「あ、ナットウってどこにある?」
ロディがそう尋ねてきたのは、出久とふたりで今晩の夕食はどうしようか、なんて相談しながらスーパーへ足を踏み入れたときだった。
出久はロディから初めて出てきた単語に目を丸くする。思わずピノの反応を確認するが、ピノはフライトの時差ぼけでロディの頭の上で眠っている。ロディ自身も眠いのだろうが、それでも出久と一緒に買い物にきてくれるのだから出久としては嬉しい。ただ、いまの問題は。
「え、納豆……? 納豆好きだったの、ロディ」
「いや、食べたことねえ」
「だ、だよね?」
少なくとも出久は自分といるときロディが納豆を食べているのを見たことがない。日本にロディがフライトでくるときは四六時中出久といるわけではないので、そのときに食べたのかと思い聞けば、ロディはあっさり首を横に振った。
とりあえず聞かれたわけだし、と出久は納豆売り場にロディの案内を開始する。
出久のセカンドハウスの最寄りスーパーは二十四時間営業で、大変ありがたい存在だ。品ぞろえも悪くないのだが、納豆をこのスーパーで買ったことはないなと歩きながら気付く。
というか、自分で納豆を買ったことがない。実家で納豆が出てくるときはあるが、それは母親が購入したもので、自身でわざわざ買って食べるということはしたことがない。
日本人の出久でさえそうなのに、なぜ突然ロディは納豆を求めているのか。純粋な疑問を、涼しい顔をして店内を歩くロディに投げかけた。
「なんでまた納豆?」
すると、ロディはちらりと出久を見てから小さく笑った。
「そんな驚くような食べ物なのかよ」
「ええと、好き嫌いがはっきり別れる食べ物というか」
「ああ、なるほど。そういうことか」
息を漏らすようにしながら笑うロディに出久が首を傾げると、そのまま説明してくれる。
「上司が日本食めちゃくちゃ好きでさ。俺にいままで日本食なに食べたかって聞いてきたから、思いつく限りを列挙したら、ナットウ食べてないのか! って」
お菓子売り場を通り抜け、スーパーの端の方へ向かう。出久の後を追って、しかししっかりと隣を歩き、ロディもついてくる。
このスーパーはヨーグルトやチーズ、そして納豆という発酵食品をまとめて陳列している。セカンドハウスを使うようになて初めてこのスーパーを訪れたとき、キムチを探すのに随分手間どったのを出久はふと思い出した。漬物売り場と分けて陳列されているというのはなかなかないと思うのだ。
「で、ナットウはすごいぞ。食べてみろって言うからさ。上司にそんなこと言われたら次会うときまでに食べとかなきゃ感想聞かれるだろ。ましてやこの話してから日本にいるの知ってるってェのに」
「なるほどね……それで納豆か……」
思わず出久は腕を組み、眉間に皺を寄せた。うーん、と唸ればロディが下唇を軽く尖らせ出久を見る。
「んだよ、なんかあるのか」
「うーん、まって判断しづらい」
出久はもう一度唸る。
気になるのは上司のロディへの納豆の勧め方だ。あえて「すごい」と表現したのは、裏の意図がある気がする。
納豆はさっきも言ったが好みが別れる日本食の代表格だ。しかも外国人からのウケは基本的によくない。
稀に納豆好きの外国人もいるようだが、出久自身は会ったことがなかった。知り合いの異国のヒーローたちはこぞって日本食の話になると、納豆は無理だという話をするほどで。
だから「すごい」という言葉をあえて選び、ネガティブ要素を隠してロディの反応を楽しみにしているのではないかと思うわけで。
「デクは納豆好きじゃないのか?」
わずかに眉を寄せたロディに出久は苦笑する。さきほど「そういうことか」と言ったロディも、きっと試されている節があるのは気付いているはずだ。それでも食べようとする意欲は消えていないわけで。そんな今から食べようとしている人間に対してわざわざマイナスの先入観を与える必要もないか、と出久は結論付けた。そもそも食の好みというのは、食べてみるまで誰にもわからないわけで。
「嫌いじゃないけど、ひとりのときにわざわざ買って食べるほどでもないかな。栄養がとてもあるから日本人は朝食によく食べるよ。僕の実家も朝食で出てくるし」
そんな会話をしている内にたどり着いた納豆の陳列棚。
出久は納豆の陳列棚の前に立ち、掌全体を使ってロディへ紹介してやる。
「これが納豆です」
「え、どれ?」
「ここにあるの全部」
「は? 種類多すぎねえか? 日本人、ナットウ大好きすぎるだろ」
ロディが元々大きい目を更に丸くして、はぁーと感嘆のため息をついた。言われてみて確かに、と初めての感覚を出久も抱く。陳列している商品がかなり多い。ここに並んでいるものだけでも十種類はあるわけで。
「ヒ・キ・ワ・リ……?」
「ああ、それは納豆の粒の大きさを表現しててね」
ひらがなもカタカナも、最近では漢字も読めるようになってきたロディだが、さすがにひきわりという言葉に馴染みはなかったらしい。カタコトで読み上げたロディは白い四角のパックのパッケージを真剣に見つめている。出久はそんなロディに丸い容器の透明フィルムの納豆を手にとり見せてやった。
「納豆は豆を発酵させたものなんだけど、その豆の大きさが商品によって違うんだ」
「ほーん……いろいろあるんだな……デクは実家で普段どれ食ってんの」
出久の説明に腰を軽くまげて納豆の中身を覗き込んでいたロディが再び商品棚を見やる。おお、見た目は問題ないのか。なら大丈夫かな、と思いつつ、出久は実家の食卓を思い出し、商品棚の中から三個でひとパックの四角い納豆を持ち上げる。
「僕の家はコレ。豆の大きさも味もスタンダード」
「じゃ、それ買おうぜ」
ロディの細い手が出久の持っていた納豆のパックを自然に取り上げ、出久の左手にある買い物カゴへ投入した。大きなカゴのなかにある納豆パックを出久は何とも言えない気持ちで見つめた。
さて、吉と出るか凶と出るか。
もし駄目だったときも、そのまま食べるのではなく納豆巻きにしたら食べやすいかもしれないなあ、と考え出久は一応海苔も買うことにした。ロディは食べ物を粗末には決してしないので。白米はレンジであたためるだけのものが、まだ残っているはずだ。
「なんで海苔?」
売り場を移動して乾物コーナーで味海苔のパックをカゴに入れる。その出久のとなりで不思議そうに聞いてくるロディに、誤魔化すようにしてちょっとね、と答えた。だましているような気に段々なってきて、でも確かに納豆に対するロディの反応は見たいかもしれない、なんて会ったことのないロディの上司の気持ちがわかって出久は内心でこっそり苦笑する。
「ロディ、納豆だけじゃ足りないからもうちょっと買おうよ。僕、今日は味が濃いもの食べたいな」
「いいな。焼きそば食おうぜ。あれ好き」
「ソース味っておいしいよね」
出久の言葉に素直にうなずいたロディは、行きなれたデリカコーナーへ足を自ら向けた。うん、焼きそばだったら口直しになりそうだ、と出久は胸を撫でおろした。大丈夫だったらいいなあ、と思いながら出久はポケットに両手を突っ込んでいるその背中を追いかけた。
出久が見つめるその背中の主は、数十分後、自身が開けた納豆の匂いと粘つきにドン引きしつつも、鼻をつまんで一気に納豆を口へかきこむことことになる。そして出久の考えていた通り、僕が食べようかと声をかける出久を拒み、どうにかして納豆を食べきるのだ。食事前に起きたピノはげっそりとしていて、食べ終わったときにはすっかり涙目だった。空になった納豆の入れ物を前にロディ本人も似たような表情をしていたので、出久はがんばったねと言いながら電子レンジであたためたばかりの焼きそばをロディに出してやった。
「日本食って幅広いな……」
焼きそばを食べ終え、しみじみとそう言い出久を笑わせたロディは、逆に日本食に興味をもち、それ以降、色々なものを食べ始めた。
そうしてロディはコンビニで購入した梅おにぎりを食べ、再び衝撃を受け、驚きつつもすっかり梅にハマることになるのだが、それはまた別の話だ。