銀河 熱を持つうっ血した皮膚に少しだけ指を押し付けると、その指は腕ごと強く押し返されてしまった。
「いてえよ」
「おっと、ごめん」
押しのけられた際に爪がかすめてできた腕の蚯蚓腫れをさすりながら、悪びれた様子の無い風間はもう一度新堂の口の端を見る。転んでぶつけた、と新堂は言うが、そんなもの養護教諭の風間からしてみれば幼子の嘘も同然であった。間違いなく、人から殴打されてできる傷だ。
日に焼けにくいのか、運動が好きなくせしてやけに白い肌に浮かぶ紫斑。口の端を中心にまだらに広がるそれに、風間は銀河を想像する。
新堂はよく怪我をしていた。そして、風間はそんな新堂を毎回目ざとく見つけては保健室に引きずり込むのが常だった。
その主たる理由は傷の具合を見るからに喧嘩だったが、どんなにあからさまな傷を負っていたとしても絶対に新堂から喧嘩でできた傷だと明言することはない。プライドの高い子供だから、相手から傷を受けたことを自ずと白状することができないのだろう、と風間は解釈している。まあ、傷は傷であり、それを手当てするのが仕事であるからして、風間にとって原因の追及はどうでもよかったのだけれど。
「はい、もう喧嘩しないようにね」
「喧嘩じゃねえって」
「あはは、そうだったっけ」
「つかまじ、毎回いちいち呼び止めるのやめろよ」
「無理言わないでよ。僕は保健室の先生なんだよ?」
「……くそめんどくせえ」
まだ若い新堂は、心の底からめんどくさいと思っていることを隠そうともしない。軽そうな通学鞄をひっつかみ、口端に拵えられた真新しいガーゼを一つ掻いて、乱暴に保健室から出て行った。
あの様子だと、また次にこの部屋で彼の傷の手当てをするのはそう遠くない未来だろうな、と思う。閉じた扉をしばし見つめて、風間は軽い音を鳴らして丸椅子から立ち上がった。
窓を開けて外の空気を吸う。校舎の端に備え付けられただけあり、保健室の外は夕方の帰宅時間とは思えない程静まり返っている。おまけに大きな木が生えた大きな生け垣が邪魔して見渡しも悪い。だが、そんなこの環境を風間は気に入っていた。
「ほらおいで~」
白衣のポケットから取り出したボトルの中身を手のひらにあけて、外に向かってそう呼びかける。まもなくして、雀が一羽、手のひらの上に止まった。
放課後にこの窓をあけて雀に餌をやるのは、風間の日課のうちのひとつだ。小さな軽さを感じながら、餌に夢中な雀の頭を親指でそっと撫ぜる。チチ、と返事を返しながらも、雀は餌を食べることをやめない。
そんな愚かでいとおしい小さな生き物を、風間は次の瞬間首を捻って殺した。
指先に小さく響く骨が折れる感覚に、ぞわ、と腰のあたりが震えた。手のひらの中でだんだんと体温を失っていく命を見つめながら、ちいさな銀河を思いだす。
銀河の中央、すべてを飲み込むブラックホール。いつからか、風間はその引力に抗えなくなっていた。手のひらに感じる体温がもどかしくてたまらず、ある日から、新堂の手当てをした日に始めたこの行為にひどく依存してしまったのだ。ほんとうは、自分の手であの銀河を作り出してやりたい。傷を手当てしながら、毎回脳裏では新たな傷を作る作業に没頭していて、矛盾で狂いそうだった風間が唯一濁った欲を発散できたのがこの許されざる行為だった。
気付けば手の中で、雀はすっかり冷え切って硬直していた。あの子供の肌で自分が触れることを許されるのは、いつも熱を持った患部だけだというのに。