それはひどく穏やかで■ある日
放課後の長い日差しの差し込む図書館で、トレイはジェイドと肩を並べて課題に取り組んでいた。
学年が違えど課題は出るもので多忙の中でもやらないわけには行かず、またイマジネーションを求められる事の多い教科では自分以外の良い思考は刺激になる。寮や食堂では邪魔をされることも多いし、植物園ではそれぞれが気になる事が多すぎるが図書館ではそこまでではない。そんな理由をつけて二人はよくこうして図書館で放課後の時間を過ごしていた。
お互いのブレザー越しの体温は少し遠く、ここちよい。もともとそれぞれが没頭しやすい性質であるし、副寮長という立場からも成績は落とせないから、こうして並んでいる時は中々不埒な気分にはならなかった。
それがいいことのような、寂しいことのような複雑な色を心に落とすこともあるけれど、自分たちにはきっとちょうどいいのだとトレイはペンを走らせる。長い日差しは空気中を漂う埃や、書籍を傷めないようにと掛けられた調光の魔法で酷く柔らかだ。
トレイの右手側に座ったジェイドが静かな仕草でページを捲る。いつものように革手袋に包まれた淑やかに見える手は、今日も元気に契約不履行者を追い詰めていたが、全くそんなふうには見えなかった。
トレイはしばらく視線を奪われてしまっていたことに気がついて、再び自分のノートに意識を向ける。クルーウェルから与えられた課題は今回も教科書や補足として配られたプリントだけで事足りるような、そんな課題では無いようだ。
トレイは暫く自身のノートに書かれたクルーウェルの発言メモなども遡っていたが、どうしても思い至れない。もう一手、あと一息が足りず、思考がぐるぐるとその場で足踏みを始めている感覚に胸の内でため息をついた。
どうしたものかと思ったその時、隣のジェイドが身じろぎをする。ひとふさ長いメッシュを耳にかけ、触れたピアスがキラキラと音を立てて柔らかな光をささやかに反射した。
トレイのアンバー色の瞳を輝かせたその中の一つにヒントを見出して、もう一度思考の海に沈む。そうだ、あの本ならと思い至り書架に向かおうと脚に意識を向けて。ようやく気づいた。
先程までテキストに添えられていたジェイドの手が、ふらりとテーブルの下に下されている。丁寧な所作を心がけているジェイドがこのようなことをするのは滅多にない。不自然なほどにこちらに視線を向けないジェイドのその左手をトレイは左手で掬い取り、少し悩んでから勇気を持ってその顔に右手で触れた。
まだ数えるほどしか触れたことのないジェイドの顔は、トレイを見ると何故か少しだけ幼い表情を浮かべて驚いてから、はにかむように躊躇いがちに微笑んだ。
きらきらと静かに舞う埃と柔らかな長い日差し、たまにそれを遮るように本が漂い。
その影に隠れるようにして触れるようなキスをした。
初めてのキスだった。