誕生!アルセイデス先生 とある日の夕方。夕飯の準備を始めたルカが近くにいた瞬に声をかける。
「蓮坊ちゃんを見かけませんでしたか?今日のご飯当番なのですがまだ来ていなくて」
「見てないよ。お昼食べた後に散歩してくるって言ったきり。多分また森で迷ってるんじゃないかな」
彼が屋敷を囲む森で迷うのはいつものことである。アルセイデスに揶揄われているのか高頻度で迷うので、周りも既に慣れっこだ。彼曰くアルセイデスに嫌われているとのことだが、むしろ気にいられているのではないだろうか。ルカはやれやれとため息をついて言った。
「申し訳ありませんが、手伝っていただけませんか?今回の分は次回の坊ちゃんと入れ替えと言うことで」
他でもないルカの頼みだ。瞬は「もちろん」と二つ返事で答えた。
一方その頃、案の定森で彷徨っていた蓮は早々に脱出を諦め、木の根本に座り込んだ。いつも彼女の気が済むまでその場で待つ。迷い始めの頃はいつまでも彷徨い続けていたが、今では待つのが最善策だという答えにたどり着いた。座り込んだ彼は、鼻でため息を一つつくと森を見上げる。
「私はここで待つぞ」
すると少しの間を置いてどこからともなく一人の乙女が姿を現した。深い緑の髪に緑の瞳、纏うシンプルなワンピースも緑。全てが緑に包まれた女性だ。森の精霊アルセイデスが珍しく姿を現したため蓮は驚いた。いつもなら姿を見せることはなく、時間が経ったら解放されるというパターンなのだ。
「どういう風の吹き回しだ?」
『おしゃべりしたくて』
そう言って彼女は静かに蓮の隣に腰を下ろした。
『あなた、以前やらかしたことあるでしょ?ほら、性別が入れ替わった時の』
「…」
蓮は静かに目を瞑る。その話を持ち出されるとは思わなかった。いつだったか、兄弟とルカを巻き込んだ事件が発生した。色々あって全員の性別が転換したわけだが、その時の原因が蓮とアルセイデス、そして風の精霊ナパイアイだったのだ。蓮にとっては黒歴史とも呼ぶべき事件だ。
『あの時、オケアニスとランパーデスも男体化してたじゃない?それで設定を詰めてみたくなって』
「懲りてないな。そして何を言っているかわからない」
『ほら、世の中には女性向けの逆ハーレム小説みたいなのがあるでしょ?それよ』
「人間嫌いのくせに、人間の文化に染まりきってる」
『…楽しいのよ』
彼女はムスっとするも、自身の趣味を認める。そして葉っぱをいくつか地面に広げた。そこにはイラストと単語がいくつか書かれている。この精霊、珍しく文字が書ける個体らしい。本当に人間の文化に染まりきっている。
『ストーリーは考えていないけど、男体化した精霊たちとの恋愛を想定してるわ』
「そのままの姿ではダメなのか」
『それだと他の個体に会った時に気まずい』
そんな感性があるのかと感心するが、口には出さなかった。
『登場人物の設定だけ考えたの。主人公は賢者よ。男でも女でもいいわ』
そう言って主人公の設定が書かれた部分を指さす。そこにはデフォルメ化された可愛らしいイラストも描かれていた。よく見ると既視感のあるビジュアルである。
『主人公は天然たらしで、人にも精霊にも好かれるの。その人には主人公のことが大好きな双子の弟もしくは妹がいて、精霊とくっつくのを阻止しようとしてくる』
「一応聞くが、モデルはいるのか?」
『…』
「無言は肯定とみなす。しかしまあ、そうなると…正直読みたい!」
モデルが身近にいるあの人だと分かって頭を押さえる。
『えへへ。そう言ってもらえて嬉しいわ。うんうん、この前女体化した時、一目見てピンと来たもの…あの子は逸材だって』
「そうだろう。じゃなくて…いや、続けて」
主人公の話を聞いてすっかり引き込まれてしまった蓮は、話の続きを促した。
『じゃあまずはオケアニスから。彼女、いえ、彼は王道ね。彼が笑えばいかなる人も魅了される。そんな笑顔は陽光を浴びて輝く海原のごとく。当然、誰もが認めるイケメン。まあ、女性向けなんてイケメンしか出て来ないんだろうけど。ともかく、彼とは距離感がちょうどいい友達から始まるの』
「イメージがつく。しかしなあ露出が多過ぎやしないか」
蓮はアルセイデスの描いた可愛らしいイラストを見る。そのイラストは上裸なのだ。
『仕方ないでしょ。もとが露出過多なんだから。んー、でもこういうのって普段着込んでる人が脱いだ方がウケがいいのかしら…』
「お前の好きなようにしろ」
『そういうのは分からない。次はヘリアデス。彼は人間嫌いの筆頭。俺様系で攻撃的。人間の主人公のことも最初は嫌いなんだけど、賢者であるが故に興味を示すようになる。きっかけは考えてないけど…。あ、それからこのセリフは言わせたい。「ふーん、面白え人間」って。あはは、話してたらおかしくなってきたわ』
アルセイデスは珍しくお腹を抱えて、だが静かに笑う。そんな彼女の様子に蓮はギョッとするが、面白いのであればそれは結構。かくいう蓮も彼女の話をなんだかんだ面白おかしく聞いていた。
アルセイデスの妄想では、火の精霊ヘリアデスは現実と同様に水の精霊オケアニスと仲が悪く、二人の喧嘩イベントもあるそうだ。
『次は寡黙系のアルセイデス』
寡黙?と蓮は目の前で意気揚々と話す精霊を見る。熱の入った話ぶりは寡黙とは程遠い。
『彼も人間嫌いよ。ヘリアデスほど苛烈ではないけれど、静かに嫌うタイプ。陰気とは違うわ、決して!主人公が落ち込んで森で一人泣いているところを陰から見守るところから始まるの。多くを語ることはないけれど、主人公を支える存在になっていくの。そして徐々に距離を縮めて二人は恋に落ちる』
自身をモチーフにしているからか先ほどよりも声がワントーン高い。
彼女の描いたイラストと設定を見るとガタイのいい青年のようだ。彼女自身、こうなりたいのだろうか…。心なしかイラストが細かいところまで描かれているように見える。
『これはナパイアイ。彼は天真爛漫、自由奔放。主人公が大好きでいつも近くにいるんだけど、自由な風の精霊だから時々どっかに行っちゃうのよ。主人公はそんな彼に振り回されるの。その下はドリュアデス。彼は気弱でおっとりしていて、優しい精霊。主人公は彼を弟のように扱うんだけど、ドリュアデスはそれに不満を持ってる。たまに年上のような包容力でギャップを見せてくるわよ』
ナパイアイとドリュアデスはオリジナルが可愛らしい容姿をしているため、男体化しても可愛らしい見た目になっているようだ。可愛らしいといっても方向性は異なり、ナパイアイはシャギーな髪型で、爽やかな印象を受ける。一方のドリュアデスは小動物のような可愛さだ。
『残すは二人。オレイアデスは不動の安心感がある年上系。何事にも動じないから少し不気味な部分もあるわ。仲を深めていけば動揺するオレイアデスも見れるかも…!最後はランパーデス。ミステリアスな精霊で、闇と光の二面性を持つわ。ルートによっては主人公を闇落ちさせる危ない存在ね』
「じ、実際のランパーデスは?」
『…精霊に絶対なんてないから分からない。私たちは気まぐれなの』
「そうか…」
ランパーデスはルカが契約している精霊である。先ほどの話を聞いて背筋がぞわりとしてしまった。あまり深く考えないようにしよう、と蓮は首を横に振る。
『さあ、全部話したわ。あなたは誰が好み?あ、待って。当てるわ』
そう言って彼女は真剣な顔で考え始めた。
『あなたがよく話してくれる本の内容から察するに、年上好きなのよね。それから闇を抱えてる感じのが好きだと思うの。それでいて頼りがいがある。主人公は置いておいて、この中で年上系ってなると…。うん、決まった』
冷静に分析されると非常に恥ずかしい。蓮の表情はほとんど変わっていないが、内心は穴があったら入りたくて仕方なかった。そんな彼などお構いなしにアルセイデスは地面に広げられた葉っぱを指さす。
『オレイアデスでしょ』
蓮は少しモゴモゴした後、静かに頷いた。
『あなたって結構分かりやすい趣味してるわ』
「なんとでも言え」
『あー、共有できてスッキリした。ありがとう』
蓮は葉っぱをまとめ始めた彼女の手を止めた。
『なに』
びっくりしたらしい。彼女の身体が強張る。
ここまでの話を聞いていて蓮の中に一つの考えが浮かんでいた。
「お前、本を書かないか?」
『…え、え?本って、あの、文字がたくさん書かれたやつ?物語をってこと?』
「そうだ。お前が良ければ、作品を一つの形にしないか」
緑の瞳が揺らぐ。迷っている。でもどこか嬉しそうなのは気の所為だろうか。蓮はアルセイデスの答えを待つ。
『でも私、文章なんて書けないわ。文字は書けても長い文章は無理』
「なら私が書こう。お前のアイディアを原案として、私が文章を書く。最終的に自費出版という形になるだろう。費用はもちろん私が出す。大々的に売らずとも月末のマーケットなり何なりで出せればまずは十分じゃないか?本を書く精霊なんて後にも先にもお前だけだろう」
『…』
「今ここで答えを出す必要はない。お前がやりたいかやりたくないか、判断材料はそれだけでいいんだ」
蓮はそう言って立ち上がる。が、今度はアルセイデスの方から蓮の手を取った。
『や、やってみたい』
緑の瞳は朝日を受けて輝く木々のよう。
「では決まりだな。まかせろ、数多の娯楽小説を読み尽くし、泉で妄想を巡らせた夜は星の数。全年齢向けだろうと官能小説であろうと、最高の小説に仕立てて見せよう」
『謎の信頼感…!あ、でも原案を私が考えたってことは伏せてほしい。精霊が考えたっていう物珍しさで手に取って欲しくないの…』
「承知した。そうとなれば早速、計画と方向性を考えよう。それともう少しキャラクター性を詰める必要があるだろうな」
『うん』
まさかこんなことになるとはお互い想像していなかった。しかし蓮は熱く語るアルセイデスを見て、これをこの場だけに留まらせるのはもったいないと感じたのだ。だから思い切って提案してみたが、後悔はしていない。むしろあんなに瞳を輝かせてくれたのだ。期待に応えたいと思う。
こうして今ここに、精霊が原案を担当した世界初の小説が誕生しようとしていた…