■ 戦いははてしなく 雨の音が、響いていた。
ゆっくりと瞼を上げる。
ささくれた木の床板、座り込み寄りかかった背中ごしに固いコンクリートの壁。
撃ち抜かれた胸に手を当てる。服に空いた小さな焦げ穴の周りでは既に血が乾いていた。俯いていた顔を上げる。
ざあざあと音を立てて窓の外を流れていく雨、打ち壊された物が転がる玄関先、砂埃のような土煙のようなにおい、水気と混じって校舎の奥から届く乾いた空気。
ああ、ここは。忘れもしない。
不思議にも自然受け入れ、立ち上がる。そうして見やった先、びちゃりと濡れた土が音を立てて、その気配が近付く。異質なもの。ここにいなかったもの。自分をここから連れ出し、違う世界を見せた。
――この風景を知っているものは自分の他には一人しかいない。だから、それは。
「迎えに来たぜ」
隼人さんよ。
畳んだ傘の先から雨粒をぼとぼとと落とし、重苦しい水の気配を纏ったまま、うっそりとした黒い影が自分の名を呼び、笑う。あの時は名前すらも知らないまま振り回された。わずかな時間で呼び慣れたものとなった。
「……ふっ、随分感傷的なシチュエーションにしてくれたものだな」
竜馬……いや、リョウ。
ゆらりと曖昧だった気配がその名を呼ばわった途端にしっかりとあいつの物として肌に刺さった。へっ、と吐き捨てるように笑って、終わる前に見た顔が挑発的な笑みを浮かべてこちらを見据える。パイロットスーツではなく作業着だったのは気でも使ったのかと思えばおかしかった。
「相変わらず愛想の無い言い草だぜ」
もう少しなんかあるだろ? と呆れたような声で、なんの遠慮も無くズカズカと不躾に踏み入ってくる姿に自分も口の端を片方吊り上げて返した。
「そっちこそ、歳を食っても礼儀ってもんを学ばなかったのかい、リョウさんよ」
大体、無沙汰の挨拶も、言うべき言葉も交したはずだぜ、あの時に。
年甲斐も無く自然と切り替わる口調でそう返しながら思う。成すべき事は成した。そうして、俺も終わった。
――全く、お互いにこんな時ばかり不器用で嫌になる。既に置いて行かれたという思いも無い。が、しかし。
歩み寄ってきた男に向き合って、真っ直ぐに見つめてくる瞳を真正面から捉える。太い眉の下、理性をたたえて強く光る瞳の位置はあの頃こうした時とは違うように感じ、身長も変わっていたかと、まこと今更に思う。緩やかな変化に気付かない程、共にあった日々が確かにあった。
見つめていればふっと笑うように息をついて、困ったように頭をかいた。感情も豊かにいっそ目まぐるしく変わる表情を見ているのも嫌いではなかった。そんな自分の思考はすっかり老けきっているな、と自嘲する。
「……やっぱこういう時、俺は口下手でいけねえや」
どうだい、この時もあの時もつかなかった勝負、つけてみるかい?
そう軽く言いながらくいと親指で外を指す。いつの間にか雨はやんでいた。こちらの言葉も聞かずに背中を向ける姿に「手前勝手にも程があるだろう」と苦笑しながら追えば「だってお前は来るじゃねえか」と楽しそうな声で返される。
そうだな。そうだ。聞かれるまでもないのだ、本当は。
玄関を出て濡れた地面を踏めば、雨上がりの強い風に吹かれた。伸ばしたままの髪の毛が暴れるまま、一瞬目を閉じる。次に開いた時にはやはり懐かしい風景で目を瞬かせた。
青い空。あの頃寝転がりもした芝生のような草原。山の冷えた空気。少し遠くに見える早乙女研究所は太陽の光を反射してまだ立派にそびえ立っている。
便利なものだ、と思いながら目をやればいつの間にか傘も手放して佇んでいるあいつの姿があった。山から降りて吹く風にまた髪が揺れる。向き合い、深呼吸して同じタイミングで構えた。
今ここでは、外見の年齢など関係が無いだろう。この身体が物理的に「ある」のかどうかもさして問題ではなく、ただお前と打ち合えるのであればそれで良い。
じりじりと身を焦がすような気配が肌をなめる。どちらが先に動くのか、それすらも駆け引きで。睨み据えた視線の先、堪えきれず薄く笑うような気配が届く。馬鹿め。
地面を蹴った。体勢を低くして飛び込む。身体を伸ばすと同時に握り締めた拳を振り抜く。鈍い音と衝撃。奴の足元からざりと地面をしっかりと踏む音がした。それをはっきりと認識する前にやはり拳が飛んできた。
そこからは半ば無心だった。互いに伸びてくる手足を捌き、躱し、打ち込み。間近にある熱と気配が生々しい実感として固まっていく。研ぎ澄まされた感覚に瞬間が引き伸ばされる。触れる度、ぶつかる度ひとつひとつ存在を確かめるようで。
この男と時折交わした不器用でしかないこんなやり方は、しかしいつの時も互いを確かめる手段だった。力量を、覚悟を、意志を。殺すためでなく、打倒するためでなく、ただ知るために、伝えるために。
互いに入った拳で身体ごと飛んで、ぶつかった地面の冷たさに時間を思い出した。どれだけこうしていたろうか。時間は酷く曖昧で長くも短くも感じた。それもやはり互いに同じだったらしい。仰向けに寝転がったあいつの肩が震えて笑い声が漏れていた。半ば反射で受け身を取り膝を着いたまま、自分も笑いが込み上げる。
「……埒が明かないな」
「ま、今更でもあるわな」
気が済むまでやり合ったのは初めてだったかもしれない。随分晴れやかな気分だった。どちらが強いか、などはわからない方が良いのかもしれない。少なくとも疑いも無く並んでいた俺たちにはそれは些細なことですらあった。
空を見上げたままの『リョウ』に近付く。正確には既にお前はお前だけでは無いのだなとは理解しながら、それでもいいと思った。これほど「個」を浮き上がらせても、その根底に大きなものに繋がる何かを感じた。それでも、やはり『リョウ』だと思った。
見おろし覗き込んだ瞳は空ではなく太陽の光でもなく、緑色の光をちらちらと映しこんでいる。お前も大変なものだったな、と内心で呟きながら近くに腰を落とした。
流れていく雲を眺めるようにして、お前が見せてくれた風景を目に焼きつけていると、ぽつりとした呟きが落ちた。
「……やっぱ、お前がいないと締まらねえぜ」
多くの思いがあっただろうそれに上手く返すことも出来ず「そうか」とだけ呟いた。口下手なのは自分の方だ。
身体を起こしてこちらを見るリョウに顔を向ければ、真剣な顔で静かに口を開かれた。
「なあ、隼人」
「なんだ、リョウ」
「俺は……またお前に、酷い事を言おうとしてるな」
「そうでもないさ」
口元を緩めながらそう返した。だから、そんな顔をしなくていい。
「……『お前達』も、ひとりだったんだろう」
数多意識を内包しても、自分で自分の名を呼ぶそれは虚しい木霊に他ならない。明確な『他』の無いままに過ごすそれは、常人には計り知れないものであれ、やはり孤独であるだろう。
己を形作るものは己だけにあらず。時に触れ、時にぶつかり、名を呼びかわしあいながらその輪郭を鮮明にしていく。
だからこそ、俺たちは。
――ふと思いつき、ホルスターに仕込んでいたナイフを探り取り出す。怪訝な視線を感じながら、あの日から伸ばしたままだった髪の毛をまとめて、切り落とした。もう、いいだろうと思った。
無言で髪束を差し出せば分厚くしっかりとしたリョウの手が受け取ってくれた。その掌の中で緑色の光と共に消えていく、いや、還っていく自分の一部。
全部はくれてやれない。十九年の歳月の僅か一部に過ぎないがそれを『お前達』のものとするがいい。俺にはまだ、立っていたい場所がある。
「……俺は、お前達と『同じ』にはなれない」
緑の光が風に吹かれて消えた頃、自分が出した声ははっきりと残った。ふっと、笑う気配が間近でした。
「ああ、それで、いや、『それが』いい。なにせ俺たちは根本的に違うんだ」
「……だから面白い、って?」
わかってんじゃねえか。
同じように笑みを返しながら言えば、破顔してそう言うリョウに背中を叩かれた。そのまま吹っ切れたように立ち上がる姿を見上げた先、ずいと手のひらが差し出された。
「もう置き去りにはしねえ。だから」
来い。一緒に。
「ああ。俺だって、もうお前達をひとりにする気はないさ」
力強い声に、自分の意志でそう応え、リョウの背後、数多の懐かしい気配までも見渡して。
その手を取る事を、選んだ。
そして気付く。いつか共に見た、広大な宇宙の海。強大な敵の気配。
――「エンペラー」は意識はあれど己を持たない。システムや摂理には善悪はおろか、明確な感情すらも無い。
なれば、そこに意味を見出し付けるのは、生きるもの達の意思に他ならない。
かつて、地上で人の手に余る事象を神と名付け、付き合い方を探したように。
今、その役割は若者たちに託された。彼らが未来に抗い戦うことは、エンペラーが己を形成する何かになるだろう。エンペラーを何として、どう向き合い、どんな未来を望むのかは、その後の未来を作り替え切り開くことだろう。
答えにはいまだ辿り着いてはいない。
そして、その答えの先にも、戦いが待っているのだ。
自分はここを選んだ。ひとり戦い続ける友の隣を選んだ。
全ての理解にはまだ遠く、その中で、ここでの自分達の戦いは若者達が辿り着くまで繋ぐためのものだという確信だけがある。
新たなる旅立ちは始まったのだ。
握り返した手に引き起こされ立ち上がる。懐かしい景色が過ぎ去り、全てが白く染まっていく。
朝焼けのように眩しい白い闇の向こう、懐かしい歌声が聞こえてくるような気がした。
―― 三つの心が ひとつになれば ――
「ムサシ、久しいな!」
歌声に呼び掛ければ姿が現れ振り向いた。今の自分達の姿のように、あの頃よりも年月を重ねたような。しかし黄色いヘルメットに赤胴姿で。
「隼人! ようやく、揃ったな!」
大きく口を開けて笑う肩を叩いて三人で並ぶ。
気付けば隣を歩くリョウは緑色の、自分は黒いパイロットスーツを纏っていて、中身は爺さんの癖にと込み上げる自嘲も、また戦いが始まるのだという苦い思いも、二人の姿を見れば沸き立つような決意に自然取ってかわられた。
――この二人と過ごした日々はけして輝かしいだけではなかった。辛い戦いが、過酷な運命が自分達を待ち受けていた。それもこれも、今となっては遠き日の青春で、二度と帰れないからこそ忘れがたく尊い。
自分が今選んだ道はあの日に戻れる訳ではなく、過ぎ去ったあの日々の続きとして辛く厳しい戦いをまた繰り返すだけなのかもしれない。
今は既に、自分達の物語では無い。過酷な運命に抗う事ができるのは若者の特権だ。自分が、自分達が託した若者たちの戦いだ。それも理解している。けれど。
「行くぜ、隼人! ムサシ!」
「「おう!!」」
今、ここに。
――戦いなどは、早く終わればいい。
愛するもののために、生き抜くために、いつかにある平和のために、戦うのだから。
皆と笑い合える明日のために、この命を燃やすのだから。
その日まで、お前達と。
「チェエエエンジ! ゲッタァアアアアワンッッ!!」
以下軽い気持ちで読んだ電子書籍サーガ版の隼人さんですっ転んで拗らせついでに東映版(特にG後半)に沼りながらアニアク追っていた人間のオーバーフローした感情の書き連ね。
アニメアーク、お疲れ様でした。神隼人の人生を描ききってくださり、ありがとうございました。
自分が漫画版を読んで受けていた印象とは全く異なる話運びでしたが、あれはあれで良かったのではないかと思っています。神隼人という人間の生を持ってひとつの物語が幕を下ろし、そして始まるアークに乗る若者達の物語のプロローグだったのかなと。
隼人さん、お疲れ様。頑張ったよね、生ききったよね。
彼が戦った40年近くの歳月があのような意味を持ったことが、人としての最後を迎える前に「隼人」と名前を呼んでくれる友がいたことが、彼にとって幸いであればいいと思います。
最後まで若者達を思っていたけれどきっと彼らは大丈夫だから、例えそれが戦いの中であってもその名を呼び合う友と笑いあえていたらと願います。
漫画版アークであればこんな話は書きませんでした。あれは私にはアニアクとは言っている事が異なっていると感じたので。エンペラーやゲッターの意思の描写から微妙に違う気がしてるし……漫画版は私にはまだ解釈もままならない……。
正直言うと、アニアクは東映版の影響は薄いのだろうとは思ってますが、私はそもそもゲッターロボという作品自体の原点に漫画版と共に東映版があり相互に影響があったのでは無いかと考えているので、その要素も入れています。双方、基本的に戦いたくて戦っている訳ではなく、襲いかかる理不尽に抗い生き延びるために、たとえ終わりの見えない戦いであろうとも、その先にあるただ生きることができる、戦わなくて済む未来のために戦っているのは大事なんじゃないかなぁとか。
なお漫画版から拾われてなかった部分を突っ込んだのはただの私の好みです。が、(良くも悪くも)「違うからこそ」という多様性の肯定も東映版漫画版(漫画版アークはわからんですが)に共通する部分だったように思っています。
言い訳も不足した説明も山ほどあるし、本当は最終話Cパートに繋げようかとも思ったけどあそこからはやはりアーク組の話だろうと思って無理やり変えたりしてるし、自分でも上手く書けてないと思うけどまだ情緒乱されてる今はもう無理限界……。
漫画版がそうであるようにあのアニメにも数多解釈はあると思っていますが、どうにも書かずにいられなかった個人の妄言に御付き合いいただきありがとうございました。