アンスリュームお題 花言葉から「情熱」
藤丸は動揺した。
一度廊下に出て、ここが自分の部屋であることを確認したくらいには気が動転している。
(な、なんでインドラ様がオレのベッドに?)
何度目を擦ってみても、藤丸の部屋ですやすやと寝息を立てているのはインドの雷霆神インドラだ。鬼の素材集め疲れによる幻覚ではない。
部屋に上がり込まれることには慣れてきたが、彼がベッドに寝ていたのは初めてのこと。長い足を折り畳んで、実に窮屈そうである。
思わず忍び足でにじり寄る。酔っているのかほんのり染まった頬、力の抜けた顔は幼く見える。よほど深く眠っているのか起きる様子はない。
(う、うわぁ。本当に寝てる)
美しい寝顔に、藤丸は歓喜の声を上げそうになった。慌てて口元へ手を押し当てたが、興奮のあまり震えてしまう。
密かにインドラへ思いを寄せている藤丸にとって、この光景は眼福以外の何物でもない。写真に収めたい衝動をどうにか抑え、せめてと記憶に焼き付ける。
(うう、口の中がピンク色だ。いや、知ってたけど、でも、エッチだ……)
小さく開いた口元に視線が吸い寄せられてしまう。清廉潔白な人柄とはいえ、藤丸も若い男だ。好きな人が自分のベッドで寝ているという、如何にもなシチュエーションに滾ってしまうのは致し方ない。
と、熱視線を向けすぎたせいか、インドラの目が突然パチリと開かれた。空を写しとった瞳に見つめられ、藤丸の鼓動は更に高まっていく。
「…………瞑想する神を盗み見るとは、ずいぶんと不敬だな」
「え、と……すみません」
如何にも起きていましたとばかりに、不遜な態度でインドラが起き上がりベッドへと腰掛ける。まだ眠いのか、少しぼんやりとした表情が可愛らしい。
視線が合い、思わず姿勢を正す藤丸にインドラは面白いものを見つけたような顔をした。
「どうした?発情した猿のような顔をして。ずいぶんと情熱的な視線だなぁ?」
「そ、そんな顔していますか?ごめんなさい……」
不躾な視線を向けて申し訳ない。更に言えば、自分の想いがバレてしまったのではないかと、藤丸は不安を覚える。だが、インドラは頬杖をつき、からかう気満々な顔をした。
「ふむ。たまには変わり種に手を出すのも良かろう。喜べ、人間。興が乗った故閨の相手をさせてやろう」
「へ?…………うえええっ!?」
思ってもみない申し出に大声がでてしまう。まさに驚天動地。実は自分こそが寝ているのではないかと疑う。
大袈裟なほどのリアクションをする藤丸に、インドラはひどく愉快そうだ。
「ははははは!そんなに嬉しいか」
「そ、そりゃあ嬉しいですけど」
思わず素直な返事をしてしまう。それほど、急な展開により藤丸の思考はこんがらがっていた。
その間にも、インドラは酒を一杯呑み干し藤丸を観察している。
「やっぱり……駄目です!こんなのは良くありません」
追撃が無かったことで少し冷静になった藤丸は、改めてインドラから距離を取った。
が、途端に神の眉間へと深い皺が寄る。部屋の温度が2、3度下がったように思うほどの威圧感が藤丸へと伸し掛かる。
「おい、何故拒む?あれほど熱心に見つめておいて、その気がないとは言わせんぞ……まさかとは思うが。他に懸想をしている相手でも居るのか?この神を差し置いて?」
トントンと自身の膝を指で叩いて問い詰めてくるインドラ。言葉とは裏腹に、その姿はどこか不安そうに見える。
勿論、意中の相手が目の前にいる藤丸は即座に首を振ってみせた。
「それはあり得ません。オレは何人も愛せるほど器用じゃない」
「……では、拒む必要などあるまい」
幾分雰囲気を和らげたインドラへ、藤丸は真剣な表情のまままたも首を横に振る。
「オレ、初めては好きな人と、お互い最高に幸せな状態でするって決めてるんです。こんななし崩しでするのは、その、違うかなって……」
最後は照れて下を向いてしまったが、藤丸の意志は固い。
理由は日本人的な倫理観というよりは、戸惑いによるところが大きい。好きな人に触ってみたいけど、どうしたら良いのか分からないし、経験不足を笑われたくないからちゃんと準備したい。
勿論、きちんと心を通わせてから大切に、ゆっくりじっくり行いたいという理由も大いにある。
とはいえ、健全な男子として、好きな人からのお誘いに心は大きく揺れ動いていた。もし、強引に迫られたらと色んな意味で心臓が早鐘を打つ。
「なるほど。神との時間を特別なものにしたいという気持ちは理解できる」
納得した様子のインドラに、これで大丈夫だと、藤丸はホッと息を吐き出す。
しかし、インドラはチェシャ猫のように口を弓なりにし、その長い足で油断している藤丸を挟み引き寄せた。
「ひえっ!何するんですかっ!?」
「おまえの主張は分かった。だが、神の享楽を妨げる理由にはならん。神は今、快楽に浸りたい。……おまえが拒むというのであれば仕方がない。面倒だが、相手を見繕いに行くしかあるまいな」
「そ、れは……」
好きな人から直接他者との行為を宣言され、藤丸の心はざわめいた。ツキツキと痛む胸を押さえ、瞳を揺らめかせる。
「フッ、そのような顔をするくらいならば我慢などするな。欲深は人の性。神が許すのだから素直に本能へ従うが良い」
「でも……」
実に楽しそうなインドラは藤丸が逃げられないようガッチリと足で固定してくる。
良い匂いがするわ無意識に手を置いてしまった胸板が存外柔らかいわで、藤丸はまたも思考が散らかり始める。
それを見つめるインドラは、玩具を見つけた猫のように目を輝かせ、藤丸の首へと腕を回す。顔が近づき、吐息がかかる。
「リツカ……」
「っ!」
名前を呼ばれただけなのに、藤丸の体温は急激に上昇した。
それでも、ここで負けるわけにはいかない。
最早意地になってきた藤丸は最後の理性を振り絞り唇を噛んで堪える。
夢見がち童貞VS手っ取り早くマーキングしたい神。
本人たちにとっては至極真面目な闘いの火蓋が、切って落とされた。