世界は終わらない。『明日世界が終わります。みなさん最後まで人間らしくいき』
て、のところでブツンっと音が消えた。原因は赤い髪の彼がテレビのコードを抜いたからで。テレビの上に置いてあるチラシには隕石到来世界は八月二十九日をもって破滅と豪語されている。バカみたいな話だが偉い研究者によると本当らしい。
というわけでまぁ、世界は面白いほどに慌てていた。火星へ移住した人もいるとか、なら国民全員連れてけ、とか政治家が自殺だとか、実はエイリアンの仕業だとか。あとはまぁよく分からない宗教が何個もできたりだとか実害がないようであることだとか。
世界は破壊されるより先に自滅しそうなほど、人間は人間らしさを失っていた。そろそろ宇宙戦争のための兵器ができるらしい。勝手に頑張っててくれと言いたいところだけど戦場がここならいい迷惑だ。
迷惑で言うなら、昨日はうるさいほどインターホンがなった。ほとんどが訳の分からない宗教で、ついに赤司くんが昨日叩き壊してしまった。まぁどうせ世界は終わるらしいのでインターホンが壊れようがどうだっていいのだけれども。
とりあえず、世界は明日終わるらしい。
「赤司くん、テレビの回線切れたら何もすることないんですけど」
「あんなくだらないこと見てもしょうがないだろう。暇なら読書でもしたらどうだい?」
「確かにそうですが。ボク、外見たいんですよね」
「正気か?こんな宗教家と自殺してる人だらけの町を出歩きたいと」
「…………赤司くんの本棚借りますね」
赤司の言う通り外はもうすごい状況だ。警察なんかもちろん機能していないし、政府も大混乱。窓ガラスはわれ、セキュリティのないアパートは荒らされ放題である。幸いボクらの家はセキュリティばっちりのマンションの最上階だから、そんな被害にはあいそうにないのだけれど。
ぼんやりと外を眺める。ここから見えるのは人のいない駐車場とぞろぞろと歩く宗教家たち。あとは野良犬や野良猫だろうか。とにかく、世界は変わってしまった。
「夜中」
「はい?」
「夜中ならいいよ。それなら人もいないし、交通規制も甘いから」
「正気ですか?」
「黒子が言い出したんだろう。それに、世界最後くらいお前と外で迎えたいから」
緩やかに彼は笑う。この時は気が付かなかったけれど、彼が世界の最後について口述したのはこれが最初で最後だった。
****
海に行く、と言われたから死ぬ時に持っておきたかった物数個と、赤司との写真だけ持って、家を出た。いつもなら繋がない手をその日は繋いだ。外には誰もいなかった。おそらく、みんな睡眠薬を飲んでもう寝てしまったんだろう。誰だって痛い思いをして死にたくはないから。
海までは線路の上を歩いていくことになった。生涯に一度だって出来ないはずのことを、世界最後にやってのけたことに胸が少しドキドキした。初めての非行だった。けれどそれも世界最後だからきっと許してくれる。
「世界最後ってどうやって終わるんですかねぇ」
「さぁ。それよりこの線路がどこまで続くかが気になるよ」
「どこまでって、海まで?」
「それじゃあ、電車は海に沈んじゃうじゃないか」
「楽しそうですけどね」
つまらない言葉が飛び交う。時計はないからわからないけれど、多分夜中の十一時くらいだった。少し潮の香りがする。海が近づいてきているのが体感でわかった。空に光星がやけに綺麗に見えて、握る手が少しだけ強くなる。そうしていつの間にか足を止めて、二人で空を眺めた。握り返し合う手が酷く熱い。
そうして星を眺める彼を見つめた。真っ赤な瞳にはキラキラと星が反射していて、この世界が明日終わるだなんて信じられなかった。怖いくらいに美しく見える彼の横顔が、まつ毛が、髪が、瞳が、まゆが。そこで留まることなく消えてしまうことに恐ろしさを感じて、少しだけ手が震える。自分は消えてしまっても構わなかった。けれど、どうしたって彼を諦められなかった。
「赤司くん、月が綺麗なんです。すごく、すごく綺麗なんです」
だから、どうか。どうか神にも仏にも何もかも自分の持つ全てを捧げるから。だから、今日だけ、世界が終わる前まででいいから。それだけでいいから。
「だから、ボクと死んで欲しいんです」
世界は何故かおわりを告げる。多分神にも仏にも覆らない事実だ。なぜなら宗教家があんなにも願ったのに、世界は相変わらず壊れるままなので。
世界が終わる。きっと明日は来なくて、気がついたら何も無い空間がただここに存在するようになるのだろう。人類がつくりあげた歴史なんて、世界誕生からすればチリのようなものなのだから。
だからこそ。黒子テツヤは救いを求めた。赤司征十郎という神に、最後の願いを叶えて欲しかったから。
「断る」
だから、赤司征十郎はそう言った。
神からのお断りの言葉に何かを言える信者はいるわけが無い。神が言ったことは絶対であるから。赤司征十郎とは黒子テツヤにとってそういう存在であるから。
「あ、の、」
忘れてください、という言葉は神のお告げできれいさっぱりかき消される。
「オレがお前を殺すわけがないだろう」
「ぇ……………………、」
ハク、ハクと短い呼吸をする。酸素を上手く吸えない。ここは酷く酸素が濃ゆいからだろうか。生きる理由と環境とが揃いすぎて、もはやここは地獄だった。水色の瞳が揺れる。そうして赤色とそれが混じりあった時、それは化学変化があったみたいにうるうるとなって。
頬には熱い何か。
「お前を殺してなんかやらないよ。心中なんか許さない。お前は永遠にオレの隣にいるんだ」
「赤司くんは、なにを、」
「なにって、そこまで言わせる気かい?」
「…………」
「黒子。ねぇ、くろこってば、」
「…………はい」
観念しろと。神でもなんでもない恐ろしい赤髪の人間は、死刑台に乗り出して、黒子テツヤを誘拐していく。捕まってしまって逃げ出そうにも彼は許さない。一緒に死ぬことすら首を縦に振ろうとしない。これではもう、一生彼と生きるしかもう何も残されていないのだ。
あぁ、宗教なんかよりもよっぽど怖い。この感情の名は。名をなんというのか。
「月が綺麗なわけだけど。隕石は好きじゃないから一緒に生きてみたいか?」
「ばっかですねぇ。そんなの死んでやるもんですか」
愛と名ずけたそれを片手に彼らは口付けを交わした。
****
目が覚めた。海辺の砂浜が視界に広がる。朝日が眩しい。世界は終わらなかったらしい。カモメが呑気に泣いていた。
「世界、終わりませんでしたねぇ」
「そりゃぁ、そうだよ。世界は終わらない」
世界が終わるのは、愛する人を失った時だけなのだから。