花びらの姫むかしむかし、あるところに。
眠りに囚われて目覚めないお姫様がいました。
姫の肌には赤い花びらのような紋様が浮かび上がり、それは夜ごとに増えて、色も艷やかな赤へと深まってゆくのでした。
赤い花びらが増えますと、まるで反比例するように姫の肌は青白く透き通って生気が抜けていくのです。
何かの呪いをかけられたのだと云う者がおりました。毒を盛られたのだと、または自ら毒を口にしたのだと。昏々と眠り続ける姫の様子を見た者は噂に噂を重ねました。噂にはたくさんの尾鰭がついて、ついに隣国の王子の耳にまで届いたのです。
隣国の王子は『天馬の御子』や『不戦の王子』と呼ばれておりました。穢れなき乙女にしか背を許さないはずの天馬を自在に操り、そのいななきは瞬く間に戦いを収束させてしまうのです。
心優しい王子は花びらの姫の噂を聞きつけるや否や、すぐに愛馬に飛び乗りました。王子には助けられる命を見過ごすことなどできないのです。従者が制止する声を振り切り、天馬は空を駆け抜けました。
(中略)
王子が触れると姫は呼応するかのように深く息を吸いました。透き通る青白い肌に少しだけ血の香りが戻りました。助けられるかもしれないと、王子は手袋を外して姫の頬をそっとなぞりました。すると姫の首筋から胸元に連なっていた赤い花びらが音もなく消えてゆくのです。花びらが消えたのち、姫の周囲には立派な花がその首ごと落ちていました。どさりばさりと雪塊が落ちるような重い音がしました。
王子は何度も姫の頬を優しくなぞりました。首筋の花びらは数枚を残して、すっかり花になっていました。しかし、残りの数枚だけはどうしても取り去ることができません。
夜も更けて月が天上を回る頃、王子は唇を噛んでから立ち上がりました。
「必ず君を助けるよ」
天馬が純白の翼で夜闇を切り裂いてゆきました。