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    あまぐに誕生日おめでとう獄寂 先生ほぼ不在ナゴヤ!

    #獄寂
    prisonSilence

     四半期締の繁忙を過ぎた七月のはじめ、天国獄は休暇を取る。早い夏休みだと言ってはいるが、異国から年に一度戻ってくる恋人と過ごすためなのだと、みな知っていた。なにかあったらすぐ連絡しろと面倒見の鬼だから言い置いてはいくが、だから休暇中獄の携帯は、一度も鳴ることがない。
     どこでなにをしているのかは誰も知らない――調べない。はじめて休暇を取った年、ベンゴシが不動産を購入したようだという情報がイケブクロ方面から流れてきたが、誰もそれ以上のことは聞かなかった。どこにいようがなにをしていようが、知る気もなければ調べる気もない。年月が過ぎてもその姿勢は変わらず、元気に帰ってくるのだからそれでいいと、それだけをみな思っている。「みな」というのは、僧侶見習い、ビジュアル系ボーカリスト、獄法律事務所の所員一同であり、おおざっぱに見繕えば、空厳寺の住職あたりまで含まれるだろうか。普段は歯に衣着せずものをいう面子もこの件に関してはぴたりと口を閉ざし、息を潜めるようにして獄を――その向こうに見え隠れする恋人を――見守っている。
     年々、留守中についての言い置きや念押しは少なくなっていった。最初は一週間だった休みも一ヶ月まで伸びた。指示の減少は信頼の証だろうかと所員一同は嬉しく思わなくもなく、実際、頼りになる所長の不在が所員の成長を促している側面はあるのだった。一ヶ月がんばるぞ、ようやく半分だ、あと三日までこぎつけた、明日になれば先生が戻ってくるからと、眦を吊り上げ駆けずり回る日々は団結力と個々の能力を高めた。帰ってきた獄に「なにも問題はありませんでした」と報告する顔は誇らしさを隠しきれず、対する獄も「そうか」と眩しげに目を細める。
     そうして迎えた年月も十年をこえ、地元の英傑が人生五十年と謡った五十となった獄は、だが人生の節目だなどと大して気負うこともなく、例年通りに出かけていった。口うるさい上司の不在をやれやれ羽を伸ばせるとうそぶけるほどの余裕を身につけた所員たちも、例年通りに見送った。もちろん例年通りに獄は帰ってきたし、事務所に空却と十四が待ち構えているのも例年通りだった。だが例年通りとは言えない獄の様子に気づいたのは、やはりというべきか十四だった。駆けだしの新人の時期を過ぎ十年のうちに中堅と呼ばれる立場を手に入れつつあるミュージシャンはだが従来の素直さ率直さを失ってはおらず、どうしたんすか獄さん、と素直に聞いた。どうもしねえよと煙草に火を点ける獄に、どうもしねぇことはねェだろうと見習いの文字が取れた僧侶が畳みかける。生来の勘の良さに年月を重ねた空却の洞察力、十四のころから少しも変わらない十四の深い敬愛にしらを切り続けることもできず、あきらめたように獄は煙を吐き出した。ひと口ふた口、まるで目をそらさない二人の視線に根負けし、ようやく煙以外を口から吐き出す。
    「……来年からは、休みは取らねえ」
    「あァ?」
    「え?」
    (!?)
     そのとき僧侶、ミュージシャン、茶を入れ替えるという名目で送り込まれた所員代表――加藤という――の頭に浮かんだのは疑問符であり、ついで、公然の秘密となっている獄の恋人のことだった。休みを取らない=恋人と一緒に過ごさない=破局……?という公式が三人の脳裏を駆け抜け――
    「別れちゃったんすか??」
    「おいこらバカ!」
    (あっ……)
     ボーカリストの通る声で叫んだ十四、すかさず十四をたしなめた空却――さすがに手は出なくなった――、思わず口を押さえた加藤。三人の視線が獄に集中する。そして、一瞬にして逸れた。
    「――……」
     部屋に満ちる沈黙の中、獄は眉ひとつ動かさなかった。身体を縮こまらせているミュージシャン、我関せずとそっぽを向いている僧侶、私は調度品でございますとばかりに気配を消そうとしている加藤を、無表情に順に眺める。そうしてようやく口を開いた。
    「……詳細は省くが」
     全部知ってるみてえだから、と含ませているのは獄をよく知るものには言われずともわかり、三人は決まり悪げに身じろいだ。そのさまにやれやれと首を振って、獄は続ける。
    「あちこち飛び回るのは止めて、シンジュクに落ち着くことにしたんだと。だから、年に一度時間を作る必要もなくなった」
     誰がとも言わない不親切な説明に、だが誰も、誰が?とは聞かなかった。誰=獄の恋人、神宮寺寂雷であることは明白だったからだ。
     今を去ること十年以上前。養い子の件をはじめとする諸問題が片付き、晴れて自由の身となった神宮寺寂雷が選んだのは、再び紛争地帯の医療に従事することだった。反対する声はひとつひとつ論破し、最後まで同行を切望した衢を君は君の夢を探し追うべきだと説き伏せ、寂雷はひとりで異国に発った。定期的に連絡は入るが、日本への帰国は年に一度のみ。その帰国期間の半分をシンジュクで養い子や仲間たちと、半分を獄と過ごしている。その獄との時間が、来年からなくなるという話である。
     寂雷と過ごす夏休みの件を知られていないと思うほど、獄も暢気な人間ではない。説明する必要もないだろうと話さなかっただけで、隠していた意識もない。だがこれだけあからさまに腫れ物扱いをされていたのだと思うと、いささかの気まずさはどうにも拭えなかった。
    「……ったく、」
     最近はだいぶ本数も減った煙草を、すぱすぱと獄は吸い付ける。煙では隠し切れない溜息をかき消したのは、十四の晴れやかな声だった。
    「よかったっす……!」
     ぱあっと瞳を輝かせると、十代の頃の面影がつよく浮かぶ。ふとゆるみかけた獄の眉間の皺は、だが次のひと言でまた深くなった。
    「自分てっきり獄さんが振られちゃったのかと……」
    「おい」
    「だよなァ。こんな銭ゲバとつきあっててもろくなことねェって、アイツもようやく目が覚めたのかと思ったが」
    「おい」
     さんざんな言われように、聞き捨てならんと獄は身を乗り出す。
    「別れたどうこうは百歩譲るとして、どうして俺が振られる側なんだよ」
     獄の抗議に、空却と十四は顔を見合わせた。そりゃぁなァ、そうっすよねえ。訳知り顔に頷き合ったかと思えば、そろって獄に向き直る。 
    「だって獄さん、神宮寺さんのこと大好きじゃないっすか」
    「まーてめェにはもったいねェ男だろ、ジングウジジャクライは」
    「おまえら……」
     こんなときばかり息が合うふたりに反論を試みて、すぐに獄は断念した。話が長くなりそうなのと、そしてなにより――言ってやる気は毛頭ないが――ふたりの主張があながち間違ってもいない自覚があったからだ。
    「あっでも神宮寺さんも獄さんのこと大好きだと思うっすよ?」
    「ほんと、物好きなヤツだぜ」
     ――そんなことは、おまえらに言われなくたってわかってんだよ。
     好き勝手にまくしたてる空却と十四にげんなりと肩を落としつつ、獄は咥えた煙草を深く吸って、大きく吐いた。ああわかったわかったとなかば投げやりにふたりを黙らせると、話を戻そうと口を開く。
    「つうわけで、来年からは休みは――」
    「いえ、休暇は続けるべきです」
     再び獄を遮ったのは、これまで空気になることに徹していた所員代表だった。思わぬ横槍に片眉を上げる獄を毅然とした態度で見返すと、加藤は続ける。
    「先生はそうでなくても働き過ぎですから。強制的に仕事から離れる時間は必要ではないでしょうか」
     労働基準法の遵守は雇用主の義務だが、事業主自身には労働基準法が適用されない。それをいいことに獄はなかなか休みを取らない。獄の秘書的役割も担っている加藤としては、これ以上休暇を減らすことには賛成しかねるのだ。
    「そのぶん、東都出張の日程に余裕を持たせたいんだが」
    「そちらの休暇は増やしてよろしいかと思います。ですが、夏期休暇を減らすことはないかと」
     いつもは控えめであまり主張をしてこない加藤だが、今日は引き下がらない。説得の材料を探す獄を、ハ!ちげえねェ! と空却が鼻で笑う。
    「まともな休息もとれねェやつが、まともな仕事なんざできやしねェよ」
    「そうっすよ! だいたい別荘もったいないじゃないっすか」
     もう使わなくなっちゃうんすか? 素朴な疑問を投げかける十四に、どこまで知ってるんだおまえらと突っ込もうとして、獄はあきらめた。こうなったらさっさと話してしまったほうが早い。
    「……俺のモンじゃねえからな。使い道はあいつが決めんだろ」
    「えっ! 獄さんが買ったんじゃないんすか?」
    「俺が買った」
    「でも、獄さんのものじゃない……?」
    「名義は寂雷ってことかよ」
    「ああ」
    「ンだそりゃ」
    「貢いだんすか!?」
    (贈与……譲渡……?)
     あっさりと頷く獄に、三人は驚きを露わにする。
     紛争地帯へ戻る。寂雷の意思を聞いた獄は、まったく反対しなかった。反対したところで寂雷は意思を貫き通すと、誰より理解していたからだ。かわりに別荘を用意し、条件をひとつ寂雷に提示した。――ここで一緒に過ごすために、年に一度は帰ってこい。条件を飲んだ寂雷は異国へと旅立ち、年に一度帰ってくる身となった。別荘は寂雷の所有物だからと家主が戻ってきたときのみ使用し、メンテナンス以外の目的で獄が立ち入ることはない。
     シンジュクからもナゴヤからもそれほど遠くない、ツーリングに行くにも釣りに行くにも都合がいい立地。獄の審美眼に叶う設備と家屋。相当の価格になるそれを年に一度寂雷と過ごすためだけに用意し、相応の金銭と手間をかけて獄は維持し続けている。
    「重てェ男だな……」
    「束縛型の男は嫌われるっすよ……」
    (先生意外と尽すタイプなの、解釈一致すぎる)
     年若のふたりは大仰に顔をしかめ――残るひとりは納得顔で頷いてい――るが、獄にしてみればこの程度で済むなら安いものだという思いがある。情に訴えるよりも明確な契約・約束を与えたほうが、寂雷は御しやすいからだ。そして、これは将来に続く話でもある。
    「いま使わなくたって、リタイア後にも使えんだろ」
    「リタイア後にふたりで住むんすか?」
     ごちそうさまっす……。引き気味半分感心半分に十四が白旗を揚げ、それまでに愛想尽かされねェように気張るんだな! と空却が混ぜ返し、獄は無言に長く煙を吐いて答えた。恋人と過ごすにせよ過ごさないにせよ、獄の休暇は継続。なんとなく話がまとまったところで、お飲み物をかえますねと加藤が出て行き――獄はコーヒー、空却は緑茶、十四はミネラルウォーターを頼んだ――、それにしてもと十四が身を乗り出した。
    「十年以上も遠距離恋愛なんて、よく続きましたね……。自分なら一年でもむりっす」
    「この短気な男がよく耐えたもんだぜ」
    「言い出したらきかねえやつだから、しかたねえんだよ」
    「うわぁあノロケっすー!!」
    「いい歳して惚気てんじゃねェよ」
     ふたりの突っ込みにも動じず、半分ほどが灰になった煙草を獄は灰皿に押し付ける。それからソファにまっすぐに座り直し、空却と十四に向き直った。
    「ンだよ」
    「獄さん?」
     改まった様子にいぶかしげな声を上げるふたりの顔を、獄は順に眺める。赤髪金目の異人じみた風貌は変わらないが、額や口元に父譲りの叡智が滲み始めてきた。切れ長の瞳や黒金の髪の艶やかさは変わらないが、頬の丸みがそげ、愛らしさから美しさへと趣を変えてきた。重ねた年月の分だけ、付合いもずいぶんと長くなった――獄が思い返すのは、あの日のことだ。
     このままでいいんすか、なにも終わってないのにと、精一杯の気遣いを込めた言葉。向き合わなきゃ前には進めねェだろと、強く背中を蹴飛ばした声。ふたりの気持ちがなければ、十年続くどころか新しい一歩を踏み出すことさえできなかった。その思いが、獄の口を開かせた。
    「あの日、おまえらが結び直してくれた縁だ。簡単に投げ出すわけにもいかねえだろ」
     十年を経て。あの日の和解がなければこの十年はどうなっていただろうと、思い返せば背筋が寒くなる。かけがえのないものを手の内に取り戻す、その手伝いをしてくれたふたりに。あの日も伝えた。けれどもう一度言っておくべきだと、否、言いたいと思ったから。
    「ありがとな。――感謝してる」
     空却と目を合わせ、十四と目を合わせ、獄は頭を下げた。えっっええええ? ヒュゥウ、悲鳴に近い声と口笛を浴びながら顔を上げれば、感涙の面持ちの十四と破顔した空却に迎えられる。
    「そ、そんなふうに思ってくれてたなんて、自分……うれしいっす……!」
    「さすがに人間、五十ともなりゃ変わるもんだなァ?」
    「ああ、好きに言ってろ」
     十四の言うとおり、十年は決して平坦な道のりではなかった。和解したかと思えばすぐさま手の届かないところに旅立った恋人に、不満と不安がなかったと言えば嘘になる。だが獄が愛したのは神宮寺寂雷だった。寂雷が寂雷らしくあることこそが獄の望みであり、そのために一緒にいられないのなら、それは致し方のないことだ。と、理性は物わかりよく理解していた。だが物分かりの悪い感情をなだめるには、それなりの苦労もあり――
    「でも、最高の誕生日プレゼントっすね!」
     しみじみとした獄の感慨を、十四の興奮した声がかき消していく。
    「プレゼント……?」
    「来年からはそばにいるよって、最高のプレゼントじゃないっすか!」
     ビジュアル系ボーカリストのロマンティックな物言いに、そんな柄じゃねえよと獄は苦笑を漏らす。
    「だいたい、シンジュクとナゴヤじゃ、たいして近くもねえだろうが」
    「でも、会いたくなったら会えるっすよ?」
     それほど重大事でもないと軽くあしらう獄に、だが恋愛脳モードに突入したらしい十四はしつこく食い下がった。空却は興味なさげに、ふたりのやり取りを聞いている。
    「うれしくないんすか?」
    「ま、悪くはねえな」
    「獄さん、素直じゃないっす!」
     十四の瞳の純真さは、十代の頃とすこしも変わらない。その表情に我を張るのもつくろうのもいい歳をして馬鹿らしく思えて、獄は素直に笑顔を見せた。この手で恋人の存在を確かめられない寂しさも、あと一年待てば終わる。それはたしかに喜ばしいことだ。
    「……ああ、嬉しいさ。いつでもあいつに会えるのは」
    「そうっすよねぇえええ!」
     我が意を得たりとばかりに十四は両の拳を握りしめる。自分、おふたりで一曲作れそうっすよおー、テンション高く盛り上がるさまにやれやれと獄が唇を緩めた瞬間。
     ピピピピピピピピ――
     部屋に鳴り響いた電子音は、もう日本を発ったはずの寂雷専用のものだった。不測の事態でも起きたかと急ぎ獄は着信アイコンをタップする。
    「おい、どうし――」
    『ああ、獄』
     寂雷の声はいつもと変わらず、低く深く落ち着いていた。安堵と拍子抜けを同時に味わいつつ、もう発ったんじゃねえのかよ、と獄は状況把握に努める。
    『ええと、忘れ物をしてしまって、明日の便に変えたんだ』
    「忘れ物? 次に帰ってきた時じゃだめなのか? え、ナゴヤ駅? おい、ちょっと待て、おい、」
    「ナゴヤ駅っつったな」
    「神宮寺さんっすかね」
     ひそひそと、空却と十四の囁きが聞こえてくる。恥じることも隠すことももはやなにもないが、それでもあの話をしたあとで、この部屋に寂雷を迎え入れるのには抵抗があった。
    「そこで待ってろ、迎えに行く」
     それだけ伝えると通話を打ち切り、おもむろに獄は立ち上がった。飲み物を運んできた加藤にせっかく用意してくれたのに悪いと詫びを入れつつ、おまえらはゆっくりしてけと空却と十四に声をかける。
    「ちゃんと行かせてやれよォ?」
    「おしあわせにっすー!」
     十年前ならついて行くと騒いだであろうふたりも、心得顔に手を振って獄を送り出した。

     七月の空は青く高くうだる暑さの片鱗を見せ始めていて、駐車場へと急ぐ獄の額には汗が滲み始める。鼓動がスピードを増していくのは、小走りのせいか、それとも、年甲斐もない恋煩いのせいか。駐車場にたどりつき、クーラーを最大に強める間も惜しんで車を発進させる。来年までの別離を耐えようと心に決めた途端のこの状況を愚痴りつつも、会えるとなれば気は急いて止まらない。
     出会ったときから今に至るまで、本当にあいつは突拍子もなくて、目が離せなくて、そしてなにより愛しい。人生五十年と謡ったのはどこの輩だったか。五十を迎えてなおこれから先、あいつと過ごせる日々が待っていることがひたすらに嬉しくて。
     ――年をとるのも悪くねえな。
     愛しい相手に向けて車を走らせながら、十三の子供のように声を上げて、獄は笑った。
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