これはあいつへの労いだ。
ここ最近、不規則な時間での仕事が立て続き、睡眠時間も十分にとれていない。あいつの場合、おれと違ってショートスリーパー気味なので、十分な時間を取らなくてもどうにかなる分、仕事にも今のところ支障をきたしていないようだ。しかし、それでも見えないところで疲労が出てきていることには違いない。それに加えて食事だ。最近はろくな食事が取れていないはずだ。シンクや冷蔵庫、インスタントのゴミの様子見れば一目瞭然だ。寿弁当だって、忙しすぎてかコミュニケーションが取れていないようで、最近は手配しているのを見ていない。相当忙殺されている。……とはいえ、あの快活な、あいつのお袋さんの人柄あってか、ついこの間は「母ちゃんに文句言われちゃったよ」なんて小言を言ってたから、親子関係に問題は出ていないようだが。……あいつんちの唐揚げ、そろそろ食べてぇな。ああいけねぇ、手が止まってた。今日は比較的早い時間に帰って来れると聞いていた。あまりの忙殺ぶりを察した日向さんが、各所に相談の上、スケジュールを調整してくれたとのこと。今でもこうやって、日向さんに迷惑がかかってんのはどうかと思うぜ? 日向さんだって自分の仕事があるんだからよ。……まあ、ありがたくもそんな配慮があってか、はやく帰ってくるあいつのために、おれは飯を作っている。あいつへの労い……いや、あいつと一緒に飯が食いたかった、だけ、かもしれない。あー、今のらしくねえ。あいつに聞かれたら面倒くさい絡みをされるから絶対に言わねえ。一緒に飯を食うなら、デリバリーでも、外食でも、なんでも良かったかもしれねぇが、そこはおれが振る舞ってやりたかった。労いと、日常の共有。何より、あいつがおれの作る飯を食いたいって、いつかの日に泣き言のように言ってから、振る舞うタイミングを失っていて……その後ろめたさにも似た使命感があった。
早く帰ってくるといっても、玄関の扉が開いたのは、すっかり陽が落ち、辺りは暗くなった頃だった。「ただいまぁ」と気の抜けた声が聞こえて、おれは玄関へと向かった。あいつの姿を見ると、おれは安堵を思い、それはあいつも一緒のようだった。
「おかえり」
「へへ、この時間にうちでランランと顔合わせたの、なぁんか久々」
「ああ、てめぇが馬車馬のように働くからな」
「きみが同じ立場でもきっとそうするでしょ」
「否定出来ねぇ」
「……でも、ちょっち迷惑かけてた……かも」
「それが言えるようになっただけ成長だ」
嶺二はやっぱり疲労が溜まっていたようで、靴を脱いで、家に上がると一気に猫背になった。おれは嶺二に駆け寄って、その背中を摩った。
「先に風呂にすっか?」
「……ふ、ははは! ラぁンラン、今のそれは完全に『ご飯にする? お風呂にする? それともア・タ・シ?』のやつじゃん」
呆れたおれは、思わずその頭にゲンコツを軽くぶつける。
「お、ま、え、なぁ〜〜?」
「めんごめんご、じゃあ先にご飯がいいかな」
嶺二は顔を上げ、背筋を正すと、鼻をスンスンと音を立てた。おれの肩の先を見る。
「この匂いは……オムライス……?? もしかして、ランラン……!?」
「作った。飯が先なら手でも洗ってこい」
嶺二は満月のような瞳をキラキラと輝かせ、大きく口を開いてから、おれに向かって正面から抱きついた。おれは思わずよろけ、嶺二の背中に腕を回す。
「ランラン、今すっごく嬉しい」
嶺二の温もりを体いっぱいに感じ、思わず背中に回した腕をぐっと掴み寄せる。おれも嬉しいんだ。
「ありがとう」
リビングのテーブルには、ふんわりとした黄色のオムライスが、ほんのりと湯気をあげて二つ並んでいる。皿の青の模様と、パセリの緑が良いアクセントを演出して、作った自分ですら思わず涎が垂れそうな感触を覚える。銀のスプーンを嶺二に手渡して席に着く。テーブルの真ん中にはケチャップボトルが置かれていた。
「ケチャップは自分の好きにかけてくれ」
嶺二はケチャップを手に取った。
「え〜なぁに書こうかなあ」
「書くって……適当に真ん中に乗せればいいだろうが」
「え〜せっかくなら何か文字とか記号とか、猫ちゃんの顔とか描きたいじゃん?」
「なんだそれ」
おれは暫くケチャップを片手に持って、うんうんと考え続ける嶺二を見ていた。そして、唐突にハッと顔を上げたと思いきや、席を立ち、おれの席に回って、ケチャップをオムライスに向けた。
「ちょ、嶺二てめぇ!」
「かけて、いい?」
「はぁ?……ったく、勝手にしろ」
「勝手にしまーす。美味しくな〜れ!」
ケチャップがオムライスから離れると、おれのオムライスには、大きなハートマークが書かれていた。おれがそれに気づくと嶺二はとっくに席に着き、同じように自分のオムライスにもハートマークを書いていた。
「やっぱこれでしょ〜!」
「恥ずかしい奴だな」
「食べちゃえばなんでも同じだよ〜? それに……」
嶺二は上体を前に乗り出して、おれに顔を向ける。
「このオムライスを作ってくれたランランが、いっちばん愛情を込めてくれたと思ってるし?」
嶺二は上体を戻し、両手を合わせて「いただきます」と声を上げてから、オムライスを食べ始めた。おれはしばらくぼんやりとしていたらしく、オムライスを食べていた嶺二が、けたけたと笑い始めた。
「ラぁンランってば、顔真っ赤〜! ほぉんとかわいいね」
「るせ」
おれは、大きなハートマークの乗ったオムライスにようやくを手をつけはじめた。自分で作ったオムライスは、いつになく美味しさを口の中に広げた。