終焉の眼差し 黒の騎士団のアジトにあるルルーシュの寝室には、一枚の不気味な絵が飾られていた。
座って抱き合う全裸の男女の絵。全裸といっても艶めかしさは一切ない。若いのか年をとっているのかもわからない。ふたりとも身体は痩せこけ骨と皮ばかり。背中には、背骨がはっきりと浮いている。特に手足の細い部分は、骨だけに見える。人皮を被った骸骨といってもいい。頭髪は一本もない。生きているのが不思議な状態だ。抱き合っているから生きてはいるのだろう。いや、もしかしたら死んでいて、ミイラ化しているのかもしれない。顔は、こちらからは見えない角度で描かれている。見えたとしても恐ろしい顔だろう。男女だと見分けたのは、膝に抱かれている片方が、いくぶん小柄に描かれているからだ。それも男だと言われたら、そうなのかとあっさりと納得するぐらいには痩せ細り性別がわからない。
黄色い砂色の背景には何もない。何もだ。骸骨のような哀れなふたりの他には草木一本ない。乾いた砂漠の果て。争いの末の悪夢。災厄。滅亡。世界の終りの絵だ。
なんと俺が生きているこの世界に似ているのだろう。
ルルーシュは、この悪趣味な絵をベッドの足元の壁に架けていた。ベッドからよく見える位置にだ。
俺に抱かれるとき、自分で命じたくせにルルーシュはたびたび上の空になる。そういうときは、たいてい揺すぶられながらぼんやりとこの絵を眺めている。どんなに激しく抱こうが、息も絶え絶えに喘がせようが、がくがくと揺れながらもルルーシュは絵を眺めるのをやめなかった。こんな気味の悪い絵に夢中なルルーシュを俺は抱かなければいけない。日々、ルルーシュへの憎しみ、嫌悪感は増すばかりだ。なのに、俺の性器は張り詰め、温かく柔らかな狭苦しい内臓をかき混ぜ愉悦を味わっている。
俺はずっとルルーシュが好きだった。奴隷になれ、とギアスかけられたあの日までは。
綺麗で賢く危なっかしいルルーシュ。俺が守ってやらなければ。愚かにも子供の俺はそう誓っていた。
鬱憤を晴らすために荒く抱く。殊更に下品な水音を立てる。グブリと入れてはいけない腹の奥底までペニスを潜り込ませる。ルルーシュの口が大きく開き、声のない悲鳴をあげる。逃げようとする腰を掴み、真上から腰を体重をかけて打ち付ける。ピクピクと痙攣する白く細い太腿を左右に大きく広げる。膣のように柔らかく濡れた平らな腹の中に、はち切れそうに膨らんだガチガチのペニスをメチャクチャに出し入れする。獣のような低い呻き声をあげて、ルルーシュの身体が弓なりに仰け反る。
愛情など、どこにもない乱暴なセックスをする。
なのに。
長く優美な白い両腕が、気まぐれに首に回されるときがある。ぎゅっとすがるように抱きつかれる。それから、白い震える指先が俺の頬を優しく撫でるときがある。
俺を見つめるルルーシュの瞳は、薄っすらと潤んでいる。ぼんやりとしている。夢見ているような。どこか幼くあどけない顔をしている。
俺たちはセックスのときもキスなどしない。愛撫もせずに、性急に下半身を繋げるだけだ。だから、ルルーシュが顔を近づけたときも、何をしようとしているのか最初はわからなかった。
キスではない。唇の端に触れるか触れないほどの柔らかな感触。湿った吐息の熱。
ためらいがちに、清潔な潔癖な何かを唇の端に与えられる。
俺は何故だかひどく泣きたくなる。ルルーシュが嫌いだとわめきたくなる。昔の、俺の、大切だったルルーシュを返せと怒鳴りたくなる。
昔、俺たちが幼い頃。
ルルーシュが俺に神話を教えてくれたことがある。北欧の神話だ。子供の頃に読んだ本に載っていたと話していた。
賢いカラスが知識の泉を覗き込んだ。余りに深く覗き込んだので、左目を泉に落としてしまった。落とした左目は、善悪の悪が見える目だった。カラスには善しか見えない右目しか残らず、それ故に世界の半分しか見ることができなくなった。
どういうことだと聞く俺に、十歳の早熟なルルーシュが教えてくれた。
「悪だけでは、善だけでは、世界を正確にはかれないということだよ。善悪がそろって初めて世界を知ることができるんだ」
だから、俺は。
ルルーシュの左目を。ギアスの宿る悪の目を抉り取った。ナナリーが殺されてしまった後。ルルーシュは、もう世界をはからなくてもいい。半分だけでいい。善だけを見ていればいいんだと。
ルルーシュの左目を抉り取った俺が流れ着いた異界フィンブルの冬。
ここには、もうひとりの別の世界のルルーシュがいた。両目のあるルルーシュ。もうひとりの俺に「生きろ」と正反対のギアスをかけたルルーシュだ。
同じルルーシュであっても、俺の知っているルルーシュとは違う人生を歩んでいる。だが、やはり似ているところはあった。
フィンブルの冬の図書館で、なにやら大判の本のページを開くルルーシュをみかけた。画集だった。しかも、ページの絵に見覚えがある。
抱き合うミイラのようなふたりの人間。ルルーシュの寝室に架けられていたあの不気味な絵だ。
「なんだ、おまえもベクシンスキーが好きなのか?」
立ち止まって眺める俺にルルーシュが声をかける。
「ベクシンスキーというのか……」
「なんだ、知らないのか? 死と絶望を扱った画風から終焉の画家と呼ばれている。構図が面白いだろう。中央にモチーフが据えられている。これは、彼がカメラも扱っていたからだ。元カメラマンだった映画監督のキューブリックを知っているか? 彼の映像も同じく対象を中央に据える共通点がある」
「気味の悪い絵ばかりだ」
「確かにな。だが、不思議と美しくもある」
美しい? どこがだ。
「おまえもこの絵が好きなのか?」
抱き合うふたりの絵を指さす。ルルーシュは目を細めて笑った。
「好きだな。俺なら、世界の終わりに恋人とこんなふうにしっかりと抱き合いたい。一分の隙もないほどにな」
俺が不気味としか感じることがなかった絵をもうひとりのルルーシュは美しいと言った。好きだと、恋人とこんなふうにしっかりと抱き合いたいと言った。
黒の騎士団のアジトの寝室で。
俺はひとりであの絵を眺めるルルーシュを目にしたことがある。
うつむけた額を絵に押し付け、じっと目を閉じていた。長い間。口元には、珍しく柔らかな笑みがあった。
額縁のガラスに、唇が触れるほど近づいている。今にも絵にキスでもしそうに見えた。いや、実際にくちづけていたのだろうか。
俺の唇の端に、清潔な潔癖な何かを与えたときのように。
俺はいつもあの絵の前でルルーシュを抱いていた。