なつのつきとふゆのほしは 先程から嫌な予感が止まらない。今まで確認したことのない大型分霊、並南冬星の双子の兄である並南渚月と共に、前線で戦わずに避難誘導をしていたが、それでもなお冬星の感じていた嫌な予感が止まらないのだ。あらかた避難誘導が終わった時、渚月が冬星に耳打ちする。
「監視のために見つからないように前線に行こうか」
「……わかった」
監視、それは並南家の役割だ。本家である大東家と、並南と同じよう分家である小西家と中北家が不都合な事をおこしてないか、という監視だ。こんな状況で? と冬星は言いそうになったが、こういう時だから、と渚月の言葉に頷くしかなかった。
二人が駆けつけた時、あの大型分霊の目玉が全て破壊されたように見えた。そして、建物を巻き込みながら地上へと落ちて動きを止めた。少し離れたところにいた高月職員が倒したんだ、と言った声が耳に入る。
倒した? その声に冬星はなんとも言えない違和感を覚えた。目視でしか確認できていないが、あの分霊の目玉を攻撃したであろう穢の職員を見た時、どう見ても一向に穢れが溜まってないように見えたのだ。それは渚月も同じらしく、眉をひそめてるように見える。あの大型を討伐するくらいだ、下手すれば致死量とも言える穢れが溜まってもおかしくないはず。そして、未だに嫌な予感が消えない。
「……兄さ───」
少し離れよう。と言おうとして後ろを向いた時、ゾクリ、と背中が震えた。なんだ、と後ろを向いた時、肩に激通が走った。
「なっ……!?」
何かに肩を掠められた、そして渚月から腕を引っ張られその場を離れた。冬星の肩を掠めたのは、先程の分霊……姿を変えて、先程の大きさより小柄になってはいるが、触手を目にも止まらない速さで伸ばして、辺りを突き刺していた。コンクリートすら破壊し、周りにいた高月職員が体を突き刺されていく。その光景にゾッとした。おかしい、分霊が今まで人を襲うなんてなかったはずなのに。だが、目の前の姿を変えた分霊は、明らかにこちらに確実な敵意を、殺意を見せて攻撃していた。
肩から血が出てきたが、渚月が治療の札を上から貼る。何枚か取り出しては触手の攻撃を防いでるのを見て、肩を掠める程度で収まったのは渚月おかげだとすぐに分かった。
「兄さっ……!」
「なんなのあれ、討伐できるわけ?」
これは監視どころではない。渚月がそう判断したからか、冬星が負傷したからか、物陰に隠れながら襲いかかってくる触手に対して、札で防ぎさばいていく渚月。冬星も応戦するが、如何せんこの状況はまずい。冬星は渚月だけでも逃がして自分が残るべきでは、と考えがよぎった時、分霊の触手の攻撃で建物が崩壊し始める。丁度、冬星の頭上に瓦礫が落ちてきた。
「しまっ……!」
「冬星!」
渚月が間一髪、と冬星の腕を引っ張り瓦礫に巻き込まれずにすんだ。冬星が目を開け周りを見る、丁度瓦礫と瓦礫が落ちてきて、たまたま出来た隙間に丁度冬星と渚月が収まるように、空間ができていた。冬星は瓦礫を触って隙間がないか、自身の武器である刀【青柳】を鞘に収めて少し刀に謝ると、瓦礫に向けて振り下ろす。けれど、ビクともしない。完全に、この空間に閉じ込められたのだ。
ここから出られない、朝が近いからか薄暗く、外がはっきり見えるような隙間が見当たらないため、外が今どうなっているのか判断しにくい。分霊の攻撃がドシン、と地鳴りのように響くのしか分からなかった。
万策尽きた、その言葉が今の状況にピッタリだろう。けれど、渚月の札が残っているなら、どうにかならないだろうかと聞こうとした時だった。
「冬星、一緒に死のうか」
「……え……」
───今、なんて言った?
冬星は耳を疑った。渚月の表情は真剣そうな顔だった。冗談に聞こえなかった、見えなかった。本気だ、と冬星はすぐに分かる。いつもはあらゆる可能性を考えて言うと言うのに、死のうという言葉に冬星の中で動揺が生まれてしまう。
「さっきので札は全部使った、治療も含めて。そしてここから出れない。分霊なんかに殺されたい? 冬星は」
「……兄さん……」
「分霊なんかに殺されない、俺達が死ぬのは俺達で
。お前だけ遺しては逝かないよ、お前も連れて逝く」
そう言って渚月は札を一枚取り出した。見てわかった、渚月が得意とする毒の札だということに。渚月は冬星の言葉を待っていた、そう見えた。冬星は、喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
───本当は、兄さんだけでも生きて欲しかった。
「……兄さんが一緒なら」
死ぬのは怖くない、本来なら一人で死ぬのは怖いかもしれない。けれど、渚月がそばに居てくれるのなら、不思議と恐怖は薄れる。渚月も、色んなことを考えて、考えた結果の心中だろう。
「生まれた時から一緒なんだ、死ぬのも一緒でもいい」
「まぁね、あと俺が寂しいから」
「……兄さんは寂しがり屋なんだな」
意外だ、と言う冬星の言葉に笑う渚月。笑った後に冬星の頭を優しく撫でた。
「お前は大事な弟だよ? そりゃ寂しいよ。お前がいなくなったら、俺の毎日の料理誰が美味しく食べてくれるんだ?」
「……笑ったりとかした覚えなかったけど、兄さんはそういうの分かってたんだな」
「もちろん、お前のことで分からないことはないよ」
冬星はよく渚月の料理を食べていた。冬星はよく食べるため、それに比例して多めの料理をよく作ってくれた。言葉では美味しい、と言っていたが、表情があまり変わらない冬星にとっては、ちゃんと渚月に気持ちが伝わっていたのか不安でもあった。けれど、その言葉を聞いてどこかほっとする。
「やっぱり兄さんは凄いな」
「そうかな」
渚月はそう言って笑う。傍から聞いたら、今から死ぬような会話には到底聞こえないだろう。けれど、二人にはこの会話がピッタリだろう。いつも通りの、この会話が。
冬星は少し考えて、髪に結んだ血に染ってそれが乾いたまだら模様の、本当は白かったリボンを解いて渚月に渡す。
「兄さん、薬指に結んで欲しい」
「いいよ」
そう言って渚月は冬星の左手の薬指にリボンを結ぶ。少しきつく結ばれたが、毒で感覚が消えるから、と渚月から言われた。
薬指に結ばれたリボンを見る、あの世であの子に逢えるのなら、と。そして、そのリボンにそっと唇を重ねた。愛おしそうにリボンを見た後、自身の武器である刀を手に取る。
「……青柳、今まで僕を最後まで守ってくれて、ついてきてくれて、ありがとう」
冬星は自身の刀のことを青柳と呼ぶ。本当は【あおやぎ】と漢字の読みではそういうのだが、あえて【あおやなぎ】と呼んでいた。高月職員になってからずっと触っていた刀。お前も一緒に、と言わんばかりにそばに置いた。そして、服のボタンをといて胸を見せる。
「……兄さん、いいよ」
「じゃあ、貼るからな」
そう言って冬星の胸、そして渚月自身の胸に札を貼る。一番優しい毒で、なるべく苦しまないように、眠るように死んでいくのだ。貼った後、お互いに手を繋ぐ。
「……兄さん、ありがとう。リボン、結んでくれて」
「いいよ、お前の最期の望みなら」
「……ありがとう」
まだ普通そうな渚月と違って、ぼんやりと頭がぼぅ、としてきたような感覚に陥る。渚月より体格が一回り小柄なためか、毒が回るのが渚月より早いのだろう。怖くない、と自身を安心させるために渚月の手を強く握る。強く握っているはずなのに、その感覚が分からない。
まだ、渚月に伝えてないことがある。喋れなくなる前に、早く伝えないといけない。冬星は口を開く。
「兄さん。兄さん……僕、兄さんの……家とか関係なく、並南渚月……渚月兄さんの、弟で、よかった……。渚月兄さん、大好きだ」
渚月から見た冬星の顔は、表情は、笑みを浮かべていた。あの事件から十年、一度も笑わなかった冬星が、笑っていた。久しぶりに笑うからか、どこかぎこちなかったが、十年経っても、冬星の笑顔は変わらなかった。
「……お前さんの笑顔、久しぶりに見れたなぁ」
「……笑顔なのか僕は。……兄さんが笑いたい時に笑えばいい、って言ってくれたから。……今、笑いたい、って思ったのかもしれない。兄さんの驚いた顔、新鮮だな……」
「そっかぁ。……こちらこそ、今まで生きてくれてありがとね。俺もお前さんのこと、大好きだよ。並南冬星が弟で幸せだったよ」
「兄さん……」
渚月の言葉を聞きながら、視界が滲んで見える。もしかしたら、今自分は笑いながら、泣いているのかもしれない。目に溜まった涙が溢れ、頬を伝う。鼻の奥と頭が痛い、泣くのも随分久しぶりだ。最後に泣いたのは、あの時だから。
泣いていると渚月が優しく拭ってくれた、そして、頭が一段とぼぅ、としてきて、少しずつ蝕むように、眠気が襲う。あぁ、そろそろ自分は死ぬのだろう。これが死ぬという感覚なのか。もっと、話をしたい。もっと、もっと……。この感覚が、死ぬのが嫌だ、という感覚なのか。そろそろ冬星は死ぬ、そう分かった渚月は、コツンと冬星の額に優しく自分の額を重ねた。
「おやすみ、冬星」
「……おや、すみ……。……にい、さん……」
そう言って、冬星はそっと目を閉じた。二度と、おはようと言葉を交わすことは無い。二度と、その目が開くことは無い。段々と生きているという感覚が泡のように、少しずつ消えていく。
あぁ、少しの心残りは、渚月には生きて欲しかった。けど、一緒に死ぬというなら、また生まれ変わって生を貰った時は、また渚月と家族になりたい。その時は、このような危険な世界じゃなくて、もっと平和に、分家とか本家とかそんなしがらみはいらない。普通に、暮らしたい。
あの世であの子が待ってる。あの世で再会出来るなら、死ぬのも悪くないかもしれない。あぁ、待ってて、自分が最期まで忘れずに、好きで愛した愛しいあの子に今から───。
───美鶴ちゃん、今、逢いに逝きます。
【並南冬星、死亡。享年二十歳】