チョコレートのお話「ねー虎杖、あんたバレンタインどうすんの」
「どう、とは?」
「作んないの?」
「えーと。普通、バレンタインってのは男がもらうほうなんじゃないんですかね釘崎サン……?」
座学は自習。
とはいえ高専にも一応は実力試験なるものが存在する。呪術に関する勉強が大半だが、大学に進学することもあるから、いわゆる一般高校の普通科に属する勉強も必要なのだ。
恵は一通りの勉強が出来る。野薔薇も得意ではないが平均よりは上、悠仁は勘で生き抜いてきた部分があるからついていくのがやっとだ。恵から借りたノートを眺めながら、隣で同じくシャーペンを走らせる野薔薇の問いは、だから少々現実的ではなかった。
「私はもちろん真希さんに渡すんだけど」
「うん、知ってる」
「あんたなんかつくんないのかなって」
「それは暗につくれっつーことですかネ」
「五条先生甘いもの好きじゃん。作ってあげないの?」
「そう思うならおまえが作れよ」
「やぁよ」
「……」
手を止めて、悠仁はため息をつく。
つまり野薔薇は、悠仁が悟に作るならついでに寄越せ、と言いたいらしい。
なんとも横暴な同級生だ。
「全然考えてなかったなー、期待もしてなかったけど……」
「なんだ、用意してないんだ?」
「もらえる相手もいないしな……おまえが真希さんに渡すん買ってんのは知ってるし、義理の期待はしてなかねえけど。去年どうだったんだろ」
「去年はね、真希さんの一人勝ちだったって」
「なんだそれ」
「狗巻先輩と乙骨先輩、二人で真希さんに渡したって」
「逆ハーかよ!」
羨ましすぎる。
思わず口をついてしまう。確かに真希は渡すよりもらうほうだろう、普通校にいたら確実にお姉さまと呼ばれて男子を凌駕する人気を博していたはずだ。
「狗巻先輩は今年も渡すって。私にもくれるんだって、楽しみ」
「あの人もマメだよな……うーん、チョコ系のはあんまレパートリーないんだよな」
「何かできんの?」
「チョコクッキーとかでもいい?」
「もちろん!期待してるわ!」
「……へーい」
午後は材料買いに行くかぁ、と。
悠仁はレシピを検索しながら、調理室にある設備を確認しようと立ち上がった。
ーーー
「うっし、イタドリクッキングはじめまぁす」
「なにやってんだ虎杖」
「おかえり伏黒。……釘崎の頼まれもん」
「あん?」
「バレンタインだからなんかつくれって」
「あいつ真希さんに渡すんじゃないのか?」
「それは別にあんだって」
「横暴だろ」
恵はなんとなく事情を察した様子で調理室をのぞき込む。
テーブルにはホットケーキミックスと卵、板チョコにココア、それに砂糖にバターという定番の製菓材料のみだ。
「何作るんだ?」
「普通にチョコクッキー。うまくできたら五条先生にもあげよっかなーって思ってさ。伏黒、ヒマだったら手伝ってくんね?」
「いいぞ」
「助かる」
「五条先生も喜ぶだろ、あの人、おまえからもらえるのかなって超絶そわそわしてたから」
「……俺から?」
「おまえ、渡すつもりなかったろ」
「うん、ぜんぜん」
「つき合って初めてのバレンタインなんだよおー、って惚気を年始からずっと聞かされてる」
「マジでゴメン」
本気で土下座をしたくなるほどの羞恥心に嘖まれ、悠仁はくらくらする。
つき合い始めたのは、二ヶ月ほど前だ。悟の誕生日の前日に告白して、キスをした、まだそれだけの関係だ。悠仁の年齢のこともあり、つき合うことはともかくとしてそれ以上はまだゆっくりね、と言われている。甘い関係にはほど遠いと思っていたのに。
「言ってくれりゃよかったのに」
「いや……あの人が絶望するのも興味があったんだ」
「言って!?」
「すまん」
チョコレート欲しいな、なんてひとことだって悟は言わなかった。今さらながら、野薔薇が言ってくれてよかったと思う。当日に何ももらえないと気付いたときの悟の表情は思い浮かべるだけで…………確かに愉快かもしれないが。
「で、どうすんだ、これ」
「えーとね、そっちのボウルのはもうできてんだ。天板にクッキングシート敷いてるから、だいたい二十等分くらいに丸めて置いてって」
「簡単だな」
「そうなんだよ。天板あっから、一気に焼いちまおうかなーって。二回回せば結構な量できるだろ」
「いいんじゃねぇか」
「伏黒も食うよな?」
「ああ、遠慮なく」
オーブンに余熱をいれ、簡単なクッキーを焼く。
待ち時間に残ったホットケーキミックスでホットケーキを仕上げ、ココアを振りかけて出すと「おまえほんっとに器用だよな……」とアイスコーヒーにミルクを投入した恵に呆れられた。
ーーーー
チョコクッキーは好評だった。
どうせならかわいくラッピングしようと、野薔薇の提案でファンシーなワックスペーパーに包んでリボンシールを貼る。7枚をひとまとめにしてバレンタイン用にし、寮生全員とお世話になっている補助監督へ。味見をした分をのぞいてもたっぷりあったので、スーパーで見かけたかわいらしいラッピングボックスに詰め込んだ。
「五条先生、お帰り!」
「あれ悠仁、来てたの」
「うん。……バレンタインだろ、だからさ」
「え、くれるの!」
「チョコクッキーだけどね、……食べる?」
「食べるよもちろん!」
夜の八時。
悠仁は悟の部屋にいた。高専の敷地内に住んでいる悟の部屋の合い鍵は、悠仁と恵、それに棘と憂太が持っている。女子に渡さないのは色々な事情を兼ねているらしいが、そもそも悠仁と付き合い始めているのだから事情もへったくれもないといえばない。
リビングに置かれたクラシックなウッドテーブルの上に、クッキーの箱が鎮座している。悟は疲れた表情のまま、黒の目隠しをふわりと外した。
「悠仁、僕、ミルクティ飲みたい」
「オッケー。着替えるかシャワーかどっちかしてきて」
「シャワーしてくる」
「はーい」
バスルームに消えた悟を見送って、悠仁はキッチンに立った。
ミルクパンに湯を沸かし、茶葉をいれて数分、ミルクを足して煮出し、茶濃しでマグカップにうつす一連の手順は真希に教わった。いざとなりゃペットボトル温めりゃいいんだよ、と豪語する彼女の手際はとても良くて、感謝だ。
悠仁と悟のマグカップは、空色とオレンジ色のペアマグだ。悠仁は空色のマグカップにグラニュー糖を三杯いれて、出来たミルクティをゆっくり注いで掻き混ぜる。
「あま……まじであまいよこれ……」
恐怖さえ覚える糖分の多さ。
無下限呪術で脳が疲労するから砂糖が必要と悟は言うが、それにしてもすべての糖分が脳に行くとはあまり考えづらいことでもある。けれど悟の体重はあまり変化がなく、鍛えているから肉質も良い。
「やっぱ全部吸収されてんのかな」
「何の話?」
「うわびっくりした!……砂糖いれすぎたかなって」
「ああ、大丈夫だよ。ありがと!」
「うん」
楽しみだなー、と悟は水色のマグを持ってソファーに向かう。
ミルクパンを軽く洗って、悠仁は自分のマグを手にした。
「開けていい?」
「いいよ」
「うわ、ほんとにチョコクッキーだ。……悠仁、もしかしてこれ、手作り?」
「そうだよ。ホットケーキミックスのすげー簡単なやつね」
「食べていい?」
「いいよ、全部五条先生のためのだから」
「食べさせて?」
「そういうの恥ずいから自分で食って」
「つれない……!」
言えば、悟は仰々しく顔をゆがめつつ、一枚を摘んだ。ぱくりと口に運んで、ぱあっと目を輝かせる。
「おいしい」
「良かった、えっとね、俺の愛情はいってるの」
「……!」
ぎゅん、とこちらを向いた悟の眼差しが色を帯びる。
咀嚼し、飲み込んだ喉は白い。ちゃんと噛んだろうかと不安になるが、悟は二枚目を早速手にして、もしゃり、と頬張った。
「先生、無理してくわんでよ、喉に詰まるよ」
「ふぁいひょうぶ」
「味わって食ってほしい、俺的には」
「!」
たいした手間はかけていないが、一気に飲み込まれるのもなんだかもったいない。言えば悟の手が止まるのだから面白い。悠仁は悟の隣に座ると、ミルクティをすすった。
「つってもほんと、混ぜて焼いただけだけどね。手作りのチョコレートってさ、すげーよな。練ってる工程に呪いはいってんのかなって思うもん」
「……そうだろうね」
「先生あんま手作り品とか食わんでしょ」
「うん。……悠仁のは平気だよ」
「俺だって毒いれるかもしらんよ?」
「……そのときは潔くやられるよ」
「重ッ!」
悟は本気の表情を浮かべる。
悠仁はクッキーをひとつ摘んだ。
まあ、……せっかくだし。
「……はい、あーん」
「いいの?」
「恥ずい、早く食って」
「理不尽だなあ……ん、」
鼻先に突き出せば、悟が目を見開く。大きく口を開くから、うまく載せてやる。餌付けってこんなんだよな、と笑ってしまう。
「ありがと悠仁」
「バレンタインだからね。普通のクッキーよりチョコでしょ」
「……普通のクッキーも焼けるの?」
「ココアとチョコレート抜いたらいいだけだよ、手間はこっちのがかかってるけど」
「悠仁って器用だね……」
「良く言われる。あ、ホワイトデーは俺、肉でいいからね!」
「……ええ?」
「焼き肉。連れてってよ……だめ?」
「いいよ」
「やった!」
倍どころではない返しになるが、クッキーの詰め合わせより肉の方が悠仁にはありがたい。どのみち翌週は誕生日だし、まとめて食べさせてもらえたらラッキーだ。
「ビフテキ食いたい!」
「それでいいの、ほんとに?」
「うん。誕生日とまとめてでいーからさ、いい肉食べたい!」
「そっか、……誕生日もあるんだよね」
「そう」
悠仁はマグカップをテーブルに置く。
もういちまい、とクッキーをとって、悟の口元に乗せる。
「はい、あーんして先生」
「あーん」
「ん、……んー」
「!」
クッキーをぱくり、としたその唇に、素早くキスをする。
悟の目が大きく見開かれ、瞬きが、三度。
「へへ、うばーっちゃった」
に、と笑えば悟の目がぐるぐるまわる。
ごくり、とクッキーを飲み込んだ悟は、マグカップを落とさないように置くと、はぁ、と深々とため息をついた。
「悠仁、僕の理性、試して楽しい?」
「………………うん」
「帰さないよ?」
「帰るよ、寮の門限十時だもん、」
「…………っ!」
でもまだ三十分あるけど?なんて。
小悪魔っぽく言ってやる。
「帰りたくなくしたげるよ」
「……それはずっと思ってる」
「…………もおおおお」
僕の負け、と抱きしめた鼓膜に囁かれて。
悠仁はへへへ、と笑って悟の背中に腕を回した。
ハッピーバレンタイン。
2022/2/14五悠