新任教師明智先生と前歴持ちの雨宮くんの話⑥近くのコンビニでお金を下ろしてから、ひとまず食パン、サラダ油、塩コショウ、マーガリン、ハム、卵を買って再び明智の家に戻るとようやく起きたらしい明智がベッドに腰かけていた。その手には荷物を取りに行く時に書いた書き置きの紙が握られている。扉が開く音に気づいて上げられた顔は、未だに寝起き満載の呆けた顔だった。
「……君、荷物それだけ……?」
「そんなわけないだろ。荷物はこっち。こんなに広げちゃってるのに気づかないのか?」
足元に置かれているボストンバッグを軽く蹴る。明智は
半開きの目のままそれを見下ろして『ああ、これか……』とぼんやりと呟いた。ボストンバッグとキャリーケース、通学用のカバンまで床に置いてあるのに気づかないとは、あれだけ寝ておいてまだ寝ぼけてるのかこいつ。
「朝ごはん…食パンと卵焼きたいんだけど、あんたも食べるだろ?フライパン使うぞ」
「……ん…」
「焼いてる間にいい加減顔でも洗って目覚まして来たらどうだ?」
「……いや、シャワー浴びる……髪の毛ギトギトだし…」
「もうどっちでもいいからさっさと行け!」
明智を浴室に押し込んで、遠くから聞こえる水の音を聞きながら早速買った食材達を開封する。食パンをオーブントースターで温めながら、熱したフライパンに卵を入れて目玉焼きを作っておく。
「しかし……」
まさか学校であれだけキラキラ爽やかオーラを振りまいている明智が、朝はあんな有様になるとは夢にも思わなかった。今日は休みだからここまで寝坊助だったのか、毎日あんな感じなのかはこれから嫌でも分かるだろう。こんな一面を知っている存在なんて指で数え切れるぐらいしか居ないのではないか?少なくとも明智を見て毎日カッコいいと甲高い声を上げているクラスの女子達などは知る由もないだろう。
そう考えると少しだけ優越感を感じた。お前の好きな明智先生は朝になると人を殺しそうな目で睨んでくるぞ、なんてことを言おうものならどんな反応が帰って来るのやら。
焼けた食パンにマーガリンを塗り、適当に見繕った皿にハムと目玉焼きを盛り付けたものを食卓に並べたところで、シャワーを浴びて出てきた明智が肩にタオルを乗せたまま出てきた。
「へえ。君、目玉焼き作れるんだ。偉いね」
熱湯を浴びてようやく完全に目も覚めたのか言語も顔つきもいつも通りになった明智は、意外そうに盛り付けた皿をタオルで濡れた髪を拭きながら眺めている。
「これくらい普通に作れるだろ。あんた目玉焼きも焼けないのか?」
「作る機会ないからね。冷凍食品で間に合ってるし、朝はあんまりお腹減らなくて」
「ただでさえあんなに頭に血が回ってない状態なんだから頭に栄養与えてやれよ」
「その生活で今までやり通せたんだから今更指図を受ける筋合いはないよ。まあ用意してくれたものはありがたく頂くけどね」
言いながら明智は、ドスンとテーブルの前に腰掛けると皿に乗せたトーストを持ち上げて、パリッと音を立てながら焼き上がったそれを口にした。
口をモグモグと動かしながらテーブルの端に置かれたテレビのチャンネルを取り、テレビを付ける。端然とした横顔は淡々とキャスターが読み上げるニュース速報を眺めている。そこに普段の空気は何もない。
「なあ。あんたって、やっぱり今の態度が素なのか?」
「ん?まあ素が云々とかは知らないけど、君に対して取り繕う必要はもうないなとは思ってるよ。舌打ちしたの見られちゃったし」
「舌打ちが基準なのか?」
「キラキラ王子なイケメン先生が舌打ちなんかしたらイメージ崩れるだろ?だから今更君に王子を振舞ったって壊れた印象は元には戻らない」
「……ふぅん」
そんなことを淡々と言える辺り、こいつやっぱり生徒からイケメンだの王子様だのと持て囃されているのしっかり自覚してたな。
ちなみに舌打ちしてる所を見る以前から性格が悪いのは垣間見えてたし、俺の中でその印象とやらは昨日より前からぶち壊れている。
「それより。これからの話をするよ、蓮」
「これから?」
「そうだよ。だって君の家はしばらくここになるんだから何も分からないわけにはいかないだろ」
「まあ、そうだけど……」
「面倒くさいルールを強いるつもりはないけど、最低限のことは君に教えておく」
こくりと頷くと、明智は口を開く。
「まずは……当然だけど君が僕の家に居候してることは誰にも言わないように。まあそんなことを気軽に話せる相手が君に居るとも思えないけど、念の為ね」
「うるさいな、一言多いんだよ」
「それから、放課後は寄り道していいけど遅くならない時間に帰ること。どうしても遅くなる時は連絡して。変なもの買ったりもしないように。親元から離れたからって君が保護観察の対象であることは変わらないから、そこは絶対に従ってもらうよ。僕はご両親から君を預からせてもらってる身なんだから監督不行届なんて言われるわけにはいかない」
「……ん」
「あとは、そうだな。そこの机とパソコンは好きに使っていいよ。でも僕が使う時はすぐに場所譲ってね」
言いながら明智が指差す先には先程見た写真立てが飾られているノートパソコンが置かれた机がある。
「使っていいけど引き出しの中とかデスクトップのフォルダは絶対に開かないで。個人情報みたいな機密事項の書類が色々入ってるから無闇に触らないように」
「分かった」
「合鍵はこれね」
と、棚から出した合鍵が机の上に置かれる。
ひとまずこれはすぐに家の鍵と一緒に金具に付けて、鞄の中に入れておいた。
「月曜からの話だけど……僕、学校は放課後の時間に退勤してるけど帰るのはほぼ毎日夜だから」
「夜って……昨日くらいの時間ってことか?」
「昨日は残業。普段は七時とか八時頃には帰ってるよ。だから夕夕食は食材買って作るなりコンビニ弁当買うなり冷凍食品食べるなり好きにして。僕もいつもそうしてるから」
「好きに……」
明智の家に世話になるからには何もせずただ居候するだけ、というわけには行かない。だからお礼も兼ねて何かしら明智の役に立てることをしようとはずっと考えていた。
こうして家に迎えられている程には信用してもらえてるとはいえ、明智自身は女生徒からの露骨なアピールをサラリと交わす程にはガードが固い奴だ。机周りは勝手に触るなと言われてしまっているし掃除もいちいち明智の確認が必要になるだろう。恐らく洗濯も同様。
となれば残るのはキッチン周りだけ。自炊をしない明智ならキッチンだけはいくら触っても支障は出ないはずだ。
「キッチン好きに使っていいなら、これからは俺が用意する。あんたの分も含めて。ダメか?」
「用意って……作るってこと?しかも僕のも?」
「ん」
「……もしかして居候だからって気遣ってる?それなら心配しないで。こっちから言い出したんだからその辺はちゃんと腹括ってるよ」
「確かに居候してもらうからにはと思ってることは否定しないけど、根本的にあんた食事が偏りすぎなんだよ。朝飯はちゃんと食え。その方が頭も働くだろ」
「極めて余計なお世話でしかないけど……そもそも君、料理作れるわけ?」
「家で親の手伝いすることもあったし、少なくとも目玉焼きも作れないあんたよりは上手に作れてるだろ。ほら、食ってみろよ」
「…………ふぅん」
用意したフォークを手に取り、明智は皿に乗った目玉焼きにそれを刺した。溢れ出るとろりとした黄身を白身に絡めて、それを口に入れる。
目玉焼きも簡単な料理に見せかけて焼き加減で味──というか黄身の食感が大きく変わる。黄身を半熟にしたまま、焦がさず、白身にはしっかりと火を通す。黄身も割らずに皿に移せたし、アピールとしては最高レベルのものだろう。
女からしたらハードルが低いかもしれないが、男の手料理に対する印象なんて食べれれば良い程度のものだろうし自炊しない明智からしたらそれは尚更だろう。
ならば、俺の手料理もそれには当てはまるはずだ。
「まあ、好きにすれば。無茶さえしなければなんでもいいよ」
予想通り、アピールには成功したらしい。
淡々とした態度だけれど二口目、三口目と食べてくれているということは不味いわけではないらしい。
良かった。これで貸しを作ったまま明智の家に居座る、という最悪の事態は免れそうだ。
「朝は目玉焼きが主流になるなら僕、目玉焼きは完熟の方が好きなんだけど」
「俺は半熟派だ。我慢しろ」
「はぁ?家主の好みに合わせるべきじゃないの?そこは」
「味の好みは作る側に委ねるのが作ってもらう側の最低限の礼儀だろ。大人なら育ち盛りの子供を優先しろ」
「……チッ、話にならないな。これだから都合のいい時だけ子供面するガキは嫌いなんだよ」
「教師がして良い発言じゃなさすぎる」
自宅だからか明智は相当肩の力を抜いているらしい。
俺の中の明智吾郎のイメージがどんどんと口が悪くて生活面では意外と穴だらけな、普段とは似ても似つかない全く別の正反対の存在として塗り変わっていく。
けれど、ドン引きこそするものの失望したわけではない。それを知れるのも俺だけなのだと思うと失望より好奇心が勝つ。
きっかけがああだったので素直には喜べないが、それでも知られざる明智の様々な一面を知れるなら、それはそれで楽しそうだと思ってしまう俺が居た。