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    松宮くん

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    松宮くん

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    ロナドラ/ドラロナ/左右不定
    不器用なロナルドくんと不思議な生き物の話

    2022-03-31 支部掲載分

    #ロナドラ
    lonadora
    #ドラロナ
    drarona
    #左右不定
    indefinite

    50gの約束「……な……ど………!」

     名を呼ばれている。助けを求める声だ。か細い声は今にも掻き消えそうで、耳をそばだてなければまともに音としての意味を成さない。ロナルドは走る。間に合え、間に合え。風を切り、アスファルトを踏み締めて駆ける。駆ける。今日の退治は悲惨なもので下等吸血鬼のオンパレード。1匹を退治すれば10匹出てくるような無尽蔵に湧くのではないかむしろこの下等吸血鬼を全て倒したらシンヨコの下等吸血鬼は全て駆逐できるのではないかと思うほどの発生数だった。もうスラミドロなのか果たして別の吸血鬼なのか判別できない体液で退治服はべとべと、もちろん身体はボロボロで体力は一欠片も残っていなかった。身体の至る所がすり剥けていたし、ここが事務所ならば痛い痛いとひとしきり叫んだあと、ジョンの腹毛を吸いに吸って泥のように眠ってしまいたい。早く事務所に帰って洗濯物を押しつけて、ぐっすり寝てやると意気込んでいたのだけれど。
     誰かが名を呼んでいた。退治人としての己の名を叫び、救済の手を心待ちにしている。心臓がはち切れそうだった。一歩踏み出すたびに全身が悲鳴をあげる。でも俺は強いから平気。一晩無理したところで大したことにはならない。例え今身体が悲鳴を上げていても明日になれば大体は元通り。だから気にしない。だって届かなかった時きっと自分が死ぬより後悔するだろうから。ならば一歩を踏み出せる。限界だと叫ぶ身体を押し切らなくて何が退治人だ!

    「……ろな……………く……」

    あともう少し。己を呼ぶ声は近い。
    間に合え、間に合え!
    あっちこっち、どっち、そっちだ!
    ごうごうと悲鳴をかき消してしまう工場の駆動音がうるさかった。どくどくと頭に響くのは俺の心音か。聞き分けて前に進む。ろなるどくん。雑音まみれの世界で小さな小さな呼び声は何故だか鮮明にきこえた。聞き覚えのある呼び名。けれども見知った声より高くか細い声。新横浜の外れ、人通りも少ない闇夜に紛れて“それ”はロナルドの名を呼んでいた。闇が輪郭をかたちづくりそれは姿を現す。現実と幻想の境界を飛び越えるようにして。
    「ロナルドくん」もう一度生き物が名を呼んだ。聞き間違えるはずがない。ピスピス泣く小さな生き物。手のひらサイズでぬいぐるみのようにデフォルメされた小動物。特徴的な角のような髪と靡くようなマント。ぴすぴす。あの吸血鬼がわざとらしく泣く時の声。

    「……………ドラルク?」

     朝日が背中を焦がす。君がきてくれたおかげで死なずに済んだとロナルドを日傘にして小さな小さな同居人の姿をした生き物は満足げにそして誇らしげに笑った。



     曰く、この直径5センチほどの生き物は正確に言うならばドラルク本体ではないらしい。理由は覚えていないが本体からわかたれて気が付いたらここで目を覚ましたこと。事務所に帰ろうにも現在地がてんでわからず困り果てている間に夜が明けてしまいそうで焦っていたこと。ふと赤い帽子を遠目にみかけて一か八か蚊の鳴くような声で名前を叫んでみたこと。そして満身創痍のロナルドが現れたことを流暢に、奇跡的に、運命的に語ってみせた。

    「さっすがロナルドくん、聴力もいいんだね、ゴリラは聴力がよかったんだっけ?」
    「!?」
    「安易な暴力反対!暴力が全ての解決方法だと思うな!」
    「暴力は全てを解決すんだよ」
    「これだから野蛮の国から来たゴリラは困る」

     殴ってやりたい。蹴飛ばしてやりたい。いつものように砂にしてかき混ぜて朝日をバックに吹き飛ばしてしまいたい。しかしぷるぷると暴力に訴えかける右腕を理性の左腕が必死に制止する。そう、この生き物はどうやら一度の死しか身体が耐えきれないのだという。殺すなと乞い願うことしかできないくせに煽りスキルは健在で沸点の低いロナルドを二言目には茶化してくる。いっそのこと一思いに殺してやって出来上がった砂山を煽り散らかし砂おじさんの本体にぶつけてやれば丸く治るのではないだろうか。
    そうしよう、でも。でも?

    「ていうかロナルドくんさ、くさくない?うぇっ、臭さで死にそう」
    「死んだら死ぬんだろーが!近づくな!」

     臭い臭いと喚く生き物の声でロナルドはようやく思い出す。自分の身体は限界に近く、全身は下等吸血鬼の体液塗れだ。新横浜の奇跡はなんでもありだと目の前の生き物を受け入れることに精一杯で自分の身体のことはすっかり頭の外に追いやられていた。

    「あぁもうめんどくせえ!事務所にお前ごと連れて帰ればいいんだろ!」
    「それはパス」
    「はぁ!?」
    「いやねえ、せっかくだし。私にも内緒でさ、限りある人生!楽しんじゃおっかなって!だからさ!面倒みてね、ロナルドくん!」

     サイズは縮まり、本体から分たれたといっても結局刹那的で享楽主義の生き物が目指すことはただ一つ。当たり前だろうと豪語して生き物は笑う。
     理不尽に膝をついて、諦めてしまってどうする、楽しまずして何が人生だ。不条理と死に満ちた世界で、笑って生きて死ねたら本望なのだとでもいうのか。普段ならば了承し得ない提案。けれども今晩のロナルドはどうしようもなく疲れていた。早く家に帰りたい。本来であれば今頃暖かい風呂、出来立てのメシ、ジョンの腹気のトリプルコンボでスタミナを回復するはずだったのに、結局自分はこの、吸血鬼ドラルクという存在に振り回されている。理不尽に付き合わされているのはもはや慣れた行為だがやはり退治人としての矜持だけで駆動していた体も意識も限界で判断力が落ちていたとしか言いようがない。生き物に目線を合わせるために一度アスファルトに降ろした腰はびくともしない。そうだ俺は疲れていて、正常な判断ができなくなっている。だから仕方ない。揺らぐ意識を必死に繋ぎとめて、面倒をみろとほざいた生き物をすくいあげ、手のひらで抱え込む。潰さないように、柔らかく。それが答えだとでも言うように。生き物は大人しくロナルドの掌に包まれる。破れた手袋の裂け目から覗くロナルドの柔肌に生き物が触れる。怪我してるの。そうだよ。全身傷だらけだよ。ぺろり、僅かに濡れそぼった何かがロナルドの傷に触れた。



     結局、あのまま朝日に焼かれて儚き一生に終止符を打ちかけていた生き物のためにありあわせのもので日除けを作り、絶対にそこから動くなと脅しに脅して事務所へと戻った。玄関でぶっ倒れた所をロナルドが戻るまで起きていたらしいドラルクに臭ッと罵られ、誰のせいだとムカついて殺したところまでははっきり覚えているが、その後何やら重いでかい無理、風呂に入れ死ぬ死ぬ死ぬと騒がれたことはぼんやりとしか覚えていない。次に目を覚ました時にはソファベッドの上。お気に入りのパジャマ姿でロナルドは目を覚ました。いうまでもなく棺桶の蓋は閉じられていた。

     ハムスター、育て方 検索。小動物 育て方。吸血鬼 餌。餌?意味のない単語を検索欄に打っては消し、消しは打ってを繰り返す。生き物の面倒を見るだなんて一体全体何歳以来の経験だろうか。カメだったり、授業で育てたメダカだったり。もちろん事務所では吸血鬼デメキンことキンデメさんを飼育しているものデメキンはデメキンである。それこそこと吸血鬼においては専門家が身近にいる。そして育てる相手の本体だ。しかし一体この全宇宙のどこの誰が「小さいお前の面倒を見るから世話の仕方を教えてくれ」と本人に頼むのだろうか!異星人だって頼まないに決まってる。はぁ、本日通算数十回目のため息。答えは出ないまま検索欄と睨めっこをし続け、一体何時間経ったのだろう。本来、ロナルドがとるべき最善策はいち早くVRCか吸対に連絡を取り、あの生き物を回収することである。

    ――限りある人生!楽しんじゃおっかなって!

     選ぶべき選択肢は明確だ。ひどくささやかな有限の人生を楽しまんとしている生き物の声がこびりついて離れない。あれがドラルクの形をしていなかったら?意思疎通すら難しい何かであればあの時自分はどうしていたのだろう?ロナルドの名前を叫び、謀ろうとした生き物に下したであろう結末は?迷いを抱くこともなく、適切に引き金を引いたのではなかろうか。食物連鎖の下層に存在し、庇護なしでは生きられない有り様を体現しているにも関わらず口角を吊り上げ無邪気に微笑んでいた生き物に銃口を向けることはロナルドにはできなかった。ただそれだけの話だ。

    ――時間は限られている。現状が特殊なだけでロナルドは吸血鬼退治のプロであり一通りの対策は常に頭の中に入っていたし、吸血鬼とコンビを組んでからはさらに吸血鬼の生態自体にも更に造詣が深くなった。だからこそ残酷にも理解できてしまったのだ。あの生き物は長くない。本人の言う通り、少しの衝撃で死へとその境界線を踏み越えればもう戻ってはこれやしない。加えて持ち合わせた寿命も長くはないだろう、と。

     ならば、願いの一つや二つ、叶えてやっても誰も文句は言わないだろう。これはロナルドと「ミニドラちゃん」しか知らないまま終わる些細な日常にすぎない。
     何の成果も得られないままノートパソコンの電源を落とす。それでも自問自答の末やるべきことは決まった。悩んでいても仕方がない。キッチンの戸棚にはドラルクが買い込んだ作り置き用のタッパーやら瓶が各種サイズ詰め込まれている。一番小さな瓶を手に取り、同居人の牛乳をほんの少し拝借し、零れないように丁寧に蓋をしてポケットにしまい込む。退治の帰りにでも様子を見に行けばいい。もののついでで十分だった。

    それ以前に。
    静寂を取り戻していた思考がもう一つの可能性に辿り着く。待ち受けているものがただの砂の塊だったら?最初からミニドラと名乗る生き物は疲れた自分が見た幻で、そんなもの存在していないのだとするならば。全部嘘でした。ゆめまぼろしに惑わされて1日を無駄にしました。退治人ロナルドは疲労の末に同居人の謎の幻覚を見て1日を無駄にしました。
    けれども、いっそのこと全て嘘であれば楽なのかもしれない。
    ――ろなるどくん、
    普段耳にする声よりも耳をくすぐるような柔らかい声、甘えが混じったその声の実在に安堵を覚えた自分ごと。そうだこれは己の正気を確かめるための行為でもあるのだ。嘘でも真でも曖昧なまま芽生え始めている感情に言い訳という名の蓋をして、ポケットの中の小瓶をきつく握りしめた。



     結論として、ロナルドは正気だった。イカれポンチな吸血鬼の催眠にかかったわけでもなく、疲労がみせたまぼろしでもなく、やはりミニドラと名乗る生き物は実在していた。件の場所に向かえば生き物は暗闇の中からロナルドの足音に反応して姿を現した。おい。いんのかよ、なあ――ロナルドが名を呼ぶ前に、吸い寄せられるようにして闇は形をつくり、待ってたよとほどけるように笑った。

    「今日は臭くない。わたしのためにいい心がけじゃあないか!」
    「ありがたく思えよ」
    「うん、ありがとうロナルドくん」

     不思議な生き物は驚くほどに素直だった。ぴょんぴょんと飛び跳ね、くるくると回る姿はまるで御伽噺の妖精だ。殊勝な態度に面くらいペースを崩される。煽りスキルは本体とほぼ変わらないと言っていいが、どうやら口調も性格もどこか素直で捻くれていたり年の功やら何やらでまだ5歳児にはわからないとはぐらかされた誤魔化すような素振りが鳴りを潜めていた。

    「ほらよ。これで足りんの?」
    「なにが?」

     ポケットから人肌に温められてしまった牛乳を取り出すものの当の本人はきょとんと呆けたままで反応が薄い。世話をしろというのは食料を提供しろ、ということではないのか。

    「食いもんだよ食いもん」
    「あ、わたしの食事か」
    「はあ?テメーが世話しろつったんだろうが」
    「ごめんごめん」

     ようやく合点がいったのかとぼけた表情から微笑を浮かべた後、小さな身体を小瓶に触れていたロナルドの指に擦り寄せにんまりと怪しげに笑った。

    「では一舐め頂こう。このままじゃ飲めないからさ、ちょっと飲ませてよ」
    「はぁ!?」
    「手をお椀にしてさ、ちょーーっとだけでいい。舐めるから」

     いいでしょ、そのくらい。減るもんじゃないし。確かに小瓶のサイズは生き物の半分以上の大きさもあり、自力で飲もうとすれば九割五分、牛乳の海に溺れて死ぬだろう。拒否権はなかった。何せいかにして与えるかを考えず牛乳を持ってきたのはロナルドの方で、うまく回らない頭は生き物が提案した手段以外の代替案を持たなかった。

    「ぅ……ぐ……、くそっ……、後で覚えてろよ……」
    「わーい!ありがと!」

     お椀のように丸めた掌に小瓶から牛乳を一滴、二滴と垂らしていく。数滴程度で十分だと言った生き物の目線に合わせて掌を差し向ければ、小さく覗く赤い舌がちろ、とロナルドの掌から牛乳を舐めとった。ちゅ、と静寂の中にリップ音が響く。小指の先ほどの牛乳を想定の数倍以上の時間をかけて吸い尽くすとロナルドの掌に残った牛乳を丁寧に舐め取ってようやくロナルドの掌からくるりとマントを翻し身体を離した。

    「あんまり見つめられると穴開いちゃうんだけど」
    「ヴァッ、み、見てねえよ!」
    「そう?」

     数単語の他愛のない会話をした後、生き物は引き止めることもなくロナルドを送り出す。長居をするものじゃないと牽制するように。
    またね、じゃあ。

     それからというものの。

     秘密の逢瀬は繰り返され、小瓶を携えて路地裏に向かう行為はロナルドの日課となった。期間限定、今だけだ。あの体が物言わぬ塵の塊になるまで。ロナルドが世話をしなければ朽ちて死ぬだけの命。ならば見捨てる方がよほど非情に違いない。迷いと怒りが身を焦がしていたのも最初のうちだけでいつの間にか期待を胸に路地裏に足を運んでいた。


    ***



    「ロナルドが怪しい、おかしい。ドラルク何かしらねえか。彼女ができたとか彼女ができたとか彼女ができたとか」
    「なに?ショットさん酔ってる?あ、ホットミルクひとつ。ロナルドくんのツケで」

     クリームソーダしか飲んでいませんよ。マスターの言葉に嘘はない。さくらんぼが可愛らしく添えられぱちぱちと弾ける炭酸を片手にショットはひどく荒れていた。暇潰しがてらギルドに押しかけたドラルクを目にすると鬼の形相で隣に座らされ、何やら面白いことではなく面倒な愚痴だろうなあと腰をかけたところ待っていたのはノンアルコールの酔っ払いの接待事業だった。

    「いいから答えろよぉ!おかしいんだよ最近のアイツ!退治が終わってギルド誘っても来ねえし、一度追いかけようと思ったらフッツーに撒かれるし!彼女だろ!彼女しかいねえ!」

     勢いよく空のグラスを机に叩きつけ、ショットは叫んだ。クリームソーダしか飲んでいないのに、荒れ狂う感情と状況に酔いに酔っている。原因はそれか。非モテ同盟に抜け駆けは許さないとでもいうようにショットはここもとのロナルドの行動を訝しんでいる。確かに、まあ。ショットの言う通りではあるのだ。最近のロナルドはどうも様子がおかしい。

    「それはないと思うがねえ」
    「なんでだよ!?」
    「君も知ってるだろう、彼は永遠の童貞ゴリラだ。彼女ができた日には浮かれまくり全身に感情が表れ一日の行動の8割の様子がおかしくなるに違いない。今のところそこまで彼の様子に変化はないよ」

     怒涛の泣き言を避けるためにドラルクは嘘をついた。心当たりはある。何せロナルドは隠し事がド下手である。共に過ごしていれば隠し事などほぼ不可能に近い。一人で退治に行った時、帰りが少しだけ遅いこと。悶絶しながらノートパソコンの画面と向き合っていること。作り置き用のタッパーをしまっている棚が“誰か”に荒らされていたこと。普段使うことのない小瓶の行方がわからなくなっていること。牛乳を飲むドラルクを顔に穴が空くのではないかという程に必死に見つめていたこと。魅力的すぎてついに畏怖を感じたのかとからかえば、お前を見てたんじゃないと目を背けられる。誤魔化すならもっとわかりやすい嘘をつけ。触れてくれるなと暗黙のうちに強制力を促すような静寂をロナルドはドラルクに向けいていた。だからあえて深掘りせず、好きにしたまえと結論を放棄した。

    「……ドラルクがいうなら違うか……じゃあ何やってんだよアイツ」
    「……捨て猫の面倒でも見てるんじゃない?」
    「猫ぉ?」
    「まあ猫とは限らないかな。連れて帰るのも忍びないんだろう。さっさと然るべき場所に連れて行くべきだと思うが」
    「なんだよ、猫かよ。はーーーっ、抜け駆けされんのかと思ったわ」

     安心しきったショットはトッピングのさくらんぼの蔦を指先で弄びながらへらへらと笑っている。猫で納得するのもどうかと思うが。

    「それにしても、中途半端に手を出して面倒を見て、一体全体どうするつもりなんだろうねぇ、あの若造は」

    ***

     掌をおしつけるのではなく、包み込むように骨張った肩に触れてみたいと思った。受け入れられるかがわからなくて、知らぬふりをした。許されるはずだ、許しを与えられているはずだ。確信めいたやりとりも、瞳の揺らぎも知っていた。乾いた唇から吐き出す言葉は暴言ばかりで。触れ方を知っている。甘え方は知らない。それでもアイツはいつもと変わらず笑うから、だから。
    だから俺は。

     今日の退治は難航した。面白味もない退治には行かない、配信があるし、と同伴を断ったドラルクは正解だった。退治としてはまともな部類だが確かに面白味もない下等吸血鬼の大量発生と駆除。まるで出会いのあの日のようにぼろぼろに成り果てたロナルドはそれでも約束の地に向かい夜を駆けた。目的地に辿り着くと足音に反応をした生き物はズタボロのロナルドに気がつくと呆けた顔をして何しに、と絞り出すように言葉をこぼした。
    お前に会いに来たんだよ、悪いかよ。
    力の入らなくなった身体を壁に預け、ずるずると座り込む。人肌に温められ時間が経ちすぎた牛乳の味はひどいものだろうと改めて思い直し腕を引っ込めようと狼狽している間に生き物はいつの間にか足元からロナルドの青い瞳を真っ直ぐと見つめている。

    「いいんだよ、もう面倒みなくても」
    「は?」
    「さっさとVRCとか、吸対やらに連れてくもんだと思ってたんだけどぜーんぜん連れてかないし」
    「な、いやでも、お前が世話しろって」

     勝手に始めたのはお前だろうと、唐突に告げられる別れに思考がついていかない。確かに想定より長い付き合いになってしまったが一度面倒を見ると決めたものを見捨てれるほどロナルドは簡単に割り切ることができない。それなのに生き物は動じることなく静かにロナルドを見つめていた。

    「君は勘違いをしているんだよ。“私”にできないことを“わたし”にして満足している。違うだろう、ロナルドくん。君が本当にやりたいことは?素直になれないことは何?弱くて小さくて何もできないただの小動物であれば優しさを振る舞えるなんてちょっと卑怯とは思わないのかね?」
    「卑怯、って」

     だから帰れと冷たい視線への反論は口内で血のように滲んだまま言葉になることじゃなかった。路地裏に背を向け走り出す。卑怯であるとロナルドを謗り遠ざけた生き物を思う。今まで上手くやれていたじゃないか。いつ終わるかもわからないなら終わりまで側にいたっていいだろう。息が切れる。逃げてどうするんだ。これが最後かもしれないのに。50g程の生き物に追いやられて駆け出して、常ならば言い返す言葉の数々は溢れるほど吐き出せるのに。そもそもドラルクの姿をした“生き物”の正体を深く考えるはなかった。なぜだ。得体の知れない存在は新横浜に溢れているからか。違う、生き物は己は本体から分たれた一部だと言った。本当は最初からわかっていたのだ。生き物を構成する塵の正体を。

     ――私の一部がどっかいっちゃったんだよね。

     ロナルドが山盛りのご飯を頬張る姿を見つめながらある日のドラルクは語った。大したことじゃないんだけどねぇ。曰く、新横浜の子供達に通算n回目の泥団子にされたこと。無事復活を果たしたが何やら泥団子が一つ消えていたこと。どうやら子供達にも最後の泥団子を一体どこにやったのか記憶がないこと。別に問題なく動けているし他の砂や水と混ざった泥団子一つ分なぞ微々たるものであるし、いずれ戻ってくると世間話のようにドラルクは語っていた。
    いいのかよ、それ。
    見てくれは五体満足に見えるドラルクは何かが欠けているという。欠落をものともせず、日常を過ごしているドラルクにかける言葉をロナルドはもたなかった。かけるべき言葉は吐き出されず、炭水化物と共に胃袋の中で溶けていく。一瞬の戸惑いのうちに、ドラルクの意識はもう既に愛しいマジロに向いていたし、それ以上の追求もせず結局行方不明の泥団子の話は有耶無耶になってしまった。ドラルクの元から消えた50g。それがあの生き物の正体の一つ。ロナルドは最初からそれを知っていた。しかし、ただの塵を駆動させた魂は。

     振り向き、駆ける。突き放されたのはロナルドが選択を誤ったからだ。見て見ぬ振りをしたから。暗闇の中、漠然とした不安と共にもう一度約束の場所へ駆け出す。図星だからって逃げてどうする、逃げるような男じゃないだろう俺は!

    「どうして戻ってきたの?」
    「お前、本当はドラ公じゃねえんだろ」

     ロナルドの言葉に見開かれた眼。気づいてたんだね、と自嘲気味に伏せられた顔からはそれ以上表情は読めなかった。

    「お前はドラルクの塵から生まれた。間違いない。アイツが話してたからな。でも塵だけが独立して動き回るなんてやっぱおかしいんだよ」
    「わたしは――」
    「お前は俺の後悔から生まれたツクモ吸血鬼だ」

     生き物を掬い上げ真実を告げる。ひとの祈りや強い想いを縁として原動力となり無機物に命をもたらす。ただの塵ではなく、高等吸血鬼の塵とロナルドが抱えこみきれなくなり散り積もった後悔の成れの果て。ロナルドと呼ぶ声に導かれ、その声の主をドラルクと呼んだその時にこのツクモ吸血鬼の在り方は定められた。

    「バレちゃったかあ、ついでに言うとさ最初に傷、舐めたでしょ。あの時の血で結構もってたんだよ」
    「血吸ってたのかよ!?」
    「うん、でももう限界。さすがにね」
    「おい、お前、身体……」

     正体を明かされたツクモ吸血鬼は張り詰めていた意識を解き、ほどけた顔でロナルドを見上げる。ロナルドは慌ててツクモ吸血鬼の身体を掬い上げるも、ロナルドの掌ほどの大きさの体は既に淵から崩れ始めていた。元々限られた命だ。ツクモ吸血鬼と言っても奇跡のような存在で真っ当な命など最初から与えられていない。あの時ロナルドが見つけなければドラルクの塵の一部は漂い、いずれ長い時間をかけて身体の主の元へと戻っただろう。一度崩壊を始めた身体は堰を切るように崩れ、勢いを増していく。

    「……だからさ最期に約束をしよう。“わたし”との約束だ。君は肝心な時に臆病だ。強くて優しくて無遠慮な癖にね。臆病になって、後悔してわたしに私を重ねてしまう必要なんてないんだよ。少しだけでいい。わたしはちょっと背中を押すだけ。君が“私”に何を求めているのか、何をしたいのか、その答えはさ、ロナルドくん。君はもうとっくにわかっているんじゃない?」

     ただ素直になれないだけだろう。見透かした瞳は同居人の吸血鬼と瓜二つだった。振り回されることが嫌だった。必死に守ろうとした理想が足元から崩れていくような気がした。懸命にあがいて、もがて、手を伸ばしてそれでも届かないから身を切り崩すしかなかったのに。まるでそんな自分を嘲笑うかのように、死と再生を繰り返し、この世の全てを楽しまなければ損だと笑う異形はロナルドの人生を壊していった。
    同じように、崩れていく。さらさらと形を失い、不可逆ではない死の針が進んでいく。引き止めたいのに引き止められない。一度きりの死。

    「ありがとな、ドラルク」
    「こちらこそ。――おやすみなさい、ロナルドくん。良い夜を」

     ぱりん、と決定的な終わりを告げる音と共に、生き物の体は悉く崩れ落ち、形を失い掌の上から無惨にこぼれ落ちていった。砂の中に残された、砕け散った宝石のように煌めく赤を握りしめる。
    ぽつ、ぽつ。掌を濡らすのは涙か。否、水音は勢いを増しロナルドの全身を濡らしていく。
    そういえば傘持ってけって言われたっけ。掌の塵が雨音と共に地面に滴り落ちる。まるで最初からそこにはロナルド一人だけで、何もいなかったかのように全て雨で洗い流されていく。ぎゅう、痛めつける程に掌をきつく握りしめた。ざぁ、ざぁと強く降り始める雨音に紛れて震える肩としゃくりあげた声もきっと雨が洗い流してくれるだろう。そう信じて、もはや誰も待つことのない路地裏に別れを告げロナルドは再び走り出した。

    「おかえり……ってずぶ濡れ!!おい!傘持ってけって言っただろうが!」
    「……ただいま」

     全身濡れ鼠で事務所に戻ればいつも通りドラルクがロナルドを出迎えた。ついていかなくてよかった、今晩はシチューだよ。――それより早く洗濯物出して、ジョン、5歳児のためにタオルを持って――一晩にいろんなことがありすぎて、キャパシティオーバーの頭はドラルクが怒鳴る声もよく聞こえない。タオルが頭に被せられわしゃわしゃと水気を取り除かれる。玄関から動かないままのロナルドを奇妙に見つめながらも濡れたまま居住スペースに入ることは許さないのか全身を丁寧に拭いていく。

    「…………あれ?ねえちょっと。手、出して」
    「なんでだよ」
    「いいから」

     ドラルクに導かれるように指を解くと、掌に残っていたのはルビーのように赤い欠片。握りしめて食い込んでいたであろう塵のさらに一欠片。そういうことか、ふぅん、そう。なるほどねぇ。欠片と同じ色をした指先できらめく粒を掬いとられたと思いきやそのままま欠片が吸血鬼の口内に飲み込まれる。

    「……君が面倒みてたんだね、私の心臓」

     失くした50g。ドラルクの心臓の一部はロナルドの後悔を灯火に、約束を携えてようやく主人の元へと帰還を果たした。
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