寝れない夜 ばっ、と琥珀は目を見開き、息を乱しながら起きた。心臓の音が煩く、鈍い頭痛が琥珀を襲っていた。なんとも言えない不快感に苛まれながら、ベットの脇に置かれているスマートフォンを手にして、時間を確認する。時間は真夜中の一時、確か二十三時前に寝た記憶があったため、数時間しか寝れていないことが分かった。
数時間しか寝れなかった理由、それは先程まで見ていた夢だった。三年前の出来事、創が行方不明になったきっかけと言ってもいい、あの忌々しいあの日の夢。必死に伸ばしても、あの場に残った創には届かなくて、自分の無力さを、弱さを痛いほど実感したあの日。創は帰ってきた、最後まで創は生きてると信じきったはずなのに、今もたまにこうして夢として見てしまう。
ましてや、それに加えて自分を虐げていた母親の夢も出てきた。自分が女性が恐怖症になるほどに、トラウマを植え付けたと言ってもいい母親と疎遠になって年数経ったというのに、こうして自分を苦しめる。
「……」
気持ち悪い、と顔を歪ませた。何度か深呼吸をして落ち着かせようとしたり、飲み物を飲んだりしたのだが、胸の奥に広がるような、まるで水にインクを一滴垂らしたかのような、なんとも言えない不快感があった。
こういう時、誰かいたらいいのだが、生憎一緒に住んでいるフレイとリヒトは、琥珀の知り合いのツクリテの家に泊まりに行っていたため、今現在この家には琥珀しか居なかった。深夜だからか、シン、とした音のない部屋にぽつんと琥珀はいた。
この静けさに、寂しさを覚えた。前までは慣れていた、フレイ達が顕現する前は、一人なんて当たり前だった。一人暮らしなのだから当たり前だろう、と言われるとそうなのだが、あの時と今では状況が変わっていた。あれほど願っていた自分のニジゲンと出会えて暮らしたり、高校からの付き合いだった同じツクリテの鈴鹿と恋人として付き合うようになったり、前の琥珀では考えられないほどに、いわゆる幸せといっていい状況になっていた。
それに慣れてしまったからだろう。ましてや先程の夢のせいだ、この空間の静けさは、琥珀にとって寂しさと心細さが蝕んでいた。部屋に戻った後、スマートフォンを手にすると、電話を開く。画面を操作した連絡先は『御手洗 鈴鹿』と表示されていた。
起きているだろうか、と琥珀は時間を確認する。真夜中、電話をかけても相手は寝てるかもしれない。そもそも、こんな時間に電話など、いくら琥珀が恋人だからといって迷惑と思われるかもしれない。
どうしよう、とスマートフォンの持つ手が震えてしまう。電話をかけて鈴鹿の声を聞いて安心したい、けど、ただでさえ鈴鹿は忙しい。この前、締切がって話していたような気がした。そんな時に真夜中の電話なんて、迷惑と思われたら、もし嫌われたら……。
「……」
散々迷ったが、数回コールを鳴らして出なかったらすぐに切ろう、と決めた。すぐに切って、我慢してはやく夢を忘れるように、目を閉じて寝ればいい。もし鈴鹿から電話したか、と言われたら寝ぼけてかけたみたいだ、と嘘をつけばいい。
そう言えば、余計な心配をかけずにすむ。そもそも、寂しいからと言って電話をかけるだなんて、心配をかけてしまうような事をしてしまう時点で、自分は弱いのかもしれない。弱い自分など、鈴鹿に見せてしまうなんて情けないな、と自嘲気味に笑う。
一呼吸置いて鈴鹿に電話をかけた。耳に当てコール音を聞く。
一回、二回、三回……。もう切ろうと耳から話した時、声が聞こえた。
『……もしもし? 琥珀?』
「……えっ」
鈴鹿の声が聞こえて思わずスマートフォンを落としそうになった。こんな夜更けに、と慌てて耳に当てる。鈴鹿は、返事が聞こえなかったからか、心配そうに琥珀の名前を呼んでいた。
『琥珀? どうした……?』
「え、あ……ごめん、起こして、その……」
『まぁ寝てたけど……。何かあったんじゃ、って』
「……」
安心するな、と琥珀は黙り込んでしまった。鈴鹿の声が身に染みるように、先程まで感じていた不快感が、霧が晴れたかのように消えていく。そのせいか、唐突に目の前が滲んで見えた。
「え……。……っ、ふ、ぅ……」
『……! 琥珀? 泣いてるのか!?』
電話口の鈴鹿が慌てたような声を出す、琥珀は泣いてない、と言いたかったのだが、それを妨げるように涙が溢れてしまい、嗚咽を漏らしてしまった。
「……さみ、しい」
『琥珀……?』
「……ごめ、嫌な夢みたっ、から。……っ、さみ、しく、て」
『……』
上手く言えない、と泣きじゃくりながら目を擦る。泣きながらも、どう考えても鈴鹿を困らせてしまった、と罪悪感が生まれてますます泣いてしまう。
どうしよう、と考えていると鈴鹿の声が聞こえた。
『明日……いや、もう日付変わったか。朝一で会いに行くから』
「……鈴鹿……?」
『絶対に行くから、そばに居る』
「……うん……」
その後、少し言葉を交わした後に通話は終わった。琥珀はポロポロ、とまだ泣いていたが鈴鹿が会いに来てくれることに嬉しさを覚えていた。嬉しさと同時に、やはり迷惑をかけてしまった事に顔を暗くした。やはり電話をしない方が良かったのでは、と鈴鹿の声を聞いて嬉しかったのに、その嬉しい気持ちが暗い気持ちを塗り替えるような、そんな不安が生まれていた。
そこからまた考え込んでしまい、ふと、窓から明るい光が入ってくるのに気づいた。結局寝れなかった、時計を見ると朝の五時、それと同時にインターホンが鳴った。まさか、と琥珀は玄関まで行き、そっと扉を開けた。
「よう、寂しん坊」
「……鈴鹿……」
そこには鈴鹿が笑って立っていた。少し呼吸が乱れているように見え、もしかしたら走って来たのか、と言おうとしたら目元を撫でられた。
「……寝てないのか。それに目、少し腫れてる」
「……」
「……よし」
鈴鹿がそういうと、琥珀の手を取り家の中に入った。琥珀の手を引いて、先程まで琥珀がいた寝室へ一緒に入った。そして琥珀をベッドに寝かせると、そっと頭を撫で始めた。
「鈴鹿……?」
「そばに居るから、ゆっくり寝な」
「……うん」
鈴鹿も寝てないのでは、と言おうとしたのだが、鈴鹿が優しく頭を撫で、その優しい撫で方に安心したからか、全く感じなかった眠気が琥珀を襲う。ぼんやり、と瞼がうつら、うつら、と重たくなっていく。鈴鹿の手を握りたくて、鈴鹿の手を少し握った時、握り返してくれ、それにも安心した。
───鈴鹿の手の温度、すごく、安心する。
「おやすみ」
鈴鹿の優しい声が聞こえ、それに返事をしたような気がしたのだが、琥珀はそのまま眠った。