勘違いして初めて気付く気持ちもあるそれでも傍にいる
───────────
「蠱毒。偶には散策でもどうだ」
「ん?ぉ、おう⋯」
蠱毒はどうしたものか考えた。
実は、数週間前の浮舎の事柄から、何となく気不味い空気が拭えずにいる。
層岩巨淵にあった羅針盤が作り出した秘境での出来事だ。
空と仲間達が、層岩巨淵の地下鉱区より更に地下。閉ざされた秘境に迷い込んだとき、魈を追いかけてその場に降り立った蠱毒は、空達に引き止められて、その場に留まる事になった。
幾重にも重なるギミックを解く中で、空は何度か命を脅かされる危機に見舞われる。途中、魈は蠱毒が同行している事を知った。その時だ、
─何故お前という仙が付いていながら、凡人達を危険な目に合わせたのか!─
そう言うと、魈は蠱毒に掴みかかった。
空と煙緋が間一髪で止めに入ったため、大ごとになる事はなかったが、後にも先にも魈が蠱毒に掴みかかったのは初めてのことだった。
しかし、蠱毒には手を貸さない理由があった。
仙人達は其々に、凡人との距離に一定のルールを定めている。共通するのは(困難な状況でも、先に選ぶのも、進むのも、まずは人間達に委ねる)と、いうことだ。
故に、まずは凡人達に道を選ばせ、進ませる事を優先したのだろう。蠱毒は古く生きるが故に、その事を忘れたことはない毒蛇なのだ。
──────
お互いに話すこともなく、層岩巨淵の人のいる地区から、スメール側の大森林が見える岩の頂上へ進んでいく。
その眺めは蠱毒が好きな風景だった。スメールに咲く花の香りが、ここまで運ばれてくるようで、風が心地よかった。
切り立った山頂から、自然の中で生い茂る木々を眺めていると、璃月から一歩出てしまえば、別の国があるんだという事が、認識出来るから。
いつか降魔の役目が終わったら、璃月から出て、気ままな旅をしたいと夢見ている。そこに友人である魈もいれば、最高なんだけどな。とは、本人を前にすると照れくさくて、蠱毒はまだ言うことが出来ていない。
黙ったままお互いに、背中あわせで座り込む。魈は片膝を立てて座り、蠱毒は胡座をかいて座る。
一瞬吹いた冷たい風に、重たい沈黙が流され消えていく。先に切り出したのは魈だった。
「…、あの時は、すまなかった」
数週間という時間が経過していたが、たぶんあの事(蠱毒に掴みかかって、殴ったこと)だろうと、蠱毒は察した。
「……気にしてねぇよ。お前の気持ちも、分からんでもない」
「我は、お前が付いているのであれば、問題ないと思っていた。故に、個々の決まり事を失念していた。 …否。お前であれば…、あのお人好しの空を、任せられると思っていた。」
「うむ。」
ぼんやり魈の声を聞きながらも、どこか遠くで話しを聴いているような不思議な感覚になる。
「......故に、我はお前と空が、近くに居ることを…、好ましく思っていない」
「…はあ、」
気の抜けた返事が、蠱毒の口からこぼれた。何となく、常日頃、気付いてはいたのだが。恐らく、空の事を大事に思うからこその言葉なのは、よく理解が出来た。
魔神オセルの事があってから、少しづつ魈は変わっていった。無論、喜ばしい変化であり、蠱毒自身とても嬉しいと思う。しかし、きっかけは全て、空という名の旅人である。
そう思うと、胸の奥が痛いような苦しいような、不思議な感覚に落ちいる。きっと己は疲れているのだろうと、瞼を閉じ蠱毒は口を開いた。
「なぁ、そのー、なんだ。ひとつ、聞きてぇんだけど」
「なんだ?」
「お前は、空の事を…、好いてるんだよ、…な?」
己が魈の事を、色恋の感情で好いているかどうかは解らない。しかし、少なくとも蠱毒は、魈と親しい間柄の友人でありたいとも願う。それで、魈が好いた相手を見つけて、幸せなら、己はそれで満足なのも本心だ。
「……は?お前は…何を、言っている??」
「んや、多くは語るな。お前は、言葉足らずだからな。俺が、…察してやらねぇといけねぇ!今日からは、空には近寄らねぇし、…依頼以外は、話さねぇようにする。うむ…、約束してやる」
うんうんと一人で頷くと、蠱毒はさっと立ち上がった。
何時もと違う調子に、魈が違和感を感じて、蠱毒の方に振り返るが既にその呑気な姿は無かった。
───────
「蠱毒、元気無いね」
魈と蠱毒のやり取りから、数日が過ぎたある日。
稲妻から璃月に戻ってきていた空は、千岩軍から依頼された、地下鉱区での調査を勧めるために内部に詳しい仙人、魈と蠱毒の2人を呼んでいた。
いつも賑やかに話し始めるのは、決まってパイモンか蠱毒なのだが⋯、今日の蠱毒は黙ったまま、魈の後ろに控えて静かに付いてきている。
「あのさ、魈。何か知ってる?」
「否」
そう応えた魈も、何処か落ち込んでいるように見えて、パイモンと空は顔を見合わせて頷きあう。
「おいら達ちょっと疲れたから休憩したいんだ。お前達も一緒に休もうぜ!」
もしかしたら、降魔の役目が忙しくて疲れているのかも知れない。パイモンはそう思って、気分転換にでもと、空から離れて後ろを歩く2人に声をかける。
「いいだろう。蠱毒、お前もこい」
「んー。…んやぁ、俺ぁ、もうちぃっと身体動かしてぇから。まぁ、会えたら後で会おうや」
ぐぐっと背伸びをすると、蠱毒は層岩巨淵の絶壁から地下鉱区までの崖を下へ飛び降りていく。蠱毒の姿も、声も、何も残らない空間をただ黙って見つめ、魈は悲しそうに拳を握りしめた。
───────
あの後、休憩が終わり地下鉱区へ向かったのだが、そこには蠱毒の姿も妖魔のかげもなく綺麗なものだった。時間が経てども蠱毒が空達と合流することもなく。魈は降魔もあり、目的を達した後は、空たちとは別行動を取ることにした。
時は夕餉の時間を過ぎ、赤から紺色の帷が降りてくるころ。不穏な気配を感じて、魈は望舒旅館に戻ってきた。そして、旅館のすぐ近くで闘う蠱毒の姿を、屋根の上から見つける。
その姿はボロボロで、誰のものかも解らない赤い血溜まりが地面に広がっていた。
相手は獣域ハウンド複数体。その姿は、アビスの毒を彷彿とさせる禍々しさがあり、巨大な犬に酷似しいている。
蠱毒の周りには数人の千岩軍がおり、其々に対応しているが押されていた。数名は怪我をしているのか、動けずにうずくまっている状態だ。
怪我をした凡人を後ろに庇いながら、自分の身の丈より、何倍も大きな獲物に向かっていく。その蠱毒の顔は⋯。
「ははは!そんな爪で俺ぁ、殺れやしねぇぞ。駄犬がぁ!!」
「仙人様!」
雷を纏った爪が、蠱毒の横を掠めて振り落ろされる。黒いドロリとした泥が、千岩軍の足元に伸びるが、寸前で蠱毒の鉄扇が素早く地面ごとえぐり取っていく。
「俺ぁいいから、誰かさっさと仲間ぁ、連れて引け!!これ以上は構いきれねぇ!!!」
「…!!申し訳ありません!どうか、どうかご無事で!!」
直ぐに応援を呼びますゆえ!!唇を噛み締め、そう言い残して兵士の1人が璃月の方へ走っていく。仲間がいる駐屯地へ応援を呼びに行ったのだろう。
凡人を一人で庇いながら応戦する蠱毒と、その後ろで千岩軍の兵士が互いに肩を貸し、避難していくのを確かめた直後、魈は高く飛翔した。
「靖妖儺舞!!」
黒を纏った翡翠色が、叫びながら切り刻む風と共に降ってくる。幾重にも重なる槍と、風の元素が混じり合い、鋭い刃物となって獣域ハウンドに降り注いだ。
切り裂く槍が大地を削り、妖魔達の体力を削りとる。千岩軍が逃げていく方向の木々を、鋭い風が薙ぎ倒す寸前、蠱毒が帯から退魔の札を取り出し指で印を組む。
複数枚の退魔の札が地べたに張り付くと、鋭い風がその一角だけ防がれ、木々のざわめきが止まった。
無事に兵士たちが逃げ切れたのを、目視で確認すると、蠱毒は安堵した。出血でふらつく足を何とか地面に踏み留め、仕留めてくれた友人に礼を言おうと振り向く。
「逃げ切ってくれたか、……魈、助かっ…、」
「蠱毒!!」
ふらりと足の力が抜けて、尻もちを付いてしまった。そんな己に情けなくて、溜息がでる。
「はは、情けねぇ。血ぃ、流し過ぎちまったかな。」
いつもは、白から毛先にかけてグレーに染まる綺麗な髪の毛も、今は妖魔と自分の血で黒く染まりドロドロになっている。その情けない自分の姿に、何とも照れくさく笑う顔は、数百年前に蠱毒と初めて出逢った頃を、魈に思い起こさせた。
──────
始まりと馴れ初め
─────────
蠱毒と初めて言葉を交わしたのは数百年前。まだ、魔人たちに魈が意識を奪われる前まで遡る。
ある日、夜叉の集落に仙人がやって来て、腕っぷしの強い奴らを片っ端から打ちのめして行った。
すばしっこいのに力が強い毒蛇がいる。そんな噂が、魈の居た所まで届いた。
自分も若く、常に己の技量を試す機会を望んでいた。故に、その面白そうな噂を頼りに、魈は毒蛇を探し出した。
いざ見つけてみれば、手足は細く、背丈も顔も女人のようではないか。何より己よりも随分と小さい。その様な見てくれの奴が、己に勝てるはずがない。
そうと決め込んで挑んだのだが⋯。
──見事に負かされた。──
「稚拙な鳥よ、俺ぁ強い奴としか闘わねぇ。自分でケツが拭けるように出直してこい!」
呆気にとられるほど蠱毒は強かった。悔しさよりも、その豪胆な態度と腕っぷしが気に入った。
もう一度戦いたいと、寝る間も惜しんで毎日のように蠱毒の塒に押しかけた。
「おい、毒蛇!もう一度、我と勝負しろ!」
「なんなんだよ!俺ぁ、弱いのとは戦わねぇ!」
── ──
「今日こそ逃さん!」
「降参!はい、降参!!俺ぁ、忙しいんだ!」
── ──
「何故戦わぬ!」
「うるせぇ!俺ぁ、昼寝してえーんだよ!」
── ──
「はぁ、俺の負けだ負け。なんとでも言え、俺が負けだと認めるから…。言いふらしても構わねぇ、はあ」
「その様な戯言は利かぬ」
「…はぁ、面倒くせぇ。じゃあ、真名を教えるから今日は帰ってくれ」
「…っ、…そうか、わかった。今日は、帰ってやる。しかし明日もくるからな!」
「まじで、面倒くせぇな鳥!!!」
「なんだと、蛇!我には名がある!!」
そんなやり取りをしている内に、いつの間にか共に過ごす時間が増えていった。何をするにも語るにも、気楽で楽しい。
蠱毒は人間ではないのに、凡人のような社交性を持ち合わせていた。よく喋り、よく笑い、人間の里にもふらりと遊びに行き、凡人の友人を作るのも上手だった。浮舎や他の夜叉達とも直ぐに打ち解けた姿を見て、魈は尊敬すらしていた。
──────
「昔の我は、稚拙で阿呆だった。故に、お前は己の利き手を奪われ、二度と大剣を握る事は無くなったのだったな」
望舒旅館の一室。薄暗い室内に煎じ薬のツンとした香りと、消毒液の匂いが立ち込める。蠱毒の背中の大きな傷口に、サラシを巻き終えると、ベットの傍らにあるテーブルの上の煎じ薬をカップに注ぎ、魈は蠱毒に手渡した。
「…。…そんな事あったっけか」
魈の言葉にのほほんとした声が、力なく返される。煎じ薬を受け取り、緑色の湯に視線を落とす。
「とぼけるな。アレを忘れたとは間違っても言わないでくれ」
魈が魔人に自我を奪われたすぐ後、夜叉の集落が襲われた。濃い瘴気を感じ取った蠱毒が、居合わせた力ある者達を連れて応戦したのだが⋯。
もう少しで魔人を仕留められる。そう思った矢先、魈や集落の夜叉達を人質に取られてしまった。
夜叉達の命を解放する代わりに、魔人たちの指名で蠱毒が身代わりになる。囚われた挙げ句、無抵抗のまま右腕を失い、武人としてのプライドも誇りも奪われてしまった。
約束など最初から無かったかのように、全てが炎と共に消え去っていく。それを思い出した魈の顔に、後悔と無念が入り混じる。
「そんなもん、過ぎちまった過去じゃねーか」
過去は、過去。そんな口ぶりだった。
蠱毒も人間ではないが故に、過ぎてしまったものには興味を持たない。思い出も過ぎてしまえば、全て過去に終わってしまった事に他ならない。
その言葉を聞いて、魈は少し寂しさを覚える。
共に歩んでくれる仲間が居ることを知ってから、魈は少しづつ変わっていった。
考え方も変わり、誰かを信頼することも、淋しいという気持ちにも気付く事が出来ている。だからこそ、蠱毒と共にありたいと思う。
「…っ、その、先日の事だが、覚えているか」
「ん?」
「我が、お前に言った言葉だが…」
「ああ…、空の…、ことだっけか」
やはり頭の回る蠱毒は勘違いをしているのだろうと、流石の魈でも理解出来た。
一呼吸おいてから、魈は大きな溜息をつく。何度か言葉を考える素振りの後に、ええいままよ!と、言葉に勢いをつける。
「そうではない。我が言いたいのは…、我は、………っ、我が好いているのはお前だ」
「ああ、うん。そうだよなー?……んん??」
???
暫しの間、蠱毒ののんびりした表情が抜け落ちてしまう。真顔で眠たげな目をパチパチさせてから、ギュッと閉じて片手で眉間を押さえた。
「俺ぁ、幻聴でも…聞いてるのか?まだ耄碌する歳じゃあねぇと思ってんだが…、いや3000を超えたら歳…か?いや、しかし耳は確かな筈だが??」
頭を掻いたり、腕を組み替えたり、ソワソワぶつぶつと自分の世界で悩む蠱毒に、業を煮やした魈の手が伸びる。
「…幻聴ではない。蠱毒。我は、お前を好いている」
真剣な顔で、魈が蠱毒の両肩をギュッと掴んだ。
掴まれて自分の世界から引き戻された蠱毒が、ピタリ。と、動きを止める。
目を何度かパチパチさせると、驚いた顔で固まってしまった。
「…ぇ。嘘だろ?」
「っ、…我が嘘をつくと思うのか?」
魈の言葉に蠱毒の口だけが、ハク、ハクと、言葉を探し始める。視線を泳がせ、耳まで赤く染まっていく仕草と表情は、随分と可愛らしいものであった。
普段とは違うその表情を、愛らしいと思ってしまった魈は、嫌でも己が蠱毒に抱く気持ちを自覚せざる終えなかった。
後日談 地下鉱区にて
─────────
ガラガラと崩れ落ちる岩と共に地鳴りが響き、地面から青白い光が浮き上がったかと思えば巨大な骨の龍のような岩が現れる。それは緩い螺旋を描きながら、身体をくねらせた。アビスの黒い毒を撒き散らしながらジワジワと獲物に狙いを定めた。
「やばいやばいやばい!!!」
「おい!空!!何で奥に歩いて行っちゃったんだよ!!」
緊迫した声の主、空とパイモンは一直線に走る。
「だって、奥に進むと宝箱や謎解きのギミックがあったら気になっちゃうでしょ?!」
「バカヤローー!だからってあんなヤバい奴が居るなんてオイラ聞いてないぞーーー!!」
パイモンが叫ぶ。後ろには、巨大な頭部が口を広げ迫ってきていた。
「「ひええーーー!!」」
誰でもいいから助けてくれ!!そう心の中で叫んだ。
──ギィイン!
耳障りな金属音が、暗い層岩巨淵の地下鉱区内に響き渡った。
真っ赤な火花が散り巨大な岩の頭部が何者かに阻まれる。
空が薄っすら目を開けると、濃いすみれ色の帯が見えた。鉄扇を盾に蠱毒が巨大な岩の頭を受け止めていたのだ。
蠱毒と空の間にふわりと魈が降り立つと、空はパイモンを抱えて安全な岩陰に逃げ込んだ。
「蠱毒、」
「あいよぉ、」
蠱毒は返事をすなり、くるりと身体を捻って巨大な岩の頭部を蹴りで弾き返す。衝撃で浮き上がった岩の硬い顎を義手ではない左手で掴んだ。そのまま力のかぎり地面に叩きつける。
パキキ…パキ……バキンッ!!
深く地面にめり込んだ岩の頭部に一瞬でヒビが入り、一番力強く掴まれた個所から粉々に砕けた。
ーーーーー!!!!
巨大な身体が声にも成らない擬音を上げ、のたうち回る様に上の方へ逃げる。岩の竜を追い掛けて、次は魈が飛翔する。足場を見つけ長い胴体を一気に頭の方に駆け上登った。
「是⋯!!」
魈の仙術で作り出された無数の槍が、巨大な岩の竜の頭上から幾重にも振り注ぐ。淡い翡翠色の光の槍が硬い岩の身をこそぎし、巨大な岩の竜は黒い霧となって四散した。
足音もなく地面に着地した魈は、空の安否を確認しに向かう。くるりと着地した蠱毒も魈の後に続いた。
「魈〜!蠱毒〜!!」
パイモンが今にも泣き出しそうな顔でふよふよと蠱毒の方へ飛んでいく。
「怪我はないか?」
「うん。大丈夫!魈も、蠱毒も助けてくれてありがとう!」
ニコニコと笑う空に、魈も蠱毒も顔を見合わせて無事を喜んだ。