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    893パロ
    侑日

    #侑日
    urgeDay

    893パロ港の空気は錆と塩の匂いが混ざっていた。海に来るのも久しぶりや。
     かもめの鳴き声が聞こえて、故郷のことを思い出した。ガキの頃、というと兄貴分たちが失笑するから言わんけど、俺と片割れがまだ中坊の時いた街が海に囲まれたところやった。

     煙草を口に咥えて火を灯す。事務所だと北さんが嫌煙家のせいでろくに吸えん。
     おつかいは面倒やけど、気晴らしにはちょうどよかったんかもしれん。

     沖に、くたびれた貨物船が近づいてくる。錆びだらけの船体が潮をはねながら、ゆっくりと岸壁に寄せられていく。
     舷梯が降ろされ、作業員に混じって乗客らしき影が見えた。
     薄汚れたパーカーのフードを被って、やたら軽い足取りで降りてくる小柄な男。
     足元はサンダル、片手には小汚いトランク。フードが落ちて顔が見えた。

    「あっ、侑さん!」
      
     俺とわかって、男--日向翔陽は笑顔を向けて駆け寄ってきた。
     こっちが声をかけるより先に、勝手に距離を詰められて、間合いがゼロになる。
     今、翔陽くんがチャカかドス持っとったら俺死んどるわ。

    「久しぶりやなぁ、翔陽くん」と俺が平静を装って言えば、嬉しそうに相好をくずした。
    「久しぶり、侑さん! 元気だった?」
     
     二年ぶりの翔陽くんは、別れた時より髪が伸びていた。目元にかかる髪を上げた。嫌そうに眉をよせながらも、俺にされるがままの翔陽くん。
     手を離したら、ばさりと前髪がかぶさり、翔陽くんの目をほとんど隠した。

    「髪すげー伸びたでしょ?」
    「伸ばしとったん?」
    「きる暇なかったのと、向こうのヘアースタイルなんか、いかついから嫌だった!」

     歯をむき出しにして笑う翔陽くんにつられて、俺の口角も自然とゆるむ。
     その笑顔が、ブラジル帰りの人間とは思えんほど無邪気やった。

     けど次の瞬間、彼は当たり前みたいに手を差し出してきた。

    「侑さん、煙草ちょうだい」

     眉を上げつつ、ポケットから箱を取り出す。
     一本渡すと、翔陽くんは慣れた手つきで火を点け、ふーっと煙を吐いた。

    「翔陽くん、煙草吸うようになったん?」
    「向こうで吸うようになりました」

     平然と返ってきた言葉。
     日本にいた時は俺やサムが吸いよったら、煙草吸うやつはすぐに死ぬんだぞ!と言って、北さんにすぐに報告しよったんに。
     北さんの嫌煙家と同じくらい煙草の臭いを嫌ってた。
     そんな翔陽くんが俺のセブンスターを咥えて、美味そうに吸うとる。

    「日本の煙草、やっぱうめぇ!」

     嬉しそうな翔陽くんに、俺も口に咥える。
     
    「侑さん、煙草のお礼」

     子どもがとっておきの宝物をくれるような無邪気な笑顔で俺の手のひらの上に乗せる。
     小さなビニール袋。中身は白くさらさらした粉末。
     港の風が少し強く吹いただけで、袋の中の粒子がふわっと揺れた。

    「……これ、コカインか?」
     
     胸の奥が、妙にざわつく。

    「うん。俺の頑張った成果!」

     翔陽くんの顔を見た瞬間、俺の口から、ぽろりと煙草が落ちた。
     翔陽くんが俺が俺が落とした煙草を、恨めしそうに見ている。
     気を取り直して「クスリはせんぞ」と俺が言うと、 「もったいない」と翔陽くんがぽつりとこぼした。
     温度のないその声に、北さんが言いよったことは本当やったんかと確信した。

    『翔陽がブラジルでなにをしとったんか聞き出してきてくれんか?』

     北さんはこちらに委ねるような物言いをするが、その言葉は絶対だ。もし俺ができんかったら別のやつにまわる。
     翔陽くんはクソ生意気で可愛げのない俺らの初めての弟分というやつだった。
     今よりも若く、無鉄砲で血の気が多かった(俺はそう思っとる)俺たちは、預けられた翔陽くんをこれでもかとかまい倒した。
     翔陽くんが俺らの元を去ったのは、突然のことだった。
     宝塚記念の日だった。よく覚えとる。翔陽くんが競馬に行ったことがないと、前日スポーツ新聞片手に俺らが唸っとる時に言うたもんやから、俺とサムは翔陽くんを連れて行ってやることにしていた。赤ペン片手に夜更けまで悩んでいたのだ。朝起きて、翔陽くんを起こしに行ったら、部屋はもぬけの空。慌てて北さんに連絡すれば『翔陽は出ていった』と言う。意味がわからん。俺らは唐突な別れに納得できなかった。
     けれど、俺らは北さんの厚意で家に置いてもらっている立場で、若衆にすらもなれとらん。好き勝手させてもらっていたのは、北さんが二十歳迎えるまでは好きにしてええ。と言ってくれていたからだ。
     
     あれから三年。
    若衆として北さんのもとで、より多くの仕事を任されるようになった。
    忙しさにかまけて、翔陽くんのことを思い出す時間も減っていたはずやった。
     なのに、今こうして目の前にいる翔陽くんは、記憶の中のガキの頃と変わらん笑顔を浮かべてるくせに、手渡すもんはえげつない。
     クスリってなんやねん。
     一体お前は向こうで何をしよったんや。
     今すぐ問いただしたいところを、ぐっと我慢する。

    「……頑張った成果って、普通こういうんちゃうやろ」

     俺がそうぼやくと、翔陽くんは首をかしげて笑った。
    北さんが言うた「聞き出せ」って言葉が、今になって急に現実味を帯びてくる。
     このまま港で話すのは野暮や。
    場所を変える必要がある──そんな予感が、俺の背筋をじわりと這い上がってきた。
     煙草をポケットから取り出して、口に咥えた。あかんなあ。手が震えとる。自分がひどくおかしかった。

    「……翔陽くん、ブラジルの話、聞きたいんやけどな。ここで話すのは……目ぇ多すぎるやろ。場所、変えんか?」

     俺は煙草を足元に押しつけながら、周りの視線をさりげなく探った。港の連中は知らん顔してるようで、耳だけはこっちに向いとる。

    「いいですよ!」

     翔陽くんは屈託なく笑う。

    「あっ、でも北さんのところに行かなくていいんですか?」

     声色は軽いが、その一言に俺の心臓がわずかに跳ねた。

    「侑さんって、俺のお迎え係だったんでしょ? それとも北さんから俺のことを聞き出せって聞いてますか?」

     港の潮風が急に冷たくなった気がした。
    翔陽くんの笑顔は変わらんのに、その裏で手札を何枚も握っとるのが透けて見える。

    「翔陽くんのことは、北さんも気にしとったん、顔出すのは当然やん? それより、余計な勘繰りすんなや。北さんには俺から連絡いれとくわ」
    「わかりました! それより、侑さんの車ってどれ? 前ダッセーの乗ってたじゃん。おじいちゃんが乗ってそうなやつ!」

     俺の愛車のベンツを馬鹿にしとったなあ、と数年前の翔陽くんを思い出す。
     普通、ベンツ言うたら男のロマンやろ?
     サムと一緒にお前が馬鹿にしとったんは知っとる。ボンネットマスコットを面白半分で折った犯人がお前らなのも知っとる。
     
    「あのダサいマーク付け直したんですか?」

     くふくふと笑う翔陽くんは数年ぶりの暴露をした。知っとったわ!

    「今もそれや! 翔陽くんとサムで俺のベンツのマークを折ったんのしっとるんやで? てかな、翔陽くんが向こう行ってからサムも車買ったんやけど、何やと思う?」

     俺が聞くと、興味深そうに目を輝かせた。それから考えるようなそぶりを見せたあと「治さんもベンツじゃないんですか?」と正解を引き当てた。

    「そうやで、あんだけ人の笑うとったくせに自分もベンツ買ったんや」
    「じゃあ、マーク折ったんですか?」
    「ようわかったなあ! 俺もサムの折ろうとしたんやけど」
    「失敗したんでしょう?」

     翔陽くんが、ゲラゲラと腹を抱えて笑い出した。
     その姿はやっぱり俺の知っとるクソガキのまんまで、少し安堵する。

    「はあー笑った! 久しぶりにこんな笑ったかも! 侑さん、やっぱり面白いや」
    「俺もなんや、翔陽くんとつるんどった頃思い出して懐かしいわあ」
    「そういってくれると嬉しい」

     そう言って、翔陽くんは笑った。
     べたりと貼り付けたような嫌な笑顔に怖気がして、俺は翔陽くんの頭を小突いた。
     ぶうぶう文句を垂れるのを無視する。
     翔陽くんが北さんの所で俺らと一緒に暮らしていたのが、随分と前のことのように思える。
     本当は俺も翔陽くんもあの頃とは違う。
    差し出されたコカインがやたらと重く感じた。これ、北さんに見つかったら殴られるわ。理石に渡して海にでも流そう。

    「ねえ侑さん」
    「ん?」

     俺の体に擦り寄ってきた翔陽くんは、ズボンのポケットをとんとん叩いた。

    「あれ、捨てないでね?」
     
     
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