夏のまんなか意識を取り戻して、まず視界にあったのは真っ白な天井だった。雄英の保健室よりももっと強い消毒のにおい。目にかかった髪をよけようと手を浮かせても、点滴の管に阻まれる。電子音が一斉に鳴り、看護師さんらしき人たちがバタバタと走ってくる。
……あ、そうか。脳みその奥からだんだんと記憶が蘇ってきた。くらい森でガスに倒れた、あの夜のこと。
葉隠やヤオモモ、A組のみんなの姿が脳裏に焼き付いている。心臓のあたりがきゅうと苦しくなった。みんなは、みんなは?ウチは無事に助かったみたいだけど、みんなは大丈夫だったんだろうか。
そのとき、突如ガラリと扉が開いた。
「耳郎!!」
機械音やら足音やらで騒がしい病室に、聞き慣れた声が響いた。白衣の群れに紛れて、Tシャツ短パンの男が一人、ドアに立っている。
……上鳴。
こっちをガン見してる。
「起きてる……!」
上鳴はそう呟くやいなや、おもむろに姿勢を崩しおいおいと咽び始めた。
一瞬にして思考が日常に戻る。アイツ、完全に看護師さんたちの動線を邪魔してる。退けと言おうとしても、喉が掠れてうまく話せない。それよりもなによりも、
「……ないでよ……」
「え?耳郎なんか言った!?」
上鳴が病室に片足を踏み入れた。ちょっと、本当に、待って、ねえ!
「はいはい、彼氏?ちょっと待っててね~」
「あーー!看護師さんー!ちょっと待っ」
叫び声もむなしく、上鳴は看護師さんに首根っこを引っ掴まれて連れて行かれた。心の中で、ほっと胸を撫で下ろす。
脇で血圧を測っている看護師さんが、彼氏くん?とにやにや尋ねてくる。精一杯の苦笑いをして首を振った。
叫びそびれて不完全燃焼だ。──まだお風呂も入ってないのに、勝手に入ってこないで!
◇
諸々の検査が終わり、ようやく一休みできる。上鳴はやっと部屋に入る許可をもらえたらしい。横の椅子に腰かけて、まだぐずぐずど目元を擦っている。ウチだって嬉しいはずなのにどこかむず痒くて、上手く笑えない。
「あ~、上鳴……久しぶり」
「久しぶり、じゃねえよ!どんだけ心配させたんか……よかったよマジでぇ、目ェ覚ましてぇ、もうこのまま、目さめなかったらって……」
「はい、ありがとありがと。大袈裟すぎ」
「……耳郎んとこ、親は?」
「さっき連絡してもらって、もうすぐ着くってさ」
「そっかあ、じゃあ俺それまで居ようかな」
枕元にものすごく大きなメロンが置いてあった。めちゃくちゃ高そうだし、ヤオモモがお見舞いに来てくれたのかな。……てことは、ヤオモモは無事だったのかな。
「ねえ上鳴」
「ん?」
「他のみんなは無事だったの?」
上鳴が大きく目を見開いた。未だこぼれ続ける涙を慌ててぬぐい、ジーンズで手を拭いている。
「あ~、っと」
「うん」
「……」
上鳴が口ごもる。なんだか、そこまで分かりやすくしなくてもいいのに。胸がちくりと痛い。
「俺からは教えるなって、言われてるから。ごめん」
思いのほかキッパリと上鳴は言った。
「……駄目なの?」
「うん。多分あと少しで先生……相澤先生来るから、教えてくれる、はず」
ぽつぽつと上鳴が話す。にがいものを飲み込んだ時みたいに、表情が固く落ち込んでいる。
「テレビも見ない方がいい?ラジオも?」
「……それは……、見たいなら、見てもいいと思うけど。俺はあんまり見て欲しくない、かな」
上鳴がこちらを向くと、丸椅子がリノリウムの床にキィと擦れた。
日差しが白いシーツにきらきらと反射する。少しだけ、緩やかな沈黙があった。
「わかった」ウチはゆっくりと頷いた。
「でも耳郎、ただ、ひとつさ」
「ん」
「みんな、すっげーー頑張ったんだよ。すっげーー怖かったけどさ、立ち向かって」
「うん」
知ってる。言われなくても十分に信じている、みんなが紛れもないヒーローだってこと。
今はただ、これだけ。
「上鳴は優しいね」
「うぇ?」
素っ頓狂な声に少し吹き出してしまった。「だって、一番に会いに来てくれたじゃん」
上鳴が頭を掻いた。金髪の毛先がひかる。
「俺だけじゃねぇよ?みんな毎日心配してたわ」
「でもすぐに駆けつけてくれたよね? ちょっとウケた。病院に張り込んでたの?」
ウケんなよ、と上鳴が頬を膨らませる。
「まあ、今日だけ……。だって、もし今日起きて誰もいなかったら、耳郎さみしーじゃん」
「は?どういうこと」
ウチが首を傾げると上鳴はすこしぽかんとして、それから呆れたように呟いた。
「そりゃお前、今日誕生日じゃねーの」
「え?……あ、そっか!」
くるりと体をねじる。後ろの壁にかかっていたカレンダーは、たしかに真新しい8月のページだった。完全に記憶から抜け落ちていた。
「……今日、ついたちだったんだ」
「お前忘れてたのかよ自分の誕生日」
「だってそれどころじゃないでしょ」
はあ、と上鳴が息を吐く。
目尻がわずかに赤い。そう言えば上鳴は、ウチのために泣いてくれていたのだ。
「……おめでと」
その短い四文字は、とてもとてもやさしかった。
「ありがと」
微笑んだつもりが、頬が力んであんまり上手く笑えなかった。ウチは軽く伸びをする。
「みんなに会いたいな、A組みんなに。早く会いたい」
上鳴が「俺も」とつぶやく。膝に置かれたその手がぐっと握られていることに、ウチは何となく気づいていた。