『黙過と捏造』現世の寄席は、柔らかな灯りに照らされ、賑やかな笑い声が響き合っていた。その喧騒の中、金髪に色付きのサングラスをした長身の男が、得意げに胸を張って歩を進めていた。
金髪の男、金滅鬼は、サングラス越しに目を輝かせながら周囲を見回す。今日は友である落語家の言わぬが花…もとい黙過亭落花の公演を観るため、黄泉の寄席で二ツ目の落語家である鬼女のねつ蔵を連れて、人間に化けた姿でやってきたのだ。
「ねつ蔵嬢、さあ、寄席の幕が上がるのだ! 楽しみなのだ〜!」
金滅鬼は派手な黒いファー付きのロングコートを身にまとい、ねつ蔵の手を引いて客席に着いた。ねつ蔵は着物を身にまとい扇子を手に、落ち着かない様子で周囲を見回す。黄泉の寄席で日々高座に上がる彼女にとって、現世の寄席は生前を思い出し、胸がきゅうと苦しくなる。
彼女の心の底には、黄泉での過酷な現実───女将からの給料未払いや、男性落語家達からの性的暴力が淀みのように底に溜まっていた。しかしねつ蔵はそれを純粋無垢な金滅鬼には隠し、平静を装う。
「金ちゃん、言わぬが花さんの落語ってそんなにすごいの? 黄泉じゃなくてわざわざ現世でなんて…」
ねつ蔵は怪訝な顔で金滅鬼に聞く。ねつ蔵は金滅鬼が自分以外の落語家と親しいことに、内心複雑であった。金滅鬼はそんな彼女の微妙な表情に気づかず、笑顔で舞台を指差す。
やがて、舞台の幕が上がり、妖怪であり落語家の言わぬが花が華やかに登場した。
「どうも〜言わぬが花…もとい黙過亭 落花で一席お付き合い願います〜」
扇子を軽やかに操り、色気たっぷりの笑みを浮かべる言わぬが花。彼は「言わぬが花」を信条とする妖怪で、言葉を慎む美徳を教える存在だ。だが、寄席では人に化け、その軽妙な語り口と独特の魅力で客を惹きつける。落語家としては二ツ目だが、華やかな舞台姿は観客を虜にしていた。
言わぬが花は観客を見渡すとマクラを話し出す。
「えー、『言わぬが花』という諺をご存知でいらっしゃいますでしょうか。はっきりと口に出して申すよりも、黙っておりますほうが趣が深まるという諺でございます。ところがですよ、あたしはねついつい喋りすぎまして、まったく、黙っていれば良いことがございますのにねぇ。」
客席からくすくすと笑いが漏れる。言わぬが花は扇子を軽く振って言葉を続ける。
「『口は災いの元』とはよく申したもので、昔から余計な一言が原因でケンカになったり、大事な仕事が駄目になったり、恋人にフラれたり…どなた様も「言わなきゃ良かった」と後悔なさった経験がおありかと存じます。あたしも、そのせいで随分と失敗を重ねてまいりました。いやはや、言葉というものは時に刀よりも鋭くございますから、くれぐれもお気をつけにならないといけませんね。 」
ねつ蔵はごくりと息を飲んだ。「言わなきゃ良かった」という言葉に生前の最後の落語を思い出す。記者達の捏造報道で苦しめられた復讐に噺でなく捏造の言葉を高座で吐いたことを。師匠を傷付けたことを。
「今でこそ、誹謗中傷なんて申しまして、法が裁いてくれる世の中でございますが、江戸時代には「斬捨御免」なんて言葉もございまして。武士に無礼を働きましたら、その場で斬り殺されてしまうなんてことがまかり通っておりました。軽い一言、調子に乗った悪口…それだけで首が飛ぶなんてことも珍しくなかったそうでございます。ほんと、洒落にならない話でございますよ。」
そういうと言わぬが花は呆れたような顔で観客を見渡したと思えば、微笑み項垂れる。すると数秒の沈黙に観客が息を飲んだ。
「はあぁ〜〜〜ありがてぇなァ、い~い気持ちだなァ。ここらで一番じゃねえかなァ、ははは。」
言わぬが花は酔っ払いの男の陽気な口調を生き生きと演じ、客席を沸かせる。
ねつ蔵は心がザワつく、目の前にいるのは落語家ではない、酔っぱらいだと脳が錯覚する。
始まるのだ『首提灯』が。
言わぬが花の噺にどんどん意識がのめり込む。酔っ払いの男が品川の馴染みの女からの手紙に浮かれ、芝の山内で侍と出くわす場面では、言わぬが花は身振り手振りを交えて臨場感たっぷりに語った。
「おい、待て!」
言わぬが花が侍の声を低く響かせると、客席は息を呑む。男と侍の言い争いは次第にエスカレートし、言わぬが花の語りは軽妙さと緊迫感を絶妙に織り交ぜていく。
「か〜〜〜〜〜〜〜〜っ………ぺっ!」
男が侍に痰を吐きかける場面、言わぬが花が羽織を掴み怒りに震える姿は侍そのものだ。それが次の瞬間には酔っぱらいに切り替わりコミカルな動きで客席を爆笑させた。だが、物語は一転、侍の刀が一閃し、男が斬られたことに気づかぬまま首を支える場面へ。酔っぱらいの声は半泣きになり、客席は笑いと緊張の狭間で揺れた。
「あ〜あ〜こりゃァいけねぇ!ありゃぁ火事じゃねえかい!ったっくよォ悪い時に出会っちまったよォ!」
酔っぱらいの男が慌てふためく姿を、言わぬが花は頭を押さえ震わせながら演じ焦りを観客に伝染させる。
「ちっくしょうおそろしく混んできやがった!頭落っことしちゃなんねえ!………そうだ!こうして高く上げて提灯代わりにして……」
言わぬが花は頭から手を前に持っていった。この後のオチは知っている、来るぞ来るぞと胸躍らすと言わぬが花の手はそのまま羽織の中に仕舞われた。
「で、男、その後どうなったと思います…? あたくし、ここで黙っときます。これがほんとの『言わぬが花』でございます。」
客席は大きな笑いと拍手に包まれた。
ねつ蔵は拍子抜けしながらもいつの間にかパチパチと拍手をして舞台を見つめていた。いつの間にか言わぬが花の噺が進むにつれ、身を乗り出していたらしい。
「オチを言わない落語なんて……」
ねつ蔵の呟きは小さく、誰にも聞こえなかったが、その瞳には落語家としての熱が揺らめいていた。金滅鬼は隣で「面白かったのだ〜〜!」と薄っぺらい感想と純粋な笑顔を見せた。
公演が終わると、金滅鬼は意気揚々とねつ蔵の手を引いて楽屋へと向かった。
「言わぬが花殿に挨拶に行くのだ! 今日の目的はねつ蔵嬢を言わぬが花殿に紹介することなのだ〜!」
金滅鬼に手を引かれねつ蔵は変化を解きずんずんと関係者以外立ち入り禁止エリアへ入っていく、警備員を抜け楽屋前に来るとねつ蔵は「金ちゃん!金ちゃん!ちょっと待って! 緊張するのちょっと待って!」と金滅鬼の袖を引っ張ったが金滅鬼は扉を勢いよく開けた。
楽屋では、言わぬが花が扇子で顔を仰ぎながら二人を出迎えた。
「あら〜〜小烏丸ちゃん! お久しぶりねえ〜!最近ご無沙汰じゃなあい?…………って女の子じゃなあい!!!女の子も一緒だなんて、なんて華やかなの! !いやだわ女の子来るってんならもっとお化粧したのに〜〜!わざわざ人に化けて見に来てくれたのかしら〜〜嬉しいわ〜〜〜!もしかしなくてもやっぱり高座から見えていたあの金髪サングラス男は小烏丸ちゃんね〜〜〜〜?お嬢さんは目をキラキラさせてて可愛かったから覚えているわ〜〜!鬼女なのね〜〜!もしかしなくても落語が好きなのかしら〜〜〜?こ〜んな可愛い子に聞いてもらえるなんて落語家冥利に尽きるわ〜〜〜〜!ああそうだわあたしの噺、どうだったかしら〜〜?あたしの得意な噺なのよ〜〜〜!ちょうど昨日呑み歩いていたからまだお酒が残っていて今日はよく口が回る日なのよ〜〜!」
言わぬが花からの途切れぬ怒涛の質問攻めに金滅鬼は胸を張って答えた。
「言わぬが花殿の落語も面白かったのだ〜〜!でもやっぱり我はねつ蔵嬢の落語が一番好きなのだ!」
その言葉に、ねつ蔵は「金ちゃん!?」と慌てて顔を赤くする。言わぬが花はクスクスと笑い、金滅鬼の頬を餅を伸ばすようにつまんだ。
「あらやだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜小烏丸ちゃんったら、そういうのは“言わぬが花”よ〜〜〜」
「ひゅむ〜〜〜〜〜〜〜!」
金滅鬼はにこにこ微笑んでいた。
その時、ねつ蔵が口を開いた。
「言わぬが花さん…いえ落花さん、どうしてオチを言わなかったんですか?」
その言葉に言わぬが花は目を細めねつ蔵を見つめた。
「言わなかったんじゃなくて、あたしオチが言えないのよ〜、妖怪の性ってやつよ、これでも“言わぬが花”ってぇ妖怪なのよ。ま、このオチを言えない芸風が物珍しくてウケているんだけどね」
そう言って袖をヒラヒラと上下して言わぬが花はあっけらかんと笑った。
ねつ蔵は言わぬが花を見つめると意を決して言葉を紡いだ。
「今日の噺見て思ったんです。あたし…あたしもっと自分の落語を磨きたいです…それで黄泉の寄席で一番の落語家になるんです。」
言わぬが花の表情が一瞬、真剣になる。しかしすぐににこりと微笑みねつ蔵の手を握ると目を見開いた。
「やっだ〜〜〜〜!!?小烏丸ちゃんこんな落語に真摯に向き合ってる可愛い子どこで見つけてきたの〜〜〜〜!!?や〜〜〜んあたしお嬢さんになら真打に先越されても良いわあ〜〜!!頑張って!応援してるわ〜〜〜!!」
ねつ蔵は目をまん丸にし呆気にとられ、金滅鬼は頬を擦りながら誇らしそうに笑った。 言わぬが花は「次はあたしがお嬢さんの落語見に行くわ〜!小烏丸ちゃん案内頼んだわよ〜〜!」と続け、ねつ蔵の手を握り上下に振った。
楽屋を後にし帰り道、金滅鬼はねつ蔵の手を繋ぎ楽しそうに帰る。金滅鬼はねつ蔵の顔を覗くと満面の笑みで金色の歯を見せて笑った。
「ようやくねつ蔵嬢を紹介できたのだ〜〜〜〜〜!ねつ蔵嬢少しは刺激になったのだ?最近お疲れ気味だったのだ、落語見て少しは元気出たのだ?」
金滅鬼は屈託なく笑いながらねつ蔵を見上げる。それを見てねつ蔵は金滅鬼を持ち上げると、ぎゅうと抱きしめ頬にキスを落とした。