……その音は、とても心地よくて。
清冽で、包み込むようにやわらかい旋律が、自分の音と重なり溶け合う瞬間が、とても好きだった。
どこまでもストイックに音楽に向き合う彼の音が変わったのは、ほんの些細なことがきっかけだった。
若年ながら、すでに第一線で活躍するチェリストである彼と知り合い、デュオを組み、公私共にパートナーとして暮らし始めてから、ちょうど一年。
その日はアルバイト先のバーでのマジックショーが大盛況で、上機嫌で帰宅した。
自然、口数が多くなるこちらの話を、煩がるでもなく。あ"ぁ、と相槌を打ちながら彼は聞いてくれていた。
「 それでね、店のお客さんに、大学でチェロを専攻してる人がいて。……チェロは大きさとフォルムがちょうど、こいびとを抱き抱えてるみたいで、演奏中にきもちよくなっちゃうことがあるんだって聞いたの」
「 ほーん」
そう返して、彼は視線を上げると手招きをした。招かれるまま側に寄ると、ぐい、と腰を引き寄せられて。
脚の間に斜めに腰掛けるかたちで、固定された。肩にもたれかかるように首を支えられ、もう片方の手が腰に回される。
「 千空ちゃん?」
呼びかけに応じて、指先が、調弦するように、耳元をくすぐった。
……ああ、この位置はG(ゲー)線だ。
ということは、今現在、自分はチェロに見立てられているらしい。
腰に回された手は、弓を構えるカタチで。
そのまま、腹部を滑っていく。
「 ……んッ、……ぁ…… 」
顔が、とても近くて。……彼のチェロはこんな位置で彼の顔を見ているのだ、となんだか不可思議な気持ちになった。
「 ……ふ……ぁあ…… 」
呼吸を感じる距離と、触れる感触に。
知らず、身体が敏感になっていく。
……まるで、彼に奏でられる楽器になったようだ。きっちり一フレーズぶん奏でたあと、彼は首を支えてこちらの身体を浮かせ、膝に座らせた。
そして、そのまま抱き寄せてくちびるを重ねる。
「 ……なるほどな。参考になった」
そう言って、あたまをなでてから、耳元で囁いた。
「 ……そうだ、知ってっか?……チェロは、人間の……特に男の声に、一番近ぇ楽器なんだぜ?」
そんな、思わせぶりな言葉の翌日のコンサート。……彼の演奏は素晴らしかった。
いつものストイックさに加えて、なんとも言えない艶があって。
そして。
千空の弓がG線上をすべるたび、熱っぽく耳元で囁かれているような錯覚を覚える。
まさに、それは昨夜聴かされたとおり、彼の『声』だった。
こんな声を、この距離でこれからも聴いてしまったら。……そう考えるとゾクゾクした。
どうにか演奏を終えて。
ステージのあと、千空にしばらくデュオを休止したい旨を申し出た。
「 あ"ぁ?……どういうこった?」
「 ……だって……ステージの上であんな声で囁かれたら……俺……イッちゃう…… 」
千空は怪訝そうに眉を顰めたあと、ぐいっとゲンの手を引いて。
抱きしめながら、耳元で問いかける。
「 ほーん。……俺の声が、そんなに良かったかよ?」
「 ……ッ、ちょ……、せんく、ちゃ…… 」
戸惑うゲンの耳に軽くくちづけて、低く艶のある声でわらうと、吐息まじりに囁いた。
「 ……じゃあ、俺の声でイっちまえよ」
「 ─────……ッ !」
その声に、たまらなくなって。
ぎゅっと千空にしがみついた。ぴくぴくと細かく身体が痙攣して、直後に倦怠感が襲ってくる。
崩れかけた肢体を抱きとめて、額にくちびるを落とすと、千空はまたわらった。
「 ……俺の声に一番近ぇ楽器はコイツだが、俺の手で一番いい音を奏でる楽器はテメーだ、ばーか」
……誰が離すかよ。
剣呑な顔でそう告げられて、愛器を抱えるのと同じ仕草で抱きしめられて。
……あとはもう。
耳に心地よい、彼の音に溺れた。