うちのこ誕生日2021 ウルダハ、サファイアアベニュー国際市場。タタルからの指示で、冒険者ことク・ルス・ティアと二人連れ立って、買い物に勤しんでいた午後のこと。
「あ」
めずらしく間の抜けた声が、隣を歩くルスの口から漏れた。
どうしたのかとそちらを見遣れば、驚きに見開かれた目は次の瞬間、危機感も顕わにこちらを向く。
「ラハ! 避けて!」
「えっ何……!」
不意に強く肩を押されてよろける。どうにか踏み止まり、何事かと視線を上げれば、目の前を何かが華麗に舞った。
「この……すっとこどっこい‼」
耳慣れない罵声とともに繰り出されたドロップキックが、彼の胸板を直撃する。強力な一撃をまともに食らったルスはその場に倒れ込み、ゲホゲホと咳き込んだ。
「あ……あんた、いきなり何するんだ!」
見事なドロップキックをお見舞いした張本人、ミコッテ族の女性を問い詰めようとするも、倒れ込んだルスに手を引かれ制止される。どういうことかと目線で問えば、ひとつ頷いた彼は起き上がり、なんとか息を整えて隣に立った。
「いいんだ、ラハ。……久しぶり、姉さん」
……ねえさん? この、腰に手を当てて立つ気の強そうな女性が……彼の姉?
傍から見れば、白昼堂々暴力沙汰を起こしたようなもので、サファイアアベニューは常とは違う喧騒に包まれた。そんな中をそそくさと移動して、クイックサンドの隅の客席に腰を落ち着ける。ルスの姉だというミコッテの女性はというと、注文したクランペットに目を輝かせていた。
「えっと……。ラハ、紹介するね。俺の姉の――」
「ク・ロエです。よろしくね。それでキミは、ルスのお友達?」
クランペットを食べる合間、ルスの言葉を継いでク・ロエと名乗った女性は、金の髪に淡い紫色の瞳、小麦色の肌をしていた。彼とあまり似ていないのは、おそらく異母姉だからだろう。一夫多妻のサンシーカーにはよくあることだ。
「グ・ラハ・ティアだ。ルスとはその、仕事仲間……みたいなもので」
わざと言葉を濁した。暁の血盟なんて言ったところで一般市民に通じるかあやしいし、ましてや同性の恋人だなんて、明け透けに言えることではなかった。
「仕事仲間? それにしては、名前だけで呼び合うくらい仲が良いのね。それとも、都会だと氏族名なんて呼ばないものなのかしら」
「ね、姉さん。それで、今日はどうしたの。ウルダハに用事でも?」
そう問いかける声が、なんだか普段より気弱そうだ。先程のドロップキックといい、これはもしや、姉に頭が上がらないタイプなのだろうか。英雄だなんだと言っても、妙なところで人間くさくて、それがとても微笑ましい。
「何言ってるのよ。あなたが何年も連絡一つ寄越さないから、こうして会いに来たんじゃない。それにしても、ずいぶんと雰囲気が変わったわね。一瞬ルスだってわからなかったわ。そんなふうに前髪を上げてるってことは、もう目の事は気にしてないの?」
「姉さん、その話は……!」
目を気にしているなんて、そんな話は初耳だった。横目に彼を窺うと、気まずそうな顔をしている。
「あら、なんか余計なこと言っちゃった?」
「……いや、いいんだ。それより、俺はヌンにはならないって決めて里を出たんだから、気にしなくていいのに」
「それとこれとは別でしょ。ヌンにならなくたって家族だもの。みんな心配してるわよ」
ヌンにはならないという話も初めて聞いたが、なんとなくそんな気はしていた。世界に名だたる英雄だ。その気になれば女性の方が放っておかないだろうが、今の状況で家庭を築くなんて土台無理な話だし、なによりルス自身が、オレとともにいることを望んでくれている。
「それに今日はルスの誕生日でしょ? 直接おめでとうって言いたいじゃない」
「えっ、あんた今日誕生日なのか! おめでとう! なんで教えてくれなかったんだよ」
「ありがとう。……姉さんも、ラハも」
照れ笑いを浮かべるルスの表情はどこか複雑そうで、純粋な喜びだけではないような気がした。何か思うところでもあるのだろうか。
「はい、これ。里のみんなからのプレゼント。ルスの冒険が上手くいきますようにって」
差し出されたのは、色とりどりの糸と黄緑色の石が編み込まれた装飾品のようなもの。その口ぶりからして、お守りかなにかだろうか。
「すごい! ペリドットなんて、手に入れるの大変だったでしょ。ありがとう、大切にするね」
にこにこと微笑みながら、手の中の細工を眺めては、その向こうに家族の姿を思い浮かべているのだろう。オレに見せるのとはまた違った、懐かしさを滲ませた笑みは、とても穏やかで優しい眼差しだ。
「みんな元気にしてる?」
「元気元気! それにしても、ルスを探すの大変だったわぁ。冒険者ギルドに聞いてみても、みんな口を揃えてあの英雄のことかって。それはきっと人違いですって言っても、ほかにク・ルス・ティアって名前の冒険者はいないって言うのよ。あの泣き虫のルスがそんなわけないのにねぇ」
「そ、そうだね……」
思わず吹き出しそうになった。世界に名だたる英雄殿も、姉の手にかかれば、いつまでも泣き虫の弟になってしまうものか。当の本人はというと、否定するでもなく苦笑を浮かべている。
「さて、プレゼントも渡せたし、私は里へ帰るわ。そろそろチョコボキャリッジが出る時間だし」
「あ、そこまで送るよ。乗り合いのだよね?」
立ち上がり歩き出す二人に、黙ってついていく。初めはなんだか蚊帳の外で、まあそれも、久しぶりの姉弟の再会なら仕方ないかと思ってはいた。しかしルスの思いがけない一面を知れて、これはこれでなかなかに有意義な時間だった。
街の出口まで行くと、そこにはすでに乗り合いのチョコボキャリッジが到着していた。姉弟はどちらが運賃を支払うかで揉めていたが、結局ルスが支払うことで決着したようだ。
「じゃあね、姉さん。みんなにもありがとうって伝えて」
「まったく。みんな、それは本人の口から聞きたいと思うわよ」
「……うん。今はちょっと無理だけど、いつか必ず顔を見せに行くよ」
別れの挨拶を交わし、キャリッジに乗り込む姉に手を振りながら見せるルスの表情は、すこし寂しそうにも見える。
御者の指示に従ってチョコボが歩き出し、やがてその姿が見えなくなるまで、彼はずっと荒野の先を見つめていた。
「……よかったな。久しぶりに家族と会えて」
「うん。ごめんね、ラハ。ずっと二人でばっかり喋ってて」
「気にすんなって」
「買い物の途中だったね。行こう」
そう言って街へと戻ろうとする背中に、どうしても聞いてみたかった。ずっと引っかかっていた、どこか複雑そうだった表情の理由を。
「なあ、もしかしてさ。……誕生日を祝われるの、あんまり嬉しくないか?」
「……俺、また顔に出てた?」
「まあ、すこしだけな。あんた、昔よりずっと表情豊かになったから」
ノアの頃はとにかく無表情で、何を考えているかさっぱり判らないようなやつだった。だけど第一世界で再会したときには、随分いろんな表情を見せるようになっていた。本人にとっては一長一短のようだったが、人間らしさの表れのようで、オレはそれが嬉しい。
「今日は、俺の母親の命日なんだ」
「……それって」
「うん。俺を産んだときに亡くなったんだ。だからある程度の歳になって、それがどういうことか理解できるようになったら……素直に喜んでいいのか、わからなくなって」
言葉にも表情にも、悲しさは感じられなかった。ただただその事実に戸惑っている、そんな雰囲気だ。
「目を気にしてたって、姉さんが言ってたでしょ。俺は母親に似たらしくて、こんな色の目をしてるのは氏族のなかでも俺だけなんだ。だから子供の頃は、勝手に疎外感を感じて、一人で泣いたりしてた。べつに、それで仲間外れにされたりした訳じゃないんだけどね」
「そっか……それで泣き虫ってわけか」
「うん。でも、今は本当に気にしてないんだ。冒険者になって、いろんな人と出会って、みんなそれぞれ違うんだってわかったから」
前髪を後ろに流し目元を顕わにした今の髪型からしても、本当に気にしていないんだろう。物事の見方ひとつで、人の考え方も大きく変わるものだ。
「……それにね、家族と離れてみたからわかったのかな。今日、姉さんやラハにおめでとうって言ってもらえて、嬉しいって思ったんだ。やっぱり母親のことは考えてしまったけど、それでも……久しぶりに、嬉しいって、生まれてきてよかったって思えたんだよ」
手の中には、ペリドットを編み込んだ飾り細工。磨かれてもいない、切り出した原石をそのまま使った素朴なそれには、きっと冒険の無事を願う家族の愛情が詰まっているんだ。
「オレも、あんたが生まれてきてくれて嬉しいよ。……来年は、今みたいな顔を家族に見せられるといいな」
願いが込められた、黄緑色の石。それを見つめるルスの顔は、とても晴れやかな表情をしていた。