クラカイ小話③秋の里に、風の音だけが流れていた。
紅の葉が踊り、空には一枚の雲もなかった。
「クラマさんは、カイさんの面の下の顔を見たことはありますか?」
舞手の問いかけは、あまりに真っ直ぐで、風を忘れていたクラマの耳を打った。
囲碁盤の上に残された白石が、どことなく中途半端な配置で、じっと彼の指先を待っていた。
「……興味がないな」
クラマはそう返したけれど、舞手の眼はまるで霧のかからない湖みたいで、少しも曇らなかった。
カイの面の下の顔。
見たことがある。いや、あれは……見てしまった、という方が近い。
もう少し風が強かったなら、あるいは酒があと一杯多かったなら。
ある晩、宴のあとで高くなりすぎた月が、厚い雲に隠れたその瞬間に、カイが面を外したのだ。
夜の中、露にされたのは、静かで、妖しい、艶やかな顔とまなざしだった。
「つまり、見たことはないんですね?」
舞手のさらりとした声に、小さく我に帰る。
クラマは何も答えず、ただ黙って立ち上がった。
風が彼の長い外套を持ち上げて、葉を巻き込んで踊らせた。
──見たよ。
でも、それを「見た」と言ってしまうと、何かが変わってしまいそうだった。
風の音がひときわ強くなり、囲碁盤の上の白石がひとつだけ転がった。
それは、勝ちでも負けでもない、ただの一手だった。
しかし、クラマには、その一手が、
どんな鬼神の拳よりも重たく感じられたのだった。