書き途中の⚔️💍な🥞☕ 大輪の向日葵が咲き誇る秘密の花園の中心で、どの向日葵よりも眩しく愛らしい笑顔で僕を見詰め、少年は花畑に埋もれるように跪いた。
日々の激しい訓練で切り傷や血豆の出来た硬く荒れた掌で僕の手を取り、少年は柔らかな唇を僕の手の甲へ押し当てる。
「アキト?」
柔らかな唇は緊張で強張り、わなわなと震えていた。僕の手を取る歳の割に分厚く男らしい手も汗を掻いて湿っている。
「トウヤさま、笑わないで聞いてくださいね」
「アキト? 改まってどうしたんだ?」
普段は敬語を使わないのに、どうして二人きりなのに丁寧な口調なのだろう?
なんだか調子が狂う。僕はいつものアキトが好きなのに。
僕を見詰めては溜め息を吐き、言葉を紡ごうと薄い唇を開いては、声を出す事なく「ほう」と息を吐き出して俯いて……何度も繰り返し、アキトはようやく決心が付いた様子でキリッとこちらに愛らしい垂れ目を向けた。
「トウヤさま……オレと、けっこんしてください!」
「けっ、こん?」
「そう、オレのおよめさんになってください! オレと、ずっといっしょにいてください!」
そう一息で想いを吐き出して、アキトはポケットに隠していた小さな指輪を僕の左手薬指に嵌めた。サイズはぴったりで、まるで僕の為に作られたかのような……なんて、烏滸がましいか。子供がおままごとで使うおもちゃの指輪なのに。
「アキトと、結婚……」
指輪の中心にはオリーブグリーンの硝子玉が嵌め込まれている。まるでアキトの瞳のように深くて甘くて美しい色だ。光に翳してうっとりと眺めていると、アキトは緊張でごくりと喉を鳴らし僕に返事を促してくる。
「と、トウヤ……さま。こたえ、聞きたいです」
「アキト、敬語はよしてくれ」
「で、でも、すきな人にこくはくするときは、ちゃんとけいごをつかえって、母さんが……」
頰を赤らめて白状する拗ねたような表情が可愛らしい。りんごのように赤い熱を持った頬を左手でつるりと撫で、僕は跪くアキトと視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「アキト、僕を好きになってくれてありがとう……将来、アキトと結婚するのが楽しみだな」
「……! じゃあ!」
「ああ、僕はアキトのお嫁さんになる」
強い風が吹いて、周囲の向日葵がそよそよと踊り始めた。まるで僕達の未来を祝福し、拍手を贈っているようだ。
「やった……! オレ、ぜったいにセカイいち強いきしになる! トウヤをまもる、最強のきしになってみせる!」
アキトが僕に抱き着いてきた。あまりの勢いに気圧されて、僕は背の高い向日葵に遮られ日差しの届かないほんのり湿った地面に転がる。
白い衣服がすっかり泥塗れになってしまったが、僕とお揃いの服を身に纏うアキトも僕と同様に真っ黒の泥だらけ。いつの間にか鼻の頭まで真っ黒に汚して、アキトは人懐こい愛らしい笑顔を見せてくれた。
あんなに慣れない敬語で頑張って喋っていたのに、僕がプロポーズを受けた事で気が抜けてしまったのだろう。すっかりいつも通りの元気なアキトに戻った。やはりアキトとは対等な関係でありたいものだ。
「ふふ、では、僕もアキトに護られるのに相応しい立派な王子にならなければな?」
「トウヤはもうリッパな王子さまだろ?」
「いや、まだまだだ。もっとたくさん勉強して、国を導く者にならなければ……」
「国を……みちびく?」
「ああ、僕の力で国民を笑顔にしたいんだ」
「んー……??」
頭に疑問符をたくさん浮かべて首を傾げるアキトの汚れた鼻先を服の袖で拭ってやる。擽ったそうに笑う眉尻がいつになく下がっているのが可愛らしく、僕は思わず綺麗にしたばかりの鼻先を唇で吸った。
「ははっ、まだアキトには難しいか?」
「むー……、バカにすんなよ!」
ムキになって頰を膨らませるアキトの柔らかな癖毛を撫で、俯いて丸見えになった旋毛に鼻を押し当ててアキトの匂いを肺一杯に吸い込んだ。アキトからは優しい日溜まりの匂いがする。甘くて暖かい、大好きな匂いだ。
「ん、ふふ……アキト、大好きだ」
「へへっ、オレも」
甘く優しい花の香りに包まれながら、僕とアキトはどちらともなく唇を重ね、弛まぬ愛を誓い合ったのだった。
***
「……軽いっ!!」
ガキンッ!!
金属同士がぶつかる激しい音が鼓膜を揺さぶる。眼前でチカチカと白く飛び散る火花が眩しくて、俺は思わず瞼を閉じた。
「……っ、あ……」
次に瞼を開いた時には俺は尻餅をついていて、喉元には鋼色に輝く磨かれた剣の切っ先が突き付けられていた。剣の柄を握る漢らしい手をぼんやりと霞む瞳で辿ると、優しげな垂れ目をとろりと細めて花のような美丈夫が微笑んだ。
「トウヤ様、それでは国を護るどころか、己の身すら護れないですよ?」
勝ち気な笑顔にぐうの音も出ず、俺は悔しさを飲み込んでキッと眼前の騎士を睨む。
「くっ、アキト、もう一度……あれ? 剣が……」
手が痺れていて気が付かなかったが、俺の持っていた筈の剣は遠くに弾き飛ばされてしまっていた。完全な敗北だ。これが実戦だったならば、俺は既にこの世にはいない。
「ほら、拾えよ……待っててやるから」
剣を鞘に収め、顎で地面に突き刺さる剣を示す余裕ぶりだ。たとえ恋人相手だとしても一切妥協しない。アキトの指導はとても厳しいが、これは俺が一人前の王子となる為に必要な事なのだ。
優しいアキトが心を鬼にして指導してくれるのだから、俺も必死に食らい付かなければ……
いつまでもぺたんと地面に座り込んでいる俺を見るに見かねたアキトは、こちらへと手を差し伸べて立たせてくれた。
ふらふらと覚束ない足取りで剣を握り直し、再びアキトと向かい合う。
今まで軽い木製の剣で訓練をしていた為か、実物が存外に重たく両手で握っているだけなのに切っ先がふるふると震えて狙いが定まらない。
こんなに重たい物を片手で平然と振るえるアキトはとても力が強いのだと改めて感じる。俺を護る為に日々の厳しい訓練を耐え抜いてきた屈強な身体に感謝と最大限の敬意を払い、俺は剣を大きく振りかぶってアキトに向かって駆け出した。
「いくぞ、アキト……っ!」
気合を入れて飛び掛かっても結果は目に見えている。俺の渾身の一撃をアキトは涼しい顔でひらりと交わし、剣の柄で俺の背骨をガツン、と突いた。
雷に撃たれたような衝撃が身体中を駆け巡る。激痛というよりは熱さや痺れに近い。眼前でバチンと火花が散って、セカイが一瞬真っ白になった。
「……こふっ!」
胃がドクンと収縮し、俺は込み上げる吐き気に抗えずに地面に倒れ込んで嘔吐してしまった。
まるで芯を引き抜かれてしまったかのように、身体がぴくりとも動かない。
「…………ぁ、かふっ……ぅ、……っ……、」
「……あ、やべ……トウヤ?!」
武器を投げ捨て傍に駆け寄ってきてくれたアキトが、震える手で俺を抱き上げてくれた。
「トウヤっ……! トウヤ、しっかりしろっ!」
「……ぁ、き……と……」
意識が朦朧としてきた俺が最後に見たものは、愛らしい垂れ目を歪め俺の名を何度も呼ぶ大好きなアキトの顔だった。
★★★
トウヤは訓練中に意識を失って、夕方までぐっすり眠っていた。
目を覚ましても何だかぼうっ、としていて、完全な覚醒というよりは夢と夢の合間に気紛れに瞼を開けただけみたいな感じで。
ベッドの上でオレに抱き締められているのを理解すると、細い指でごしごしと眠い目を擦りむにゃむにゃと何かを呟いた。多分まだ寝惚けているんだろうな。
「トウヤ?」
「……ん、あきと? あぇ……、俺は……」
「ごめんな、トウヤ。手加減出来なくて……」
手加減という言葉に冬弥の垂れた眉がぐっ、と吊り上がる。悔しがってるな、これ……
たとえトウヤが相手でも、訓練で手を抜く事が出来なかった。つい新人を扱くみたいに眼前に飛び込んできた一国の第三王子を昏倒させ、嘔吐させるなんてとんでもない事を……
「……アキト」
「悪かったって……」
「違うんだ。アキトは悪くない……お願いを、したくて」
「お願い?」
首を傾げるオレにトウヤがもぞもぞと身動ぎをして、背中の痛みに息を詰めた。
背中を擦ってやるとトウヤはうっとりと目を細め、とろんと眠たそうな顔をしながらオレの胸に頬を擦り付けて甘えてくる。
「ん、ふふ……」
「甘えん坊……なんだよ、お願いって?」
「もう一度、俺と剣を交えて欲しいんだ。アキトには敵わない事は知っているが、教えてもらった事を全く実践に活かせないまま気を失ってしまうなんて……情けなくて」
この上目遣いが愛おしくて堪らない。猫みたいなグレーのツリ目が潤んで、緊張で僅かに声が震えている。
「……いつまでも弱い俺では、いられないから……」
「お前……」
「お願いだ、アキト。今すぐにでも……」
「ダメだ」
トウヤのかわいいお願いを遮って、ピシャリと拒絶する。基本的にトウヤを否定しないオレにこんなに強く拒絶され、トウヤは酷く動揺した様子で淡い色の瞳をふらふらと彷徨わせた。
「……っ、なぜ?」
「……お前を怪我させた罰で、オレは謹慎処分中なんだよ」
「そ、そんな……っ! アキトは悪くないのに!」
「いや、第三王子ボコボコにして悪くないワケねぇだろ?」
「……父さんに、会いに行く……っ。アキトの謹慎を解いてもらえるように掛け合って……、んっ……?!」
ムリして変な気を起こす前にキスで口を塞いでやった。あんなに慌てていたのに、オレにキスをされると直ぐに大人しくなって、震える腕を遠慮がちにオレの背に巻き付けてくる。
「……は、ん……む……♡ は……ぅ♡♡」
「……、トウヤ。頼むから大人しくねんねしてな?」
「……だが、アキト……っ、んん〜〜、……♡」
嫌がっても離してやんねぇ。
唇の隙間に舌を捩じ込み、臆病なトウヤの柔らかい舌を引きずり出してくちゅくちゅと絡めれば、意識がすぐにとろとろに蕩けてきた。
「…………♡♡」
「トウヤ、聞け」
先程までの勢いはどこへ行ったのか、トウヤはふにゃふにゃ笑ってこくりと頷いた。
唇の端から伝うお互いのどろどろな欲が混じり合った涎を舌で舐め取り、柔く唇を啄んでからトウヤの耳元に囁く。
「謹慎っつっても、あんまりいつもと変わんねぇんだ。三日間外に出られねぇだけ。陛下からはお前が傷付けたんだから治るまで看病しろっておっしゃられたんだよ……その前にめちゃくちゃ叱られたけどな」
心臓止まるかと思ったくらい怖かった。
どんなに強い敵にぶち当たっても恐怖を覚えないのに、なんで陛下はあんなに怖いんだろうな……今でも思い出すと手が震える。
「……? 父さんが?」
「すげー心配してたぞ? ちゃんと元気になったら会いに行けよ?」
「……そうか……、そうだな。その時にはアキトも一緒に行こう。きっと父さんも喜ぶ筈だ」
「……息子怪我させたヤツに会ってもうれしくねぇだろ……」
全くこいつは本当に……天然っつーか、純粋っつーか……
そんなところがかわいくて、大好きで……目が離せない。
「トウヤ」
「??」
「好きだ、トウヤ」
「……♡♡ 俺も、アキトの事が好きだ。ふふ、俺達はいつか結婚をするのだからな……ほら、これを」
そう言って無邪気に笑いながら、トウヤは首に掛けたネックレスをこちらに見せ付けてくる。ネックレスのシルバーの鎖の先にぶら下がっているのは、オレの……
「アキトからの初めてのプレゼントだ」
おもちゃの指輪だ。ガキの小遣いで買える物なんてそんなもんで。国の王子様がこんなバカらしいモンをずっとぶら下げてんの、正直恥ずかしくて仕方がない。早く捨てろって、ずっと言ってんのに……
「トウヤ、いい加減……それ、」
「嫌だ……アキト、これは俺の宝物なんだ。どうか捨てろと言わないで欲しい……」
あんなに甘ったるい顔して喜んでいたクセに、急に泣きそうな顔をする。トウヤはオレに見せ付けてきた指輪を慌てて握り込み、こそこそと隠すように指輪のトップを飾るオリーブグリーンのガラス玉に口付けをした。
「新しいの、買ってやるから」
「これじゃなきゃ、ダメなんだ……! 次にアキトから指輪を受け取る時は……その……、」
もじもじと細く白い指を組み合わせてトウヤが言葉を濁らせる。もにょもにょと恥ずかしそうに口の中で喋って、オレに続きを言わせようと熱を帯びた瞳で見詰めてくる。
仕方ねぇな……こいつ、オレがこの顔に弱い事を理解してんだよな。
トウヤがオレに何を言って欲しいかなんて、そんなのとっくにわかってんだ。
「はぁ……、そうだな。オレがお前にプロポーズする時だ」
「……! ふふっ、嬉しいな……楽しみだ」
グレーの瞳が三日月のように細くなる。かわいくて頭をくしゃくしゃ撫でてやると、セットが乱れてもさもさになった頭のまま、トウヤが幸せそうにオレにぎゅうっと抱き着いてきた。
「……ふふっ、アキト、大好きだ。あぁ、早くアキトのお嫁さんになりたいな……」
「トウヤ、オレが絶対にお前を幸せにしてやるからな」
「もう十分幸せなのに、これ以上幸せになってしまったら……俺はとろとろに蕩けてしまいそうだ」
こいつは自分の立場を全く理解していない。
国の王となる資格を持った貴重な存在であるという事を。兄弟も多い為、たとえトウヤが国を統べる者になれなくとも、王族であるが故に国を守る為の手段の一つとして扱われる場合があるという事を。
お前と結ばれる事を望んでいるのに、オレは他ならぬ陛下にお前と結ばれる未来を完全に否定されている。
国の為、そして何よりトウヤの為、オレは陛下の望みを受け入れる事で、こいつの隣にいるのを許されている。
トウヤは……それを知らない。
「なぁ、トウヤ……もう一回キスさせてくれ」
「一回だなんて……もっとたくさん、唇が擦り切れるくらいたくさん、俺を求めて欲しい」
「っ、お前なぁ……、あんま煽んな……」
「?? 煽っていないぞ? 俺はアキトとキスしたいだけだ」
「だから、煽ってんだよ、それ……」
***
「……二百、二百一……っ、……」
アキトが部屋の床で腕立て伏せをしている。謹慎期間中とはいえ、身体が鈍ってしまったらいざという時に俺を守れないからだと言っていた。
俺はいつもアキトに守られて生きている。
俺の命も、心も……アキトが傍にいてくれる事で、俺は生きていられる。
「アキト、俺も身体を鍛えてみたい」
「……ん? いや、ダメだろ。怪我人は大人しく寝てな?」
腕立て伏せの手を止めてアキトが汗だくの顔でこちらを睨む。確かに、腰を痛めたのに筋力トレーニングをしたら余計に悪化してしまうかもしれないな。
アキトに守られるだけではなく、一人の男として国を守れる強さが欲しい。
しかし、強くなる為にはまずは健康にならなくては。アキトの言う事はご尤もだ。
「……では、アキト。俺に何か手伝える事はあるだろうか?」
「んー、そうだな……」
アキトはしばらく考えた後で、良い事を思い付いた様子でにんまりと笑う。
「ちょっと来い」
「?? アキト?」
「オレの上に乗って負荷掛けてくれ」
「あ、アキトの上に? 俺は重いぞ?」
「重くなきゃ意味ねぇだろ……負荷掛けるんだから。まぁ、お前はそんなに重くねぇけどな」
痛めた腰は薬草で作った軟膏を塗り、身体に治癒魔法を掛け続ける事で回復力を高めている。魔法を使い過ぎるとアキトに怒られてしまうから黙っているが、集中が切れると魔力が漏れてしまってバレてしまいかねない。
アキトは魔法使いの素質はない……というか、魔力が生まれつき備わっていないタイプの人間だが、俺が魔法を使っているのは察する事が出来るらしい。肌がピリピリする……などと言っていたような。
回復魔法も結構魔力を消費する為、傷は癒やせるがくたくたになってしまう。細胞を無理矢理活性化させて傷を治す為、身体にも負担が掛かる。回復魔法は基礎的な体力がないものには時に毒になるのだ。
兎にも角にも、まずは傷を早く治し、アキトの謹慎を解いてもらわなければな。
「ほら、来いよ」
アキトに顎で示されて、俺はだらだらと長い思考を停止させた。なるべく身体に負担のないようゆっくりとベッドから降り、汗だくなアキトの傍に寄る。うつ伏せになったアキトに跨り、腰にお尻を乗せると、アキトは何故か嬉しそうに「ふはっ」と笑った。
「お邪魔します」
「なんだそりゃ、ははっ……そんじゃ、いくぞ?」
俺の体重が加わったにも拘らず、アキトは特に苦しそうな素振りも見せずに軽々と身体を持ち上げる。俺を上に乗せたまま、何度もアキトの身体が上下に動く。
「アキト、重たくないか?」
「んや? むしろいい感じだ」
「そうか……それなら良いが……」
「あれ、何回数えたかな」
「忘れたのか?」
「ん、まぁ……お前と少しでもくっついていたいし、最初から数える。とりあえず百回いくぞ?」
ちらりとこちらを仰ぎ見るアキトの顔はほんのり紅色に染まっていた。穏やかな笑顔が大人びた垂れ目を一層艶っぽく見せる。
「アキト」
「んー? どうした?」
「……トレーニングを終えたら、一緒にお風呂に入ろう。背中を流してあげたい」
「…………お前、あんま煽んなよ。自制が効かなくなる」
「煽る? 別に煽っていないが……俺はいつも俺を守ってくれるアキトの逞しい身体に触れて労いたいだけだ」
「煽ってんだよなぁ……それ。まあ、お陰でお前の無自覚煽りにはだいぶ耐性は付いたが。オレ以外に言うなよ、それ」
「む……わかった。言動には気を付けよう」
第三王子とはいえ王族だ。俺の不用意な発言で取り返しのつかない事態に陥ることもあるかもしれない。アキトは幼い頃からずっと傍にいてくれて、俺の性格も知っているから問題ないが、初対面の人物に対し失礼な発言をしないよう気を引き締めなければならない。
俺がぼんやりと考え事をしている間もアキトは腕立て伏せを繰り返していた。上下に僅かに身体が揺れ、アキトの荒い息遣いも相俟って、瞼を閉じるとまるで夜の睦み縺れ合う最中のようで。
気恥ずかしさを紛らわす為に、俺は回復魔法を再び己の背中にかけながらぼんやりと窓の外を眺めた。
この時間帯はいつも小鳥さんが遊びに来てくれる。扉を開け放っておけば勝手に室内へやって来て俺の伸ばした指先に停まり共に歌を歌ってくれるが、今日は少し警戒しているらしく窓枠で羽を休めている。
「アキト、歌を歌ってもいいか?」
「もちろん」
「ありがとう、では……」
アキトは歌を歌うのが好きだ。普段は俺が歌い出すと一緒に口遊んでくれるが、今はトレーニング中だから聞き役に徹するらしい。すうっ、と息を吸い込み肺を酸素で満たす。光に満ちた部屋の中で、身を寄せ合う愛しい恋人の為に歌を紡ぐ。
「♪……、――――」
トレーニングには少し向いていない曲調だったかもしれない。俺のゆっくりと歩くような速度の歌に合わせ、アキトの動きが僅かに緩慢になる。
しばらく歌を聞いていたアキトだが、うずうずとこそばゆそうに肩を震わせ、短い溜め息を吐いた。俺に押し潰されるようにペタンと大理石にへばりつき、頬を冷たい床に押し当ててふぅ、と一息吐く。
まるで俺がアキトを押さえ付けているようにも見えるが、これはトレーニングの合間の休憩だ。決して俺はアキトに手を上げたりはしない。もしかしたら傍目から見たら民を折檻しているように見えてしまうだろうか……
「アキト?」
「……っ、やっぱ我慢出来ねぇ。オレも歌う」
「ふふっ、そうだな。一緒に……」
「「♪――――、〜〜……」」
俺の歌声に、アキトの力強い声が重なる。二人の声は幾重にも折り重なり混ざり合って、先程独りで歌っている時よりも比べ物にならない程の豊かな色彩を孕んで部屋の空気を震わせた。
冷たく無機質な俺の声に、アキトが声を重ねると命が宿るのだ。胸が熱くなって、気分が高揚してくる。
「アキト!」
昂る感情のまま下敷きになっているアキトに抱き着くと、アキトは俺に押し潰されて苦しげに呻いた。
「ぐぇ……、こら、今汗臭いんだからやめとけ」
「汗臭くなんかない。アキトのいい匂いがする」
汗で湿った後頭部に鼻を押し当ててくんくんと匂いを嗅ぐと、アキトは顔をこちらに向けて「はしたないぞ」と俺を叱る。口調は厳しく俺を咎めるものではあったが、アキトの表情は穏やかに微笑んでいた。
「よし、一段落ついたし風呂でも入るか」
「ああ、そうだな」
身体を湯で温めれば、きっと腰の治りも早くなるだろう。早く元気になって、アキトを始めとするみんなを安心させてやりたい。
***
謹慎二日目。
相変わらず本調子ではない俺を気遣うようにベッドから少し遠い位置に椅子を持っていったアキトは、乾いた布で丹念に剣を磨いていた。
戦いの最中、血液や肉を断つ時に纏わりつく油分は剣の錆の原因となる。それ以外にも湿気や埃などの日常的な汚れも切れ味が悪くなる要因なのだそうだ。
手入れを怠ると鞘から咄嗟に抜けなくなる事もあるらしい。
アキトの剣はいつも曇りもなく人の顔を写す程に磨かれていて、使い込まれているのに新品のように美しい。手入れが行き届いている事を誉めると、アキトは照れ臭そうに頭を掻いて「趣味みたいなもんだ」と笑うのだ。
「アキト」
「ん? なんだ?」
「……その、謹慎中でも熱心だと思ってな」
毎日磨いているし、時間があるからなのか謹慎処分になった昨日から剣の手入れの時間がとても長い。今日は俺に触れている時間よりも剣に触れている時間の方が長い気がする。
「アキトは……剣が大事か?」
「はっ、ナニ? もしかして妬いてんの?」
「……妬く? 嫉妬、という事か?」
そうか。俺は俺の目の前で俺よりも大切に扱われている剣に嫉妬しているんだ。アキトに優しい手付きで触れられ鏡のように美しく磨かれた剣に、まるでアキトを取られてしまったかのような寂しさを感じてしまっている。
なんて醜く、なんて幼稚なのだろう。
自分が恥ずかしくなる。
「……アキト」
「トウヤ、オレが剣を磨く理由……わかるか?」
アキトが手入れを終えた剣を持ったままこちらへ近付いてきた。少し鉄臭い大好きな掌が俺の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「俺を、護る為?」
「正解。でもまだ半分」
まだ理由があるというのか。
身だしなみや暇潰しなど、様々思い付くものをあげてみても全部ハズレだと笑われてしまった。
流石に焦らされるのにも飽きたし、アキトにクイズの答えをせがむ。
「……教えてくれ、アキト」
「答えって程でもねぇんだけど……単純に銀色がキレイだからだ。ほら、見てみろよ」
そう言って光に翳した剣は月の光のような銀色を湛えていた。
「ああ、確かに美しいな」
「だろ? お前の瞳みたいにキレイな銀色。これが見たくてバカみたいに磨いてんだ」
「……! 俺の、瞳?」
「そう、お前と同じ色を少しでも身に着けたくて頑張ってんの……あー、白状するとガキ臭くてこっ恥ずかしいな……コレ……」
そう言いつつもアキトの声は甘く、口元は柔らかく微笑んでいた。
「アキト、ありがとう」
「んー? 何が?」
「命を預ける大切な相棒である剣に、俺を重ねてくれているんだろう? 嬉しいんだ……だから、ありがとう」
「相棒、ねぇ……そうだな。確かに戦いでのオレの相棒はこいつだが……」
剣を鞘に納め、アキトは俺の額に唇を寄せた。
ちゅ、と優しい音がして直ぐに離れる。
「アキト?」
「オレの相棒はお前だから」
幼い頃からずっと傍にいる。
年月が経って、互いの立場を理解しても変わらずに隣にいる。
家族よりも強い絆で結ばれている俺達を表現するのに【相棒】ほど適した言葉はないだろう。
「……あぁ、ああ! そうだな、俺達は……相棒だ!」
「ん、相棒」
再び降ってきたアキトの唇を今度は唇で受け止めて、離れようとする薄く柔らかな上唇を甘噛して引き止める。互いの燻る欲望をキスで鎮めながら、俺達は唇が唾液でふやけるまで貪るようにキスを繰り返したのだった。