嫌いな夏がやってくる 頭がズキズキとする。冬星は顔を顰めながらお茶を飲んでいた。今日は本家である大東家で定期的に行われている会食の日だった。大東家の分家である並南家はもちろん、同じく分家である小西家、中北家も参加している。本家と分家の繋がりをより一層深める……らしいが、並南家からしたら、そういった時でも【監視】を疎かにすることはなかった。むしろ、こういう時にこそボロというものが出るらしい。
冬星は朝から体調が悪かった。頭が重く、吐くまではいかないが、なんとも言えない吐き気と気分の悪さ。熱がないのが少しの救いだった。相変わらずの無表情だったが、渚月は冬星の顔を見て一目で体調が悪いとわかったからか、今日の会食は欠席した方がいい、と言ってくれたのだが、冬星はそれを断った。
「熱もないし、薬飲むから」
「……無理しないようにね」
痛む頭と吐き気をなんとか我慢していたが、会食で出されている酒の匂いも相まって、ますます顔色を悪くしていった。この空気からどうにか逃げたい、と隣にいる渚月の服の裾を引っ張る。渚月はん? と返事した後に冬星の顔を見て少し眉をひそめた。
「冬星、顔色悪い」
「……ごめん兄さん、少し風に当たってくる……」
「俺もついていこうか」
「大丈夫……兄さんまで離れたらダメだろ。落ち着いたら戻るから」
そう言って冬星はフラフラとしつつ、部屋を出た。部屋から出ると心地の良い風が吹く。それでも気持ち悪い、と会食の会場になっている部屋から離れようと、おぼつかない足取りで歩いた。ガンガン、と朝より酷くなってきた頭痛。歩きながら、そういえば子供の頃、美鶴と追いかけっこをしていたな、と遠く思い出していた。
風がよく当たる縁側までいき、寄りかかるように座った。風に当たりながら考えていた。美鶴、自分にとって大切な子だった。今でも忘れられないほどに好きで、愛していて。忘れられないのに、たまに感じる美鶴などいなかったかのような態度に、どこか泣きそうだった。まるで自分だけ、十年以上から時が進んでいなくて、立ち止まってるような感覚に襲われるからだ。
その時、誰かが冬星に飲み物を置いた。誰だろう、と目線だけ動かして思わず少しだけ目を見開く。そこに居たのは大東家の次期当主である、美鶴の兄の鷺がいた。なんでここに、と起き上がろうとして止められた。
「体調悪いんだろう、飲めるかな」
「え……あ……。……すみません」
飲み物を手に取り、少し飲む。わざわざ渡すために来たのだろうか、と目線を合わせるのが怖く、下をうつむいていた。
「無理して来なくても良かったんだよ。会食とはいえ参加は任意なんだから」
「……すみません」
何を話せばいいか分からない。そもそもだ、次期当主がここにいていいのか、と疑問が生まれる。早く戻った方がいいのでは、と言いたかったのだが、言葉が出ない。その時、視界がぼやけてきた。
あ、ダメだ、と冬星が気づいた時にはポロポロと涙を流していた。
先程まで美鶴の事を思い出していたからか、美鶴に似た鷺が来たからか、体調が悪かったからか、色んな要因があったからか、勝手に泣いてしまった。そして、冬星が泣いていることに気づいたのか、鷺が心配して声をかけた。
「冬星? 冬星、もう今日は帰った方が。渚月を呼んでくるから」
「……っ、いい、です。もう戻りま、す」
「そんな状態で戻れるわけないだろう」
そう言って鷺が冬星に手を伸ばした、それを見た時、思わず冬星は反射的に手を払い除けてしまった。払い除けてしまった後、自分がしてしまった行動に思わず血の気が引いていく感覚になり、しまった、と慌てて謝ろうとした時、ぐわん、と体が揺れた。
「あ、れ……」
目が回る。目の前にいる鷺が何人にも見えた、先程から頭痛も治まるどころか悪化するばかり、吐き気も込み上げてきて先程飲んだ飲み物を吐きそうになり、なんとか我慢した。
「冬星! 冬星しっかり!」
顔が真っ青になっている冬星に、鷺は顔色を変えたように声をかけていたが、冬星にはあまり聞こえていなかった。体調が悪化したせいなのか、混乱する意識の中で、ほんの少しだけ、その声が美鶴に似ているような、そんなありえない気持ちが芽生えかけて、そのままグラり、と体が揺れた。
どのくらい時間が経っただろうか。冬星はゆっくりと目を開ける。見慣れた天井、部屋、自分の部屋だと気づいた。少し起き上がり、ぼんやりと思い出そうとする。確か、あの後、どうなった?
すると、部屋に誰か入ってきた。その人物は渚月だった。渚月はどうやら薬を持ってきたらしい、起きた冬星に近づいて話す。
「だから欠席した方がいいって言ったんだよ、冬星。覚えてるか分からないけど、倒れたんだよ」
「……倒れた」
自分の発した声が思いのほか掠れており、冬星自身驚いてしまった。それと同時に、自分が鷺にした行動も思い出して思わず体が震えそうになった。それもそうだ、次期当主に対してしてはいけない行為だ。もしかしたら、渚月に伝えたのも鷺かもしれない。何か聞いていないだろうか、と恐る恐る口を開く。
「……兄さん、あの……」
「……お大事にって言ってたよ」
「……」
「……冬星、何かあったのかな」
「……」
冬星は口を閉ざし、毛布をギュッと握る。あんな失礼なことをしたというのに、と顔を下に俯く。そんな様子の冬星に、少しため息を吐いてから、そっと渚月は冬星の頭を撫でる。
「まぁ……今は休むんだよ」
「……うん。……ごめん兄さん、迷惑かけて」
「別にいいよ、強く止めなかった俺も悪い」
渚月から頭を撫でられながら、ぼんやりともうすぐ嫌いな夏がくるのか、と冬星は目を伏せた。冬星は夏の時期が近づくと、体調を悪くする。今回の体調不良もそれが原因だろう、と。梅雨が明けた頃から体調をこのように崩す、これでも軽い方だ。夏真っ盛りだと、このようにはいかない。寝込む日が多くなってしまう。
あぁ、嫌だな、と冬星は思った。
───夏は嫌いだ、あの子がいなくなった季節だから。