あんなに焦がれた家族の形が、こんなものかよ、と思った。
何も生きていないみたいに静かな時と、嵐の中みたいにうるさい時の差が激しい部屋で俺は寝ていた。俺にとってあの場所は早いうちから寝起きするだけの場所だった。居たくなかった。母親の目に俺の姿は映っていなくて、そこにいたのはあいつが考えた都合のいい架空の「息子」。あんなのはハナから居ないより酷いもんだった。逆に言うなら、そのおかげで俺はさっさと諦めることができた。ああ、やっぱり家族なんかいない方がマシなんだってな。
だから俺は今度こそお前とは完全に分かり合えねえと思ったんだ。母親に連れてこられたお前の、情けない、へつらうような不細工な笑い顔を見た瞬間に、悟った。「やっぱり」と。
「……だからさぁ兄貴、…ねえ、聞いてんの?」
うざったい黄色の髪が揺れる。陶器のような色の虹彩が俺を覗き込む。感情の読めない瞳。
「聞いてねえ」
「はあ、もういいわ。とにかく、明日は俺帰らないから」
そう言い残してカスは居間を出た。なんだ、カスのくせに泊まりで出かけるのか。
……俺もあいつも、今はあの母親とは違う場所にいる。いよいよまともじゃなくなった母親は隔離され、俺たちは養子に出された。俺の人生における数少ない幸運なことだったと思う。いや、あいつとは離れられなかったのだから幸運でもないか。
俺は母親の元から離れられて本当に嬉しかった。あいつもそうなんだろうと思っていた。あいつはとろいからバイト代もほとんど母親に奪われていたし、髪が目立つからか知らないが、何かにつけて母親のヒステリーに火をつけていたのはあいつの方だった。母親がいなくなって嬉しいのは、普通に考えればむしろあいつの方だった。
だがあいつはどんな顔をしたと思う?
「おれ、母さんのこと嫌いだったよ。でも……でも母さんは母さんだったんだ」
みっともなくうずくまって、泣いてたんだ。訳が分からなかった。母さんだと?あんな女が?お花畑も大概にしろよ。いつあの女が俺たちのことを、本当に息子だと思ってたんだよ。
善逸の両親は事故で死んでいた。他に頼れる親族もなかったから父親の不倫相手だった俺の母親が引き取ったんだ。引き取れる余裕なんかないのに。だから善逸とあの女は血なんか繋がってない。無論俺と善逸も赤の他人だ。それなのに、あいつはいつも取り憑かれたみたいに家族、家族と繰り返す。俺はそれが不気味で堪らなかった。「家族」なんて無い方がずっといいのに、なぜあいつはその形骸に固執する?理解ができなかった。ずっと。今も。
……もし本当に血が繋がってたらと思うとぞっとする。こんな、得体の知れない奴と家族だったりなんかしたら、今度こそ頭が変になってしまう。俺に理解のできない言葉を吐くのは止めろ。本当に意味が分からないんだ。血液という火を見るよりも明らかで確固な繋がりがあったってクソみてえなものしか貰えないのに、それすら持ってないお前が、何もない場所から何かを与えられているみたいな、熱に浮かされた子供みたいな顔をするのは、不気味で仕方がないんだよ。
誰もいなくなった居間は、時間すら凍りついたかのように静まり返っていた。ああこの静けさ。首を絞められるような凍てついた空気。俺はこれが何より嫌いなはずなのに、ここにいると安心するのだ。ほらやっぱり、この場所に人の温度なんか無いじゃないかと、確かめられるような気がするから。