初めてのデート 仕事が少し押してしまった。次の現場までは余裕を持って終わるはずだったが、この時間だとタクシーを呼んだ方がいいだろう。使わなくとも間に合うかもしれないけれど、HiMERUとして時間ギリギリに着くことは避けたい。とりあえず外に出てすぐ拾えるようだったら拾おう。見当たらなければすぐに呼べば大丈夫のはずだ。
そう思って外に出て周囲を見渡そうと思えば天城が視界に入った。距離があるから正確には分からないが暇なのかスマホをいじっているように見える。……暇ではないか。次の仕事は天城も一緒なのだから。そして何故か近くに車も止まってあった。というかあれはESの社用車じゃないか?
HiMERUの視線に気付いたのか天城が顔を上げるとこちらに向かって手招きをしてきた。数秒だけ悩み、天城の方へと歩を進める。このタイミングでわざわざいるのだからHiMERUにとって不利益なことは起こらないと見越してのことだ。天城の近くに何もなければさっさとタクシーを呼んで天城も押し込んでいたかもしれないが。
「メルメルお疲れさま~。燐音くんと今からドライブデートしねェ?」
「ふふっ。これが初デートになってしまっていいのですか」
少しだけ悩んでそう返事をした。周囲に人の気配はないし例え会話を聞かれていたとしてもこの場の冗談として流されるだろう。先日天城と付き合い始めたことはまだ誰にも言っていないのだから。
「いいンだよ。それともメルメルはリムジンで迎えに来て高級レストランで夜景もセットの方が良かった?」
「初デートでそれはむしろ警戒しませんか?」
「俺っち、普通のデートとか知らねェ~」
「では普通じゃなくて構いませんから次の現場までお願いします」
「りょーかい」
天城は笑顔で返事をすると運転席へと乗り込んだ。どうして社用車を借りているんだとか訊きたいことはあったけれど、一旦飲み込んで助手席へと身体を滑り込ませる。どうせ着くまでに話す時間くらいはある。
「あ、メルメルは何時までに着いておきたい?」
「天城なら分かっていると思いますが、収録の開始時間を加味すると四時までには」
「オッケー!」
天城がエンジンをかけると間もなくして車が走り始めた。初めて乗ったときに存外運転は丁寧なのだなと思った記憶と、別に意外でも何でもないかと納得した記憶がある。こういう状況でルールの穴を探すような男じゃない。それは今では充分に理解していた。
「それにしてもメルメルがノってくるとは思わなかったなァ」
「先程のデート発言ですか」
「そう。外だしてっきりメルメルのことだからお断りしますとか言ってタクシーでも呼ぼうとするもンだと」
「明らかにHiMERUを迎えに来たと思われる天城がいるのにそんなことしませんよ。それに……」
「それに?」
「例え次に仕事を控えている状況であっても時間が許すなら恋人からのデートの誘いを断るような人間ではないつもりです。天城は仕事の準備を怠るタイミングで誘ってこないでしょう?」
「……メルメルって意外とそういう恥ずかしいこと普通に言うよなァ」
隣で運転をしている天城を見れば口を尖らせながら薄らと耳が赤くなっているのが見えた。天城の方こそパブリックイメージとは違って意外とこういう反応を見せてくるじゃないか。正直、そんな天城を見るのが嫌いじゃないことは黙っていた。口に出してしまえば否定されて、照れている天城を見ることはなくなってしまいそうだからだ。……天城なら努力すれば赤らめることを完全に隠すことも出来そうだとも思っているから。
とはいえこのままの空気感でテレビ局に到着して他の誰かに見られてしまっても困る。天城なら上手く切り替えるだろうが、その前に今の空気を少しだけ霧散させておいてもいいだろう。
「まあ、もっと急いでいたら天城を急かすためにタクシーを呼び出す振りをしてスマホを取り出すくらいはするかもしれませんが」
「きゃははっ!」
笑いながら天城がハンドルを右に切った。霧散させるついでに気になっていたことも訊いておこうか。
「どうして社用車を借りているのですか?」
「メルメル迎えに行くって言ったら貸してくれた~。一応出る前に確認したけど、盗聴器の類はなかったぜ。車内でのアイドルのプライバシーは守られてるっぽいなァ」
「天城の方からデートの話題を出してきた時点でそちらの心配はしていませんよ」
「そちらってメルメルはどちらさんの心配してンだよ。燐音くんの安全運転を知らねェの」
「安全運転は充分に知っています。というより、自分で安全運転というワードを出してキャラじゃないなみたいな顔をするの止めてください。どうせHiMERU以外聞いていないのですから」
「うっせ」
運転中でさえなければそっぽを向いていたであろう口調で天城が言葉を投げた。天城が言ったどちらの答えを教えてやるか。先に質問したのはこちらなのだから。
「HiMERUが心配していたのは天城が勝手にこの車を借りてきたのではないかということだけです」
「こんなことで変に目を付けられても万が一必要になったときに困るだけだしなァ。今後もちゃんと借りられるように許可はもらってるっしょ」
「それならいいのです」
遠くに目的地であるテレビ局が見えてきた。どうやらこの短いデートの時間は終わりに近付いているらしい。車を停めたタイミングで近くに誰かがいたら天城と恋人として話す時間も上手く取れないだろう。それならば、やはり今しか言う機会はない。
「天城」
「言われなくてもうっかり通り過ぎるなんて真似はしねェって」
「そうではなく……次はこちらから声をかけます」
「? 何を?」
本気で分かっていないという声に自然とため息が漏れた。こういう場面ではどうして頭の切れを活かせないのだろうか。とはいえ、別にもったいぶる必要もない言葉だ。天城の横顔を見ながら考えていたことを告げた。
「次はHiMERUの方からデートに誘うと言っているのですよ」
「なっ……」
普段であれば頭でも掻いてごまかしでもしていたのだろう。左手の人差し指が一瞬だけピクリと動いたのを見逃さなかった。
「ッ、それならメルメルのデートを楽しみにさせてもらうっしょ!」
「ええ、楽しみにしておいてください」
まるで会話の終わりを計算したかのようなタイミングで車が駐車場へと入っていった。