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    yctiy9

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    yctiy9

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    クレアマ後編 決闘の日。時刻は夕方頃。外灯のオレンジに照らされた中庭には、多くの人が見物に来ていた。革の防具を身にまとい剣を携えたヘオが、既に勝ち誇ったような顔でクレロを待っていた。野次馬がザワついたかと思うと、人々が間をあけ、そこからクレロが出てくる。いつものハーフアップの髪型が、今日ばかりは一つにまとめられている。アマンセルもヘオの後方、ウーゴの一歩後ろにて様子を覗いていたが、クレロが彼に視線を向けることはなかった。
     「遅すぎて逃げたかと思ったぞ」
     ヘオが話し始めたのを見計らって、アマンセルは音もなく野次馬の間を縫ってその場を離れる。その姿に気がついたのは、クレロの後ろで見守っていたベニータだけだった。
     アマンセルは急いで廊下を走り、校舎の外に出る。外で待っていたニアナと合流すると弓矢を受け取り、屋根に登る為にかけられたハシゴを登る。下から姿を悟られぬよう、庭とは反対側の傾斜部に身を潜める。
     ニアナは矢筒から矢を一本取り出すと、右手でシャフトを握り呟く。
     「目覚めよアルセイデス 時のしじま 力の不変 我が声に応えよ」
     すると矢の周りの空気が僅かに緑色の光を帯びる。ニアナはそれをアマンセルに手渡した。
     「後はこれをタイミングのいい時に打ち込みなさい」
     「ありがとう」とお礼を言おうとするアマンセルの口に彼女は指を添え、黙らせる。
     「礼は全てが終わってからだよ」
     ニアナはアマンセルの手をしっかりと握る。彼は緊張した面持ちで頷いた。
     その頃、中庭では二人の騎士が既に剣を交えていた。剣技は圧倒的にクレロが上回っていた。女神像から離れたところにいたはずの二人だったが、徐々に像へと近づいていく。クレロの剣に気圧されているというよりは……
     「誘ってる?」
     ベニータはふと気がついた。ヘオの表情にはまだ余裕があったのだ。クレロがヘオをある一点に追いやったその時。ヘオがウーゴの隣にアマンセルが居ないことに気がついた。彼はハッとして逃亡者の姿を探すが、その隙を狙ってクレロが顔面すれすれを突いてくる。僅かに皮膚を裂き、血が滲む。
     「余所見とはいい度胸だ。戦場ならば死んでいた」
     「油断は禁物だぞ」
     そう言うとヘオが剣を天高く上げる。中空で外灯の光を受けて何かがハラっと落ちるのが見えた。勝ち誇ったヘオの表情は徐々に険しいものになっていく。予め仕掛けておいた罠が解かれていたことが分かるや否や、「うあああ!」と咆哮を上げ、勢いに任せて斬りかかっていく。その乱暴な剣にクレロは若干圧倒されるも、剣術に秀でた彼からしてみればそれはあまりにも粗雑でただ力が強いだけで、受け止めるのは容易かった。しかしヘオの勢いは止まらない。徐々にクレロを女神像に追い詰めた所で、ヘオが一瞬身を引いたので、クレロはその隙をつき前に出た。
     「っ!?」
     迂闊だった。
     突如足元の石畳が浮き上がる。剥がれかけていた石畳に細工をしていたらしく、ヘオがそれを僅かに持ち上げクレロの足に引っ掛けたのだ。バランスを崩したクレロが前に倒れ膝をつく。
     「きゃぁ!!」
     どこからともなく悲鳴が上がる。クレロは地面に映った自分の影がどんどん広がっていく事に気がつく。顔を上げると、眼前に石像がゆっくりと迫っていた。

     死ぬ

     そう覚悟した瞬間。シュッと音が聞こえ、辺りを眩い緑の光が包む。石畳を割って地面から木の枝が何本もメリメリと音を立てて生え、瞬く間に成長した枝はクレロの上に覆いかぶさり、石像を受け止めた。その光景に誰もが息を呑み、辺りには静寂が広がった。地面には矢が刺さっている。突如現れた枝は、森の精霊の力によるものだろう。ベニータはそれが飛んできた方向、屋根を見上げる。それよりも今はクレロの心配をすべきだ。
     「クレロ卿!」
     枝のドームの下で座り込んだままのクレロにベニータが駆け寄った。
     「お怪我は」
     彼は小さく頭を振る。そして一回深呼吸すると、そこから這い出た。
     「ベニータ、ありがとう。大丈夫だよ」
     彼女の手を握って安心させると、ゆっくりヘオに向き直った。ヘオはもう戦意喪失といった面持ちで、歩み寄るクレロから逃げるように震える足で後ずさるが、躓いて情けなく尻もちをつく。クレロは無表情で敗者の首にそっと剣を添える。
     「自分の手を汚す覚悟もないやつが、俺に勝とうと思うな」
     ヒィと小さく聞こえたかと思うと、彼は怯えた犬のように情けなく観衆を押しのけて走り去った。
    わあ!と観衆が色めき立ち、誰からともなくクレロに押し寄せる。「胴上げだ!」とはしゃぐ男子生徒もいれば、黄色い歓声を上げる女子生徒もいる。流されるように胴上げされ、もみくちゃにされるが、彼はそれどころではなかった。
     勝ったはずなのに全く嬉しくない。
     そりゃ正々堂々とした戦いではなかったから、というのもあるかもしれない。でもそうでは無いことをクレロは分かっていた。
     「ごめん、どいて」
     なんとか人の波を押し分けて抜け出すと、彼も屋根を見上げる。矢が飛んできたはずの方向を。しかしやはり既にそこには誰もいるはずがなく、ただ夕闇が広がっていた。ベニータの方を見るが彼女も泣きそうな顔で首を振る。クレロは考えるよりも先に走り出した。

     「見届けなくて良かったのかい?」
     矢を放ち、無事彼が助かったのを見届けると、アマンセルはそそくさと屋根を降りた。
     「ええ。もう彼に合わせる顔がないので」
     「まさか!」
     しかし彼はフルフルと静かに首を振るだけだった。
     「ニアナ卿。お忙しい中、御協力いただきありがとうございました」
     「……あぁ……それよりいくつか聞きたいことがある」
     アマンセルが首を傾げるのに合わせて、彼の一つに纏めた三つ編みの赤毛も揺れる。ニアナは乗ってきた馬を連れて、二人は校門に向けて歩き出した。
     「ヘオ卿には初めから、教員を通して注意して貰えば良かったのでは?」
     「一時的な対策にはなります。ですが彼の場合、クレロが候補である限り、時を置いてまた策を練るはず。なら、手の施しようがあるうちに芽を摘んで、彼のプライドをへし折るしかない。彼が決闘の条件に乗るかは一か八かでしたが…彼がクレロに敵意を持っていることは明らかでしたし、高確率で条件を呑むと読んでいました」
     「ほう…他にも聞いていいかい?」
     「ええ、いくつでも」
     もう緊張が解けたらしい彼は、少し幼い顔で笑う。
     「君が先日手に持っていた透明な紐は、もしかして罠だったのかい?」
     この間、休日に中庭で出会った時にアマンセルが持っていた線の事だ。
     「はい。ですが、あの罠については私は聞かされていませんでした。ヘオ卿は私のことを完全に信じきっていなかったので、私の知らない罠を用意していたんです。なので事前に罠の仕掛けを解いておきました」
     「彼が剣で切る予定だったんだろう?罠を解いたとは言っても、実際には線を切ったように見えたけど」
     「フェイクの線を用意したんです。罠に繋がってるように見せかけて」
     「君は……ふふっ、面白いね。しかし、そこまでするとは…全く、愛だね」
     「お恥ずかしながら」と、彼ははにかんで肩をすくめる。
     校門前で二人は向かい合う。
     「こちらからも一つお聞きしていいですか?」
     アマンセルは常より気になっていた事を聞いた。
     「何故ヘオ卿は候補に選ばれていたのですか?お言葉ですが、誠実とは程遠く、これまでも派手な行動はいくつか見られました」
     「彼は他薦ではなく、家からの強い推薦だよ。それにね…彼の普段の派手な行動を注意するには教員達も慎重になるんだ」
     「彼が公爵家の人間だからですか?」
     「ああ。権力を振りかざす彼は、一部教員に対しても、公爵という肩書きをチラつかせていたに違いない。それが事実だったとしても、彼はアリバイを徹底的に潰す」
     「だから蛮行が表に出なかった……それに今回の件も女神像が倒れたのを事故と言い張れば、揉み消せるとでも…つくづくバカだなあ…」
     情けないな、とニアナも首を振る。
     「今回の君の行動は…全てが良いものとは言えないが、教員達にとってもありがたかったと思うよ。後々ヘオ卿は候補から外されるだろう。それと、君が彼に加担していた事は教員にも伝わっているはず。今後君が不利にならないよう、私の方から助言しておくよ。それから……」
     ニアナは一旦言葉を切り、一呼吸置く。校門の外灯に照らされた彼女の表情は、夕闇の中でも太陽のような力強さがあった。
     「ミシガン家に来ないかい?」
     「………え?」
     急な誘いにアマンセルは言葉を詰まらせる。
     「君は非常に冷静で周りをよく見ている。その冷静さと判断力は磨けば光る。是非君が欲しいんだ」
     「…よろしいのですか?」
     「勿論だ。私が直々に推薦状を出そう」
     「ありがとうございます!」
     パァっとアマンセルの瞳が輝いた。が、すぐに不安げな顔に戻る。
     「そうなると、クレロと同期になる可能性が高いですかね…」
     「そりゃまあ…まさか仲直りしないつもりかい?」
     「それは……でも、私は彼を騙したので」
     「そう思ってるのは君だけだよ」
     ニアナは校舎の方を見た。アマンセルも彼女の視線の先を追いかける。そこにはしばらく言葉を交わしていない最愛の友がいた。
     「じゃ私はこれにて失礼するよ」
     ヒラリと馬に乗り、ニアナは手を振って颯爽と去っていった。
     二人はどのくらい見つめ合っていただろうか。数秒、数分。分からない。でも体感時間はとても長かった。
     「クレロ…」
     自分でも聞こえないくらいの声が、口から自然とこぼれる。クレロは今にも泣きそうになるのをグッと堪え、愛しい人に向けて走り出した。その手の届く範囲に入ると、なりふり構わず彼を抱きしめる。それはもう力強く。アマンセルの肩に顔を埋め、離したくないとばかりに抱きしめる。アマンセルもそれに応えるよう、恐る恐る彼の背中に手を回す。
     「ごめん」
     一番に出たのはアマンセルの謝罪の言葉だった。クレロは弱々しく頭を振る。それからしばらく無言の時間が流れ、だんだん恥ずかしくなってきたアマンセルがクレロの背中をポンポンと優しく叩く。
     「…ねぇ……何か言ってよ……」
     「ありがとう」
     今にも消え入りそうな弱々しい声だった。ズビと鼻をすする音がする。それがなんだか叱られた後の子供のようで、アマンセルはあやす様に背中をさする。
     「もう……何から言ったらいいか分かんない」
     クレロはボソボソと肩に顔を埋めたまま言葉を零す。
     「ねえ、ここじゃなんだから…座って話そ?」
     大きな子供は名残惜しそうにアマンセルの体から離れるが、腕はまだ背中に回したままだ。そんな彼が可愛くて仕方がなくて、それと同時に無事終わったんだという安心感で笑顔が零れた。
     アマンセルの部屋へ向かう途中、ほとんど言葉を交わすことはなかった。それでも何故か居心地が悪いとは感じなかった。
     落ち着いたデザインのチェアに向かい合うように座る。アマンセルは自分で用意したお茶と、使用人に用意してもらったお菓子をテーブルに置いた。
     「何も言わず巻き込んでごめんなさい」
     アマンセルは深々と頭を下げた。
     「こちらこそ…普段からお前の忠告を聞いておけば良かった」
     「…よくよく考えたら全くもってその通り。謝り損だなあ」
     アマンセルはクスクス笑う。
     「ヘオは罠を二つ用意してた。臆病であるが故に用心深く、その上、執念深い。遅かれ早かれ、あいつは俺に手を下すつもりだっただろうな」
     少し赤くなった目元でアマンセルを見て、「ありがとう」と微笑む。
     「でもなんで言わなかった?言ってくれれば協力したのに」
     クレロはクッキーをつまみながら言う。 「それは……」と、アマンセルは事の経緯を話し始めた。
     ベニータからヘオの動向を聞いたあの日。ベニータを連れ立った後、今のクレロとアマンセルのように、二人は椅子に向かい合うように座る。
     「取り巻きの令嬢達の話が本当だとして……ヘオはどうクレロを陥れるか…」
     「あいつ、結構慎重だからなぁ」
     ベニータのあいつ呼ばわりに一瞬眉を顰めるが、まあ普段の彼の行動を考えるとアマンセルも咎める気にはならなかった。それ以上にアマンセルもまた、彼のことを「あいつ」呼ばわりしたい気分でもあったから人のことは言えなかったのである。
     「慎重と言えば聞こえは良いけど、彼の場合は臆病と言った方が良い……けどそれ故に用意周到だから、今回も恐らく……」
     「あと取り巻きも多いから、探りを入れようとするとバレる可能性が高いわ」
     二人は黙り込む。アマンセルは口元に右手を当てて静かに瞼を閉じる。兄のその真剣な表情をチラッと窺い、妹の表情が綻んだのを彼は知らない。
     「あ」
     しばらく黙り込んでいたアマンセルは口元からそっと右手を離し、指先を緩く動かす。
     「……ベニータに協力して欲しい」
     「もちろん」
     「嫌な思いをするよ」
     「クレロのためなら怖くないわ」
     本当に逞しく育ったものだ、とイタズラを思いついた子供の様に笑う頼もしい妹に一瞬だが言葉が詰まるが、彼は気を取り直して続けた。
     「僕が提案した体で、ヘオに条件を持ちかけて欲しい」
     「条件?」
     身を乗り出す彼女にアマンセルは居心地が悪そうに頷いた。
     「クレロとの決闘で勝ったら恋人になってもいい、っていう条件を」
     ベニータは「うぇ……」と苦虫を噛み潰したような顔をする。閉口する彼女に右手を挙げ、続きを聞くよう促す。
     「彼としては、目の敵にしているクレロから君を奪って優越感に浸りたいはずだ。となれば、彼はこの条件を呑む。クレロを負かしたどころか、君を奪った男にもなれるわけだから」
     「うーん……」
     「決闘場は騎士学校になるよう誘導する。学校は人目があるのがリスクだけど……でも勝手が分かるから対策がしやすい」
     「自分の強さを他の生徒に知らしめられるから疑いなく乗りそうね」
     アマンセルは小さく頷いた。
     「あいつは正攻法でクレロに勝てない事を分かっている。何かしらの細工をする、それも自分達が仕掛けたとは分からないような細工を」
     アマンセルの手に自然と力が籠る。高潔さのない男が、クレロと同じミシガン候補に選ばれているその事実にフツフツと怒りが込み上がる。
     「…………」
     押し黙るベニータに気が付き顔を上げると、彼女は心配そうな表情でこちらを見ていた。ああ、と申し訳なさそうにアマンセルは肩の力を抜く。
     「多分……いや、絶対クレロは怒るに違いない。彼は優しいからね。心配しないで。きっと上手くいく」
     「ちがう……心配なのはお兄様。だってヘオがその条件を呑んだら、全ての矛先はお兄様に……それに…」
     ベニータは辛そうに頭を振る。合わせて巻かれた毛先がハラハラと動く。自分と友の仲を心配してくれる優しい妹には申し訳ない事をした。だがヘオを止めるにはなんとしてでも彼のプライドを根元からへし折ってやらないといけない。
     「僕はクレロと距離を置いて、ヘオの動向を探る」
     「せめてクレロにはこの計画を話して」
     「ベニータ。相手が考え無しであればそれでも良い。だけど今回の場合、元からヘオは僕達の事をクレロの仲間だと思っている。ヘオにはクレロと僕が本当に仲違いした事を理解させる必要があるんだ。でないとあいつは僕の事を信じない。いや、そこまでしても信じない可能性がある。生半可な裏切りじゃこちらが敗ける。クレロはまず条件を持ちかけた君に状況説明を求めるはず。その時は僕に指図されたと言うんだ。なるべく自分の意思ではない体でね」
    ベニータは言葉にはしなかったが、その表情は拒否を示していた。だがアマンセルは見なかった振りをして話を続ける。
     「それを聞いた彼は怒るはずだから、僕は彼と距離を置く。その後、ヘオに取り入るって流れだ」
     上手くいくかは自信が無い。しかし妹を巻き込む手前そんなことは口には出来なかった。震えそうになる手を拳に力を入れて抑え込む。
     「その後は彼の出方を見つつ作戦を柔軟に変更していく」
     「お兄様…」
     「大丈夫」
     その言葉は果たして妹にかけた言葉なのか、それとも自らにかけた言葉だったのか。今となってはどちらでも良かった。
     …
     「と、いうわけ」
     一通りを話し終え、紅茶を一気に飲み干す。クレロはため息をついた。
     「なんでそんな無茶するかな」
     「そりゃ…クレロが……」
     大事だからだよ、と言いかけて恥ずかしくなって口をつぐむ。変な所で言葉を切ったものだから、勘違いされて「俺が悪うござんした」と拗ねられた。
     「そういやあの人、ミシガン家の人だろ」
     ふと話題が変わる。ニアナの事を言っているらしい。
     「うん」
     「あの人にも声かけたの?」
     「精霊と契約して、かつ権力のある人だからね。中庭は物理的な罠を仕掛けにくい場所だったから、罠対策の保険として手紙を出したんだ」
     「へぇ」と答えたクレロは、自分で聞いたくせに興味がなさそうだった。
     後日、ニアナの言った通りアマンセルはミシガン候補に推薦された。今はまだ推薦する必要もなかろうと考えていた両親もベニータも、これには手を叩いて喜んだ。 そういうわけで、アマンセルは昨年からミシガン家の一員に加わったのだ。
     ヘオは当然候補から外れ、当主にもなれなかった彼は今や爵位もない一介の騎士だ。
     あの一件の行動は全てが褒められたものでもなかったが、結果オーライと思えば良い思い出でもある。

     「持ち前の冷静さのおかげで、あなたは場所が変わってもその能力を遺憾無く発揮できる。加えて、武芸もクレロ卿とまではいかないが才能はある」
     「もったいないお言葉」
     「それでいて、旦那さんを嗜める強さもお持ちだ」
     フロスト卿はクックックと肩を震わせて面白がる。「あぁ冗談ですよ。そんな怖い顔をしないで」とわざとらしく怖がる彼に、多少なりともカチンとくるがここで口を出せば、先程評価された冷静さはどこへやらとなりかねないので、アマンセルは耐えた。
     「ははぁ、ではでは私はお貴族様の噂…もとい甘い甘い蜜でも吸いに行きましょうかね」
     彼は一礼すると東屋を去っていった。
     そよ風が一人残されたアマンセルに花の香りを運ぶ。
     …実は先の話にはまだ続きがあった。これは自身と、もう一人しか知らない物語。

     ユラユラとロウソクの灯りが紅茶の上で踊る。
     「精霊と契約して、しかも権力もある人だったからね。中庭は物理的な罠を仕掛けにくい場所だったから、罠対策の保険として手紙を出したんだ」
     クレロは聞いてきた癖に無関心そうにへぇと返事する。
     彼は紅茶を一口飲むと立ち上がり、アマンセルの隣に座る。結ばれたアマンセルの深紅の髪を撫ぜ、肩を、腕を…そして彼の手を握る。突然の甘い雰囲気に、アマンセルは訝しげに眉をしかめる。
     「アマンセル」
     優しく呼ぶ声に恐る恐る彼の顔を見る。
     夜の帳が降りた部屋を照らす燭台の灯りが、目の前のあどけなさを残した男の顔をより甘いものにする。夕暮色の瞳は明らかに恋慕に満ちた炎を宿していた。それに気がついた瞬間、アマンセルは顔を背ける。
     「お前と離れている間、俺は確かに友に怒りを感じていた。だけどお前がずっと俺を、変わらずに想ってくれた事を知って、好きにならないわけがない。俺の日常にアマンセルが居ないことがどれだけ苦しかったか。お前の姿を見た瞬間の心の有り様がお前に伝われば良いのに!」
     クレロがアマンセルの肩を掴み、逃げようとする彼の顔を覗き込もうとする。しかし恥ずかしくて直視などできようものか。アマンセルは弱々しくも、自分への愛を熱弁する男の胸を押し返そうとする。
     「出会ってからずっとお前の事は好きだった。でも今回の件でそれを自覚した」
     男はアマンセルの名を、乞うように微かに掠れた声で呼ぶ。
     そんな声で呼ばれたら…
     拒否なんてできない。

     「好きだ」

     真っ直ぐな瞳が、羞恥で潤んだ朝焼け色の瞳を射抜く。彼は放心しているアマンセルの髪を指先ですくい上げ、口付けを落とす。その美しい髪は二人を結ぶ赤い糸のようにも見えた。
     「俺はいつまでもお前を待つ。出来ることなら、これからも傍にいる事を許して欲しい」
     心もとない灯りの下でも分かる程に真っ赤になっているであろう顔を隠すように、口元に手を当てて震えていたが、一度だけ小さく頷いた。
     「じゃあ俺はこれで」
     「おやすみ」そう言って彼は部屋を出ていった。
     「…ずるいだろ」
     うるさすぎる心臓音が果たして恋なのか、羞恥のせいなのか、疎いアマンセルは分からなかった。
     もう二年も前の話なのに、思い出して頬が熱くなったのを感じる。ただ先程フロスト卿に幼馴染みを「旦那さん」と言われたのが、何となく良い心地がして否定できなかったのは自分だけの秘密だ。この心の蕾が花咲くのはまだ先の話である。
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