第10回お題「手作り弁当」赤井Side
降谷と同棲している家で、幼児化した零と一緒に暮らすようになってから一ヶ月経つ頃。
コナンと同じ小学校に通いはじめた零は、どこにでもいる“普通の小学生”のように日々を過ごしていた。
身体の縮んだ零をはじめて見たときの衝撃を、「だれ?」と問われたときの喪失感を、赤井はきっと一生忘れることはできないだろう。
もちろんショックは大きい。しかし、どんな姿でも、たとえ記憶を失っていても、生きて自分のもとへ帰ってきてくれたことに赤井は感謝していた。
「来週の金曜日、授業ないんだって!」
零の楽しそうな声音に、赤井は我に返る。
「ああ……そういえば遠足だったかな」
「うん! 遠足、すごく楽しみ!」
「遠足に必要なものは? 先生から聞いているんだろう?」
週末は一緒に買い物へ行こうかと考えながら、問いかける。しっかり者の零は指折り数えながら言った。
「うん! リュックと、体操服と、帽子と、レジャーシートと、お菓子と、水筒と、……あとお弁当! コナン君は蘭お姉さんに作ってもらうんだって」
「そうか」
「それで、僕の分のお弁当なんだけど……あのね、あかい……」
自分に何かお願いしたいことがあるときの零は、もじもじと手を動かす。いじらしいその仕草を愛らしく思いながら、赤井は零の頭を撫でて言った。
「俺が作ろうか?」
「いいの」
零の表情が、花が咲いたようにパァァァァと明るくなる。
「ああ、もちろん」
「でも、あかいってお弁当作れるの?」
零が心配そうに見上げてくる。以前、降谷にも同じことを聞かれたことがあった。そのときは、『パンに具材を挟んだ程度のものなら』と答えた気がする。
赤井は当時の降谷との会話を思い出した。
『じゃあ、二人分のお弁当、一緒に作りましょう』
『一緒に?』
『ええ。日本らしいお弁当の作り方、僕が教えてあげますよ』
そうしてふたりで台所に立ち、降谷と一緒に弁当作りをした。何気ない日常のワンシーンだったが、今となってはかけがえのない思い出だ。
「……ああ。少し前に、教わったことがある」
目の前にいる君に――とは、当然言えない。
「やったぁ!」
嬉しそうに飛び跳ねる零に、赤井は微笑んだ。
「お弁当には何を入れてほしい?」
少し考えるような素振りをみせたあと、零は興奮した声音で言った。
「卵焼き! 卵焼き入れてほしい!」
「わかった。当日、楽しみにしておいてくれ」
よほど嬉しいのだろう。零はきらきらと目を輝かせている。がっかりさせたりしないよう、零の期待に応えなければと赤井は思った。
遠足の日、当日。赤井は普段より二時間早く起きて、零の弁当作りをはじめた。
調理を進めながら、この部屋の台所で、降谷とふたりで弁当作りをした日のことを、赤井は再び思い出していた。
その日は久しぶりに休みが重なり、弁当を持って近くの公園に行こうという話になった。零に手順を教わりながら、タレに漬け込んだ鶏肉を唐揚げにし、鮭をグリルで焼いて、彩りにミニトマトやブロッコリーを添える。降谷との共同作業は、仕事とはまたひと味違う楽しさがあった。
弁当作りの終盤。赤井が混ぜご飯を作っている隣で、降谷は出汁巻き卵を作りはじめた。赤井に出汁巻き卵の作り方を教えながら、零は器用に卵を巻いてゆく。
『出汁巻き卵も好きなんですが、実は僕、甘い卵焼きも好きなんです』
『甘い卵焼き?』
『ええ。……ねぇ、赤井。いつか僕に作ってくれます? 甘い卵焼き』
『俺に作れるだろうか』
『作れますよ。レシピは――』
当時の会話を思い出しながら、赤井は零のお弁当を作った。あのときと同じく、鶏の唐揚げ、鮭、混ぜご飯、ミニトマトにブロッコリー。そして今回は、零のリクエストである卵焼きを入れてある。降谷に教わったレシピ通りの、甘い甘い卵焼きだ。
零に気に入ってもらえるだろうか。ほんの少しの緊張感を覚えながら、赤井は弁当を包んだ。
零Side
遠足の日がやってきた。
この遠足で、零が一番楽しみにしていたのは、手作りのお弁当だ。仕事で大変なのに、いつもより早く起きて、赤井が自分のためにお弁当を作ってくれたのだ。おいしそうな匂いが台所から届いて、目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた。
少し寝不足になってしまったけれど、胸がどきどきわくわくして、二度寝はできなかった。
バスに乗って現地へ向かい、グループ別に緩やかなハイキングコースを歩く。お腹と背中がくっつきそうになるほど空腹になったタイミングで、ちょうど大きな広場に辿り着いた。
先生が、「ここでお弁当にします!」と言う声が聞こえて、グループのみんなと相談し、景色がよく見える場所にレジャーシートを敷いた。待ちに待ったお弁当の時間に、すぐに「いただきます!」とあちこちで声が上がる。
零はどきどきしながら弁当箱の蓋を開けた。「うわぁ!」と思わず声を上げると、隣にいたコナンが「これ、赤井さんが作ったの」と驚いている。
「うん! あかいが作ってくれたんだよ!」
「すげー」
コナンの感心したような声に、零は嬉しくなる。
弁当箱の中には零の好物ばかりが入っていた。もちろん、赤井に作ってほしいとお願いした卵焼きも。
「いただきます!」
零はまっさきに卵焼きに箸を伸ばした。少し焦げている。けれど、とても美味しそうで幸せそうな色をしていた。赤井が卵焼きを作ってくれるのはこれがはじめてだ。味はしょっぱいのと甘いのと、どちらなのだろう。
卵焼きを口に入れると、優しい甘さが広がってゆく。赤井が作ってくれたのは、甘い甘い、卵焼きだった。
「あのときの約束、覚えてたんだ……」
そう呟いてすぐ、“あのときの約束”とは何だろう? と、零は自分の言っていることがよくわからなくなってしまった。
赤井と一緒に住むようになったのは一ヶ月ほど前からだ。しかし、“あのとき”は、一ヶ月以上前のような気がする。
赤井のことを考えていると、こうして自分のことがよくわからなくなることが度々あった。
自分が何者なのか、なぜ今ここにいるのか、輪郭の見えない自分自身に、不安になってしまう。そして、こんなときはどうしようもなく、赤井に逢いたくて逢いたくてたまらなくなるのだ。
色とりどりのお弁当箱の中身が、ぼんやりと滲んでゆくのが見える。
「……降谷君、泣いてるの?」
少し離れた場所から、灰原の声が聞こえてくる。コナン、歩美、元太、光彦が、心配そうな表情でこちらを見ていた。
「僕、なんで泣いてるんだろう……」
懐かしい。嬉しい。切ない。赤井に逢いたい。ごちゃ混ぜになった感情で、胸がいっぱいになる。
ふと、脳裏によみがえる記憶があった。
その記憶の中の自分は、赤井と一緒に台所に立ってお弁当を作っている。目線は今よりも高い。不思議な光景だ。
いったいいつの記憶なのか。現実ではなく夢で見た光景なのか。記憶のさざ波のように訪れたその光景に、胸の奥で小さな波紋が広がるのを感じる。
零は瞬きをした。涙の粒が頬に流れて、弁当箱の中身がはっきりと見える。このお弁当を見るのは、これがはじめてではないような気がした。