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    『さざなむ、さざなむ』②

    潮とアルコールのにおいを浴室で洗い流し、宿で用意された夕食で腹を満たした。広間と言うには狭く、それこそ学生寮の食堂のようなダイニングで目玉焼きが乗ったハンバーグとトマトのサラダ、遠慮がちに玉ねぎが浮かぶコンソメスープ、なんの変哲もない白米を食べた。海辺の宿だから魚介を期待していたのだが、随分と家庭的なもてなしであった。味は特別美味しいわけでも、不味いわけでもなかった。それこそ学生のときに行った宿泊学習で食べた食事と味の印象が似ている。
    「んー正直俺っちが作ったハンバーグの方が断然うまいね」
    「凝り性で、手間ひま掛けるのが半ば趣味のようなあなたの料理とは趣が異なって当然でしょう。あの場で言わなかっただけ評価します」
    「さすがに言わねーよ?」
    「初対面で小生の服装を馬鹿にした前科があるのをお忘れで?」
     外出中に押入れから出されていた布団を広げて敷きながら幻太郎が一二三をじとりと睨んだ。なにかとうっかりした発言をするとこの件を持ち出してくるのだ。一二三にとってはとうの昔に過ぎたことなので、蒸し返されるたびに理不尽を感じる。
    「まだ言う!? もーいいじゃん」
    「それを言えるのは小生だけです」
     幻太郎は不満げに言いながら、八つ折りにされていたシーツをふわりと舞わせて大きく広げた。
    「一生言いますから、覚悟しておいてください」
     シーツの余りをいそいそと敷布団の下にしまいこみ、枕の位置を調整すると幻太郎は布団の中にもぐってしまった。話しながら営業のメッセージを自身の客に送っていた一二三はまだ布団に触れてもいなくて、それは部屋の隅で小さく縮こまっている。スマートフォンの上部に表示されている時刻はまだ二十二時前だ。
    「マジで寝んの?」
    「伊弉冉さんはお忙し様子ですし、小生はやることもなくて暇なんです」
    「なになにー? 拗ねてるカンジ?」
     ちょうど溜まっていた返事は全て返したところだった。一二三は部屋の端へぺたぺたと歩いて行って、三つ折りにされた布団を持ち上げた。敷く場所は幻太郎の隣以外考えていなかったが、改めて部屋を見渡すとそのだだっ広さにもったいない気持ちになってくる。十人分は敷けるであろう部屋の中心でたったふたりだけ布団をくっつけて眠る様子を俯瞰で想像し、一二三はその滑稽さにひっそり笑った。
    「やっぱさあ、この部屋広すぎじゃね?」
    「承知の上です」
    「隣の小さい部屋も八畳あるってゆーし、寝るだけだったら隣でもよかったんじゃね?」
     一二三は腹まで掛け布団を掛け、肘を立てた体勢で寝そべった。
    「……だめですよ。隣は引率の教員が泊まる部屋ですから」
    「は?」
    「あ、電気、電気消してください」
     鼻まで布団に埋めた幻太郎がもぞもぞと蠢いて、中から右手を出すと天井の蛍光灯を指差した。
    「いーけどマジで寝んなよ!」
     指示されるがまま一二三は部屋の明かりを消し、今度は枕に後頭部を預けて横になった。
    「てか、さっきの教員てなに」
    「教員は教員です。学校の先生。あなたはソフトテニス部で、小生は部員たったひとりの文芸部です。顧問のひとりが兼任をしているので、合同合宿になりました」
     またいつものがはじまっただけだったようだ。幻太郎は唐突に架空の物語をでっち上げ、一二三や自身を登場人物にしたてる。夜型の生活リズムになっている一二三は眠気もないし、その舞台の上に乗ってやることにした。
    「ゆめのんがひとりぼっちなのはわかったけど、なあんで俺っちもひとりなわけ? ひとりじゃテニスできねえっしょ」
    「ソフトテニス部はあと五名いますが、ひとりは町内で有名な猛犬に度胸試しでちょっかいを出して脚を噛まれ三針縫ったばかり、ひとりは期末試験の結果が赤点ばかりで補習を受けています。三年生の二人は受験勉強を優先して来ませんでした。最後のひとりは突然自分を変えたくなって自転車の旅に出てしまい、結果伊弉冉さんだけに」
    「もうそれ合宿中止でよくね? なんも練習できねーじゃん。それとも夢野クンが練習相手になってくれる系?」
    「小生は文化祭までに、いま書いている長編を完成させなければなりませんので無理です。壁と仲良くラリーをなさってください」
    「文芸部だし運動神経悪そーだもんな」
    「酷い偏見だ。小生は百メートル九秒五十八の俊足ですよ」
    「オリンピック選手じゃん。文芸部やめて陸上部に入部した方がいいって」
    「嘘ですよ」
     隣で幻太郎が体勢を変えた気配がした。一二三は布擦れの音の中に幻太郎が空想する学生の自分たちを探る。だけどさっぱり思いつかなかった。
    「俺っちと夢野クンは友達?」
    「いいえ。話したこともありません。同学年ですがクラスは違います。ですが選択科目の習字が二クラス合同で週に一度だけ同じ教室になるので、顔と名前くらいは知っているんじゃないですかね」
    「選択科目とか! 超懐いね。幻太郎はどんな学生してんの」
     そうですね…… 、と幻太郎がはじめてこの茶番劇でセリフを止めた。
    「もらい子だと吹聴した馬鹿がいたので、まんまと同調圧力によって弾き出されてしまい、小生は基本的にひとりで本を読んでいます。どれくらい本が好きかと言うと、このあいだ続きが気になって仕方なく、化学の授業中にこっそり本の続きを読んでいるのが教師に見つかり、公然と注意をされたほどです。そしてそれを少々根に持っています」
    「それは夢野クンが悪くね?」
    「繊細な年頃とはそんなものですよ」
     一呼吸置いて幻太郎は続ける。
    「席は窓際の後ろから四番目。窓を開けていい風を呼ぶと、木々の歌も心地よく、新年度に控えた席替えに憂鬱を募らせています」
     ふうん、と興味なさげに相槌を打ちながら、幻太郎が語りだす直前の間と具体的な内容とに因果関係を見出していた。おそらくだが、これは幻太郎の過去の話だ。
    「週に一度しか見かけない、他人と関わる気がない小生にあなたが声をかけたことは一度もありません。あなたはたくさんの友人や女子と賑やかでいることに忙しいですから」
     その通りだろうなと思う。わざわざ防壁を作っている人間に関わっていくほど一二三は暇ではなかったし、学級委員でもなんでもなかったので、その義務もなかった。一二三は自身が楽しく過ごすことに夢中だった。
    「小生もあなたをただうるさい男だとしか認識していませんので、お互い様ですね」
     一二三は考えた。もしも一二三と幻太郎が同じ学校に通う同級生だったとして。
    「フツーにしてるだけなら卒業するまで関わんないだろーね」
    「でしょうね」
    「でも合宿でふたりになっちったのか。気まずいなー。俺っちたちは合宿で打ち解けた?」
     布団の中から腕を抜き、抱きつく要領で幻太郎の肩に頭を乗せる。幻太郎は動じることなく一二三の好きにさせてくれた。気まずい時間を過ごす、ありもしない架空の学生時代を過ごす自分たちを想像しながら、出会ったばかりの露骨に嫌な顔ばかりをしていた幻太郎を思い出して感慨深くなった。きっと学生服を着た幻太郎はあの頃と同じ顔をして一二三を拒んでいるのだろう。
    しかし現実の、こうして手が届く距離にいる幻太郎は一二三を受け入れてくれたばかりか、幻太郎も一二三のことを求めてくれる。
     幻太郎の抱く未来の中に自分がいる。
    先ほどの瞼が熱くなる愛しさが波のように打ち寄せ、続きを語ろうとするくちびるに吸いついた。
    「んっ……電車であなたが酔って」
     幻太郎はキスに応えながらも続ける。普段のらりくらりとさほど物事に執着がなさそうに装っているが、実際はまあまあ頑固だ。お伺いを立てた舌先はおしゃべりに阻まれて、一二三はどうしようかなと逡巡する。
    「俺っち乗り物酔いしねーよ?」
    「仕方ないから小生が介抱してあげました」
    「ねえ、話聞いてる?」
     静止も修正も受け付けてはくれないようだ。
     本当の一二三の高校時代は半分を恐怖心に塗りつぶされている。女性恐怖症を患う原因に遭ったばかりで、克服したいと思う余裕もないほど恐怖でいっぱいだった。幻太郎が語る一二三の青春は夏の陽射しを浴びて輝いていたが、既に興味は現実に移っていた。わざわざ幻太郎と一二三の距離が遠くにある物語よりも、触れられる距離にいることを実感したい。
    「ふ……んぅ、ん……存外しおらしく謝って、それから一点の卑屈もない満面の笑みで感謝を述べるもの、ですから……ふふ、小生はね、毒気を抜かれて無闇に遠ざけようとするのが馬鹿らしくなりました」
     深いキスは拒まれてしまったから、代わりに見える範囲の乳白色にすり寄って、耳の裏から首筋にかけてくちびるを押しつけながら降下させていく。青春物語の合間に艶やかな微笑が混じり、そのままはやくこっちに来てくれないかなあと希求しながら、体重をかけて全身を密着させた。
    「絆されちゃった?」
    「そうですね。あなたの良くも悪くも素直なところ、呆れてしまいますけれど、たまにすごく羨ましくて、愛おしい」
    幻太郎が一二三の前髪をかき分ける。額に触れる濡れた感触が合図だった。幻太郎の中にある一二三の居場所を探して深いキスをする。舌を絡め、一二三の中にある幻太郎の居場所はここだよと呼んで、教えて、答え合わせをする。
    「はぁ、ぁ……ひふみ、ひふみ……」
    「げんたろ……」
     これ以上はないくらいに近くにいるのに、迷子のように何度も名前を呼びあった。目には見えないものをどうにか捉えたくて、撫でて、擦って、抓んで、それでも足りずに口で吸って、舐めて、いたずらに歯立てた。幻太郎は懸命に声を殺していたが、四肢の緊張と痙攣で敏感に一二三の愛撫を拾い上げている様子が伝わってくる。急な宿泊で準備もないから身体を繋げられなかったが、じわじわと温まっていくような快感を交わしながら、いつもは嘘と天邪鬼で隠したがる幻太郎の、やわく繊細な場所に指先が届いた気がした。
     一二三はそれを愛と呼ぶことにした。



     翌朝。
     乱れたシーツの上で目を覚ました。濃厚な交わりではなかったが、微睡みに似た倦怠感が残っていて、一二三は外の空気を部屋に入れるために窓を開けた。シンジュクの街にはない香りがする風が吹き込み、一二三は目の前にある新しい一日のはじまりを恭しく受け取った。
    「げんちゃろー! 朝だよん、ほら、起きろって。朝飯たしか八時だろ?」
    「んん……あと五時間……」
    「どんだけ寝んの! チェックアウトの時間過ぎちゃうって」
    しつこく揺すって呼びかけて、つい昨日も同じことをしたなとおかしくなった。違ったのは幻太郎が昨日よりも寝起きが悪いことぐらい。鼻をぎゅっと抓んでようやく観念した態度で幻太郎が布団から出てきた。寝起きの不機嫌顔で癖毛は盛大に暴れているし、全然きれいでもかっこよくもない。だからこそ構いたくて仕方なくなるのだ。起きて三十秒で通常運転になれる一二三は幻太郎に煙たがられようが歯牙にもかけず、部屋の外にある手洗い場に引っ張っていってその髪を整えてやった。
     昨夜と同じく下の階でぽつねんと朝食を済ませ、せっかくだから昼間の海も見て帰ろうよと幻太郎を誘って散歩に出た。平日午前中の海にはふたり以外の誰もいなくて、一二三は幻太郎の手を握ってみたくなった。間隔を狭めて幻太郎の左手を捕まえる。嫌がられても覚悟の上だったが、幻太郎はむしろしっかりと握り返してきた。一二三は太陽の光を反射してキラキラと光る海に目を細めるふりをして表情を緩めた。ギリギリ波が届かない海と砂浜の境界を歩きながら、昨日まではぼんやりと遠くにあった未来を手繰り寄せる。
    「イタリアはいつ行くー?」
    「あなたねえ、あれは嘘ですよ。本気にしないでください」
    「いいじゃん! 行こうよ! 俺っちは幻太郎といっぱいいろんなとこに行きたい」
    イタリアだけじゃなくて、他にもたくさん出かけよう。近所のスーパーやコンビニにも、地球の裏側にもふたりで行こう。もちろん今までみたいに家で過ごす時間も作って、そうしたら触るだけじゃないセックスもたくさんして、そういう時間をいつまでも繋いで、そうしたらほら、きっと未来のかたちになる。
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    MOURNING『さざなむ、さざなむ』②潮とアルコールのにおいを浴室で洗い流し、宿で用意された夕食で腹を満たした。広間と言うには狭く、それこそ学生寮の食堂のようなダイニングで目玉焼きが乗ったハンバーグとトマトのサラダ、遠慮がちに玉ねぎが浮かぶコンソメスープ、なんの変哲もない白米を食べた。海辺の宿だから魚介を期待していたのだが、随分と家庭的なもてなしであった。味は特別美味しいわけでも、不味いわけでもなかった。それこそ学生のときに行った宿泊学習で食べた食事と味の印象が似ている。
    「んー正直俺っちが作ったハンバーグの方が断然うまいね」
    「凝り性で、手間ひま掛けるのが半ば趣味のようなあなたの料理とは趣が異なって当然でしょう。あの場で言わなかっただけ評価します」
    「さすがに言わねーよ?」
    「初対面で小生の服装を馬鹿にした前科があるのをお忘れで?」
     外出中に押入れから出されていた布団を広げて敷きながら幻太郎が一二三をじとりと睨んだ。なにかとうっかりした発言をするとこの件を持ち出してくるのだ。一二三にとってはとうの昔に過ぎたことなので、蒸し返されるたびに理不尽を感じる。
    「まだ言う!? もーいいじゃん」
    「それを言えるのは小生だけです」 4949

    n_onfz

    MOURNING『さざなむ、さざなむ』①
    クレリリで配布した無料配布です。
    半分以上は支部に投稿したものとほとんど同じ内容なので、追加部分を読みたい方は②からどうぞ
    喧騒が去るのを惜しむ大歓楽街の中心で、一二三は今宵の仕事を終えてスタッフ用の裏口から店を出た。まだ点々とネオンが灯る通りに出て辺りを見回すと、角に停っている黒い車がプップーと二回クラクションを鳴らした。煌々と光るハイビームにけたたましいクラクション。その印象だけで彼が待ちくたびれているのがわかるようだった。
     一二三が車に駆け寄るとサイドウィンドウが下がり、運転席に座る幻太郎がハンドルに寄りかかって顔を覗かせる。
    「お疲れさまです。後部座席と助手席、どちらでもお好きな方へどうぞ」
    「寂しがりな子猫ちゃんだ。そんな風に試さなくても助手席にお邪魔するよ」
     助手席に座り、シートベルトをする前にジャケットを脱ぐ。後部座席に畳んでそれを置くと、顔を顰める幻太郎と目が合った。
    「どった?」
    「いいえ。あなたがトンチンカンなのはいつものことでしたね」
    「なになに〜? 失礼じゃね」
     それこそいつものことだけれど。シートベルトを締めてまもなく車が発進した。
    「こんな夜中にさあ、どこ行くわけ」
    「今年の夏は行きそびれてしまったので海に行こうかと」
    「ふーん。どこの?」
     よたよたと歩道を渡る酔っぱらい 8957

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