ギックリ腰 黒識本丸では、廊下や縁側に黒虎がヘソ天で転がっている。
白いたてがみのある黒虎で、細い線のような白い縞も体幹にあるおかしな毛並み。
目は光のあたり方で金にも濃い赤にも見える。
この虎が黒識本丸のもうひとりの審神者である黒獣。
虎の姿は後天的なものだが、思考も獣に近かった。
もっと暑い日だと中庭の池に浸かっている。
歌仙が見たら怒るのは確定だが、残念ながらこの本丸にはいない。
廃棄予定の古い本丸が異世界に流れ着いて、そこの現地住民が審神者になったこの本丸はイレギュラー要素が多すぎた。
審神者複数で運営されるだけではなく、訳ありの一文字が複数いる、と知って一文字則宗は配属先をここと指定した。
選んだ結果に則宗は満足している。
特に主が気に入った。
再会した同僚の同位体に疲れると主を吸う、と言うとドン引きされるが気にしない。
虎の姿の主を見ると納得はされるが。
「暑いだろう、もっと涼しいところがある、おいで」
声だけではなく手招きまでして呼ぶが、転がったまま。
暑いのは慣れてはいるが、立ち上がるのも億劫らしい。
「運んで行こうか」
尻尾で縁側を叩いたのが、任せた、の合図。
屈んだ則宗が黒獣の両後脚を掴み、持ちあげる。
黒獣は無抵抗。
完全に立ってしまった方が運びやすいのだが、中腰のままだと引きずられているのにぼーっとしている黒獣の顔がいつもよりかわいく見えて、ついつい中腰のままずるずると引きずってしまった。
角を曲がるときに、邪魔にならないように小さく身を屈めてくれた黒獣がかわいくて、いいものを見たなぁと上機嫌な時だった。
ピキっという音が聞こえた気がした。
黒獣が耳を立てたので、黒獣にも聞こえていたらしい。
あ、これはひょっとして、と思う間もなく腰に痛み。
動かなくなった則宗を見て、察したらしい黒獣。
尻尾で軽く則宗の手に触れ、離せ、と。
手を離すと起き上がり、身震いひとつしてから身を屈め、そのまま中腰で固まっている則宗を跳び越えた。
則宗の後ろから2メートルほど離れた場所に着地すると、今度はぐるっと旋回して、身を伏せてじりじりと近づく。
開いた足の間に入ってそのまま進み、腰のあたりに則宗の腰がくるとそのままゆっくり立ち上がる。
則宗を背にしがみつかせるように乗せて、ゆっくりと則宗の部屋まで黒獣は歩き出した。
虎の背中は物を乗せるようには出来ていないし、騎乗するにも向いていない。それがわかっているので、歩はごくゆっくりだった。
則宗の部屋の前までくると、立ち止まって右前足の爪だけで器用に襖を開ける黒獣。最初は下手だったらしいが、慣れた今では傷もつけず、部屋に入れば器用に尻尾で閉める事も出来るようになっていた。
部屋の中程まで進むと、則宗が降りやすいように低く伏せた。腰の痛みに耐えて降りると、座布団を咥えて運んで来て腹の下に入れてくれたりと気がきく。
間の悪い事に、今の本丸には黒獣と則宗しかいない。
ギックリ腰は痛いが手入で治る怪我とは毛色が違うので、湿布を貼るなり安静にするしか対処のしようがない。
虎の手では湿布を貼れないし、さて誰かが帰ってくるまで待つか、と則宗が思った矢先。
黒獣の姿が変わった。
毛皮が失せ尻尾が失せ質量が失われ、人に近い生き物になる。
黒褐色の肌に先の尖った耳、背の半ばまでの白い髪、室内なので今は暗い赤に見える目。身長と肉付は南泉と同じくらいのはずだが、肌の色のせいかさらに痩せて見える。
もう1人の審神者の識と同じ年同じ日に生まれたはずだが、種族の違いもあって見た目はぎりぎり成人してるかどうか、くらいにしか見えない。
その見た目に不釣り合いな程に身体に傷痕が多いが。
この姿が本来の姿のはずだが、黒獣は虎の姿でいる事を好んだ。
緘黙で声を出せないのも理由のひとつではあるようだが。
前を隠すでもなくそのまま立ち上がり、襖を開けて出て行った。
戻って来た時には薬箱を携えていたが、全裸のまま。
薬箱から出した湿布を則宗の腰に貼り、布団も敷いて移動も手伝ってくれたが全裸のまま。
うつ伏せの則宗を心配して、人の姿のまま則宗の正面でごめん寝伏せしている。
そんな黒獣に、おねだりをしてみる事にした。
「膝枕したいから、膝を貸してくれないか」
するなら隠した方がいいのか、と薬箱の中にあった予備の手拭いで股間を隠してしまったのは少し残念。
あまり肉がついていない、硬すぎる膝枕でも刀からすれば主の膝枕、というだけで十分。触れているだけでも満足なのに、顔を埋めて膝枕。
則宗の髪がくすぐったいのか時々身動ぎするが、嫌がる様子はない。
黒獣が膝枕してもらっている時の事を真似ているのか、頭を撫でてくる。
ギックリ腰の痛みはあるが、代価がこれは、悪くない。
顔を埋めたままじりじり身動ぎして、黒獣の腹に頭を押しつけても撫でる手は変わらない。
が、少し角度を変えて下腹に顔を寄せようとすると手が止まった。
少し様子見をしながら、また試そうとすると止まった手が頭を抑えた。
「今は腰が痛いから厳しいが、僕が鞘側でこういう事をしたいんだが、どうだい」
今は顔が見えないのをいいことに、以前から思っていた事を告げてみた。
子供もいるし妻がいるのも知っているが。
それとなく妻に願望を匂わせたら、許可されたのには驚いたが。
正妻の余裕、というやつか。
頭を抑えていた手が緩んで、続けてまた撫でられる。
「だめだ」
聞こえるはずがない声が聞こえた。
腰の痛みを忘れて頭を上げようとして、また頭を抑えられた。
「かたなじゃなくなる」
黒獣が鍛刀、顕現した刀はさらにもうひとつ、の姿を持っていた。薙刀ふた振りはボルゾイ、源氏は竜、明石は黒いジャガー。日光は何、かはまだわからない。
「にゃんとおなじ」
ここの南泉は元々政府の討伐部隊の所属だった。とある討伐に失敗して呪詛持ちとなり刀解されたはずが黒獣の眷属となっていた。
呪詛が原因で大型猫科の姿も持ったと思っていた。資料にあった姿とはだいぶ異なっていたが。異様な姿の化け猫ではなかった。
「ちがうやつのから、おれの、にしたんだ」
黒獣の種族はしいていえば神の亜種、みたいな物、と聞いた事はあった。
「それでも構わない、と言ったら」
主によって書き換えられて、その主の為の存在として、在る。悪くない。
言葉としての返事はなかった。
頭を抑えていた手が下りて、首筋に触れ髪を払った。
剥き出しの頸を撫でて、一呼吸置いて、身を屈めて軽く牙を立てた。