その日は、雨が降りそうだと言わんばかりの曇天だった。昨日の天気予報では朝から晴れると言っていたはずなのに、いざ当日になったらこの天気だ。凪は頬杖をついて窓の外の風景をぼぅ、と眺めていた。この調子では晴れそうにない、凪はそう思ったあと椅子から立ち上がり、事務所に備え付けであるミニキッチンへと向かう。お湯を沸かせるくらいは出来るミニキッチンにて、お湯を沸かしコーヒーを淹れた後、コーヒーを飲み外を眺めた。
何でも屋に定休日はない、依頼が来れば仕事の日になるし、来なかったとしても書類作業をする。ある意味気分で休みが決まると言っても過言ではなかった。そして凪は、二階にいる八重の所へ行こうかと考えていた。八重は朝から体調が優れないように見えた。凪から見たら休んだ方がいいなと感じたため、八重を休ませたのだ。当の本人は大丈夫だと言っていたが、それでも休ませた。依頼主が来る様子はない、なら八重のところに行こうと思った。事務所は二階建てのビルになっており、凪の居る一階は何でも屋の事務所で二階は居室スペースだ。コーヒーを飲み終わったマグカップを流しに置いた後、事務所を出る。
その際、ドアノブに『ご要件のある方はこちらまで』と書いたメモを引っ掛けた。そのメモにはその伝言の他に、事務所用に買った携帯の番号が書かれていた。何でも屋をする際、仕事用の電話番号は必要だと用意したものだ、そして事務所に二人がいない時、今回のように二階にいる時に依頼主が来た時の為にメモを下げたのだ。メモを下げた後、凪は二階へ行く短い階段を上った後扉を開けた。中に入ると、静かだった。電気も付いておらず、薄暗い廊下を歩きリビングへ。リビングに入ったが、八重は居なかった。まだ部屋だろうか、と凪はリビングを後にする。また廊下を歩き、八重の部屋の前へと立ち止まる。そして、ドアをノックした。
「八重さん? 体調大丈夫ですか?」
凪は声をかけたが、返事はない。寝ているのだろうかと思いそっと扉を開ける。扉を開けると、ベッドに八重はおらず、そもそも、部屋に八重自体が居なかった。
「あれ……」
ベッドから出た痕跡はあった。トイレにでも行っていたか? と凪が扉を閉めようとした時、後ろに気配を感じた。後ろをむくと、そこには八重が立っていた。いつから居たのか分からず、凪は少し怯んでしまった。
「おっとぉ……ビビりますよ八重さん……」
「……凪くん……」
八重から声をかけられたが、その声に覇気はなく、なんなら顔色も悪く目は焦点が合わなかった。いや、凪を見ているのは分かっているが、魂が抜けているかのように、真っ黒で光がない目で凪を見つめていた。
「まだ体調悪そうですね、八重さんまだ休んでください」
「……」
八重から返事はない。創務の時と比べて、こうして弱みを見せてくれるようになったのは、果たして喜んでいいのか分からなかった。隠されるよりマシだが、と凪が思っていると、八重から手首を握られた。やけに強く握られており、凪は思わず八重を見る。
「八重さん……?」
声をかけたが、八重は何も言わない。すると、いきなり力強く引っ張られたかと思うと、あっという間に視界が回る。気づいた時には、ベッドの上に居た。凪の目線の先には八重。凪は少ししてわかる、八重から押し倒されていることに。手首を掴まれておりその力が強く振り払えなかった。戸惑ってしまった凪を横目に、八重は相変わらず光のない目で凪を見る、その目がどこか泣きそうに見えた。泣きそうで、苦しそうだった。
まさか男に押し倒されるとは、と遠く思いながら、どうしようかと考えていると、八重はゆっくりとした手つきで凪のループタイを緩め外すと、シャツの上から撫で始めボタンを二つ外した。その擽ったさに声が出そうになったが、凪は腕を伸ばして八重の頬を撫でる。その時、八重の目が少し見開いたのが分かった。凪は少し目を細め、笑う。
「八重さーん。聞こえてます? 八重さん少し寝ましょ?」
「……」
「八重さん、逃げないから手を離して欲しいです。本当ですよ? ……八重さん」
「……」
そう言って八重の頬を撫でる。すると、伝わったのか、手首を掴んでいた手の力が緩み、離してくれた。凪は少し体制を変え、横にズレると空いた方をポンポンと叩く。それを見た八重は、黙って凪の隣で横になった。シングルより大きめのベッドだが、やはり男二人で寝るには狭かった。
「逃げなかったでしょ」
凪がそう言って笑うと、八重は何も言わずに弱々しく凪の胸に顔を押し付けた。凪の背中に回った腕にも力が入っており、ぎゅ、と凪に抱きつくようにして引っ付いていた。そんな様子の八重に、凪は八重の頭を優しく撫でた。そして少し欠伸をする。眠いな、と思いながらそっと目を閉じた。
どのくらい寝たの分からない、八重は目を開けた。ぼんやりと頭は働いてなかったが、すぐ隣で寝ている凪を見つけて少し驚いた後、自分が何をしたか思い出したのか頭をおさえる。チラリ、と凪の様子を見る。凪は起きる気配がなく、静かに寝息を立てて寝ていた。ベッド近くの机に置かれている時計を見る。もう昼になろうとする時間だった。八重は時間を確認した後、凪を見る。起きる様子はない、その時、八重は凪の上にまたがった。先程のように、押し倒すような形で。いつも凪がしているループタイは、時計が置いてある机に置かれていた。シャツのボタンも、自分が外したのは覚えている。抵抗しなかった凪、むしろ、八重を心配して宥めていた。気持ちよさそうに寝ている凪を、ぼんやりと見つめながらも、頬を撫でる。撫でた時、凪は少し唸ったが、そのまま寝てしまう。八重はそんな様子を眺めた後、ベッドから起き上がってそのまま部屋を出ていった。