天井努と月岡恋鐘:ゴミとクズ製おいしいナポリタン:恋鐘が作るナポリタンを天井社長が見る話 透明なタッパーに押し固められた麺が、事務所のキッチンには置かれていた。
「……」
天井努は沈黙したまま麺を見下ろす。ここへ来た目的だったコーヒーはすでにカップを満たしていたが、今は麺の方が気になった。
具もソースも見当たらない麺は、茹でて時間が経ったのか表面は毛羽だったようにすら見える。努は普段は料理をしないものの、茹でた麺を放っておけば伸びてしまうことは知っていた。この麺は、おおよそ食べるに値しないだろう。
捨ててしまおうか、考えが湧くが麺はいやに多い。数人分はありそうな麺を捨てることはためらわれ、かといってこのままにして良いものかも判断できずに立ち尽くしていると、月岡恋鐘がキッチンに現れた。
「ふぇ、社長~……?」
「……ああ」
どう声を上げたものかと悩んで声は曖昧だ。恋鐘は私服の上からエプロンを着けており、手にはケチャップのボトルを持っている。ボトルの中身は潤沢だが既に封は切られているようだった。
「今から、ナポリタン作るけん」
「――この麺は、どうする」
「ナポリタンに使うとよ! 茹でおきすると、モチモチになるけんね」
「そうか」
麺から視線を外して、努はキッチンに置かれた物どもに目を向け直す。
薄皮に包まれたニンニク、ベーコン、マッシュルームの水煮、ピーマン、タマネギ。ピーマンとタマネギは既に切られてラップにくるまれているが、切り落とされたヘタはまだまな板の上に残っている。努の目には生ごみとしか見えなかった麺にすら役割があるなら、ニンニクの薄皮や食材を包むラップ、まな板の上で断面を晒すヘタにも何かの役割があるのかもしれない。
「そんでケチャップは寮のを持ってきたけん、今から作るとよ!」
その場を去らない努に説明を加えながら、恋鐘はケチャップをフライパンの上に押し出した。
蓋を閉めるのと同時にコンロの栓を回し、ボ、と音を立て火が点る。
フライパンの上で沸くケチャップは少しずつ色を変えた。黒ずみ、フライパンに張り付きかけたところを恋鐘はヘラで返し、まだ瑞々しさが残る場所から水気を奪う。
そうしながら残ったコンロの上には水を満たした大鍋が配され、まな板の上に残った野菜くずが放り込まれる。塩を振ってから蓋をして、恋鐘は「んふふ〜」と楽しげな笑みを努に向けた。
「これで、ば〜りばりにうまくなるけん!」
「……」
ケチャップはもうケチャップとは呼べないほど真っ黒だ。だというのに恋鐘は慌てた様子もなくケチャップをフライパンの片側に寄せ、空いたスペースで野菜を炒め始める。湯が沸けばキッチンの下側に収納していたパスタを取り出し、指で作った輪にパスタを通してからパスタを投げ入れる――と、ふいに恋鐘は手を止めて「社長も食べると?」と尋ねた。
「……いや、私はいい」
首を振って、それ以上の言葉を避けるように努はその場を後にした。
社長室での業務中はうまく忘れられていたのに、仕事を終えて部屋を出た瞬間香ったケチャップにそんなことを思い出した。
食べ終えた皿も片付けられ、キッチンにはもう何の痕跡もない。ゴミ箱を開ければふやけた野菜くずが目に入るが、他には何も、ナポリタンを連想させるものは残っていなかった。
「――」
完成したナポリタンは見てもいないから、努の脳裏にちらつくのはまだ材料だった物どもばかり――タッパーに収められた麺や野菜くず、黒く染まったケチャップを思い出しても、やはりそれらはゴミのようなものだったと努には感じられる。
(だが、そうではなかった)
作り出される過程で生み出された、ゴミのようなものたち。
「……」
どうして斑鳩ルカの顔が頭に浮かぶのかは、今は考えないことにした。