寂雷が獄とSMプレイを検証する話 3放心した寂雷を濡れたタオルで拭いていると、うん…と身じろいで目を覚ました。
「獄…」
「シャワー、浴びてくるか?」
「うん…」
「一人でできるか?」
「うん…」
どこか惚けたような様子でふらりと立ち上がると、浴室へ赴く。
薄暗い部屋の中、灯りの付いたバスルームから暫くシャワーの音がしていたが、ものの20分ほどでそれは止み、やがてバスローブをまとった寂雷が姿を表した。
乾ききらず湿った長い髪が背中に落ち、首に掛けたタオルを浅く濡らしている。
自分も浴室を借りてざっとシャワーを浴びる。
湯気の中に花みたいな、柔らかい柔軟剤の残り香がして思わず胸の奥まで吸い込んだ。
あいつから時折香ってくるのはこれだったのかと、改めて気付かされる。
それは青年、いや少年の時から何年経っても変わらないものだった。
時計の針はとうに深夜2時を過ぎていた。
用意してあったバスローブを借りて寝室に戻ると、寂雷は一足先にベッドへ潜り込んでいた。何も言わずその隣に横たわる。
気配に気付いたのか、掛布団の中で寂雷がごそごそと身動きする。
「起こしたか?」
「ううん、起きてた」
「そうか…」
僅かな沈黙。先程までの雑踏が嘘のような別世界で、俺は暗闇の中ほんの少しだけ紅潮した。
「…私が昔、不良たちに暴力を振るわれたことがあったろう…?」
ぽつり、と話し出す寂雷。
忘れるはずもない。脳裏に蘇る、夏の喧噪。
上級生に拉致され、かび臭い倉庫の中 鞭で酷く蹂躙された寂雷と、コイツの腕を掴み無我夢中で逃げた、うだるように暑かったあの日。
「…あの時には、何も感じなかったんだ。
ただひたすら、あの地獄が終わってほしいと思ってた…
彼らのことは遠くに押しやったけど、助けに来てくれた獄のことはずっと忘れられなかった。
だから行為と依存は感情無くして必ずしも比例しないんだって、それが私の仮説だった…」
掠れた深い声が意識を現実へと引き戻す。音が空気を伝い、青い静寂に溶ける。
「それだけの仮説がありながら、なぜ検証しようと思ったんだ?」
「それを私に聞くかい…?」
ふふっと笑うと寂雷は天井を見上げ深呼吸するように大きく息をついた。
「M側の人間がS側の人間に好意を持つ可能性は否定できなかった。私の患者がそうだったからね…
一般論が真実なら、いっそ獄が私の方を振り向いてくれればいいと思った。
私が獄に惹かれたように、獄が私を好いてくれたら仮説は現実に変わる。君と私との関係性なら結果は保証されたも同然だ。そう思ってたのに」
一瞬、間が空く。
「実際は立場が逆になってしまったから、実証に至らなかったんだけどね…」
言葉が寂しそうな色を帯びる。
「…そうとも限らないんじゃないか」
「え?」
「する側だって、受け手の人間を支配したいとか、弱み見たいとか、普段見せねぇ姿見て気持ちに気付くことだってあるし、必ずしも一方的な感情だけじゃSMは成り立たねぇっつうか…」
「うん…」
「お前が昔受けたのはただの暴力だ。けど今は違う。
依存するしないは結果論だ。相手を知ろう、知ってもらおうとするのがこういうプレイの本当の醍醐味なんじゃないか?」
自然と言葉に力が籠る。
「獄…」
「だから、充分、検証できたと俺は思うぜ」
俺が一番気付かされたのかもしれない。コイツを自分のものにしていたい気持ちに。
プレイとはいえ、昔コイツに暴力を振るった不良たちと同じ手を使いたくなかったのも、するの初めてな癖に呆気なく奈落の底まで堕ちたのも、全部本当は、寂雷、お前のせいなんだってな…
「ま、あくまで仮説に過ぎねーけどな」
ハッと笑うと寂雷が腕にすり寄ってきた。
タオルをあてがった長い藤色の髪がほんの少し崩れる。湯冷めした皮膚の表面が、寂雷の体温で僅かに熱を纏う。
愛おしそうに俺の胸元に腕を回すと、寂雷は優しくも強さを秘めた力でぎゅうっと抱きしめた。
「獄のそういうとこ、好きだよ」
静かだった心臓がまた、どくり、と跳ねた。
寂雷はそのまますっと眠りについた。
ほんの少し顔を傾けて目をやる。
端正な顔立ち。少年の頃から変わっていない目元。苦労を経てうっすらと刻まれた皺。
――なんにも、変わってねぇな…。
少しだけ股間に圧迫感があることにあえて気付かない振りをして、俺は腕から伝わる寂雷の温もりを感じながら、優しいまどろみに身を預けた。
後日シンジュクの病院を訪れると、寂雷がいつもと変わらない様子で診察に精を出していた。
廊下ですれ違い声を掛ける。
患者が元気になったと話すあいつの顔はほんの少し上気していて、ちょっとだけ眩しくて、素直に、そう素直に、微笑ましいと思った。
ところで、と寂雷が瞳を輝かせ話題を切り替える。
嫌な予感がする。
「相談なんだけど、今度学会で突発性盲心症(訳:一目惚れ)についての論文を発表する予定で、また一緒に実験のデータを」
「断る!!!」
俺の自慢のデカい声が、病院の廊下にこだました。
Fin.
【短いあとがき】
お読みくださりありがとうございます!!!
初のR18小説、なんだか一つ大人の階段を上ったような気がします…!!←
今回の作品は初の獄寂小説「夏の溜息のその先に」とも少しリンクさせてあります。
アホとラブコメとちょっぴりキュンとするような心理合戦と。「好き」と「癒し」を込めつつ、でもちゃんと芯のある作品にしたくて。
探求心が強くピュアなのに鈍感な寂雷と、彼に振り回されながらもなんやかんや世話を焼いてしまう獄。
彼らの関係性はごくプラトニックなのに、お互い空気のように相手を必要としている雰囲気がたぶんとても好きなのだと思います、私が。
35歳にして、初恋のような甘酸っぱさやもどかしさを秘めてるのも彼らのいいところかもしれません。
途中あまりにアホすぎてこのままセクシーシーンいけるの?!大丈夫?!!と危惧しましたが無事に雰囲気に飲まれてくれてよかったです🤣
癒しが欲しい時、ちょっとときめいてくすっと笑ってほわぁっと脳が溶けるような。
そんな作品に仕上がっていましたら嬉しいです🎵
ここまで性癖に付き合ってくださった皆さんに心から感謝を。本当にありがとうございました!!
また好きなもの書けたらいいな♪
これからも良き旧知ライフを!