赤黒の話これは本当に私の頭の中を整理するために書いてる事なのですが、私の中の赤黒って『似ているようで似ていない。相手に憧れていて、でもその違いをとにかく追いかけても完全に相手に寄せることが出来ない。そのもどかしさに恋をしているカプ』だと思っていて。あれ、言葉にした割に概念的だな、と思ったあなたへ。私もそう思います。理解ができないんですよね、それこそ5年くらい考えてても。
赤司くんと黒子くんってすごく、似ているようでかなり似てないんですよね。そして、似てないようでいてかなり似ている。
例えばどういうところなのかって、「負けず嫌いで、努力家である」という点において、彼らはとてもよく似ていると思います。努力の仕方だとかも似ている気がしますし、バスケIQとか戦術も似ていると思います。身体の成長も周り(キセキ基準)に比べて似てますよね。
しかしながら「勝者と敗者、努力が直ぐに結果に出た人と出なかった人、その結果に導いた人と導かれた人」このような差があるな、と思います。厨二病くさいですけど、赤司くんは神に愛された男の子だとすると黒子くんは神に愛された子に愛された子な気がします。(バスケット選手としてのチャンスを与えられたという点において)
黒子くんと赤司くんって、多分赤黒(もしくは黒赤)が好きな人はみんな言うと思うんですが、相互救済カプなんですよね。
黒子くんは過去にバスケットを諦めかけた時に赤司くんに救われたことで、バスケットを続けることが出来ましたし、赤司くんもバスケットをとても続けられそうになかった時に黒子くんに救われてます。
しかしそれと同時に彼らはお互いを絶望に落としたカプでもあるとも思っていて。具体的に言うと、黒子くんは赤司くんに帝光中時代あんなことされて、バスケットを辞めてしまいました。そんで、赤司くんも救おうとしたからとはいえ、黒子くんから赤司くんに初めての敗北を与えました。結果赤司くんバスケの調子狂ってます。これって勝利が基礎代謝の赤司くんの呼吸が止まったも同義なので、絶望(もしくはそれ以上)なんですよね。
結局何が言いたいかって、赤黒ってすごく影響し合っている関係性だなってことです。それと同時に、お互いにかなり意識しあって生きてきたんだなって思います。
赤司くん(俺司は特に)ってある意味「影」の部分だと思うんですよね。バスケ経験者ならわかると思うんですけど、上手いPGこそ目立たない傾向にあって(人それぞれなのは置いておいて)私としては特に俺司くんみたいなパス特化PGは、影側だと言えます。僕司くんも転ばせたりとか技こそ派手ですが、あれもボール運びですからね。もちろんシュートもできることを前提に、彼はかなり影に近いポジショニングだと思います。
つまり何が言いたいかって、赤司くん黒子くんにかなりシンパシーを感じていたのでは?ということです。というかそもそも似てるじゃん!
影になるには影であることの覚悟がいると黄瀬くんは語りますが、それ赤司くんにも言えますよね。まぁ僕くんガンガンシュートしてましたけど、まぁそれはあんな状況でしたからカウントしませんが、赤司くんってあんまりシュートしないんですよね。(ガンガンシュート決めるぜが多いチームのPGだから当然と言えばそう)赤司くんの特性からしても決めれることは決めれるんだろうけど、決めることで発揮する能力でもないからなんでしょうけど、試合中俺くんのシュートシーンはかなりレアだなと思いました。
趣旨がズレてきてて困り果てましたね。なんの話しをしてたんだ!
まぁでも似ているようで似ていないのは伝わった気がする!次に行きます!
憧れているけど近づけないってやつですね。そしてそのズレを合わせることが出来ない、そのもどかしさ恋している。
これはもうオタクの幻覚ですね。というか「赤司くんは赤司くんじゃないですか」の一言で狂ったオタクの虚言です。まじで。
上で言い忘れてたんですが、私赤司くんと黒子くんって鏡合わせのみたいだなぁって思っていて。鏡合わせなのでピッタリだと思っていたら、実は暑さが違ったりとか、鏡合わせにしたら同じだけど見比べてみたら鏡だからこそ左右反対だったとか。
あとは上から見れば重なって見えるけど、実は平行にならんだ全く違う道を行く線だとか、全く同じ道なのに行く方向が違うだとか。そういう同じでいて違う2人だと思っています。
それを前提に、彼らはお互いのようになりたかったんじゃないかなぁと。
これはあくまで私個人の意見です。
黒子⇒赤司="強さの象徴"
赤司⇒黒子="強さの象徴"
だったと思うんですが、この二つの強さって全く異なるものなんですよね。
黒子のバスケのテーマは『強いやつがいないと勝負は勝てないよ。でも、その強いやつがそれぞれのチームに居たとして、勝つのは孤高の強さを放つチームじゃなくて強いヤツと弱いやつが仲間として共に戦ったチームだぜ』ってことだと思うんですよ。
その孤高の強さの象徴が赤司征十郎で、チームの強さが黒子テツヤなんですよ。
そしてそれと同時に、二人が目指したものって、黒子テツヤは合宿で己の強さを磨いたし、赤司征十郎は人格が戻ることでチームプレーを強くした。
どっちもがどっちも引き寄せられてる……………………と思ったのはオタクの考えすぎでしょうか?まぁ多分そうです、というか考えを整理してるだけなので別に新たな発見でもありませんね、でも私は整理されてて満足してます。
まぁでも正直かなりオタクの玄宗は入ってると思います。お互いになりたいってところに関しては。とはいえ、赤司征十郎は黒子テツヤのようになりたいなって思ってそうだし、黒子テツヤは赤司征十郎のようになりたいって思ってそうなんですよね。でもそれがどうしてなのかずっと分からなくて。でもそんな気がする😭どこからそれを感じてるんだ誰か教えて…😭
まぁオチはないので次に行きます。
そして恋なんだけど。恋とは脳の錯覚によるもので、恋とか愛とか存在しないので、勝手に彼らは恋をして勝手にくっつきます。理由は明白、彼らはお互いにシンパシーを勝手に感じてるから!
相互救済カプなのに、勝手にひとりで救われた気になって幸せになる盲目的な少年なので!そりゃ恋に落ちるわ!
解釈として雑!と思われるかもしれないけれど、私は本当にそう思います。恋ってシンプルなので!
ということを考えた結果あの「擬き」という双子赤黒本が産まれました。幸の日々とかその他も多分これが根底にあります。あと相互救済云々は「その瞳が笑える日まで」にかなり盛り込まれてます。
なんかお前の赤黒って独特だよ、と言われてびっくりしたので、過去作を振り返りながら自分の作品研究がてら解釈まとめてました。自分用だけどせっかくなので公開してます(ง ᵕωᵕ)ว
ちなみに今は2月新刊をほったらかしてマフィア赤黒書いてます(なんで?)(早く2月新刊書いて)
2月新刊をかなり迷ってるんですが、ホワホワ日常30代前半赤黒短編集でも書こうかなと考えてます。まだ考え中です。
なんか締め方が分かりませんが、また解釈では無い赤黒創作あげたい気持ちですね。頑張ります。