が覚める。怒り、苦しみの混じった声だった。
    (一条さん…。)
    心配だが、どうすることもできない状況に村上がやきもきしていると、そのとき一条は言葉を発した。
    「…ジ。……カイ、ジ。」
    カイジ。確かに一条の口から発せられたその名前に、村上は衝撃を受けた。
    (伊藤開司…!)
    脳裏に嫌でも浮かぶのは、あの野良犬のような顔つきの男。一条を煽り、食ってかかり、そのくせ最後には激励するような言葉を投げかけた。
    その次の晩も、その次も、一条は毎晩のようにカイジの名を口にした。
    共に倒そうと誓い合った宿敵ではある。だが、一条がうわ言のように奴の名を呼ぶと村上の心の中にざわめきが起きる。
    まるで一条の精神が丸ごと支配されているようで、おかしい。執着するのはわかるが、もうカイジのことしか見えていないような、盲目的に突き進んでいるような危うさ。
    (…駄目ですよ。一条さん。)
    夜の暗闇の中、村上は耳を覆った。


    「じゃあ、行ってくる。」
    「頑張ってください!」
    気持ちの良い初夏の朝、仕事が休みの村上に一条は見送られ、面接会場へ足を向けた。
    (暑いな…。)
    さくらハウスの前に咲いていた桜は、新緑を終えて夏の青々しい葉に変わっていた。
    自転車に乗り、スマホでルート検索をして出発する。見上げると、雲ひとつない青空だった。 そよそよと初夏の風が髪をなびかせ、頬を撫でていく。
    久々に気持ちの良い気分を一条は味わった。

    (……。と思ってたのに。)

    面接終了直後に降り始めた雨はザーーーーッと強い音を立てて一条の足を阻ませていた。
    もう舌打ちする気力もない。面接ではまた嫌な好奇心を向けられて最低な気分にさせられた。
    おまけに自転車がパンクした。
    (っふ…。もう逆に面白くなってきたじゃねぇか。)
    精神が限界を迎えた時にしている、いつもの手拍子をしたくなってきたが、取り敢えずコンビニで雨具を買おうと気持ちを切り替えた。
    自転車を押すため、両手が塞がらないレインコートが欲しかったが、生憎店にはビニール傘しか置いておらず、心の中でしっかりと手拍子しつつ、一条は傘を購入した。
    (クソッ…なんて日だ。)
    無意識に○峠になってしまう日ってあるよな……と心の中でぼやきながら、びしょ濡れの自転車を押し、コンビニを出発した。
    「痛っ。」
    ガッと、ペダルが脛に当たって思わず声を上げる。
    (ええい死ね死ね。こんなオンボロ自転車死んじまえ。)
    「おーい。」
    (って。俺は馬鹿か。自転車に死ねはねーだろ。)
    「おーい!」
    はっとそこで気づいた。近付いてくる男の声。
    自分に発せられているような気がして、一条は振り向いた。
    この土砂降りの中、びちゃびちゃとこっちに走ってくる男がいる。
    薄暗い景色の中で、一条は目を凝らした。
    (誰だ……?俺に声を掛けてくる奴なんて……。)

    「一条……!お前一条じゃねぇか!?」


    息が止まった。

    その男はやたら馴れ馴れしく、やたら嬉しそうに手を振って一条に近付いてくる。
    長い黒髪に、軍手、長身の男_____。


    「カ……イ、ジ。」

    一条は喉の奥から絞り出すように、その名を口にした。
    この半年余り、一条の脳の奥底にこびりつき、永遠に炎が上がっていたこの男。

    「やっぱり一条じゃねぇか!」
    そう言いながら一条の肩をがしっと掴み、目をキラキラとさせながら笑いかけるカイジ。
    「お前、もう地下から出てきたんだな!!やっぱりすげぇ男だお前!」
    青筋を立てて目を見開いてる一条の表情を一切気にせず、友達かのようにあっはっはと笑っている。
    (何だこいつ……。)
    あの死闘を繰り広げたときの、ギラギラとした野犬の表情では無い。これではまるで懐いた犬がキャンキャンとしっぽを振るような表情。その差に、一条は思考停止し、吐き気を催していた。
    一条の思い描いていた本当の再会といえば_____。

    “久しぶりだなカイジくん……!覚えているだろう?俺の事を。”
    “いっ、一条……!なんでお前がここに……!まさか、罠か!?”
    “ふっはっは、罠とも知らず間抜けなことだ。さぁ、決着をつけようカイジくん。きみに破滅をあげよう。”
    “やめろっ、一条!許してくれ!俺が間違ってた!お前を敵に回すなんて、俺が間違ってた!!”
    “ははははは、もう遅い……!遅過ぎる!!!死ね!!伊藤開司!!”


    _______みたいな感じだったのに(場面設定は一条の妄想ゆえ色々と変わる)。


    「お前、今暇か?少し話そうぜ。」
    「あ?」
    間抜けすぎるほど平凡な呼び掛けに、一条は顔を歪ませた。カイジはその反応も意に介さず話し続ける。
    「あっちに安くて美味い喫茶店があんだよ。今蒸し暑いし、かき氷とか売ってんじゃねえかな。というか……そのチャリ、乗らねえってことはどこか悪いのか?ちょうどその喫茶店の横にやったら優しいおっちゃんがいる修理屋があったはず____。」
    「おいッッ!!!!」
    一条の中で感情が急激に爆発した。もう頭の中は状況に全く追いついていない。体全体が怒りで震えてくる。
    カイジはそんな一条を見て面食らったような顔をした。
    「ど、どうしたよ一条。」
    「どうもこうもないッ……!!なんで俺とお前が一緒に喫茶店に行くんだッ、あぁ?!馬鹿かお前はッ!!誰のせいでこんな雨の中チャリを押して帰らなきゃいけないと思ってる!!!元はと言えば全部てめぇのせいなんだよ!!!!」
    「お、俺のせい…?!」
    「そうだ!!誰のせいで地下に送られたと思ってんだ……!あそこから全てが狂ったんだよ……俺の人生全てがな!!
    ……お前は敵だ!!死ぬまでずっっっと敵なんだよ!!」

    言い争い(と言っても、一条の一方的な喚きだが)に人目が集まってきた。殴り合いにでもなるかと聴衆はざわついている。
    一条は肩を上下し、荒い息を立てながらカイジを睨み続ける。
    「一条、落ち着けよ。」
    「落ち着けるか……!!俺はずっと、ずっと地下にいる頃からお前の首をとることだけを考えて……!身の程知らずをどうやって地に送り返せるか考えてたんだ!!」
    なのに何だ、この間の抜けた再会は……!!

    溢れ出て止まらない怒り。涙さえ出てきそうで、一条は必死に堪えた。
    「……お前のせいだ。」
    絞り出すような声で呟く。「全部、お前の……。」
    喉の奥に熱いものが込み上げてきて、言葉を詰まらせた。
    駄目だ。これ以上喋ったら泣いてしまう。それは屈辱以外の何でもない。
    傘を握る手にぐっと力を入れて一条は耐えた。
    「一条……。」
    カイジは困ったように声掛ける。
    「取り敢えず、どっか行こうぜ。とにかく話したいことが……。」
    と、カイジが一条の肩に手を置こうとした。
    (……!)
    「触るなっ!!」
    バシッと一条がカイジの手を払い除ける。
    「お前と話すことなんて何も無えんだよ!!消えろ!とっとと俺の前から消えろ!!」
    激昂する一条。もう自分がどんな表情をしているかもわからないくらい頭にきていた。
    なんだなんだ?と一条の怒号に寄ってくる聴衆。
    (クソッ……。)
    一条はカイジに背を向けた。もう会うことは無い。
    全部無かったことにするんだ。今日会ったことも。今日会ったのはカイジ本人ではない。亡霊だ。自分が作り出した亡霊……。
    一条はそう考えながら自転車を押し、足早にその場を去っていく。

    「逃げんのかよ。一条。」

    背後から野次が飛んだ。
    (…………あ?)
    思わず振り向くと、さっきとは打って変わって真顔でこちらを見ている男がいた。

    「そうやって一生過ごすのか。……お前、地下に落ちて何を学んだよ。」
    好戦的な態度に変わったカイジ。言いながら、一歩ずつ一条の方へ近付いてくる。
    一条は金縛りにあったように動けずにいた。

    「……地下に落ちたのは誰のせいってか…。」

    ピタッと一条の目の前で立ち止まり、徐にカイジが口を開く。声は低いが、口元は少し笑っている。
    「違うな。一条。」

    一条はぐっと息を飲んだ。唇が震える。
    「な、にが、違う。」

    「そりゃ、自分のせい、の間違いだろ。」

    カイジは熱の無い目で言い放った。
    もうさっきの懐くような目ではなかった。
    雨は強く振り続けているが、一条にはもうカイジの声以外聞こえなかった。

    「あの時、俺とお前は互いに自分の矛と盾でやり合った……命をかけて。さしずめ、俺が矛でお前の盾を破ろうとしたってとこか。
    最初お前には絶対的自信があり、俺を見くびった訳だ。即ちその驕りや油断……勝てない勝負はしないという英断もあった中で、お前は俺との勝負を引き受けた。お前よりもずっと経験値の高く会長の側近だった利根川を敗った男だって、お前当然知ってただろ?
    その時点で、お前はもう負けていたんだ。
    俺に勝負を煽られ、俺という人間を見くびった時点で!
    俺らは真剣勝負をしたんだ。それを相手のせいで負けただのなんだのと……!お門違いってもんだろ!」

    カイジはぐっ、と一条の胸倉を掴んだ。

    「目を覚ませよ一条。お前の敵は俺じゃねぇだろ!!
    お前だ!その驕り高ぶったお前自身がお前の敵なんだよ!!」

    (…………!!)

    思わず放したビニール傘が地面に落ち、雨粒が頬にあたった。

    カイジの真っ直ぐな瞳が一条の瞳を射抜くように捉える。真実をそこに叩きつけるように。

    “カイジくんは一条、君を遥かに凌駕する。”
    いつかの黒崎の言葉を、一条は今までもずっと否定し続けてきた。
    負ける訳が無い、誰があんな下賎に。
    でも、負けた。俺は、負けた……?
    (ふざけるな……!!)
    地下で固い土をシャベルで掘りながら、次第にその思いはカイジへの怨念に変わっていった。
    ___だが下賎に負け、下賎と同じ身分に落ちた俺は一体何なんだ?
    本質的で冷静な声も一条には聞こえていた。だが普段は苛立ちをカイジに向けることで、一条は自分を守ろうとしていた。
    己の精神の脆弱さに向き合うのが嫌だったのかもしれない。
    今までも、思えば他人への憎しみや蔑みを糧に進んできた。負けてない、俺は負けてないんだと言い聞かせながら。
    それはつまり、尊大な自己愛、驕りのクッションを育てていただけで、余計にその内側は弱くなっていく。そのクッションは破けやすく、すぐに弱い自分が剥き出しになる。
    煽られれば、普段大切にしている論理や冷静さが吹き飛ぶ。
    蔑まれれば、己の実力を自分で疑い始めてしまい、足元が危うくなる。
    そんな器の小さい自分を直視せず、全てを他人への怒りに変換していた。
    (だが俺は…俺は。)
    「…なあ、でも一条。」とカイジが呟いた。

    「お前は怒りや負のエネルギーでこそ動く悪党だと思った。……だからこそ俺はあのときああ言ったんだ。」

    カイジの言葉に、虚ろになりかけていた一条の目に色が走った。

    「“這い上がってこい。俺を倒してみろ。”って」

    カイジを倒すために、一条は必ず這い上がってくる。
    それは一条の性質を見抜いたカイジなりの呪いのような、いや、復活する魔法の言葉のようなものだったのだ。
    「……っく。」
    (いやだ…認めたくない……認めたくない……!)
    ギリッと一条は歯を食いしばった。
    それではまるで、自分よりもカイジの方が一枚も二枚も上手みたいじゃないか。人をコントロールするのが得意なのは、俺の方だ。それに、これじゃまるで、
    カイジの掌で踊っていたのは俺ってことに…?

    カイジはふっと表情を和らげ、一条の服を放した。
    「……ってことだ。びしょ濡れだし、人が多いし、移動しようぜ。」

    気付くと髪も濡れそぼって雫が垂れているし、周りにはギャラリーがいるしで、一条はようやくハッとした。
    「一条。」
    カイジが声掛ける。

    「濡れちまったのは、俺のせいだから。着いてこいよ。」

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