許さん話(マシュレイ)「レインくんごめんなさい……」
「許さん」
5秒と待たすにドスの効いた低い声が返ってきた。僕達が初めて出会った時に、詫びさせてくれと丁寧に謝ってくれたレイン君に思わず、「許さぬ」と言ってしまった時を思い出してしまい、ちょっと懐かしい気持ちになった。
僕が色々と、ほんっとに色々とやらかしてしまった時、レイン君は大抵「はぁ」と深いため息を付くか、「やり過ぎだ」と呆れたように返してくれるのに、今日はもう、どうにもこうにも容赦がない。でもまあ、レイン君が怒るのも無理もない。
部屋のすみっこには無造作に投げられたシーツと、雑に脱ぎ捨てられた洋服。幸い今回はレイン君のシャツを破らなくて済んだみたいで、そこはちょっとホッとした。
ベッドから半身を起こしてこっちを射抜くように睨んでるレイン君は髪の毛はボサボサで、泣き腫らしたように真っ赤になった目元を蒸したタオルで押さえている。タオルを掴んでる手首には僕が押さえつけた赤い鬱血跡が、更にはガウンから覗く首筋や胸元にも虫刺されと誤魔化すには些か大き過ぎる跡や歯型がちらちらと見え隠れしていた。おそらくシーツで隠れている下半身はもっと大変なことになっているに違いない。
窓から差す暖かな光の下で見た恋人の刺激の強すぎる姿に、僕はただ視線を逸らすことしか出来なかった。
有り体に言えばちょっとかなり……自分の欲に忠実過ぎた自覚はある……と思う。
レイン君とは在学中からお付き合いをして1年ちょっと。卒業してからお互いなかなか時間が作れず、会うことが出来ても、いや、会えたからこそこうやってレイン君に己の欲をぶつけた回数は5回目からは数えることを止めた。
流石に会う度にやる事だけやってハイ解散は恋人としていかがなものかと我に返り、今回はレイン君との会話やうさぎ達とスキンシップを楽しみまなきゃと意気込んで事前に何発か処理もして、筋トレをして雑念を振り払っていたのに、穏やかな声を聞きながら触れ合ったりするともう駄目だった。レイン君は何と言うか、もう少し僕の下半身に配慮して欲しいと思う。
思い出したら昨晩は特に酷かった。「1回だけだ」とか、「明日朝から出かけるだろ……っ」などと喘ぎの合間に抗議するレイン君のことを追い詰めて、なし崩しに抱き潰しちゃったし……
一応、ごめんなさいって謝ってから奥の奥まで堪能させて貰い、何もかもが終わった後ドロドロに蕩けたレイン君の身体を無の境地で綺麗にして、ガウンも着せたしシーツも取り替えてできる限りのアフターケアはしたつもりだけど、やっぱりお怒りですかそうですよね。
「あの……」
沈黙を破るように、僕は小声で呟いて、いつものようにゴソゴソと懐からシュークリームを取り出そうとしたけど、ジト目で追ってたレイン君の眉間の皺が更に深くなった。お前まさかシュークリームで穏便に済ますつもりじゃないだろうな?という無言のプレッシャーを感じる。本当コレ、情事の後に出す圧じゃないと思う。
相手が怒っている時は糖分が足りてない時かお腹が空いている時だから、甘い物を与えたら大概は何とかなるよと、存在しない記憶の兄から聞いた気がするんだけど、今回のレイン君はちょっとそういうアレじゃなさそうだ。
えっどうしよ……このままお別れコースだけは絶対に避けたい。僕の予定では卒業後にシュークリーム屋さんを開業して、経営が軌道に乗ったら森の中に小さな一軒家を建てて、そこにレイン君やうさぎ達をお迎えして、ささやかだけど幸せに溢れた家庭を築く事になってますから!レイン君が望むならフィン君も一緒に暮らせばいいと思ってるし、とにかく僕はこれからもずっとレイン君と一緒に!過ごしますから!?
僕に残された選択はもうアレ一択。アレを使うしかない……!!
「お、お詫びと言ってはなんですが、こ、これを受け取って……ください」
「おい、お前毎回毎回オレがっ……ごほっ、シュークリームで絆されると思って……うぅっ」
レイン君は反論しようとしたけど、声が掠れているのか上手く最後まで言えなかったみたいで、そのまま2、3度咳き込んでしまった。
サイドテーブルから水を取って緩慢に飲み下すレイン君の喉元を凝視しながら、僕はシュークリームの入っている方とは別の懐から、小さな箱を取り出した。
「なんだこれは」
「あの、2人がずっと幸せに過ごせる魔法の指輪……的な?」
「は……」
僕はそう言って小箱を開けて、中身をレイン君に近づけた。
箱の中にちょこんと鎮座している。シンプルな指輪を凝視してるレイン君の顔がいつもと違う風に見えて、ドキドキする。
「いつか渡そうと思ってたんだけど、なかなかタイミングが掴めずに……。お付き合いした記念日が正解だと思うのですが、逆に今渡さないとダメな気がして」
レイン君の好みのデザインとか分からなかったし、値段も高くはないですけど、やっぱり、形のあるものをレイン君に渡したいと思いまして。
などなどと言いながら僕は怪訝な顔をしているレイン君の手を取って、指輪を薬指に嵌めようとして、
「あれ?」
レイン君の第2関節辺りで止まった指輪とレイン君をしばらく見比べた。
「……あばばばば、おかしいな。えっ、もしかしてサイズ間違えた?」
諦めずに少し強い力で、指の付け根の方に指輪を押し込もうとすると、痛ぇだろと言って手をはたかれてしまった。
「サイズの合わねぇ物を無理矢理ねじ込もうとするな。痛いだろ……」
「おかしいですな。僕の見立てではこのサイズでピッタリはまって改めてごめんなさいした後にハッピーエンド〜二人は幸せなキスをした〜の予定だったのですが」
「マッシュ。何と言うかお前、オレに夢見すぎだろ」
「えっ、僕レイン君のことはお伽噺のお姫様みたいな存在だと認識しているのですが……」
「いやソレはいくら何でももおかしいだろ。寧ろフィンの方がお姫様だろ、どう見ても」
「うーん、フィン君はヒロインポジションと言うか何と言うか」
「どう違うんだ。というか、お前はお伽噺のお姫様に無体をはたらくのか。なんて奴だ」
「えーでも、王子様って結構アレな性癖の人多くないですか? 寝てるとこ無理矢理とか…… そういうのに比べたら僕なんてまだまだ可愛い部類かと」
「うるせえ、自分のしたことを開き直るな」
はぁ……と長いため息をついて、レイン君がのそのそとベッドから出てきた。やっぱりガウンから見える脚もとんでもない事になっていて、罪悪感とどろりとした想いが混じりあってしまい、衝動を抑えるために必死に脳内で筋肉の名前を反芻しながら、レイン君の言葉を待つことにした。
「……今日はお前と朝から出掛けるのを楽しみにしてたのに、起きたら昼前だし、また何も出来ないまま1日が終わるのかと思ったら……時間が勿体く感じて、悲しくなっただけだ」
「ごめんなさい……」
「やり過ぎた次の日に箒に跨るのは、お前が思っている以上にキツい」
「返す言葉もございません」
「別にお前とこういうことするのは悪い気はしない……だが、時と場合を弁えろ」
「ぜぜぜせぜ善処します」
レイン君は僕と二人で出掛けるのを心待ちにしてたのに、抱き潰されたことによって予定が取りやめになってしまうのが嫌であんなにもご立腹だったらしいことが判明した。言葉にして伝えるのが苦手なレイン君が伏し目がちにたどたどしく僕に話してくれる様が、僕との時間を大切にしてくれて非常に愛おしい反面、愛おしさが溢れすぎてこのまま押し倒してもう1回致したい気分にもなってしまうので本当にレイン君も色々と弁えて欲しい。言ったら絶対ダメなやつだから黙っとくけど。
「この指輪、どこで買ったんだ?」
レイン君は、サイズが合わなかったしちょっと内側から拡げればいいよねと思って僕が手にした指輪を見て尋ねた。
「マーチェット通りにある、緑がかった水色の外観のアクセサリーとか売ってる店です。指輪ってどこで買えばいいのかなって話題にしたら、みんなが教えてくれて……」
「! お前、ものすごく有名な所で買ってたのか! そんなとこで買った物を無理矢理拡げようとするな。飯食ったらサイズの変更頼みに行くぞ」
そう言ってレイン君はゆっくりとベッドから降りてきた。まだ足に力が入らないのか、床に足がついた途端に崩れ落ちそうになった所をしっかり支えるため、腰に手を回す。
「くそ……やっぱりまだ許すんじゃなかった」
「いやーさっきは凄くびっくりしましたけど、前に僕がレイン君に許さぬって言った時のレイン君もこんな感気持ちだったのかなって……」
「ふん、状況が全然違うだろ」
「僕にとっての魔法のハンカチみたいに、レイン君にとっての魔法の指輪になって欲しいなあ」
「いいのか? それだとこれはアビスに使う事になるぞ」
冗談っぽく笑うレイン君の腰を抱いたまま、ダイニングへと歩を進めて、そのまま椅子に座らせてあげた。
「パンとお米、どっちがいいですか?」
「米。 もやしのナムルも食べたい。あと暖かいスープか味噌汁。用意してる方で構わない」
「うす」
キッチンに入って手早くレイン君の食事を用意する。料理をお皿に盛り付けながらレイン君を見ると、リビングでのびのびと遊んでいるうさぎ達の方に身体を向けて、幸せそうなオーラを出していた。15分程前の殺意にも似た空気とは大違いだと思いながら、僕は魔法の指輪を改めて渡す時の言葉はどうしようか。などと考えることにした。