「 ……従姉妹の私の口から言うのも何だが、千空、君はいい男だと思うぞ。ただ、いかんせん合理的すぎるきらいがあるし、ぶっきらぼうなところはもう少し…… 」
ある日、いきなりアパートを訪ねてきた従姉妹にそんなふうに捲し立てられて、わけがわからず眉を顰めた。
「 あ"ぁ?……いきなり訪ねてきてなんだっつーんだ、薮から棒に」
「 いいから。……とりあえず、ここに先日リニューアルオープンしたばかりの水族館兼プラネタリウムの入場チケットがある。
ゲンを誘って行ってこい!」
「 はあ!?」
「 健闘を祈るぞ!ではな!」
それだけ言い残すと、コハクは千空の手にチケットを押し付け、アパートをあとにした。
……つまり、何だ。
ゲンをデートに誘えと、そう言うことなのだろう。……デート。
ゲンがここに来たのは、半年ほど前の話だ。クロムに電話をかけたはずが、お助け女神事務所なる胡散臭い会社につながって。
そこから派遣されてきたのが一級神、非限定の能力を持つ、浅霧幻と名乗る男だった。
すでにその力の端々は目にしているから、ペテンだとかそういった認識はないのだが、それゆえにその能力の正体や仕組みが、彼を取り巻く謎が気になって。
ただ一つ、何でも願いを叶えてくれるとのたまったその男に、自分のそばに残って能力を研究させてほしいと願った。
願いの力は絶大で。
強制力により、千空の側から離れられなくなってしまったゲンは、今も同じアパートに暮らしている。
当初は唆る研究対象というだけだったゲンとの暮らしは、存外に快適で。
謎を解き明かしたいという欲求以外の部分でも、そばにいたいと思っている自分に、最近になって気づいた。
そばにいたい。声を聴きたい。
笑わせてやりたい。……いつでも、そばで一番最初に自分の研究成果を見てほしい。
その時の、きらきらした表情をずっと見ていたい。
「 ……あ"〜、なるほど。コレが世に言うレンアイカンジョウってヤツか 」
気がつくと、意外とあっさり腑に落ちた。
いつか自分も宇宙に行くのだと、そのための知識や経験の習得に余念がなかったため、今まで面倒にしか感じていなかった、非合理的な感情。
そんなものが、一応自分の中にもあったらしいと気づいた瞬間から、ほんの少し。
自身を取り巻く世界が色を変えた気がした。
電気が。……科学の灯りが、初めて夜を照らした時、きっとこんな風だったのだろう。
などと柄にもないことを考えてしまう。
数ヶ月前の自分が見たら冷笑モノだ。
そう心の中でひとりごちて、苦笑した。
さて、それはそうとしてどう言ってゲンを誘ったものか。
ソファにどっかり腰を下ろしてチケットを眺めていると、ふいに背後から声をかけられた。
「 あれっ?それってもしかして、こないだオープンした水族館⁉︎ 」
肩越しに覗き込むようにして、ゲンは声を弾ませる。ひょっとして、これは。
「 ……行きてぇのか?」
問いかけると、きらきらと夜空の色の瞳がこちらを見つめてきた。……ああ、星でいっぱいだとなんだかほほえましく、そしていとおしくなる。
「 んじゃ、一緒に行くか」
「 えっ、いいの⁉︎ ジーマーで⁉︎ 」
きらきら、きらきら。眩しいくらいだ。
出会った頃から、コイツ自身は何も変わっていないはずなのに。
……なるほど。これは親友を笑えない。
ふ、と口元にシニカルな笑みを刷いて、頷きを返した。
……ゲンは本当にうれしそうに、満面の笑みを見せてくれた。
そうして迎えた週末。
知人の整備工場に預けていたサイドカー付きのバイクに乗って、ふたりで水族館に向かった。正面から吹き付けてくる風の心地よさに目を細めていると、ふっと隣から花のような香りが漂って。なんだか柄にもなくドキドキしてしまう。
「 風が気持ちいいね、千空ちゃん♬」
視線を動かした先に、満面の笑顔があって。
一際大きく跳ねた心音を誤魔化すように、バイクを走らせた。
新しく出来たその水族館は、海に面した景観の良い場所にあった。
水族館の外観はやや特殊で、シュモクザメのような形をしている。
海と接するほどに外部にせり出した広い野外プールは、どうやらイルカのプールらしかった。ショーの時間ともなれば、きっとイルカの華麗な芸が客を湧かせるのだろう。
二階建ての屋内は、壁面全てが……連絡通路のアーチまで一面が水槽になっていた。
広々とした館内には太平洋、深海、淡水それぞれの海洋生物、クラゲ、水遊ゾーン、イルカのプール、海洋生物をモチーフにしたアートギャラリーにフードコート、ミュージアムショップ。
隣接する植物園までの通路壁面も水槽だ。
「 うわあ、ゴイスー!!!」
隣のゲンは夜空の色の目にキラキラと星を浮かべて水槽を眺めている。
どの区画でも、ゲンが前を通りかかると、魚たちが一斉にゲンのそばに集まってきて。
ゲンはそれに笑顔でひらひらと手を振っていた。……なるほど。
あらゆる生き物に慕われる、これがいわゆる神性というものなのだろう。
「 みんなかわいいね、千空ちゃん♬」
テメーがな。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んで。
広い館内をあちこち見て回った。
くるくるとせわしなく表情を変えるゲンから目を離せなくて、海洋生物の解説をしながらも、結局肝心の水槽の中身はほとんど見ていなかった。
ひと通り周ったあと、フードコートでひと息つくことにした。
「 クラゲキレイだったし、イルカ可愛かったし、ジーマーでバイヤー……誘ってくれてありがとね、千空ちゃん」
上機嫌でハンバーガーを頬張るゲンに、ふっと笑って。
手を伸ばすと、掠めるように頬に触れる。
「 ほっぺたついてんぞ」
パンくずをつまみ上げて、そのまま口に入れた。ゲンは目を白黒させながら、一拍置いて真っ赤になった。
そこでようやく自分の行動と、『デート』と言う言葉が思い出されて。
所在なく手を動かしたあと、動揺を隠すようにコーヒーをあおる。
こちらの反応を見てゲンはキョトンと目を見開いたあと、ふんわりとわらった。
「 ……すっかり遅くなっちまったな」
すでにうっすら藍色の帳に覆われ始めた空を見上げて言うと、隣から白い花のような微笑みが返される。
「 でも、今日はゴイスー楽しかったよ♬ごはんも美味しかったし」
「 そりゃよかった」
それに笑い返して、ふたりで並んで海を眺めていた。辺りはすっかりひと気がなくなっていて、寄せては返す波の音が、静かで耳に心地いい。
「 寒くねぇか?」
そう言ってマフラーを首にかけた瞬間、ふいの突風が吹いて、マフラーを攫っていく。
「 あっ!」
咄嗟にそれに手を伸ばしたゲンの身体が、ぐらりと傾いで。
慌てて強く腕を引くと、反動で二人して地面に倒れ込んだ。
「 ……っ!」
「 千空ちゃん、大丈夫!?」
心配そうに覗き込む瞳は、見上げた空と同じ、星を散りばめた夜の青。
吸い込まれそうな目に見入ってしまって。
気がつくと、抱き寄せてくちびるを重ねていた。一瞬だけ身をこわばらせたあと、そっと腕に身体を預けて。
ゲンの方からもくちびるを重ねてくる。
あまい花の香りに目を開くと、ふたりの姿を隠すように、あたり一面が花に覆われていて。悪戯めいた笑みを浮かべるゲンを抱き寄せて、もう一度くちびるを重ねた。
「 …………好きだ」
小さく囁いた声が、波の音にとける。
ゲンからのいらえは、絡められた指先と重なるくちびるの温度から十分すぎるほど伝わってきて。
いとおしさに、酩酊しそうな花の香りの中、何度もくちづけを交わした。