■ 帰り戻る日「……っ、ハヤトの、馬鹿野郎!!」
無事にミチルが乗るライガー号に救助された隼人に、そう叫んで竜馬は踵を返した。「先に戻って報告をする。隼人は任せた」と言葉少なに残して。
恐竜帝国の侵略から間を開けず続いた百鬼帝国との争いは世界各国にも被害をもたらしながら、ゲッターロボのシャインスパークによる要塞島の撃破で終結した。被害は無かった訳にはならず、東京の一部などは「まるで三十年前のようだ」と語る人間も多い程の惨状であったが、兎にも角にも人類は再び生き延びたのだった。
十八歳の少年少女達が世界の為にその命を賭して戦い得た二度目の勝利。
その中から戦死者は辛うじて出なかったという事は、世界の犠牲から見れば酷くささやかで、しかし彼等には大きな違いでもあった。
「無事で本当に良かったわ、ハヤトくん」
『おらぁ、てっきり死んじまったもんだと……いやぁ、良かった良かった』
ミチルの操縦するライガー号のコックピット裏にもたれ掛かりながら隼人は明るい声を上げる仲間等の会話を聞いていた。いまだ自分が大きな怪我も無く生きている事が信じられないほどの状況だった。
どうせ死ぬならば、と無我夢中で、それこそ必死に抗った。大切に思う人を、友を、世界を理不尽に踏み躙られる事が許せず、道連れに死のうと思った。
それがたった数時間前のことであり、今こうして生きているという事に実感は湧かず、しかし武蔵と母のところへ行けるだろうかと思った事が今は遠く彼には感じられた。
懐かしくすら感じるライガー号の振動音。二度と会うことは無いだろうと思った女性の声。通信機越し、一年間聞き続けた友の変わらない声。
「でも、リョウ君、どうして怒っちゃったのかしら」
『確かにな。アイツが一番喜びそうなもんなのになぁ』
「……俺は間違えてやしないと思うが、あいつがああ言うのも仕方ないのさ」
ポツリと隼人はそう呟き、「そうかしら」とミチルが不思議そうな声を返すのを聞きながら瞼を閉じる。
怒るだろうさ、と全身にまとわりつく痛みや疲労感を感じながら彼は思った。
裏切りかけたのだから、と。
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あの夜。武蔵が一人行ってしまった夜。
敵襲で明かりも満足につかない病室で。今にも武蔵が帰ってくるような気がして。二人眠れなくて。泣くこともできなくて。
どちらともなくひっそりと手を伸ばし、僅かながらの体温を感じながら滲む視界を閉じた。
お前はそこにいるのか。生きているのか。
言葉にする代わりのように、いっそ縋るように繋ぎあった手のひら。
きっと死ぬ時は一緒だと、三人ともが思っていた。
言葉にせずとも、それは固く結ばれた約束じみて確信のようにあったのに。
あの日、互いにきっと思っていた。
置いていくな、と。
お前だけは、と。
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研究所へ帰還してまっすぐに精密検査と手当を受け、あの日と同じように寝かされた病室のベッドで身を起こしつつ、隼人は早乙女博士へ報告をする事となった。ベッド脇の椅子に腰かける博士にレディコマンドごと鹵獲されてからの事実を淡々と話すその周りには仲間たちも揃っていたが、やはり腕組みして黙り込む竜馬だけは複雑そうな顔のままだった。
短くは無い隼人の報告を全て聞き終え、早乙女博士がゆっくりと口を開いた。
「……ハヤトくん。ミチルを救い、この勝利に導いてくれた事にはどれだけ感謝を述べても足りない。だがな、一番感謝したいのは生きて帰って来てくれた事だ」
世界の為、人類の為、戦うことを選んだのは君達でも、君たちを辛く厳しい戦場に送り出したのは、私達大人の判断で責任だ。
リョウ君、ベンケイ君、ミチル。君たちもだ。
よく……よく、生きて、戻って来てくれた。
そう訥々と話す早乙女博士の目には涙が浮かび、声はわずか震えていた。二年間に渡る戦いの最初の犠牲者のひとりは早乙女博士の息子、達人であった。武蔵が死んだ時にも自分の責任だと話し、愛娘ミチルをも命の危険に晒しながら、司令官として毅然とした判断を保ちモニターを見詰め続ける日々は如何程のものだったろう。博士には博士の戦いがあったのだと、隼人は改めて感じていた。
しばらくしんみりと、生き延びた事を噛み締めるような沈黙が流れた。早乙女博士が一度目元を押さえ、腰を上げる。
「伝えたい事は多いが、まずはしっかりと身体を休めてくれたまえ。
そうだ、お父さんとお姉さんも近々来ると連絡があったよ」
「えっ、父さんが」
「猫騙し食らったみたいな顔してるぞ、ハヤト」
「うるせえよ、ベンケイ」
「家族の事となるとハヤト君はいつもそうなんだから」
「ミチルさんまで……参っちまうぜ、まったく」
緩んだ空気に誰からともなく笑い声が漏れ、「さ、ハヤト君を少し休ませてあげよう」と早乙女博士が退室を促す。「またな」「後でね」と声をかけながら皆が病室を後にする中、竜馬だけは動かずに博士に声をかけた。
「博士」
「どうした、リョウ君」
「ハヤトと二人で話がしたいんです」
「……わかった」
竜馬の真剣な様子にその肩を軽く叩いて早乙女博士も病室を後にする。扉が音を立てて閉じれば張り詰めたような空気だけがそこに残った。
ゆっくりとベッド脇に近付き佇む竜馬は彼には珍しくも俯いていた。降ろした両手の先、握り締められた拳は震えている。
ああ、そうだよな。
奇妙に平静な気持ちのまま隼人はそう思い、呼び慣れた友の名前を口にした。
「……リョウ」
その声に俯いていた顔を上げ、竜馬が食いかかるような勢いで口火を切った。
「……どうして、どうして自分の命を大事にしなかったんだ!」
あれだけ、博士にも言われたのに! と言い募る竜馬の表情は怒りだけでは無いものに歪んでいる。彼の気持ちは手に取るようにわかると隼人には思えた。おそらく、自分であっても似たような思いをぶつけた事だろうとも。
「……ああするしかないと思ったからさ」
「けど! お前、今度こそ本当に……!」
「……俺は、間違えた事はしてねえと思ってるよ」
俺ひとりの命でお前らだけじゃなく、世界まで救えたらお得なんて話じゃねえだろ。
軽く装って言いはしたが、それは隼人の本心でもあった。世界を、お前たちを守りたかった。生きて欲しかった。そう素直に、真面目に言うことは憚られても。
「……だけど、だけどお前はお前しかいないじゃないか……!」
ハヤトの馬鹿野郎……お前がいなくなったら、お前まで死んじまったら、俺は……。
すとん、と急に力が抜けたように竜馬が椅子に腰を落とした。また俯いたその顔を見て、隼人はどうにも行き場が無いとでも言いたげな手を取った。殴ってくれたって良かったのに、お前はそうはできないんだなと思いながら。
きっと理解している。お互いに。
本当は置いて行きたくは無かった事も、お前達に生きて欲しかった事も。
一方的な侵略という理不尽に抗うため、戦うことを選び、お前達となら戦いの果てに死ぬ事すら恐れはしないと思っても、自ら死を望んだわけでは無かった。生きて、皆と、笑い合える日が来ることを望んでいた。
きっと、武蔵もそうだった。だから余計にやるせなく辛かったあの夜。
あの日のように握った手のひらがそっと握り返してくる感触に隼人の胸に込み上げるものがあった。
「……悪かったよ」
なあ、俺はお前より涙脆いんだから、泣かれたら移っちまうよ。
静かに語りかけるうち、俯いた顔からぽつと雫が落ちて、隼人の視界も滲んだ。
「ハヤトの馬鹿野郎……」
「ああ」
「……お前がいないんなら、もうこれきり乗るのやめようと思ったんだぜ……」
「うん」
「死ぬ時は一緒だと思ってたのに、どうしてお前ら……」
「うん」
「馬鹿野郎……」
「……うん……」
ぽつぽつと落ちる言葉ひとつひとつに返しながら、隼人はその手を両手で包むように握り、竜馬もまた同じように握り返した。
死がそこにある戦場で、同じ操縦桿を握り続けた厚い手のひら。ゲッターロボに乗っていた時には操縦桿越しに感じていた相手の気配。微かな体温。その存在。
生きていると、ここにいると、お互いに確かめるように。
息をする音までもが聞こえそうな静かな部屋で、そっと寄り添い合うような光景がそこにあった。
音もなく流れた涙からしばし経ち、竜馬が深呼吸してからぐいと片袖で目を拭った。
「ハンカチかティッシュを使えよ」
「いいよ、これくらい」
笑いながら言い交わす声はいつものように明るく、隼人はようやく「帰って来た」とでもいうような感情を覚えた。
生きて、ここに、友の隣に。
「怪我が治ったら、ムサシの墓参りに行くからな」
そう言う竜馬の様子はもう決めたと言わんばかりであったが、異論も無いと隼人は微笑んだ。そうして、ふと過ぎった考えをそのまま口にする。
「……まだ早えって言われたのかな、俺は。母さんと、ムサシと、他の奴らによ」
「……さあな、けど」
「わかってるよ」
「精一杯生き切ってやるからよ、もう二度と、こんな事起こらなきゃ良いんだ」
そう言って笑えば、同じような笑みを返す友がそこにはいた。
理不尽に抗うため、生きるため、戦い続けた日々はようやく終わる。
例え、それが一時の平和に過ぎないとしても、だからこそ。
何の変哲もない、穏やかで退屈で、平穏な日々が続く事を、彼等は願った。