えご誕的なヤツ バラム・シチロウとナベリウス・カルエゴはなんとも言えない表情でお互いを見つめ合っていた。
言葉を発さずただ見つめ合い、緊張感漂うその様子はまるで柔道試合のように見える。どちらが先に手を出すのか、奥襟を取った方がこの試合を有利に運ぶ事ができる。僅かな肩の動きすら見逃す事ができない状況である。審判がいれば二人に注意が入るところだが、もちろん審判は不在である。
先に動いたのはカルエゴだった。電光石灰の如く相手の肩を掴み掛かろうとした刹那、シチロウも応戦に入る。相手が奥襟を取ろうと伸ばしたその手を払いカウンターで襟に向けて手を伸ばしたが、それをカルエゴは予見していたのか、軽く身を退いて躱す。
「……」
「……」
両手を構え、二人ともじりじりと距離を詰め、次の一手を考えていた。
なぜ、このような状況なのか。
***
事の始まりは二時間ほど前になる。
シチロウの部屋で夕食後の茶を飲んでいた時に一週間後までに迫ったカルエゴの誕生日について、シチロウが質問をした事だった。
2月14日はカルエゴの誕生日である。それは重々承知していたシチロウだったが、研究事例の論文作成、授業に時間を割かれてしまい誕生日プレゼントを買いに行く時間がなかなか取れずにいた。シチロウとしてはサプライズで贈りたいと思いもしたが、自分が先走ってしまうと相手の気持ちを蔑ろにしかねないと躊躇ってしまい、時間を余計に費やした形となってしまった。
悶々と考えても仕方ないと、夕食後にカルエゴに尋ねたのだった。
「来週は君の誕生日でしょ? 何か欲しいものはある?」
突然の問いにカルエゴは僅かに驚いた表情を見せたが、シチロウの事だ。考え抜いた結果、自分に質問をしているのだろうと思い至る。
それよりも研究事例の論文もあり、授業も行っている多忙な中で、自分の事について時間を割くその気持ちが嬉しく思った。
「特にはない。その気持ちで十分だ」
「せっかくの誕生日なのに…それは…」
自分の回答に目に見えて肩を落とすシチロウを見て、ふ、と笑う。
「強いていうなら、お前かな」
「え?」
「お前が欲しい…と言ったら、お前はどうする?」
カルエゴの言葉にシチロウが驚く番である。
「僕たち付き合ってるでしょ?」
「そうだ…だから…」
「…それって……」
「…お…俺に全部言わせるのか?」
目元を赤く染めながら言うカルエゴにシチロウも色めく。
二人が付き合って、かれこれ半年は経過していたが、キス(意外と濃厚)をする事や、抱き合って寝る事があっても、体を重ねる─いわば体の関係を二人は持つことない清い付き合いをしていたのだ。
もちろん、二人とも手を出そうとした機会がなかった訳ではないが、なんだかんだで厄介事が舞い込み、なぁなぁになってしまう事ばかりであった。
結果、清い関係を続けた弊害として二人とも感覚がマヒしてしまったのである。
その為、シチロウは
─もしかして、ナベリウス家では口腔内に舌を入れるキスは性交と同じ意味なのかも知れない─
と思い至る事になり、カルエゴについては、
─バラム家はセックスをするにはベッドを木の枝で埋め尽くさないと、今夜は行うという意味ではないのかも知れない─
と思っていた。
故にシチロウはキスの技術を向上させるべく色々と調べ、カルエゴは二人で寝ても柔らかい木の枝を探し求めていた。
まさに、清い付き合いが招いた悲劇である。
「カルエゴ君…キス以上の事をしても…??」
「な…何をいきなり!…当たり前だ…」
「それなら、来週と言わず…今からでもっ!」
「シチロウ…!」
こうして二人はなだれ込むようにして寝室に向かったのだった。
甘く濡れた空気が二人に纏い、お互いを隔てるすべてが邪魔と言わんばかりに服を脱がせていく。
時折、交わる視線は互いが求めていたものを逃さないとばかりの捕食者の色を湛え、誘うように、そして極上の獲物を見定めていた。
溺れるかもしれないと思われるキスの合間に違和感に気付いたのはシチロウである。
厚く抱擁力のある胸をカルエゴの手が弄り、胸から腹へ手が移動していく過程で、それをやんわりと制した。そしてシチロウがカルエゴの形の良い臍へキスを落とし、そのまま下へ移動しスラックスのボタンに手を掛けた所でやんわりと制された。
この時、二人は一つの壁にぶち当たったのである。
─どっちがどっちだ? ─
しかし、大量に石炭をくべられた機関車は急に止まる事はできないのである。
─行くしかない! ─
二人は互いが抱く気概で愛撫をしていたが、もはや愛撫といえるものではなく、攻防戦へと様相を変えるのに時間はかからなかった。
そして、冒頭の試合が開催されたのである。
睨み合いが続き、互いが手を出すと躱され、油断をするとカウンターが飛んでくる。
そのカウンターをかいくぐり、さらに手を出すのは至難に業である。フェイントも織り交ぜながらの心理戦もあり、違った意味で熱い時間を過ごしていた。
「…さ…さすがカルエゴ君…」
「…お前もな…」
「…待って、カルエゴ君、これってどういう状況?」
「……」
半裸の成人男性が寝室で体術を繰り出している図である事にようやく気付く。
そもそも自分たちは何をしていたのか? ナニをしたかったのではないと思いだしたのである。
「シチロウ……俺たちは一つになれないのか」
「いやいや、そうじゃないでしょ。根本的な事を僕たちは忘れてるんだよ」
悲観的に言うカルエゴにシチロウがあやすように言葉を掛ける。
「根本……」
「えっと、ごめんね、まず、カルエゴ君は…その…どっちがいい?抱くのと、抱かれるの」
雰囲気で持ち込むのは無理と分かったため、シチロウが思い切って相手に問いかけた。
二人は同性同士というは初めてである。
「…俺は…」
カルエゴがしばらく考え込んでしまう様子にシチロウがベッドに腰かけ、隣に座るように促させば、大人しく腰を下ろす。
「僕はね、君が大事だし、守りたいと思っているんだ」
「それは、俺も同じだ」
「うん、だからね…今日はがっついてしまったけど、君を抱きたいとも思っているんだ。でも、カルエゴ君が嫌なら色々と考えなければならないかなって…」
「ど…どういう…」
「別れるとかそんな物騒な話じゃないよ? 体を重ねるのにやっぱり相手を尊重したいんだよね」
シチロウの言葉にカルエゴが色々と想いを巡らす。
そもそも付き合いを始めたきっかけが、カルエゴの抑えきれない自分の気持ちを相手にぶつけた事にあり、色々あったがそれを受けたシチロウが、再度告白をした形となっている。
そんな経緯もあり、カルエゴは相手に自分は甘えてばかりではなかっただろうか? 相手の優しさの上に胡坐をかいているだけでは? と思う事があった。自分が相手の事を想う気持ちは相手と同等、いや、それ以上とも思っていたが、どうしても相手がストレートに気持ちを表現してくるので、どうしても自分からは口にする事が少なくなってしまう。そんな気がしてならなかった。
「…いや、大丈夫だ…。シチロウ、少し時間をくれるか?」
「え?」
「今日は…もう…あれだしな…」
「そうだね…ごめん、カルエゴ君」
「いや、こちらこそすまない」
シチロウの剥き出し牙にキスをすると、くすぐったそうに笑う。
「俺は明日の準備もあるから部屋に戻る」
「そうなの?」
「ああ、来週を楽しみにしている。今日は本当にすまない」
そう言ってカルエゴは身支度を整えシチロウの部屋を後にする。
─安心しろ、シチロウ。俺はお前に似合う男になるべく知識を得るぞ…!─
固い決意を胸にカルエゴはすっかり暗くなった空に羽を広げたのだった。
***
あれから一週間後、その後学園での仕事もあり、なかなか二人で会う事がままならないまま二月一四日を迎えた。
シチロウは忙しくしているからと、デリバリーではあるが少し豪勢な夕食を用意すると言っていた。
カルエゴにとっては夕食の質など瑣末な事であった。もはや自分の誕生日などどうでもよくなっていたのだ。
シチロウの部屋に入ると満面の笑みで迎え入れてくれた。テーブルにはカルエゴの好きな酒も用意されており彼が忙しい時間を縫って用意してくれたその気持ちが本当に嬉しかった。何日も徹夜を続け、一睡もせずに授業に出ていた事も知っているからこそ、自分の想いを告げずにはいられなかった。
「カルエゴ君、誕生日おめでとう」
「…シチロウ…ありがとう」
相手の胸の顔を埋めるように抱き付き、礼を述べると相手もまた軽く抱きしめ返す。が、その時の反応がいつもと違う事にシチロウが気付いた。
いつもならすぐ離れて食事を、となるのに、いつまでたっても離れようとしないカルエゴに、どうしたの? と声を掛ける。
背中をさすると小さく跳ねるような様子にはっとする。
「か…カルエゴ君?」
「…シチロウ、今日は何の日か知っているか?」
「な、なんの日ってカルエゴ君の誕生日…」
「だけじゃないぞ」
「え?」
「…す…好きな相手に気持ちを伝える日とも…」
「ええ?」
「だから…その…じ…準備を…」
「えええ?!」
突拍子のない相手の言葉にシチロウが思わず大声を上げる。
「い…いきなり?」
「…うむ…」
「なんの?!」
「ナニの!」
半ばやけになって言うカルエゴが愛おしくなってシチロウが抱きしめる。
「だって、いいの?」
「いいんだ」
「ご、ご飯は?」
「後でいいだろ」
「んもう、堪らないなぁ…君は…」
呆れたような、嬉しいような声で言う相手の目は猛禽類が獲物を狙うそれになっている事に気付くとカルエゴが舌で相手の唇を舐める。
「プレゼントは、明日一緒に買いに行こうね」
「あぁ」
「どうなっても知らないよ?」
「望む所だ」
そう言ってカルエゴの腰を抱きながら寝室へと向かう。
「誕生日おめでとう。そして気持ちをありがとう」
「俺の気持ちをちゃんと受け取れよ」
もちろん! 余すことなく、と答えるシチロウが寝室の扉を閉めたのだった。