そのときできる最高を
学園内のゴーストたちが精魂込めて手入れをしている中庭は、季節ごとに色とりどりの植物が花を咲かせる。季節の訪れとともにそれを鑑賞するのを、ルークはいつも心待ちにしていた。
そしてもう一つの楽しみは、この風景をスケッチすること。写真に収めるのも良いのだが、目で見たものをこの手で描いていくこともルークにとって一興であった。
「ずいぶん熱心ね」
「……ッ。ヴィル」
突然の背後からの声にルークは肩を揺らした。よっぽど集中していたのだろう、アンタが人の気配に気づかないなんてね、とヴィルは笑って隣に腰掛ける。
「芸術は私をただの人にしてくれるのだよ」
ヴィルは真剣に筆を動かしていた無防備な背中を思い出し、そうみたいねと返した。ふと、以前もこのようなやりとりをしたことを思い出す。あのときした約束を、ルークは覚えているだろうか。
「ねえ、覚えてる? あの約束」
イタズラっぽく微笑まれ、ルークは内心ぎくりとする。もちろんだと肯定すると、ヴィルは少し不服そうに眉尻を下げた。
「いつになったらアタシのことを描いてくれるのかしら」
「もう少し、腕が上がったら……」
いつだっただろうか。ヴィルはルークに自分を描いて欲しいと頼んだことがあった。そのときと全く同じ返答され、ヴィルは苦笑する。
「アンタがそこまで完璧主義者だったなんてね」
「キミは特別なんだよ……。キミの美を具現化するには、私はあまりにも未熟なんだ」
わかっておくれと、ルークは困ったように微笑む。ヴィルとて無理強いしたいわけではない。依頼当初はあまりに思い詰めたように了承され、気軽にしていいお願いではなかったのだと反省したものだった。当時はルークのヴィルに対する情熱を見誤っていたのだ。
移り気なルークのことだ。あのときの情熱は潰えてしまっているのではないか。ヴィルは何となくそれを確かめたくなり、以前依頼したとき振りにその約束を確認した。しかし心配はまったくの杞憂。その上情熱はさらに高まっているようにも見え、ヴィルは少し呆れながらも機嫌良さげに口角を上げた。
「ねえ、もしかして……もうすでに何度かアタシを描いたことがある?」
「それは……」
ルークは視線を泳がす。この男は隠し事はうまいがウソをつくのは下手くそで、図星を突かれると否定することができない。見せられないよと大袈裟に慌てるルークに、ヴィルは思わず吹き出す。
「作者本人が見せたくないものを無理矢理見ようだなんて思わないわ」
同じく表現者であるヴィルもそれは十分に理解できていた。彼も同様に、自分が納得していないものを世に出すなんて耐えられないだろう。ヴィルの言葉に、ルークはほっと胸を撫で下ろす。
「でも……プロはどこかで妥協して完成させないといけないときがある」
「妥協? キミもするのかい。そんなものとは無縁だと思っていたよ」
ルークよりもヴィルの方がよっぽど完璧主義者だ。妥協というまったくヴィルに似つかわしくない言葉に、ルークは目を丸くする
「妥協というと聞こえが悪かったわね。そのときできる最高は何かを見極める、と言った方がいいかしら」
映画であれ雑誌であれ、プロの仕事には締め切りがつきまとう。締切の存在は作品作りに大きな影響を及ぼす。ヴィルの言うとおり、『フィエルテ』の撮影の際も締め切りに対し寮生たちが実現できるであろう限界の指示を出していた。もし目標を見誤り準備期間でできる以上のことを求めていたならば、あれほど評価の高いインタビュー記事は完成しなかったかもしれない。
ヴィルの言葉に深く納得したルークは、顎に手を置き少しばかり思案する。
「で、あれば……私も締め切りを設けよう。三年が終わるまでに、今の私が描ける最高の一枚をキミを贈るよ」
「あら、ホント?」
いつまでも待たせるわけにはいかないから、とルークは覚悟を決めたように言う。ヴィルはその真剣な様子に少したじろいだが、思わぬ締切の提示に喜色を浮かべた。
「嬉しい。ちゃんと報酬も考えておいてね」
「報酬!? そんなもの……」
必要ない、そう言おうとして、その唇を人差し指で塞がれる。
「ダメよ。アタシがアンタに依頼してるんだから」
技術にはそれ相応の対価を、ヴィルの言い分は最もだ。もとよりルークに手を抜く気など毛頭なかったが、しかしいざ報酬があると言われてしまうとよりプレッシャーを感じてしまう。本当に三年が終わるまでに描き上げることができるのだろうか。しかしこんなことをしていては一生約束は果たせまい。ルークは観念したように大きく息をついた。
「……期待に応えられるよう尽力するよ」
「ふふ。楽しみにしてるわね」
いったいどれほどの超大作を描き上げるつもりかしら。少し心配になりながらも、その完成を心待ちにするヴィルであった。