■ RISE ON GREEN WINGS ④――地球衛星軌道上を漂うゲッターアークが保護されたのは、バグとアーク、そして真ドラゴンの出現により地球崩壊の危機に見舞われてから数ヶ月後の話だったと俺たちは後に聞いた。
発見された時のアークはボロボロだった上に、そのコクピット内の俺たちには半ば取り込もうとでもする生き物かのように伸ばされた配線や部品が身体に溶け込んでいて「號たちが消える前や神さんから聞いていた真ゲッターロボの内部の様子を思い出して肝が冷えた」と橘さんは言っていた。理由もわからず、身体と同化状態にあって引き剥がすことも出来ず、ただ様子を見るしかできない日々はなかなか堪えた、と。
不思議と、数日かけて徐々にそれらは消えていき、俺たちは意識は戻らないまま地球と火星の中継地点となる宇宙ステーション内の病棟に移されていたらしい。
意識を失った俺たちが見ていたまるで夢のような光景の外側でそんなことになっていたと、起きてから知った時にはあの中で聞いた神さんの言葉を思い出して獏と二人青ざめた顔を見合せた。思い返せばマクドナルドと決着をつけた時、既にそうなりかけてもいたんだろう。
俺たちが目を覚ますまでの間に、状況は激変していた。
真ドラゴンにより、辛うじてバグによる「世界の作り直し」は回避され、カムイは捕縛された。
このままでは、いずれ人類が全生命を、宇宙をも滅ぼす存在となる。ゲッター線の傀儡として、その人類すらも部品か食糧に過ぎない世界。
捕縛されたカムイから告げられたその報せは人類に衝撃を与えた。
両種族ともに一般には伏せられ、上層部とゲッター線関係者などにしか回らない情報でもあったという。
衰弱して声も出せない俺たちを毎日見舞っては、橘さんは少しずつ現状の話をしてくれた。
「……予感は、無かったと言えば嘘になるわね」
號たちが火星に飛んだあの日、私たちを信じて残してくれたのだろうけど、じゃあ、あそこに乗っていたのが號や竜馬さんじゃなかったら、私たちはどうなっていたかしらと、シュワルツとよく話したわ。
何もかもを飲み込み、全て持って行くことの方が楽だったろうに、わざわざ私たちを残してくれたのは何故だったかしら、と。
彼らはただあの瞬間の人類を救えばいいとは考えず、私たちや世界を愛して、未来を信じたから、ゲッターロボがそれに応えてくれたんじゃないか、と。
「愛で世界を救う小っ恥ずかしいヒーローなんてあいつにゃ似合わねえんだよ」なんてシュワルツは言っていたけど。
神さんも、きっとそれは予見していた……いえ、見ていたかもしれない。それでも、今を繋ぐためにはゲッター線を使うしかなく、その中であの人は抗おうとしていた。
「……けれど、そんな隼人さんも、もういないわ」
弱く、震えそうな声だった。まだ指一本まともに動かせない自分が不甲斐なかった。
けれど、一度、小さく鼻をすするような音の後に聞こえた声は力強かった。
「だから、私とシュワルツは、あそこにいた人たちは、あの人たちが信じて託してくれた人間として、最後まで抗わなきゃ、カッコ悪いし情けないじゃない」
そう笑いすら滲ませた声に、親父や神さんが信じたのは、こういう人たちだったんだ、と思った。
どれだけ打ちのめされ、絶望の淵に立っても、最後まで戦おうとする強い意志。自分の手の先すら見えない真っ暗闇の中、微かに光るそれに希望を見る人も沢山いたんだろうと今更思った。
……なあ、獏、俺たちはああなれるかな。あんな風に、最後まで諦めずに生きようと足掻いて、掴めないかもしれなくても光に手を伸ばして。
俺たちはあの人たちじゃないけど、俺たちには俺たちの生き方があるんだろうけど、いつかそこに並び立てたら良いと、俺は思うんだ。
カムイの処遇は酷く悩まれ、議論も紛糾したという。
人類を根絶しようとした行いは到底許される事ではなく、しかしその理由には一理あり、実際に地球崩壊をもたらしかけた原因はバグに限らずその場のアークや真ドラゴンにもあった。言ってしまえばまともに動く前の未遂に終わった行いと、しかしその影響の大きさと、恐竜帝国に置いての地位、人類とのハーフであること、その遺伝子の特殊性。
世情も世情だった。一見すれば、地から出現し何処かへ消えた真ドラゴンが全てを止めたとも見え、その人智を超えた力にゲッター線を神と崇める新興宗教が出現し、一方危険視してカムイを支持する一派も出現した。付近一帯が破壊され尽くした影響に重ねて、混乱に混乱を重ねるような状態だった。
問題は人類社会の混乱や復興に留まらない。
クーデター後の実質指導者であったカムイの拘束により、恐竜帝国もその進退を迫られた。
ゴール三世を帝位へ戻し再び人類社会への侵攻を目論もうとする動きも強い中、それを止め、人類との和平を考えるべきだと訴えたのは意外にもハン博士を始めとするカムイ派の筆頭幹部たちだった。
「もう、こんな同じ繰り返しには、ワシは疲れたんじゃ」
恐竜帝国は力が全てだった。ゴール一世がクーデターで帝位に着いたように、この国は内部ですら力のあるものが弱者を蹴落とし争い続けてきた。
ワシはこのままワシらが地上に出たとて、それを続けるなら人類のような繁栄は訪れないと思っていた。
力あるものだけが生き延びる世界は、少数しか残らんのは必然。
奴隷や被差別階級が増えれば不満も増え、謀反の可能性も高くなる。帝位に着くものは誰も信用できず、皆を疑い続け、民を抑え込むために圧政を敷き、やがて自壊する。
――今となっては人類世界への侵攻はその矛先を変えただけに過ぎなかったようにしか思えんのじゃ。
自分以外は、自分たち以外は、全て敵だと枠を変えただけでは無かったじゃろうか。
もう、決まりきった争いの連鎖を、滅びを、死を見続けることに疲れたんじゃ。
ハン博士は訥々とそう語ったという。
カムイ派は元々、人類との和平と共存ができないか模索している人物たちも多かった。
恐竜側の彼らの動きにより、人類側も橘さんを中心に生じていたそういった流れの追い風ともなった。
地球環境の改善、ひいてはテラフォーミングには、恐竜帝国がハチュウ人類に適応した環境に地上を変えようとした装置で応用が利くこと。
ハチュウ人類はやはり地上で暮らすことを望んでいるが、そもそもゲッター線に弱い種族であるためにゲッター線の届かない地下以外での活動を望めば、どの道カムイの遺伝子情報からゲッター線耐性の獲得を模索する必要があること。
地下での活動を余儀なくされていたハチュウ人類の総数は多くなく、このまま争い続ければ遠くない未来に絶滅も視野に入ってしまうこと。
様々な情報が今一度共有され、検討の結果、恐竜帝国は人類の監視下の元ではあるが存続することとなった。
帝位は空白となり暫定的に議会制が取られているが、将来的には人類の協力の元に民主政治を目指し、身分制度も撤廃していく方針のようだ。
いずれ全てを滅ぼす種族――それを知らない民にも薄汚い盗っ人で下等な猿と蔑んできた人類との共存。その選択は恐竜帝国内部でも反発を生み、そちらはそちらで混乱は収まったとは言えないようだった。
両種族は落ち着かない情勢の中、だからこそ、歩み寄りをはじめた。
それは互いに滅びを回避したいという、単純な欲求であったかもしれない。
それでも歩みは踏み出されたのだった。
十九年前のランドウの侵攻以来、放棄された土地や今回の未来からの侵攻で破壊された土地、砂漠地帯の一部で、両種族の技術を使っての自然環境の回復と、そこでハチュウ人類が地上適応するための小さな都市計画も練られているという。
恐竜帝国への不信は拭いがたく、どの土地で行うのかもまた各国で押し付け合うに近く、なかなかそちらは進まないが、一足先に実現化したものがあった。
人類が未到達であり、誰のものでもない星――火星。
真ゲッターロボが飛んでから、地球に近い大気と水を得た惑星。
テラフォーミングを行っても、耐性を得るまでハチュウ人類は宇宙全体に存在するゲッター線から身を守る手段は必要となる。それはゲッター線降下量が地球と比較して少ない火星であっても同じだった。
恐竜帝国の持つ地下移動都市技術なども応用して、火星にはゲッター線を遮断するドーム状のバリアに包まれたような都市が建設されることとなった。
人類とハチュウ人類、双方から希望者を募り、技術者と共に送り出された火星では、日々諍いはありながらも同じ目的のために両種族が共に働きはじめていた。
「まずはお互いを知ることなのかもしれないわね」
少なくとも、相手も権利や尊厳を持ち、自我を持って感情を表し、私たちと同じように生きている存在なのだと。
そのきっかけにこの計画がなれたなら、良いのだけど。
見慣れない白衣を着た橘さんがそう話した日もあった。
神さんと橘さんの父親が研究していたプラズマエネルギー。
ゲッター線の危険性が三度に渡って示され、それでも捨てきることが現状はできないという判断に白羽の矢が再び立ったのがプラズマだった。
恐竜帝国の利用する地下マグマエネルギー、プラズマエネルギー。今後はこれらも利用しての文明の発展が待たれるのだろう。
橘さんは父親と神さんの意思を引き継ぐと、そう言って、それまでも裏でしてはいたという両エネルギーの研究に力を入れ始めていた。
「確かに早乙女博士の遺産はアークだけど、誰も神さんと私の父の遺産が無いとは言ってないわ」
挑戦的な笑みを浮かべて見せてくれたロボットの図面端には「飛焔」と几帳面そうな神さんの筆跡があった。
ゲッター線をプラズマで制御する、そんなコンセプトを持つ機体なのだという。
俺はそれを聞いて、闇を引き裂くように意思の焔を赤く一筋残して飛翔する機体を思い浮かべた。
俺たちの相棒は、例えヤバくたってアークなんだと思う。だから、それに乗るのは俺たちじゃない気がした。
……どんな奴らが乗るんだろう?
+++++
そんな日々が続いて、すっかり俺と獏が復調する頃には半年近くが過ぎていた。
「戦わない、戦う必要が無い日々」は平穏だった。
戦うことが当然だと、どこかで思っていたけどそうじゃなかったんだと、戦えないことは悪い事じゃないし、戦わない日々を送ることも誰かの選択肢なんだと今更知った。
もちろん「ゲッター線の申し子」の意味がわかった今となっては、前はチヤホヤしてきた人が手のひらを返すような態度を取られることに「俺の能力だけ見て俺自身を見ていた訳じゃなかったんだ」と気付いて落ち込んだり、気味の悪い目で見てくる人もいて嫌な気持ちになったり、俺はそれでようやくカムイとはじめて顔を合わせた時の自分の無遠慮が、される方には気持ちよくないもんだと身に染みた。
それ以上に寝込んでいた俺たちに沢山の人が心配して声をかけてもくれて、特に早乙女研究所にいたとか、神さんの部下だったという人たちは俺たちにも普通に接してくれた。
前は素っ気ない気がしていた態度も、良くも悪くも差別していなかったからかと気付く人もいた。今の俺たちに、それはありがたかった。
地上に降りることができる機会は少なかったが、恐竜帝国の基地より余程居心地も良く、色んな人から少しずつ分けてもらえていたと気付く事ができた、ぽつぽつと、柔らかく積もるあたたかいものに、そのまま埋もれてもいいんじゃないかと思うことすらあった。
……けど。
「なあ、獏」
「どうした、拓馬」
「……そろそろ、準備すっか」
「名残惜しいけどなぁ」
アークは、自分たちと同じく世間には所在を隠され、修理と整備をされていると聞いていた。
この半年近くの平穏は一時的なものでしかない。アンドロメダ流国が滅んだ訳ではなく、未来世界では今なおあの地獄は続いている。
戻ってきた時の俺たちの様子に、解体してしまった方が良いのではないかという声も多かったらしい。
それでも、と橘さん達はアークを直した。
いつ再び本格的な再侵攻があるともわからない中では、危険性は理解しながらゲッターロボに頼るしかないのが現実だった。
実際に、既に世界各地、火星にすら、今までとは異なる未知の敵が出現する兆候があった。
「……神さんも、こんな気持ちだったのかしら」
アークを見上げ、ポツリと呟いた橘さんの言葉が耳に残っている。
「そろそろ来る頃だと思ってたわ」
「先読みするのやめてくださいよ、橘さん」
どうするにしろ、まずは交渉からした方がいいだろうと、もしここできちんと自分たちの気持ちを言えなかったらカムイに会っても何も言えないんじゃないかと話して、獏と二人で橘さんの仕事部屋を訪ねると、俺の顔を見てそんな言葉があった。
どうにも二号機乗りの人間はよく人を見ているらしい。
「ふふっ、ごめんなさいね。號が飛び出す前の顔によく似てたから」
でも、だから、そうね、私が言わなきゃいけないわね。
椅子を回して俺たちに向き合い、橘さんは真っ直ぐに俺たちを見て口を開いた。
「あなた達は人類とゲッター線を繋ぐ子供達の中でも、特に強い結び付きを持つだろうと目され、政府管理下に置かれているわ。アークも同様よ。この意味はわかるわよね?」
「……はい」と決まり悪そうに答える獏の声と「要するに、俺たちは危険だから黙ってろですよね」と返した俺の声が重なった。
「ゲッター線エネルギーは感情で増幅される、なんて非科学的に聞こえるけど、今までに起きた現象からも否定は出来ないわ。ならば精神的に未成熟な人間を乗せるという判断は慎むべきではないかという意見が出ていることにも一理あるわ」
鋭い目でパラパラと資料を捲りながら橘さんが話す様子は、少し神さんの姿を思い出した。
トンと資料の角を揃えて置き、そのまま俺たちの目を見詰める。
「私達はあなた達の我儘を素直に聞いて、この世界を滅ぼす訳にはいかないの。大人しくここで監視体制の下に暮らしていてくれるなら、拘束も強制もしないわ」
真正面から、目の奥まで射抜くように俺たちに向けられた瞳は問いかけていた。
「それで、あなた方はどうしたいのかしら?」
本当に、自分の意思で、選択して、この先を歩むかと。
怖気付いてしまいそうな気持ちは確かにある、けど、でも。震えそうな息を吐いて、吸って。
「……俺は……俺は、カムイに会いたいです」
今の俺たちがアークに乗るのは危険なのもわかります。戦う相手が明確にいる訳じゃない今、その必要が無いことくらいわかります。
でも、でも、神さんは俺たちの心が揃うかもしれないって信じたから乗せてくれたんじゃないかと思いたいんです。
「……俺……俺は、カッコ悪いままでいたくないんです!」
カムイに、謝らなきゃいけないし、なにより答えを返せてないんです。
今までの犠牲に、自分のやってきた事に、蹴りを付けられてないんです。
もう背負わなくていい、なんて言われても、だって俺、最初からなにも背負ってなんか無かった。
今までのことに、出してしまった犠牲に、償っても償いきれなんかなくて、それもわかるけど。
……ゲッター線の手のひらで踊らされて、馬鹿にされたままなんて嫌なんです。それが運命だ大人しく滅べって言うなら、俺は抗いたいんです。
「――やっと、やっと、カムイの背中が見えたんです」
俺、追いつきたいんです。吐きそうなくらい、足が重くて震えそうなくらいの、こんな気持ち抱えて、ようやく少し見えた気がしたんです。
「俺は……俺は、きっとカムイと一緒にいたいんです。生きてみたいんです。
俺はあいつのことをなにも知らなかった。知らないままなんて嫌なんです」
話し始めると勝手に言葉が出てくるみたいだった。正直、自分の言ってることは滅茶苦茶な気がしたし、論理的な理由なんかなくて、我儘だとも頭の片隅では思って。
それでも、思いの方が先走って形になるみたいに、声は止まらなかった。頭の奥が熱くなって、声が震えて、視界が滲んでも。
「……カムイは、あなたを許さないかもしれないわ」
「……それも、わかってます。それでも。だから。会いたいです。
許されなくても、俺は謝らなきゃいけないと思うし、きっと、俺はそうしなきゃ、前に進めないんです」
静かな声に胸が痛みながら、そう返して鼻を啜った。こんな風に誰かに思いをぶちまけるのもはじめてだったかもしれない。
無言で出されたティッシュに恥ずかしい気持ちになりながら頭を下げて鼻をかんでいる間に、橘さんの目線が獏に向いた。
「……え、っと」
獏はしばらく考えたような間の後に、ポツポツと話し始めた。
「正直に言えば、怖い、です。生きるとか死ぬとか、殺すとか殺されるとか、それはただの事象じゃなくて、そこでみんな生きてるから起こってたって、そういうことの意味を考えて、ようやく怖いと思うようになりました」
死は恐れるものではないと、うちでは言ってたんだけど、そんなこと全然無くて。最初からそう思い込んで死ぬことと一緒に生きていることにすら意味を無くすんじゃなくて、怖いから、恐ろしいから、それを理解してどうするかって、そういう話だったんじゃないかって今になって思うようになって。
だから、怖いです。正直、ここで何もせず生きてもいいんじゃないかなって自分もいます。下手に動いて、もっと沢山の犠牲を出すよりマシじゃないかって。
……でも……。
「……俺も、舐められたままは嫌だし、きちんと生きてみたいんです」
泣き喚きたくなるかもしれないし、逃げ出したくなるかもしれない。重さがわかった今だから、そう思います。
それでも、なにもしないまま死ぬより、みっともなくても情けなくても生きてみたいです。
そのためにも、俺も、もう一度カムイに会いたいです。
……アークは、俺たちだけの機体じゃない気もするから、カムイになにも言わないのもなんか違う気もするんです。
獏の考え考えの話に「そう」と静かに橘さんは一度目を伏せた。
「カムイに会って、どうしたい?」
「……きちんと、話を聞いてみたいです。
俺は状況に流される事が多くて、あんまりきちんと聞いても考えてもいなかったような気がして」
カムイに何をしたって、俺は何もしてなかった気がするんです。悪い事しただろうかとか考えたけど、思い付かなくて。
それって、実は何もしてなかったのかもなって。
それじゃ、なにもわからないよなって。
「あなた方が背負おうとしてるものは、とても大きな責任が伴うのよ」
「……それでも、って我儘なのはわかってるんですけど」
なぁ? と言いたそうに俺の顔を見る獏と顔を見合せて頷く。
「……その責任を理解しきれないまま、戦い続けてしまったのが前の俺たちだとも思うし」
「……あなた方の気持ちはわかったわ」
……ようやく、かもしれないわね。
ぽつりと橘さんはそう言って、「立ったままじゃ落ち着かないだろうし座りなさい」と来客用だろうソファを指してくれた。
言われてはじめて気付いたような気もするそこに獏と並んで腰を落とした途端、どっと疲れたような、足が震える感覚に自分がとても緊張していたとわかった。
ふーっ、と隣から聞こえた息も震えるようで、二人顔を見合せてなんだかおかしくなって小さく笑った。
そんな俺たちの様子を見ながら橘さんは正面に座り、小さく息をついた。
「拓馬、あなた、幾つになったかしら」
「え……二十歳、です」
早乙女研究所を訪れた最初は十九歳だった。色んなことが起きて、考えてる間に二十歳になった。お祝いしてもらいながら、年齢としてはこれで「大人」なんだなと思って、だから。
「そうね、だから『自分で決めなさい』と、あの人なら無言で示したでしょうね。あなた方はもう立法上も名実ともに子供では無いのだから、と」
ストンと落とされるように橘さんの声が響いた。
「大人」。とてもそうは思えなかった。自分で考えて、決めて、行動し、責任を持つ。それを自立するというなら、俺はまだよちよち歩きみたいなものな気がした。
「……あの人達はとても優しかったけど、とても厳しかったわ。自分の考えを鵜呑みにして欲しくなくて、押し付けたりもしたくなかったからでしょうけど、説教もろくにしてくれなければ、自分で考えろと示すばかりで。
私たちはそれで良かったけど、あなた方にはそうじゃないのかもしれないわね」
あなた達、多分運が良かったのよ。あの人達が最後に叱ってくれたんだから。本当に諦めていたら、見放していたら、叱るなんてことしないわ。
「どういうことか、わかる?」
静かにいっそ優しく問い掛けられた声に、ふと、最後に聞いたカムイの叫びを思い出した。
カムイは、諦めてしまったんだろうか。けど、怒るのは譲れないものがあるからで、守りたいものがあるからで、何故わからないんだと俺に問い質しているみたいでもあって。
また胃が重くなって吐き気がするみたいだった。えづいてしまいそうな唾を飲み込んで、頷く。
「……なら、自分を裏切らないようにしなさい。
考えた末に間違えても、逃げても構わない。あなた方はひとりではなく、私たちも全力を尽くすわ。
けれど、あなた方のことはあなた方で決めなさい」
誰かに信頼される、とはそういう事じゃないかと、私は思っているから。
その言葉にはっとして上げた顔の先、橘さんは優しく微笑んでいた。
「私たちも死にたくないから、色々条件はつけるわよ」
「お、俺たちだって死にたい訳じゃないです……」「死なせたい訳でもないです!」
獏の声に続いてそう言い切れば、そう、とまたひとつ橘さんが頷いた。
……正直に言えば、自分達の選択は間違いではないと、言って欲しい気持ちはあったけど、何が正しいかなんてそんな事は誰にも、本当に誰にもわからなくて、だから、神さんや橘さん達は誠実にあっただけなんだなとそんな事もその日思った。
+++++
バグや遺伝子のこともあり死罪は避けたく、しかし大罪人ではあるとして処遇に手を焼かれたカムイは、結局地球からの島流しのように火星で牢につながれていると聞いた。
「火星には強大なゲッター線反応も時折確認されているわ。まだ不明確だけれど、行方がわからなくなったドラゴンや、いまだ火星に眠るはずの真ゲッターロボが独立行動を取っている可能性もある。
……アークを出していいわよ。ただし」
そこで言葉を一度切り、橘さんは俺たちを見据えた。
あなた方の状況はモニターして、最悪の事態が起きた場合、あなた方の命は保障できない……いえ、この言い方はズルいわね。
「――最悪、私たちはあなた達を殺すわ。必要ならば」
静かで、しかし真剣な、鉄のように揺るぎない意思を宿した目を向けられていた。
真正面から、自分に向けられたものとして受け止めることはやっぱり怖くて、怖気付いてしまいそうで。
「またあんな風に喰われるんなら殺してもらった方がマシです」
「俺も……頑張っても二回目は正気でいられる自信が……」
ここで負けてる訳にはいかないんだと、気持ちを奮い立たせて、笑ってみせた。
「……こちらも最善は尽くすわ」
ぎこちなかっただろう、引き攣っていただろう俺たちの顔に、橘さんは顔をゆるめてそう言ってくれた。
「……まあ、そうは言っても……」
「まずはお前からだよな」
アーク。
ゲッターアークを前に、俺は――きっと獏は俺以上に、はじめて、怯えに似た感情があった。
意思のない瞳がじっと見下ろしてくるような感覚。
なんだか目を見た方が良いような気がして、獏と一緒に上まで登った。
一度顔を見合せた獏と並んで、アークの顔を見上げる。獏はやっぱり怖いみたいで、自分だけ近づいて、おそるおそる触れてみた感触はひんやりと冷たく、なんの生命も感じなかった。けれど修理も終わり、ただの機械のように立っているこれは、ただの機械じゃなかったと、俺たちは今まででなんとなくわかった。
「……アーク、お前は、俺じゃない」
ぽつりと、なんとなく出た言葉は、なんだか大事な気がして、俺はしっかり言い直した。
「お前自身に意思があるなら、それは、お前であって俺じゃない」
ブン、となにかの電源が入るような音と一緒に、何かが自分を「見ている」気配がした。小さく息を飲んだ獏が、落ち着こうと深呼吸する音が耳に届く。
「……お前は寂しいのかもしれない。産まれたばかりで、ひとりで、俺たちはバラバラで――まあ、きっと俺たちも似た者同士だけど」
ぽつぽつと、思うことを口にするうちに、獏も並んだ。ひどく怖々と、ゆっくり確かめるように触れて、俺がそうしたようにアークを見上げた。
「そうかもなぁ……でもやっぱり、俺は喰われるのはもうこりごりだぜ……」
「俺だって勘弁だ! だからな、アーク、俺らはお前に喰われちゃやれない」
「正直、俺はまた喰われかけたら死にたくなると思うぜ」
獏の引き攣って乾いた笑いを聞きながら、俺はアークを……いや、アークとどうしたいんだろうな、と考える。
「どうすりゃいいとか、まだなんにもわかんないけど、俺は俺で、獏は獏で、お前はお前って思うようになったんだ。だから、自分で動けないだろうお前には悪いんだけど、ちょっと俺たちに付き合ってくれよ」
「あ、カムイも喰うなよ!?」
焦るような獏の声に笑って、いや、笑い事じゃないんだけど、やっぱり、ちょっと怖いのは怖いけど。
「もう一度、やり直してみたいんだ」
だから、カムイを迎えに行こう。
俺たちで、一緒に。
一瞬、何も映していなかったアークの目が、キラリと光ったような気がした。
「アークだけで火星に行くなら、あなた方だけなら多少無茶をしても身体が持つから二、三日で着くでしょうね。けど私たちがクジラで火星に向かうには数ヶ月かかるわ」
橘さんの指示で皆がアークの整備をし、二号機のコクピットに食料や水、キャンプのためのものも積めるだけ積んで、待っている間には伊賀利さん達がサバイバルの心得なんかも今一度教えてくれた。
「どんだけみっともなくたってな、無駄死にしなきゃ『ハジじゃない』。本当に『ハジをかく』のは生きるのを諦めた時だ。俺はあの人たちからそう教わったよ。だから、お前らも生きろよ」
通信は繋がっているし、状況はモニターされるとはいうけれど、しばらくは自分達だけで生きろと言われているようで、気を引き締めた。
そして。
「迎えに行ったらくたばってたなんて無駄足踏ませんじゃねえぞ、ガキども」
「あなた方に不安が無いといえば嘘だけど、信じてみないと先に進めない時もあるわ」
そんな声をかけられ背中を叩かれながら向かったアークの前、橘さんが立っていた。
「拓馬、獏」
「みんな合流できたら、お腹いっぱいご飯でも食べましょう。私たちは待ってるわ」
そう言って笑みを浮かべた橘さんの後ろには、沢山の人達がいて。
「「……いってきます!」」
獏とふたりなんだか泣きそうな声でそんな事しか言えなくて、帰ってこれたら……いや、きっとカムイを連れて戻って、きちんとお礼が言いたいと俺は思った。
+++++
二日ぶりに開いたコクピットにぶわりと風が吹き込む。
空気に問題は無いらしいと確認して、念の為と被っていたヘルメットを外せば、どこかギシギシと軋むような乾いた風が頬を打った。
水と大気は存在しても、首をめぐらせた範囲に植物などはまるで見当たらず、赤茶けた土というより岩盤が広がるばかりの大地。
火星。
未来世界で地球以外の場所に立った時には、何処か現実感が無かったけれど、自分達で、アークと共に辿り着いた事は、妙に感慨深かった。
「獏、大丈夫か!?」
「おー……」
ふらふらとコクピットから出てきた獏が、精魂つき果てたとでも言いたげに地面を這い、ごろんと寝転がる。
密閉されたコクピットはただでさえ圧迫感があるのに「喰われる」恐怖は気を抜けば襲ってきた。俺より獏の方がきっとそれは強かっただろうと思う。
アークの内部を通って行き来は出来たから、休憩や飯には顔を合わせて、お互い何も言わなくても励まし合って、ここまで辿り着いた。
通信にもエネルギーを使うから必要最低限の連絡しか入れないと最初に告げた橘さんは、本当にあまり連絡して来なかった。
なんとなく、俺たちに自分でやれるだけやってみろと言われてるような気がした。
……思えば、未来世界に送り出してくれた神さんも、そうだったのかもしれない。
自分もどこか頼りなく感じる膝によろよろ這い出すようにコクピットを出て、獏と並んで寝転んだ。
「もう夜みたいだから今日はここで寝るか」
「……そうしたい。正直、今カムイに会う元気がねえ……」
「ははっ、俺もだ」
アークの影にテントを張って、久々に地面に身体を伸ばしても、その日はなかなか寝付けなかった。
カムイに会ったら、何を言おう。俺は、何を言いたいだろう。そんなことをぐるぐると考えるうちに、ふと耳に獏のいびきが聞こえてきて。なんだか気が抜けて、視界が暗くなった。
「……貰った情報だとあそこだ」
「……危ないから隔離したいって気持ちはわからんでもないけど、これ酷くねえか、獏」
カムイが隔離されているという牢屋は街からも離れた場所にポツンとあった。外から見ても完全に監禁状態だろう事はわかり、環境も環境で俺はこれが普通なのかわからず眉をひそめた。獏もうーん、と軽く腕組みして答える。
「水とか食料は与えられてる……んじゃなきゃ人権問題とかになるんじゃねえか?」
「見張りもろくにいないみたいだしなぁ、誰も見てないしここから出ても生きられないだろって思ってそうだぜ」
まあ、好都合だな。
俺は獏と顔を見合せてにっと笑ってみせた。
母ちゃんへ。
今から俺はやったらダメなことをします。ぶっちゃけ前科者になります。
でも、後悔したくないから止められてもやります、ごめんな。かしこ。
心の中で一筆書き置いて、俺はよし!と気合いを入れた。
これは現実だけどラスボスに立ち向かうゲームや漫画の主人公ってこんな気持ちだったのかな、なんて頭の片隅で思いながら。押し潰されそうな緊張感に震えそうになりながら。
「……すげえ緊張してヤバい吐きそう」
「俺もだ」
隣で強ばった顔の獏に、ひとりじゃなかったと確かめて。だから、踏ん張れそうな気がした。
+++++
見張りの人には気絶してもらって、軽く縛って建物の影に寝てもらった。交代の時に見付けて貰えるだろう。
そうして重く感じる足を動かして近付けば、ろくなセキュリティも無いかなり原始的な牢屋の中、長く髪の伸びたカムイは座って俯いていた。
「……」
彫刻かなにかのように人の近づく気配や足音に目を向けもしない様子に唾を飲む。
「……カ、カムイ」
震えてしまいそうな声で名前を呼んで、やっと目線がこっちを向いた。ひどく平坦で感情の見えない瞳が流れ落ちる前髪の隙間から覗いていた。
「……何をしに来た」
「……俺……あの――……~~っ、すまなかった!」
言いたかった事をあんなに考えていたのに、最初に出てきたのはそんな言葉と勢いでの土下座で、虚をつかれたような気配にそのまま畳み掛けるように話した。
確かに自分はお前が言ったみたいに生命の重さとかわかってなかったこと、他人を考えられてなかったこと、一緒にいたカムイのことすら考えられてなかったこと、それできっと傷付けたこと、怒らせたこと。
話している間に獏が牢屋の扉を開けた音がした。ギイと響くそれとざりと地面を踏んでカムイが近づいて来る気配に怖くなる。
「口だけならなんとでも言える」
お前たちが今までずっとそうだったように、と続きそうな、しかしぴしゃりと一言だけ切って落とされた声は頑なで冷たかった。
――軽蔑されるとは何を言っても無駄だと、絶望の末に存在自体に諦められてしまうことなのかもしれない。背筋がぞわりとした。
「俺は本気だ! だから、迎えに来たんだ!」
がぱりと身を起こして立ち上がり、半ば反射的に叫んだその先で、カムイの表情にぴしりとヒビが入るような感触がした。それまでとは違う地の底から這うような怒気に息を飲む。
「……どうして、素直に俺がお前達についてゆくと思った。
お前達が、人類が生きている限り、俺たち人類では無い生物は殲滅される未来が来る。
そう知っていて、易々と協力する馬鹿がどこにいる」
ぐっと言葉に詰まると、一弾怒りを濃くした言葉が飛んできた。
「それともお前達は俺が『服従』するとでも思ったのか。
どこまでお前達は俺を馬鹿にするつもりだ。優しさのつもりで俺の覚悟を蔑ろにして、同情や憐憫という自分達が優位にあるから生まれる感情に浸るつもりなら――俺は今ここで死んでやる」
俺たちのやり取りにおろおろしていた獏の腰から素早く大振りのナイフを抜き取り、迷いなく首筋にあてる動作を止める暇も無かった。
「そ、そんなつもりじゃないんだ!」
慌てて伸ばした手は空を切り、まっすぐに見据えられた強い意思の灯る瞳にまるで追い縋るように言葉を重ねるしか無かった。
「カムイ、頼む。一緒に来てくれ。
仲良しごっこしたい訳じゃない。お前の覚悟を捨てろなんて言わない。今のお前の答えは間違いじゃない。
けど、死んではやれない。殺されてはやれない、滅ぼさせるわけにもいかない」
ろくな息継ぎもせず一気に吐き出した言葉は届いているだろうか。でも、今できるのはこうするしかなくて。
「――だから……だから、俺はお前に頼むことしかできない」
考えた。自分なりに。沢山。そうして出した答えが正解かどうかなんてなにもわからない。だけど、これが今の俺がカムイに出せる精一杯の答えだと思う。
肩で息をするほど緊張する身体。熱くなった頭。頭には沢山あるのになにも形にはなってくれない考え。言葉にもできない溢れ出しそうな感情のまま。
「俺を……俺を、殺すために、来てくれ」
全員の動きが止まって緊張感で張り詰めた中に出した声は震えていた。喉が乾いて口が張り付きそうになりながら。目の奥が傷んで熱くなって溢れるものもそのまま。
「俺は、あの未来を変えたい――あんなのは嫌だ。俺は嫌なんだ!
変えるには、きっと、きっとお前が必要なんだ!
でも、今の俺たちは何言ったって、あの未来がある以上言い訳にしかならねえ。お前に信用してもらえるだけの事もしてねえ。
だから、だからダメだと思ったら俺たちを殺すために来てくれ!
俺、馬鹿だからこれくらいしか思い付かねえんだ。努力する、そのつもりだけど、馬鹿だから間違うかもしれねえし。やっぱまだなんもわかんねえし。だから」
「――……頼む、カムイ!」
言葉にしきれなくなって、思い切り頭を下げればぼたぼたと涙が地面に落ちた。
……こんなに感情的になるのもはじめてだったかもしれない。自分でもどうにもならないくらいの思いが自分の中にもあったんだ。
鼻をすすりながら頭を下げていると、ナイフを持った手がだらりと下がるのが視界の端に入って、ほんの少しだけ戸惑うようなカムイの声が聞こえた。
「……正直に言えば、お前がまともに涙を流せるとは思っていなかった」
涙を拭いながら頭を上げた先、俺たちの顔をようやくしっかりと見るようにしながら、カムイが訝しげに眉を顰めていた。
「お前達はあの光の中で何を見て何を知った? 柵の中の幼児のようだったのに」
幼児。そんなに俺たちはカムイには幼く見えていたのかと、恥ずかしい気持ちがあって何も言えなかった。そうじゃないとは言い切れないから。
「ひとつ聞こう」
ナイフを確かめるように裏に表に返しながらそう言ったカムイが、すっと俺の首筋にナイフを突き付けた。
「お前達は流石に首を飛ばせば死ぬか?」
「……された事ねえからわかんねえけど、多分」
ふっと、途端首筋のナイフに気配が灯る。自分に明確に向けられる殺意をそうと受け止めて、恐怖が生まれる。つい最近知った。
咄嗟にその刃を手で掴み、肌を裂き血が溢れる感触に怯えそうになる心を奮い立たせて、カムイを見る。
酷く冷たい目は悪意なんか無くても殺意はしっかりとそこにあって、力を込められる刃に抗おうとする。
鼓動と一緒に手のひらから流れる血は腕を伝って落ちて、正直涙目になるくらい痛いし、気を抜いたら本当に首を斬られるんだと身に染みて恐ろしい。
でも、まだ死ねない、殺される訳にはいかない。死にたくない。お前を殺したい訳でもないんだ。
「本当に殺すぞ」
「言われなくてもわかる」
バチバチと火花が立ちそうな、膠着する空気にまたおろおろとし始めた獏が、何かに気付いたように突然ハッと空を見上げた。
「拓馬、カムイ、外になんかデカいのが来るぞ!?」
「「は?」」
唐突に腰を折られた感じに二人で思わず声が出た。一瞬力が抜けたカムイのナイフが首筋から離れていって気が抜けたそこで一番ざっくり切れた手のひらに「いっでええええ!!」と叫びが上がる。指が落ちなかったのは良かったけど涙は出る。
「いいから!!」
慌てるように俺たちの腕を掴んだ獏に引かれるまま外に出れば、周りの様子がおかしかった。
地上への光も弱めるほど暗く重く立ち込めた雲(に見えるけどそうじゃないかもしれない)が渦を巻き、何かが集まるような気配。カムイが口を抑えて顔を顰める。
「……これは……あいつか」
「ゲッター線が異様に濃くなってないか」
「だから気持ち悪いのかカムイ!?」
「うるさい。これくらいなら問題ない」
見上げた先、その渦から真っ赤な巨体が現れた。何をする訳でもなく、ただ泰然と大地を見下ろすように。
「ゲッターロボ!?」
「橘さんが言ってたのはこいつか?」
俺たちが声を上げる間に、カムイが顔を背け苦々しげに舌打ちする。
戸惑ったのは最初だけで、ただ「見下ろして」くるだけみたいなそいつになんだか段々腹が立って、衝動的に駆け寄った。
「拓馬!?」と驚いた獏の声も置き去りにして走って、立ち止まって。
「おい、なんだかわかんねえゲッターっぽいなんか!!
お前は親父か!? 親父の皮だけ被ったゲッター線か!?」
正体不明のゲッターロボ(っぽいなんか)はただ立ち尽くすばかりで、問い掛けも届いているのかわからず、聞いてもいないような姿になんだかイラッとした。いっぱいいっぱい、大きく息を吸って
「……お前がゲッター線なら! 人類舐めたの後悔させてやる! 絶対! 絶対! ぶん殴って! やるからな!!」
腹の底からめいっぱい叫んでやって、肩で息をしながらふと思い付いた事をもう一度、深呼吸して。
「親父だったら正気に戻れバーーーーーカ!!!!」
ゼェゼェ息を切らすくらいに叫んでも、それには何も響いてないみたいで、そのまま現れた時と同じように姿を消したことに地団駄踏んで暴れたくなる。なんか腹立つ。
「――~~っ、無視すんな!!」
ボロっと自分の口から出た声に、だから腹が立ったのかとなんだか納得して、でも腹は立つから地面に八つ当たりしていると、二人が近付いてくる気配がした。
「アーク出さなくて済んだのは良かったが、やっぱりあんなのあんのかよ……」
「……お前はこんなに考えなしで感情的だったか?」
がっくり肩を落としたみたいな獏と、不可解そうに小首を傾げるカムイに向き合えば、カムイがひとつ息をついて真剣な顔で俺に聞いてきた。
「……要するに、お前はこう言いたいのか。猶予期間を寄越せと」
「……そんな悠長な事言ってられる場合でもないことくらいはわかるぜ、さっきのあれといい」
「ならなんだ」
「……殺意向けながらでいいから、一緒に来て欲しい?」
「疑問形か」
「うーん」
言っちゃえばそうなんだけど、なんだかもっといい言葉は無いもんかと腕組みして考えようとして掌の傷を再確認して自分でビビる。
「あーあー、いじんなよ、拓馬。見せてみろ」なんて獏が治療道具を出してくれて、今更ひーひー言いながら消毒してもらって包帯を巻いて貰った。
ふと目に入った獏の腰には、いつの間にかナイフが戻っていて、なんだか気が抜けたような、呆れたような溜め息が耳に届いた。
「……今の俺にお前達を殲滅するだけの力が無いことは確かだ」
えっ、と眉が上がる。
「お前達を殺し、ゲッターを奪い、バグを取り戻してゲッターごと人類を殲滅する選択肢もある」
ですよね……と少ししゅんとする。許して貰えた訳じゃない。
「今はその為に少しだけ見過ごしてやってもいい」
見過ごす。それでも、時間をくれたのは確かで。
許して貰えた訳じゃないけど、多分、きっと、まだ、諦めて見捨てられた訳じゃないのかもしれなくて。
嬉しくなって、勝手に笑ってしまう顔のまま包帯を巻かれた手を差し出す。
「握手なんかしないぞ」
「……じゃあ」
「ハグもしない」
両方拒否されて「ちぇ」と子供みたいな声を出してしまった。
「だってよ、お前は俺たちを許した訳じゃないし、嫌いかもしんねえけど、俺はお前嫌いじゃないって伝えるにはどうしたらいいかなって」
「……わかったから何もするな」
額を軽く押えたカムイから大きな溜め息が聞こえた。
「じゃあ、行くか」と声をかけて、三人で歩き出す。ひとまずは、アークまで。
「……本当に殺すからな」
「獏、ヤバそうな時教えてくれ」
「そりゃいいけどよ」
みんなに会えたらどうしよう。ただいまを言って、ありがとうを言って。
皆で腹いっぱいご飯を食べて、笑えたらと思うんだ。
=====
ぱちぱちと時折音を立てて燃える焚き火を見ながら、カムイの話を聞いて。
ぼんやり色々と思い出し、ふと思う。
「なあ、カムイ」
「……?」
「お前、神さんの事、好きだったか」
不躾な気はしたけど、何度も色々話してくれるならそうだったのかもなと思って。
ぽんと落ちた言葉に、カムイはこちらに向けた目を少し丸くして、また焚き火に向き直った。
「当然の事を聞くな」
……俺をなんの躊躇いもなく抱きしめてくれた人だった。
カムイにとって、神隼人という人はどんな存在だったろう。
わかりきれはせず、けどそこには温かなものが確かにあったんだなとは感じて「……そっか」なんて声しか出なかった。
俺は、あの人にはなれないし、代わりにもなれないけど。
「なあ、カムイ」
「なんだ、今度は」
「手繋ぎたい」
「は?」
「俺はお前と手を繋ぎたい。……いや、触りたい?」
「どうして」
「なんとなく」
少し眉をひそめて、胡散臭そうに眺められた。いや、裏とかやましい気持ちとかは無いんだぜ? と慌てたくなる。
「……お前、無駄が増えたな、いつの間にか」
「そうか?」
そうだったろうか。でも、確かに前ならしなかった事をやろうとしてるのかもなと思っていると、身を乗り出してきた獏が悪戯っ子みたいな笑顔で口を挟んできた。
「それで、触らせてやるのか、カムイ?」
「あ、獏、お前も後でな」
「俺も!? まあ、良いけどよ」
「……何を考えてるかは知らんが、少しだけなら」
「いいのか!? ありがとよ、カムイ!」
すっと差し出された手のひらを恐る恐る、出来るだけ優しく触れてみる。ひんやりと感じる体温。わずかに残る鱗の感触。自分の手と比べてみたくて、重ねてみたりして。
「よく見たら全然違うんだなあ、大きさも肌も。鱗とか触って痛くねえか、大丈夫か?」
「痛かったら服など着れんだろう」
「あ、そうか。なんか人だとカサブタみたいなのしか浮かばなくてよ」
体温も違うんだなあ、とか気付いた事を口にしながら触っていると、またすっと手を引かれたからそのまま離した。
「……もう良いだろう」
「ん、ありがとな」
触られていた手のひらを膝の上で隠すようにもう片方の手の下に置いて、どこか照れくさそうにそう言うカムイに笑って礼を言う。
「……それで、なにかわかったか」
ちらりと横目で見られての声に、俺は腕組みして首を傾げた。
「ん? んー……全然、違うんだなって。ちょっとずつ、知って覚えられたらなって。お前のこと」
「知るほど殺す時に辛いぞ」
静かな、いっそ穏やかな声。そうか、カムイは辛かったんだなと、思って。
「……うん。でも、辛くなきゃ、いけないんじゃねえかなって、思うようになったから」
……いや、お前を殺す気は無いけどな! 殺される気もねえけど!
茶化すようにわざと明るく笑って大袈裟に言えば、カムイがふん、と鼻を鳴らして。
「……好きにしろ」
そうとだけ、呟いた。
死にたくない獏と、守りたいカムイと、まだどうしたいかわからない俺。
全員バラバラで違っていて、到底親父たちのようにはなれそうには無くて。
それでも。
また、あの人たちと会える日が来ると、俺は信じていたい。